3-5.

 トツカに本を読む習慣は無いが、素人なりに、ムラクモ学校の図書館の蔵書は恵まれていると感じる。

「学生証を拝見いたします」

 ゲートをくぐるなり、受付のガイノイドが学生証を確かめにやって来た。

 古い機種らしく、家庭用のスティーリアと比べると、球状になった関節がずいぶん目立つ。安いアクチュエータを使っているらしく、学生証のICチップをスキャンする手つきもぎこちない。

「失礼しました、トツカ様。お通りください」

「オレより先に家政婦ハウスキーパー型が来たと思うが、知らないか?」

 エントランスにスティーリアはいなかった。学生証無しでもどうにか入れたらしい。

「スティーリア様ですね。談話室でお待ちです」

「ロボにも様を付けるのかよ」

「はい」

 ガイノイドは首を傾げた。

「先輩には敬意を持てと、申しつけられたもので。申し訳ありません」


 談話室はカーペットに沿って書庫を歩いた先にあった。

 会議室ほどの室内には読書台の付いたデスクが並んでおり、壁際にはソファと応接机が置いてある。すぐ横にヒーターがあるから、冬になったらこの小部屋も賑わうのだろう。

 今はソファにスティーリアが座っているだけだった。ちょっとデスクに手を置くと、読書台に積もった埃が分かった。舞ったカビと埃できらきらと光る空気に咳き込みながら、トツカはソファに歩いていく。


「悪い。待たせた」

 ソファの前にある応接机には、本が三冊ほど載っていた。武鑑と人名年鑑のようだ。

 スティーリアは読んでいた本から目を上げた。

「ううん、私も今来たところ――って言うんだっけ?」

「それ、流石に無理があるぞ」

 スティーリアは既にメモを取っていた。受付のガイノイドに頼んで生徒名簿を写したらしく、名前の横にそれぞれの家の官位やどこの分家かが記してある。

「全員じゃなかった」

 スティーリアはもう一枚の、百人ほどの名前を写したメモを振る。

「それでも千人以上いるうちのほとんどが軍の関係者なのか」

「軍学校には普通だと思うけどね」

「いや、おかしいだろ」

 戦後復興の不景気で、安定した職を求めて軍学校を希望する学生は多かったはずだ。

 ニュースでも、他の学校に受かった農家の次男坊や下町の女の子がよく出ていた。名簿をなぞって、トツカは眉をひそめる。ムラクモ学校だけ、明らかに貴族くずれや軍人の割合が高い。


「増えたのはいつからだ?」

「まだ四年しか追えてないけど、二年前からだね。そこからはほぼ百パーセント」

「どういうことだよ……」

「さあ考えて。私も気付いただけで、その意味までは分かんないから」

 スティーリアが本を置く。見慣れない絵本だった。

 表紙では彼女によく似た銀髪の女性が、雪の降りしきる家の前で微笑んでいる。

「キョウカが好きだった本なの。懐かしくなっちゃって」

 スティーリアは表紙の女性をなぞって、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「ああ……似合わないと思った」

「いい本だよ? 翻訳がちょっぴりヘタクソだけど」

「オレ、読書アレルギーなんだよ。姉弟子が難しい本ばっかり読ませやがるもんだから……」

「『直観』しなさいって?」

 トツカは穴が空くくらいスティーリアを見つめた。

 彼女は頭を掻いて、遠くを指さす。


「トツカ・ウツリさんのことは知ってる。たぶん、あなたと同じくらいに」

 スティーリアは急に立ち上がり、談話室の外に出て行った。しばらくして分厚い本を抱えて戻ってくる。手作り感にあふれる表紙からすると、昔の卒業アルバムらしい。

「ほら」

 彼女が数枚めくると、剣道部のページが現れた。

 誰かのいたずらで写真は切り抜かれていたが、名簿のところには『砥握トツカ映理ウツリ』と『詞子シズ戓隙カゲキ』の名前が並んで記されていた。

「あの……ウツリ義姉さんとシズの兄ちゃん、そういう関係だったのか?」

「まあ、えっと」

 スティーリアはごほん、と空咳をうった。

「知らないってことにしておく。その方が良いでしょ?」

「オレ、おまえの御主人様マスターだよな?」

「いいえ」

 スティーリアの目がぱちりとまばたきをして、トツカの姿をはっきりと映した。

「あなたは旦那様マスターだけど、トツカ・レイギでしょ?」

「どういう意味だ?」

「私はバグってるって言ってるの。気にしないで」

 スティーリアは本を返しに戻って行った。


 考えてもラチが明かないので、トツカは名簿を読み直した。

 一年生で軍と無関係なのは四人だけ。輸送科や整備科といった大して戦闘のスキルが必要ない学科ばかりで、意識しなければ不自然には見えない。

 共通点も無いようだ。役人の家、会社員、農家。きっと努力して入学試験を突破したのだろう。

「スティーリアのやつ、考えすぎじゃねえのか……」

 それともロボット特有の勘みたいなものがあるのだろうか。

 分からない。本当に壊れているのかも、やはり分からない。

 

「おっ、奇遇じゃないか!」

 どばーんといきなり談話室のドアが開く。

 からからと笑い声が響き、でっかいカメラを担いだナゴシが入ってきた。芝居がかった歩き方でトツカの隣に腰を下ろして、肩をばんばんと叩いてくる。

「な……」

「窓からガイノイドが見えたんでね、『まさか』と思ったら、果たして『よもや』だよ。今日は図書館デートかな? きみもなかなか隅に置けないもん――」

「あんた、まさか記事にしてねえだろうな!」

 ナゴシは背中に手を回した。尻ポケットに差した学生新聞を渡してくる。

 一面記事は『墜落事故の真相!? 棄械スロウンに立ち向かった英雄の系譜』というものだった。すべて読まなくても、このあいだの事件のことだと分かる。


「よく書けてるだろ?」

「世の中には静かに暮らしたい人間もかなりいるって理解してくれませんかね」

「知らんね。マスコミには『真実』を語る口があればいいのさ」

 ナゴシは皮肉満面に笑った。

「じつは耳と目は大して要らんのだよ」

「あんた本当に記者かよ……」

 で、とナゴシは真顔に戻って、トツカから新聞をひったくった。

「これ、没になっちまった」

「あ、そっすか」

「事故が無かったことにされたからね。さしもの第四の権力も、本物の権力サマには勝てない」

「剣より強いんじゃねえでしたっけ、ペンって」

「まあ、イマドキの銃の時代に、たかが剣より強いくらいが何だってんだって話だよ」

 ナゴシのくせになんだか義姉みたいなことを言うものだから、思わず苦笑が漏れた。


「そっちは? 今さら文学少年に目覚めたり?」

「シズの兄ちゃんについて調べてたんです。どうも気になるもんで」

「シズ・カゲキか」

 ナゴシはちらりと積み上がった武鑑に目をやった。

「そっちには無かっただろ、名前」

「そうなんですか?」

「文官と言っても詞子シズは一代限りの蔵人くろうどだった。元は血筋も何もない平民の上がりだからね。年鑑から見つけるのもひと苦労なんだよ」

「親父さんが叩き上げだったってことですか」

「まあ、そうとも言えるが……」

 ナゴシは言葉を切って、少し考え込んだ。

 そのときスティーリアが戻ってきて、ナゴシの隣に腰かけた。ナゴシも彼女の頭に手を置く。


「トツカくんは、血筋を信じるかな」

「いえ」

「DNAの話じゃない。財力とか、教育の話を言ってるんだ」

 ナゴシはスティーリアの髪を撫ぜて言った。

「残酷な話だが、トンビがタカを生む例は滅多に起こらない。私の家は偶然のたまものの戦争成金だが、おかげで二代目の私は文字も読めるし、社交上の教養も身に着けることができた」

「それが何か……」

「シズ・カゲキは不自然なほどに強すぎたんだよ」

 スティーリアは変わらず微笑んでいる。

「辻褄が、彼だけ合わない。まるで宇宙人だ。独りだけ戦果がおかしい」


 トツカは何も言えなかった。

 学習の必要は道場で身に染みて理解してきた。現実では、才能にあぐらをかく一流よりも、血反吐をはいて学んだ二流の方が圧倒的に強い。成果というものは天から降ってくるものではないのだ。

 過去の戦場で、シズ・カゲキは単騎で敵を圧倒していた。

 ただの男が努力だけで出来る芸当ではない。物理法則から狂っているとしか思えない。


 黙っていると一枚の紙が差し出された。

「行ってくれないか?」

 休暇届だった。二日分の日程が記してある。

「シズの家を調査して、秘密を見つけてほしい。私では目立ちすぎる」

 こっちが本命の用事だったらしい。ナゴシは真剣な顔だった。

「……今日、半舷もらったばかりです。担任か生徒会長の推薦が要る」

「ああ、そうだったね」

 ナゴシが手を出すと、スティーリアがペンを渡した。

 きゅぽんとキャップが外れてさらさらと紙に書き込まれていく。ナゴシ・ナルメと流暢なサインが記されて、今度はトツカの手元にペンが回ってきた。

「……ん?」

「だから、生徒会長のサインだよ。今できた」

 ナゴシは自分を指して言った。「私。生徒会長のナゴシ・ナルメ。知らなかった?」

「え……ええー……」

「こうして生徒会長が頼み込んでるんだから、当然きみも応えてくれるね?」

 ナゴシはちょっぴり尊大な口調を作る。この瞬間が楽しみなんだ、という感じだった。

 生徒会長が第四の権力とは。癒着どころか、もっとひどい。

「……マジかよ」

 面と向かって言われてはどうしようもない。

 トツカはうなだれて、ナゴシの名前の下にサインを記した。

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