4-4.
庭の復元作業はシズとふたりですぐに終わらせた。
重い鉄板から落ちた土は周囲一帯の花を覆っていて、丁寧に取り除くのも一苦労だ。
それでも鉄板をひっくり返したときに付いた泥を落としてやると、チューリップは変わらずにすっくと茎を伸ばした。球根は強いとシズは言っていたが、確かに強い花なのだろう。
「あんなことしなくても……」
花壇を出るときに小さく、シズが吐き捨てたのが聞こえた。
だが、トツカには分かる。姉弟子もよく独りで突っ走っていた。シズの兄もきっと同じだ。必死になってしまっただけなのだ。
屋敷に戻ると、シズはエイスに引かれて自室に行ってしまった。トツカもシャワーを簡単に浴びてから報告に取り掛かる。
ノートと日記の写しはタブレットのカメラで済ませた。
画質を確認したところで、ナゴシのアドレスを知らないことに気が付いた。
エイスに頼むと、二階の古びた電話機に案内された。コール三回で交換手が出る。
「名前はトツカ・レイギ。ムラクモ学校のナゴシ生徒会長に繋いでくれ」
「承りました」
トツカがメールの文面をしたためるうちに、ナゴシが電話口に出た。
「ずいぶん遅い定時連絡だね」
「シズ・カゲキの日記と研究ノートを見つけました。それで頼み事なんですけど、スティーリアに監視を付けてください」
トツカは肩に受話器を乗せて、メモにペンを走らせる。
「スティーリア? あのガイノイドが何か」
「
「ああ、それなら――」
メモしたアドレスを入力し終えると、トツカは送信ボタンを押した。
表示された予想時間によると、画像のアップロードは長くかかるらしい。
「それでトツカくんはすぐに帰るのかな?」
「いえ。シズがちょいグロッキーなんで、一泊してから昼過ぎの電車で行きます」
「やはり病み上がりにはキツいか。了解」
「すいませんね……」
トツカは辺りを見渡して、誰もいないことを確かめた。声を落として言う。
「今回の件ですけど、シズの兄ちゃんは
「そう言われてるね」
ナゴシの端末が鳴る音が聞こえた。指で操作してるのか、少し声が遠くなる。
「『シズ・リポート』。きみが見つけたのは、その原本だ」
「初めて聞きました」
「都市伝説だよ。発掘された日本初の
「……なんでそんな」
「ヨーロッパがあんなザマだったからな」
ナゴシがスイッチを押して、卓上印刷機がA4用紙を吐き出していく。
「家族を守りたい一心だったんだろうさ。敵が何体来ても、確実に仕留められる方法を探っていたんだ」
「成功したんですか?」
「彼の挙げた戦果は間違いなく成功例だよ。まあ理由はそれだけじゃないが……」
これから準備があるからとナゴシが電話を切る。何の準備か知らないが、彼女も徹夜コースのようだった。トツカも受話器を戻しながら、これがスティーリアの自首に使われた電話機だと気が付いた。
ぐるぐると巻いたコードに、ダイヤル式の本体。公社のマークには七宝焼きの円盤がはまっている。
「私が殺しました、か」
すぐ横の壁には真新しい壁紙が貼ってあった。剥がせば弾痕がびっしりと並んでいることだろう。
ここで破壊されたスティーリアは偽装だった。バレる前にシズ・カゲキが回収して、ムラクモの寮で実験を続けたに違いない。もしかすると個人的な復讐のつもりだったのだろうか。
夫婦の寝室の前を通りがかると、調香師のフクサが廊下の椅子で足を休めていた。
「おや、トツカの……」
フクサが立ち上がろうとしたので、トツカは押しとどめて隣に腰を下ろした。
椅子はなかなか収まりが悪くて、何度か腰を動かす。ここのクッションはどれも柔らかくて、どうにも落ち着けない。
「黒電話、けっこう使えるもんですね」
「あら。お若いのに珍しいこと」
「ああいう古い機械は調べりゃ出ますから。中途半端に専門的なのが一番難しいです」
フクサはラベンダー色の小瓶を持っていた。
シズに渡したものと同じやつだ。すでに自分で試し吹きしたらしく、服から爽やかな香りがした。
「お嬢様は、上手くやれておりますか」
フクサは小瓶を手のひらで回しながら言った。
「オレの目から見て、ですか?」
「ええ。それで構いません」
「たぶん、本人は百パーセントで頑張れてます」
トツカが言うと、フクサは微笑んだ。
「本当に、お嬢様は周りの人に恵まれておられますね」
「そうですかね。不幸続きじゃないですか」
「支えてくれる人がいるから、耐えられるのですよ」
この人の笑みは、スティーリアに似ていると思う。
「シズの母ちゃんは、本当に殺されたんですか?」
先ほど見た写真では、スティーリアは破壊されながら微笑んでいた。
本心のはずがない。きっとカゲキを恨んでいたはずだ。その矛先が家族に向いてもおかしくない。
「そうですねえ」
フクサは香水の小瓶をトツカの目の前に掲げた。光が当たると、ラベンダー色の液体にほのかなピンク色が混じった。
「バラにも毒があることはご存知?」
「いや……」
「一部のバラ科の
フクサは瓶の蓋を外して、香を聞く。
トツカのところまで届くほどの強い匂いだった。少し毒が入ったくらいでは、誰も気付けない。
「――人間を殺すのに、銃は必要ありません」
フクサは微笑んで、小瓶をポケットに放り込んだ。
「ハサミでも、リボンでも、それこそお庭の花でも、殺そうという意思があれば武器として映るでしょう。しかしスティーリアさんは、そういう目で物を見る人ではありませんでした」
「でも本人は……」
「あるがままを見て、聴いてあげてくださいな。あなたなら出来るでしょう」
フクサが立ち去ったあとには凹んだクッションだけが残った。
しばらくトツカは残り香に包まれていた。
そのままでいるとだんだんと眠気がやってきた。ベッドに向かいながら、トツカは初めて戦った
あれも男に擬態していた。
彼らは口さえあれば会話できる。だが考えていることは分からない。人間のように見える振る舞いも、ただの擬態かもしれない。彼らは人間とは違う。
あるいは、人間が彼らと違うのか。
―――★
翌日はよく晴れていた。
少し蒸れた汗で首を濡らしながら、トツカたちはのろのろと駅に向かっていく。
シズはエイスとさっきから楽しそうだった。
「次の帰りは夏になると思う」
「
エイスは日傘を差していたが、小さすぎてシズの身体がはみ出ていた。
「暑いなーちくしょう」
トツカがうめいても、エイスはちらりと見ただけだった。いい性格をしている。
シズも気付いて、申し訳なさげに身を縮めた。
「ねえ、エイス。トツカくんの方に傘を……」
「お嬢様が日焼けなさってしまいます」
「じゃあ優先順位変更。マスターの上にゲストを設定」
「無効な操作です。説明書をご確認のうえで、解決しなければメーカーにご連絡ください」
シズは肩をすくめた。こっちは性格が無駄にいい。
「構わねえよ。クラスの人気者が真っ黒になっちまったらオレの
「私、せっかく日焼け止め塗ったのに」
言われてみれば、シズからは少しいい香りがした。フクサの香水も使ったらしい。
長めに歩いたのが良かったのか、足取りはしっかりしていた。もう少ししたら、また戦えるようになるだろう。
少し思うところがあって、トツカはバッグに手を入れた。取り出したものを、シズに握らせる。
軍用の大型拳銃――バッテリー式のコイルガン。ペレットは屋敷で拾ったものを装填しておいた。
「これ。初めて会ったときのやつ。返すの忘れてたから」
「あ……。ありがと。でも、いいの?」
「まあな」
エイスに目配せをすると、彼女もうなずいた。
帰ったらスティーリアともう一度だけ、話すつもりだった。次にどうなるか分からないが、どちらにしても武器があればシズは心配ない。
シズは何度も拳銃をひっくり返したあと、最後にセイフティをかけ直した。
彼女も、これがスティーリアを撃った拳銃ということは知っているだろう。
それを今、トツカが返却した意味も伝わったはずだ。
「トツカくん、帰ったら……」
シズは目を上げて、トツカと視線が合うと、あいまいに笑った。
「ううん、何でもない。ごめん」
「どうした?」
「こっちで済ませられると思う。スティーリアのこと、よろしくね」
何かを見つけたのは自分だけではなかった――とトツカも気が付いた。
エイスに見送られて電車に乗ると、もうお互いに口をきくことは無かった。あまりに状況が変わりすぎた。考えても頭が上手く回らず、気が付くと、あとひと駅でムラクモ学校のある
プラットホームに降りると、改札のところで出迎えがあった。
「遅いお帰りでしたのね。お二人に話がございます」
ハバキ教官だった。仁王立ちする彼女のタイトスカートの生地には、腿のホルスターの輪郭がくっきりと浮かび上がっていた。
きっと弾は装填済みだ。安全装置も外している。
今日の標的はトツカたちかもしれない。
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