5-1. 解悟

 ――黙って動かず息してなければパーフェクトな女。

 

 クラスの男子一同によるハバキ教官の共通見解はそんなところだろう。


 この光景、姉弟子に見せてやりたいもんだ。

 ストローでアイスコーヒーの氷をつつきながら、トツカはぼんやりと思う。

 この人、本当に見た目だけは良い。目つきこそキツいが、高い鼻と、尖ったあごという顔の造作は、派手でありながら綺麗に整っている。ニッポン人離れした白い肌も、軍人のわりにシミひとつ無い。美形というより、もはや匠の手による彫像のようだ。


「ですからお戯れもいい加減になさって、と申し上げているのです」

 その美しい顔が、さっきから愚痴ばかり吐く。

 トツカはあくびをかみ殺して、喫茶店のメニューを見た。今日はバイトが仕切っているのか、バツマークの付いた品名が多い。さっきもコーラフロートを頼んで断られた。


「どうしてわたくしにご相談なさらないの? もしや、先生のことがお嫌い? わたくしに至らない部分がありましたらどうぞ忌憚きたんなくおっしゃって。まさかとは思いますがそれもお嫌なの?」

 ハバキ教官は高そうなハンカチを目に当てて泣き出した。

 初めは罪悪感を覚えたりもしたが、動作がいちいちマンガみたいに芝居がかっているものだから、すっかりトツカも醒めてしまった。シズも隣で困った顔のまま硬直している。


「あー……それでハバキなんたら特務中尉殿。コーヒー切れたんで、追加していいっすか」

「トツカ! 先生はシリアスですのよ!」

「分かってますよ上官殿マム。すいませーん、アイスコーヒーもうひとつ!」

 喉の奥でうなるハバキ教官を無視して、口に放り込んだ氷を噛み砕く。

「オレも感謝はしてます。教官のおごりってなかなかありませんから」

「ですから、そういう話ではございませんの!」

 バイトがコーヒーを運んでくると、ハバキは「お紅茶!」と怒鳴りつけた。

「ごめんなさい、それ明日からなんです」

「はああ!? このお店にはお砂糖水と眠気覚まししかございませんの?」

「はい……ごめんなさい」

 ハバキは吼えるようにサンドイッチを注文して、どっかりと座り直した。

 上着の胸ポケットにはタブレット端末が挿してあった。使い込んでいるようには見えないから、普段は携帯していないのかもしれない。

 

「ナゴシさんから連絡が行ったんですか」

「ええ」

 とハバキは不機嫌にうなずく。

「あの成金の娘、教官をいいようにあごで使って……」

「『シズ・リポート』の話?」

「どちらかといえばスティーリアさんですわね」

 ぴくり、とシズが動いたのが分かった。

「あなたがたもご存知の通り、あれは……ただの機械ではございませんの」

 ダルそうに言って、ハバキは足を組む。腿にホルスターの形が浮き上がった。

「シズさんのお兄様は、ご立派な方でした。ですがそれだけで戦争には勝てません」

「だからスティーリアで実験して……」

「お人形の柔肌やわはだを穴だらけになさってね。なぜ反抗されなかったか、ご存知? ロボットも痛みは感じます。まして棄械スロウンなら逆に殺されても不思議ではございませんのに」


 店員がサンドイッチを運んできて、一旦、ハバキは口をつぐむ。そして店員が去ると、サーモンの挟まったパンをひと口かじって、ささやくように言った。

棄械スロウンにも階級がある、というのがカゲキさんの仮説でした」

「階級って、大佐とか少尉の?」

 シズが眉をひそめる。

「ええ。実は棄械スロウンは単体ですと、ひどく原始的な動きをするのです。熱源に向かい、食らい、また次へ……という具合に、ですわ。それが集団になると、なぜか恐ろしく統率の取れた振る舞いに変わってしまう」

「オレの知ってるスティーリアは単体だけど、人間と変わらないですよ」

 トツカが言うと、ハバキは大きくうなずいた。

「例外的な個体です。カゲキさんは、あのように知性の高い個体がいるとおっしゃっておりました。指揮官の身体には通信機のような器官があり、それで指示を出すのだと」

「その通信機ってやつ、シズの兄ちゃんは見つけたんですか?」

「かもしれませんわね……」

 ハバキは曖昧に笑うばかりだった。

 カゲキの日記には、赤い石で命令できたと書いてあった。あれが本当なら、カゲキは棄械スロウンを自由に動かせたことになる。敵の指揮官さえ倒せば、残りは生かすも殺すも自由だ。

 だから戦闘では先行したのか。味方をやられる前に、指揮権を奪うために。


「……当時の装備、今はどこに?」

「もしわたくしが見つけたら、保管は最も安全なところを選ぶことでしょうね」

 ハバキは片目をつむってみせた。

「とにかく、でございます。スティーリアさんは完璧に管理されております。あれほど安全で優秀なガイノイドはございませんし、これまで通りに生活なさってくださいまし」

「オレたちには棄械スロウンを殺せと教えておきながら?」

 トツカはアイスコーヒーを飲んだ。ここのは苦い合成香料の味がする。


「わたくしが申し上げたのは『敵を殺せ』ということです、トツカ」

 サンドイッチを頬張りながら、ハバキは目を細くした。

「お話ができるうちは、まだ敵ではございませんよ」

「『まだ』ってだけでしょうが。あんたらがチンタラやってるからシワ寄せがオレたちに――」

 最後まで言う前に、ハバキが唇に指を当てた。

 隣から寝息が聞こえた。こつん、とシズの頭がもたれかかってくる。

「お疲れみたいですわね」

 シズの香水の匂いに混じって、蒸気になった汗が立ち昇っていた。

 彼女の身体はずいぶん熱っぽくなっていて、服越しでもじんわりと暑さが伝わってきた。肝臓を悪くしているから代謝がぶっ壊れているらしい。

「歩きすぎたんです。すぐ無理しやがる……」

「無理に応えてくれるお相手がおりますから、シズさんもを張れるのですよ」

 ハバキが会計を済ませに立つ。トツカはアイスコーヒーを飲みながら、だんだん重くなっていく肩に顔をしかめた。シズはすっかり脱力して、気持ち良さそうにいびきをかいていた。


 元はと言えばあの事故のせいだ。

 あれ以来、どうにもハバキ教官のことが信用できない。

 あのときは棄械スロウンにORBSを乗っ取られた。学校内に原因があるのは間違いないのに、犯人探しどころかうやむやで済ませようとしている。

「あの人、本当に戦ってたのかよ」

 腿の拳銃も、あれではいいお飾りだ。


 じゃらじゃらとレジが鳴る音が聞こえた。そろそろ会食はお開きらしい。トツカがシズの肩をゆすると、彼女のオレンジ色をした目が開いた。

「あ……寝ちゃってた?」

 シズは慌てた様子で、ひたいに貼りついた髪をかき上げた。

「ハバキ教官の話、つまんねえもんな」

「ん、でもオトナだよね。そんなに嫌いじゃないかな」

 そう、シズはクニャリとした笑いが浮かべる。

 きっとこの人の世界に敵はいないのだろう。全身を打撲するような目にあっても、まだ自分の努力でどうにかなると信じている。兄はそうやって成功した。だから、シズもできると思っている。


「もう少し怒った方がいいんじゃねえの」

「ん?」

 さあな、と言ってトツカは残りの氷をばりばりと噛み砕いた。

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