4-1. 変容

 調べて出た連芭レンバという地名に覚えはなかった。

 統京トウキョウも中央以外は地方と大差ない田舎が広がっていると聞くから、そこも無名の地方都市なのだろう。

 

「留守は任せて」

 トツカが真空パックに服を詰め終えると、スティーリアが夜食のサンドイッチを運んできた。

「これ、おまえが?」

「ナゴシさん。餞別だって」

 彼女が料理できるとは思わなかった。

 あの尊大な性格でちまちまとパンに具を挟むところを想像するのは、なかなか難しい。

「……殊勝なことで」

 中身はBLTだった。ここのところ粗食ばかりで、ここまで彩りのある食事は久しぶりだ。

 ひと口かじりつくと、水気のあるトマトの酸味が広がった。それを肉汁がじんわりと覆い、後から来るレタスのシャキシャキとした食感が引き締めてくれる。

「んー、肉って甘いんだな」

「普段、昼になに食べてんの?」

「ざる蕎麦だけ。仕送りと補助金じゃ足りなくてよ」

「うっわ……」

 このロボット、自分は食べられないくせに、整備科のヒシダテみたいな反応しやがる。

 もぐもぐとパンの切れ端を噛んでいると、ドアがノックされた。


「あ、荷造りが出来たから知らせに……」

 シズだった。キャリーケースをがらがらと引きながら、痛みで身体を屈めている。

 退院しますと彼女が言ったとき、医者は渋い顔だった。誓約書にサインを求めてきたから、本当にギリギリの体調なのだろう。何が起きても当院は関係ありません、というわけだ。

「その身体、無理だと思うんだよなぁ」

「鎮痛剤はしっかり飲んだから、大丈夫」

 うんうん、とシズはうなずく。

 そもそも空き巣の真似事は不味いだろうと許可をもらいに行ったのが運の尽きだった。

「案内するから」「遠いよ。迷子になっちゃうかも」「うるさい、一緒に行く。黙って。黙れ」

 結局トツカは押し切れず、二人分の外泊許可をもらいに行く羽目になった。


 スティーリアが抱えてきたボストンバッグを、トツカはふんだくるように肩にかける。

「オレ、行ってくる。明日の夜には戻れると思う」

「歯磨きと水は入れたから、向こうで水道が止まってたら使って」

 これからどんなボロ屋に案内されるのやら。

「それとも、おまえも来るか?」

 スティーリアは意外そうに見てきた。少し考える素振りをしてから、口角をそっと吊り上げる。

「そこまで野暮じゃないよ」

「もしかして、からかってる?」

「ううん、そろそろ良いかなって」

 トツカは鼻を鳴らしてドアを開けた。よく分からないが信頼されたものだ。


 電車は定刻通りに動いた。

 擦り切れたロングシートに座るなり、シズは船を漕ぎ始める。白いひたいに脂汗が浮いていた。

 窓からの朝焼けに目を細めながら、トツカも背もたれに身体を沈める。

 駅までたった数百メートル歩いただけで、シズはこの有様だ。さっきも、プラットホームの段差を越えられていなかった。寝たきり生活で萎えた脚は五センチも上がらなくなっている。

 それでも、彼女は諦めない。

「大した人だよ……」


 あのときも、トツカは落ちる二番機を追いかけなかった。

 ひとり見殺しにすると分かっていながら、成功と失敗という目で天秤にかけてしまった。

 冷静になった今なら分かる。

 この人は、英雄らしく自分の命を捨てるのではない。ただ、人が死ぬことの重さを知っているのだ。


 途中で乗り換えてから一時間と少しで、電車は連芭レンバに停まった。

 盛り土をコンクリートで固めたような無人駅だった。改札もおんぼろで、プリペイドカードを押し付けてもなかなか反応しなかった。

 隣でもシズがもたついていた。キャリーケースが重たいらしい。

「オレが持つ」

「いい。出来る」

「ちょっとは手伝わせろって。そっちの方が気分がいいから」

 うらびれたあぜ道を、からからと車輪を転がして歩く。見渡す限り田んぼと雑木林ばかりで、鳥の鳴き声がときおり聞こえる以外は、時間が止まったように動きがない。

「ここ、何もないでしょ」

 シズが小さく言った。いつの間にかグレーの野球帽をかぶっている。

「迷わないからいいじゃねぇか。義姉ねえさんに住ませたいくらいだ。あの人、笑えるくらい方向音痴でさ……」

「ウツリさん?」

「付き合ってたんだってな。スティーリアから聞いた」

 シズはちょっぴり困ったような顔になって、帽子のひさしを下げた。

「あの人、年上っぽくて苦手だった」

「シズの兄ちゃんは?」

「ふたりで話してると、分かんない言葉ばっかり。トツカくんもそんな感じだって思ってた」

 トツカの知らない姉弟子の姿を、この人は知っているのだろう。

 初めて会ったときのつんけんした態度を思い出すと、少し愉快だった。

「オレはあそこまで頭良くねえよ」

「そう?」

 シズが覗き込んでくる。なんだか気恥ずかしくなってきて、トツカは田んぼを見るふりをした。


 用水路に沿って三十分ほど進んでいくと、ようやくシズの家が見えてきた。

 一代限りの官位という話だったが、庭の広い家だった。このあたりの大地主なのだろう。しっかりしたレンガ造りの二階建てで、生垣の剪定せんていもしっかりされている。

「おかえりなさいませ」

 既に学校から連絡が行っていたから、使用人が正門のところで待っていた。

 お仕着せのワンピースに薄いケープを羽織った女性だった。薄く化粧をしているが、歳はトツカとあまり変わらないように見える。

「トツカ様ですね。お待ちしておりました」

「ああ。ここに住んでるのか?」

「このたびの滞在でのお世話を仰せつかった、エイスと申します」

 女性が礼をしたとき、まとめた髪の隙間からバーコードが見えた。この使用人もガイノイドか。


 トツカが通された部屋は一階の端だった。元は使用人の部屋だったらしく、大きなクローゼットと文机が置いてある。西部屋のわりに日当たりは悪くない。

 荷物を整えているうちに、シズが様子を見に来た。

「どう? 眠れそう?」

「まあな……あんな事件があったのに、ロボットメイドを雇っているのか」

 トツカは上着をハンガーにかけて言った。前の使用人のものがそのまま残っていて、コートだけで十着くらいありそうだ。

「エイスはスティーリアより前からリース契約してたの。事件のとき兄も解約のことを言ったんだけど、父が違約金を嫌がって、そのままずるずるって……」

「外、綺麗な庭してるよな。いい腕してる」

「ん、ありがと」

 シズが部屋に戻るときは、エイスが介助していた。シズが楽しそうに何か言うと、エイスは短く応答する。もしかすると旧式だから会話パターンが少ないのかもしれない。


「ロボットか」

 金持ちの道楽かと思っていたが、なかなか実用性がある。スティーリアに至っては初対面で人間と間違えてしまった。あそこまで完成度の高いマシンは、そうそう見られない。

 少しすると、昼食の時間を知らせにエイスがやって来た。

「お嫌いな食材や、アレルギーはございますか」

「なあ、あんた独りなのか?」

「申し訳ありません、ご質問の意図を掴みかねます」

 エイスが腰を折る。トツカはあごに手をやった。

「あー……食い物はなんでもいい。質問なんだが、他の使用人はいないのか?」

「はい。設備の維持・管理は本機に一任されております」

「さっきからあんた、固いな。ウチの炊飯器と会話してるみてぇだ……」

「申し訳ありません」

 またエイスが頭を下げようとしたので、トツカは腕を伸ばした。ひたいを押さえて止めようとしたら、思ったより強い力でぐぐぐと押し下げられた。礼の仕方だけは一級品らしい。


「まあ、スティーリアのことを確認したい。保証書とか、どこにあるか分からないか?」

 トツカが尋ねると、エイスは困ったように眉を曲げた。

「申し訳ありません。スティーリアの情報は保護レベル4に指定されており、お答え致しかねます」

「情報開示してもらいたい。手順は?」

「シズ・カゲキ様の許可が必要です。本人確認は音声認証、並びに八桁のパスコードによって実行します」

「ご本人、死んでるぞ」

「メーカーに連絡ののち、指示に従って初期化手順を実施してください」

 変な話だが、少し、エイスは怯えているように見えた。トツカは一歩詰め寄る。

「シズ・キョウカの命令じゃダメだってのか」

「申し訳ありません」

 あくまで、しらばっくれるつもりらしい。

「もういい。八年前のここで従事していた家政婦ハウスキーパー型ガイノイドを教えてくれ」

「本機、スティーリア。以上です」

「九年前は?」

「本機、スティーリア。以上です」

「十年前」

「本機、スティーリア。以上です」

 トツカはひと息ついて、言った。

「十一年前」

「本機。以上です」

 見つけた。これだ。


 エイスが帰ってから、トツカは文机の引き出しを開けた。

 十一年前の資料さえあればいい――確定申告の写し、自動車のローン契約、庭の修理契約、シズの通知表――奥の方から整理されていなかったものがどんどん出てくる。

 片っ端から調べたが、特にめぼしいものはなかった。

「諦めねえからな!」

 間違いなく、カゲキはスティーリアの出自を隠している。秘密があるなら、そこだ。


 数十分後、昼飯ができたと言ってエイスがやって来た。

「悪い。スティーリアの印象はどうだったか聞きたい」

 さっきと同じように、エイスは間髪入れずに答える。

「申し訳ありません、その情報は――」

「あんたの個人的な感想だ。一緒に働いていてどう感じたんだ?」

 エイスの舌が止まった。

 唇が閉じて、何度か開こうとする。少しの間だけ躊躇ためらったあと、彼女は言った。

「あの方は、シズ・カゲキ様の大きく人生を変えられました。本機では不可能だったでしょう」

 言い切るなり、くるりと回れ右して去って行く。

 いい変化とも悪い変化とも言わなかった。だが今までと違って、本音っぽい応答だったように思う。

「変化か……」

 トツカは書類を仕舞いながら呟いた。

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