4-2.
水は止まってなかったし、電気も全室通っていた。
使用人の労働環境も尊重する家らしく、羽毛のベッドは座ると床まで沈んでいきそうな柔らかさだった。
この手の贅沢には慣れていないから、眠れる気がしない。
見つけた書類の一覧を作ったところで、エイスが呼びに来た。ドアを開けると昼食のメニューを書いた紙を渡されて、よろしければどうぞ、と言われた。
「あ、ああ……」
何がよろしいのか分からないが、メニューに書かれた名前は半分も理解できなかった。フュメドポワナンタラだの、ラヴィオリ・チャルドウノコウノだの。ここはニッポンだぞ、とよっぽど言いたい。
部屋を出る前に、作成した一覧を読み直す。
警察から返却されたらしく、どの資料にも古い付箋の跡が残っていた。しっかり専門家の大人が調べたものを、今さらトツカが調べたところで何か新事実が出るとは思えなかった。
食堂に行くと、入り口近くの席に老婆が座っていた。
歳は五十ほどだろう。険しい目つきは老いを感じさせないが、指がかさかさに剥けていた。トツカが向かいに座ると、じろりと睨みつけてきた。
「お客人ならば、もう少し
思ったより高い声をしている。若いころはきっと美しいソプラノだったのだろう。
「まあ、押しかけてガサ入れしてる身分なんで。そちらは?」
「フクサと申します」
老婆は興味なさげに手元に目を落とした。
「調香師と言って、お分かりですか。香水を作る職業なのですが」
「ああ……どうりで」
神経質そうな顔立ちは、いかにも薬品を扱ってそうな感じがした。皮の剥けた指も、香水を作るときの蒸気でやられたようで、よく見るとかさぶたが大樹の年輪みたいに重なっている。
「お嬢様がいらっしゃったと聞いて、ご様子をうかがいに参ったのですが」
「すいませんね、田舎っぽいガサツ野郎が付属してて」
「ええ。まったく」
老婆は片目をつむった。
「お手紙では、トツカのご子息はカゲキ様にも劣らぬ立派な紳士だと……」
「手紙?」
「エイスさんがあの有様ですから、私が代筆しているのですよ。引退したメイドというものはいつの時代も暇を持て余しているものですし」
「なるほど……」
ふたりで話すあいだに上の階からシズが降りてきた。少しベッドで休んだらしく、エイスが肩を貸しているが、さっきよりも足取りがしっかりしている。
「フクサさん!」
老婆を見るなり、シズは慌てて礼をした。フクサは笑い返す。
「お嬢様、そう
「でも……あ、手紙ありがとう」
「ご存知でしたか。昔と変わらず聡明でございますね」
シズはトツカの隣に腰を下ろした。ちらりと
「紳士、ね。オレが」
「ち、違うの! なんだか一緒に居て落ち着くなあって意味で……」
顔面を爆発させたシズをよそに、トツカは運ばれてきたフィンガーボウルに手をひたす。
昼食は洋風のコース料理だった。
本物のランチというものを、トツカは初めて知った気分だった。少なくともこの世に甘い餃子というものが存在するとは知らなかった。
食後酒で火照った頬をぺしぺし叩きながら、部屋で書類をあらためる。
十一年前の日付のものはあらかた揃えたが、どこにもスティーリアのリース契約書は無かった。家計簿もシズが探してくれたものの、ロボットの部品を購入した形跡すら見当たらなかった。
当時のシズ・カゲキは十三歳だ。高価なガイノイドをポケットマネーで購入したとは考えにくい。
となると、拾ったか。
「こちらのお部屋になります」
エイスに頼むと、二階にあるカゲキの部屋を開けてくれた。
書斎みたいにこざっぱりとした内装だった。壁際に大きな本棚が置いてあって、雑多な書籍が隙間なく詰めてある。手前にあるスチール製の机は勉強用だろう。デザインは気にしなかったらしく、家具ごとの統一感はあまり無い。
「私物はそのままにしております。ご用事が終わりましたらお呼びください」
「工具みたいなものはねえのか?」
エイスはカメラアイの絞りをわずかに開いた。
「ここにはございません」
彼女はそう言って、ドアの側で待機した。場所を教える気はないらしい。
調べて数分で、ここも違うな、というのはすぐに知れた。ちょっと金をかけているだけで、置いてある本は一般的なものばかりだった。有名作家のベストセラー、音楽雑誌のバックナンバー。ほか参考書が数点。
いくつか取り出してめくってみたが、どこにも機械工学のことは書いてなかった。ならばと壁や本棚を軽くたたいてみたが、空洞や隠し扉も無い。バッグを見つけたときは期待したが、中身は年代物のベースギターだった。
「……ん」
勉強机の引き出しの中に、絵本が一冊あった。
表紙では水彩えんぴつの柔らかいタッチで描かれた、銀髪の女の子が微笑んでいる。
図書館でスティーリアが読んでいた本だ。たしか、シズが好きだったと言っていた。
「『つらら姫』って言うのか」
未就学児向けの本だから、活字慣れしていないトツカでもすぐに読み終えることができた。
主人公は氷で出来た妖精。冷たくてみんなに嫌われている彼女が、ひとりで留守番をする女の子をこっそり助けるという物語だった。吹雪の日は氷の壁で風を防ぎ、オオカミが来たらつららを頭に落として追い払う。だが女の子は気が付かない。朝が来たら、寒さに震えながら「おはよう」と軒のつららに言うだけだ。
それでも、嫌われ者の妖精は嬉しくなってしまう。だからいつまでも一緒にいる。
最後は春がきて、両親が家に戻り、溶けた妖精は春風になって去って行く――。
本筋だけ見たらよくある童話だった。
カゲキが勉強机に入れているのは、シズが遊びに来たとき、さっと取り出せるようにしていたのだろう。かなり古い本で、これも関係あるようには思えなかった。
もう少し調べるとコイルガン用のバッテリーとペレットを見つけた。そいつらをポケットに放り込んで、トツカは部屋をあとにした。
「終わったよ」
エイスに告げると、彼女はにこりともせずに扉に鍵をかけた。
「お気に召しましたか」
「英雄の部屋って言うから、敵の首でもずらっと並んでるのかと思ってた」
「そうですか。それは良かった」
こういう皮肉も冗談も通じない相手というのは存外、寂しいものがある。
廊下ではシズがフクサと話していた。あの調香師がかなり昔に雇っていたメイドというのは、調べて分かった。シズの母が亡くなってから、留守がちのシズの父に代わって家の様子を見に来ているそうだ。
「香水、ありがと」
「いえいえ。趣味で作ったものがちょうど余っていたものですから」
シズは小瓶を持っていた。綺麗なラベンダー色の液体が入っている。
トツカが近付いていくと、フクサが場所を空けてくれた。
「兄ちゃんの部屋に行ってきた。空振りだったけどな……」
シズが居心地悪そうに目を向けてくる。
「あの部屋、散らかってなかった?」
「全然。オレの実家とは大違い」
シズも母親の部屋に行ったらしく、コロンと白粉のにおいが服に付いていた。
向こうも空振りだったようだが、気にしている様子はなかった。故人の遺品を見てトラウマや恐怖といったものを感じる時期は、とうに過ぎたのだろう。
「シズの母ちゃんが亡くなって、スティーリアもこの家から居なくなったんだよな」
「居なくなったんじゃなくて、壊されちゃったの」
シズは小瓶を仕舞って言った。
「ママ――母が死んじゃったことより、スティーリアが警察の人に撃たれたのが一番怖かった」
「あいつが殺したんだろ?」
「ううん、絶対に嘘。誰も傷つけないって、兄と約束してるところ見たんだから」
きっと口約束だったのだろう。
スティーリアがいつから壊れていたのか、トツカには分からない。
初めから壊れていた可能性もある。こんなことなら整備科のヒシダテあたりを連れてくるべきだった。何か手がかりを見つけてくれたかもしれない。
「スティーリアさんと同棲なさってると聞きました」
フクサがそっと言った。
「あの人は、お元気ですか?」
「まあ……元気だと思いますよ。ちょっと過剰なくらいに」
「信じてあげてくださいね」
「はい?」
フクサは目を閉じて、かぶりを振った。
「いえ、お節介でしたね。普段通りでいいのです。変化は必要なときに訪れるものですから」
シズたちと別れてから、トツカは厨房だけ調べてから部屋に戻った。
厨房の茶箱には紅茶が入っていた。エイスに頼んで淹れてもらったが、美味いばかりで毒が入ってる様子はなかった。そもそもカゲキの秘密とやらが分からず、ヤケになって試しただけだから、まあ当然の結果だった。
正直、八方塞がりだった。
「あの男、やっぱり普通に天才なんじゃねえの……」
ナゴシが依頼してきた理由も分からなくなってきた。
記事にするにしても、また握りつぶされる可能性が高い。きっと、あの女は
そのときドアがノックされた。
「入ってまーす……違った。えっと、どうぞ」
立っていたのはエイスだった。メニューの紙を持っている。
「あ、晩飯か?」
「はい」
トツカが受け取ろうとすると、直前で紙を引かれた。
困惑して見上げると、彼女は無表情にトツカを見つめていた。
「トツカ様」
エイスの乾いた舌が動く。しばし沈黙があった。
「なんだ?」
「カゲキ様は、本当に戦死なされたのですか」
「そう言われてるな」
エイスはふたたび黙って、メニューに目を落とした。くしゃりと紙の端が折れる。
彼女は決心したように顔を上げた。
カメラアイの絞りが開き、レンズにトツカの顔が反射する。
「本機は、スティーリアのことを警告しなければなりません」
淡々とした声だった。
「は?」
「あの
「……カゲキは
「はい。
メニューの紙をぎゅっと押し付けると、彼女は小走りに去って行った。
どうにも尋常ではない。トツカは紙をさすりながら、表側に妙なデコボコが付いてるのに気が付いた。
「……なんだよ」
裏返してみる。ボールペンで書き殴ったような文字が目に入った。
『庭を探してください。すべて分かります』
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