6-1. 決答
ステージで悪魔の面を着けた男たちが演奏している。
音楽はメタルのようだった。ピックが弦をひっかくたび、耳が痛くなるほどの爆音がオーバードライヴギターから飛んでくる。
トツカはホールのカウンターにいた。ぼんやりしていると、じきに目の前にショットグラスが置かれた。中身はクリームとコーヒーリキュールとキュラソーで段々になったカクテルだった。マスターは汚れた面の
演奏はどんどんヒートアップしていく。速弾きするギタリストの指には血がにじんでいた。不協和音も目立ってきて、聞くに堪えない。
「やめろ――」
トツカはうめいた。隣で、客のひとりが目を向けてきた。この客も悪魔の面をかぶっている。わずかに覗く口元がニヤリとひん曲がった。
「こちら側に来るのは早いんじゃないか?」
くるり、と面が裏返って、シズに似た男の顔に変わった。
若い兵士だった。軍服は裂け、顔も半分ほど焼けただれている。カウンターで遊ばせている手は、血糊で人差し指と中指がくっ付いていた。
「しぶといんですよ、オレ」
「僕もそう思っていたよ。だが彼らと比べたら虫けらのようなものだった」
椅子が回り、男が身体を見せてくる。
穴の開いた左胸は空っぽで、向こうの壁が見えた。血まみれの顔で、男は続ける。
「なのに、君はまだ危機感を覚えず、あまつさえ彼らを許そうとしている」
「あいつらに悪意があるわけじゃねぇ。話せば分かるはずだ」
「無理だ。連中と僕たちは辞書が同じでも、中身は宇宙人ほども違う」
ステージの悪魔たちが銀色の身体に変わる。
突起が肌を覆って、ごぼごぼと沸騰するような音を立てた。半ば融けたボーカルが赤い目でこちらを見つめる。
「スティーリアに命令したのはあんたか」
「そして殺された。彼女なりの復讐だ」
男はマッチを擦って、トツカのカクテルに落とした。ショットグラスから炎が上がる。
トツカは焼け焦げていくクリームの層を眺めた。
表層が黒くなったところで男がグラスをかっさらい、ひと息に飲み干す。
「……本当にあんたは殺されたのか?」
「もちろん初めは自分で選んでいるつもりだった」
男はコーヒーリキュールで茶色になった唇をぬぐった。
「あの子を理解するのは楽しかった。怒りに任せて壊すときすら、高揚感を覚えたもんだ」
赤くなった顔から表情が消える。
「でも利用されたのはこっちだった。ネズミの実験を知ってるか? 押すと、気持ちのいい電流が流れるバーが付いた部屋に閉じ込めるんだ。連中、脳が焼き切れるまでバーを押すらしい……」
「死ぬように誘導されたなら、殺されたのと同じだと?」
「そうだ」
「それで妹に地形図を送ったのは、あんたも復讐するつもりだった、と」
「生きがいだよ、ウツリの弟クン」
男はショットグラスを持ち上げた。マスターが手慣れた様子でウォッカとホワイトキュラソーを注ぐ。
「戦場で一番怖いのは、何か習ったか?」
「知らねえよ。色々ありすぎて……」
「『勝ったらこれで終わる』って思えない戦いさ」
男はグラスを置いた。
「明日もその次も、いくつ自分が勝利しても意味がないと分かったとき、兵隊は死ぬ。勝利に執着できなくなると、もうそいつは撃てなくなっちまう」
トツカが黙っていると、男はふっと笑った。
「キョウカは、『勝った』かい」
トツカには、この男が英雄とは思えなかった。
シズに地形図を送ったのは、無意味な勝利を教えるため――そんなはずがない。
「
「絆と呼んでほしい。あの地形図を解くまでは、あいつと僕は繋がっていられる」
「それ、本心か?」
男は「さてね」と笑った。
「たぶん、僕は自分を許せていないんだろう」
燃え尽きたようなオレンジの瞳だった。アルコールで血走って、ゆらゆらと揺れている。
男がまばたきをすると、頬の血がてらてらと光った。
「もっと教えられたはずだ。でも、気が付いたら僕には戦争しかなかった」
「一緒にいてやるだけで良かったんだ」
「ああそうだ。それでも自分で決断したんだ。罪悪感なんか覚えないと思っていた。なのに情を捨てるのは難しくて……」
男はカクテルを
トイレでは無いだろう。二度と戻ってこない気がした。
いつの間にか音楽は止まっていた。見るとステージのバンドメンバーは銀色の水たまりになって、壊れた譜面台とビンテージのベースギターだけが転がっている。
「……シズ・カゲキか」
トツカはベースを拾い上げた。木目調のボディから水銀みたいな金属の球がころころと転がる。
試しに弦をはじいてみた。共振でびりびりと壁が震え、
きっと、あの男の方が上手く演奏できる。
ベースギターをその場に寝かせる。
水たまりはまだ動かなかった。声をかけようとも思ったが、やめた。
「何がしたいんだよ。あんたらにも口くらいあるんだろ……?」
トツカはホールのドアを開けた。
―――★
痛みがあった。それから、圧迫感。
重い腕を持ち上げると、柔らかな感触があった。
「……暑いな」
トツカが薄目を開けると、ベッドに身を投げ出した女が見えた。
シーツには地形図が散乱していて、女の頭にも何枚か乗っていた。
「起きた?」
すぐ横から声がした。
壁にスティーリアがもたれていて、インスタントのコーヒーをすすっていた。大きなマグカップになみなみと注いでいて、少し重たそうに見える。
「ロボのフリはいいのか?」
「中身を減らしてるの。やっぱりこれ、大きすぎるよ」
ぴっ、とマグカップの
「オレを運んだのはおまえか?」
「うん」
スティーリアは地形図を拾い集めながらうなずいた。
「外で伸びていたから。誰かに殴られたって」
「そうか」
トツカはコーヒーに口をつけた。ここのは喫茶店で飲んだものより薄い。
「覚えてないの?」
「いや。あっさり認めるんだな、と」
トツカを運ぶとき、彼女は「ごめんね」と言っていた。トツカが殴られる瞬間まで、どこかで見ていたのだろう。
「……ごめん」
スティーリアがつぶやく。
「なんで謝るんだよ」
「だって!」
彼女は急に黙って、シズの肩に毛布をかけた。
人間だったら、肩を震わせていたかもしれない。しかし、マシンの彼女は硬く微笑したままだった。
「……うう」
シズの目が開く。辺りを見渡し、トツカと目が合うなり、がばっと身を起こした。
過呼吸のように短く息を吸い、しばらく咳き込む。
「あ、あの……その……私」
「オレが死んだと思った?」
「そう。スティーリアが呼びに来てくれて」
「講義はどうしたんだよ」
「ウルミさんにノートを頼んでるから大丈夫」
シズはまた咳をした。トツカは手を伸ばして背中をさすってやった。
「ごめん、喉の調子が悪いだけだから……」
シズはマグカップを手に取って、そのままぐびぐびと飲み差しのコーヒーを喉に落としていく。
スティーリアが気まずそうに見てきた。トツカは口笛を吹いて誤魔化す。
「コーヒー、薄いね?」
「ここの、ケチってるよな」
「うん」
シズはマグカップを回して、首をかしげる。
「……もしかしてトツカくん、飲んでる途中だった?」
「オレだけじゃないけどな」
長い沈黙があった。
シズはわざとらしく咳払いをして、スティーリアから地形図を受け取る。
「ちょっと、行くところあるからごめん」
彼女が去ってから、トツカはそっと後頭部に手を回した。
でっかいホチキスの芯みたいなのがぱちぱちと埋め込まれていて、触れるとずきずきと痛んだ。頭蓋骨折、全治二ヶ月といったところか。
手加減されている。殺すつもりの殴打じゃなかった。
だとしても、今回はやりすぎだ。
「スティーリア、ルートは調べてあるか」
トツカが言うことは予想していたらしく、答えはすぐに来た。
「十四時から回診が始まる。一階の東から順にやっていくから、三十分間は西の非常階段で逃げられるよ」
「オレの服は?」
「ここに」
スラックスとシャツの入った紙袋が置かれた。
こちらを見たとき、スティーリアの目が青く光った。冷たい兵器の顔だと思う。彼女も何かを決心しているらしい。
「シズのことは任せた。その後のことはオレがやるから」
スティーリアは目を閉じた。
「分かってる。じゃあね」
彼女が部屋を出て行く。トツカは息を整えて、病衣を脱いだ。
シズの行き先がどこか知らないが、目的はトツカとだいたい同じだろう。
さっきの夢が思い出された。
今でもトツカは、意味があることをやれるとは思わない。ああしてスティーリアと話しても、最後のところでどうしようもない壁のようなものを感じる。
もしかすると、シズ・カゲキは最後の一線を踏み出してしまったのかもしれない。その結果、戦う意義を失って戦死することになった。あり得ない話ではない。
「だとしても、試さねえ理由には……」
外でごとりと重い音がした。スティーリアが何かを拾ったようだ。
予定に無い動きだった。
トツカはひたいから噴き出した汗をふいた。まだ何かあるのか。
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