3-4.

 医療スタッフの足音が響き、空の食器を載せた配膳車ががらがらと通っていく。

 シズの病室は二階だった。衛生科の研修生がどやされている声を聞きながら、真っ白なドアをスライドさせる。洗剤とエタノールの混ざったにおいがつんと鼻をついた。


「あ、ノック忘れちまった。おいシズ……」

 呼びかけると、ペンを走らせる音が返ってきた。

 振り向くとスティーリアが「どうぞ」とあごをしゃくってみせた。どうせ気にしないだろう、ということらしい。


 シズは窓際のベッドにいた。横向きに寝転んで、プラスチックの下敷きに載せた地形図を読んでいる。脇にはサイコロと兵棋が散らばり、床にはすでに五枚ほど反故紙ほごしが落ちていた。

「邪魔するぞ」

 トツカはパイプ椅子を引き、ベッドサイドテーブルに肘を置く。

 シズの腕には点滴が刺してあった。点滴台からぶら下がったバッグにはビーフリードと書いてある。B溶液、だろうか。劇物じゃなければいいが、と願いながら視線を移していく。


「ちょっと散らかってんな。片付けるけど、良いよな?」

 応えは無い。

 床の地形図を拾い集めると、すべて同じ地図ということに気が付いた。

 やはり名賀野ナガノだった。配置こそ違うが、展開された部隊も同じ名前だった。

 トツカは指を当てて、棄械スロウンを示す符号を指した。それから特機歩兵、車両、砲兵、航空隊、工兵、本部――と順繰りになぞっていく。

 展開した部隊は小隊か、分隊ばかりだった。

 観測班のいない自走砲。随伴が消えた戦車。銃手の死んだ高機動車。航空隊のヘリも最後の一機だ。末期の戦線であることはひと目で分かった。

 まるで歯の欠けた櫛のような軍隊――特機歩兵ですら、消耗してほとんど使い物にならない。


 二枚目はまだマシに見えた。

 こっちは砲兵隊が増強されており、装備も良好だ。

 しかし紙には大きな赤いバツの印が引いてあった。部隊の動きを見ると、先行した特機歩兵が大破していた。五番機。馴染みのある番号だ。日付にも見覚えがある。

「ウツリ義姉さん……?」

 反故紙を揃えてテーブルに置いてしばらくすると、シズが地形図を置いた。

「お疲れ様、か」

「トツカくん!?」

 シズは大慌てで筆記具を仕舞おうとした。ぱらぱらと兵棋がベッドから転げ落ち、それを拾いに手を伸ばして「うっ」と凄まじい声でうめく。ぐらついた身体をスティーリアが支えた。

「オレが拾う。脇腹、ヤバいんだろ?」

「う、ごめん」

 トツカが兵棋を手渡すと、彼女はひとつずつ丁寧に紙箱に収めた。ずいぶんと使い込んでいるようで、表紙が白く破れていた。今拾った兵棋も、角が取れていたような気がする。


「これ、シズの兄ちゃんか?」

 トツカは反故紙の『01』と記された特機歩兵を指さした。

 たった一機で五体の棄械スロウンを相手にするエース。ありったけの武器を背負い、補給も受けていない。三時間は戦い続けているだろう。燃料はとっくに切れて、移動は徒歩だった。


「そう」

 シズはそう言って、少し頬を赤くした。

「手紙をいつもくれて。よく読むと暗号が隠れてるんだけど、それを解くと次の作戦の配置が分かるようになってたの。それでこれ全部が、再現した戦場」

「よく検閲されなかったな。バレたら銃殺モンだ」

「総務課に親切な人がいたらしくて、その人が助けてくれたって書いてあった」

 シズはため息をついて、たった今終えた地形図を反故紙に加えた。

「にぃ……兄は天才だったんだと思う」

「強かったんだろ」

「それだけじゃなくて。この作戦、立案したのは兄だったの。でも何度やっても、私じゃ上手く勝てなくて」

 赤い大きなバツ印が、めくれた紙の隙間に見えた。

 シズ・カゲキが何のつもりで暗号を送ったのか、トツカは見当もつかない。どの地形図でもカゲキの一番機はひどく突出していた。普通なら自殺行為に近い。そんな彼が妹に伝えるものがあるとは思えなかった。

「こいつ、本当に独りで戦場を……?」


 じきに看護師がやってきて点滴を確かめた。トツカは一礼して病室を出た。

 廊下に出ると、いくらか洗剤のにおいが薄まった気がした。そういえば病室はカーテンからベッドまでみんな白色だった。こういう色の無い建物というやつは、どうにも慣れない。

「渡しそびれたな……」

 トツカは左手の買い物袋を見て、大きく息を吐く。

 すっかり忘れていた。シズのことを笑えない。

「あの部屋は狭すぎるよ。キョウカ、走るのが好きだったのに」

 スティーリアが小さな声でぼやく。

「だな。ずっと寝たきりじゃ姿勢も悪くなっちまう」

「そうそう。立ってるときの背、ぴーんってしてるもん」

「運動神経が良いよな。あいつ、剣道もすぐ覚えやがったし」

「たぶんあの子は否定するけど、きっと同じ年ごろの旦那様マスターより強いよね」

 青い瞳がこちらを向いた。

 こういうときの彼女は、心から安心したような顔で微笑む。

 このガラスみたいに空っぽの目には誰か、別の人間が映っているのだろう。

「……ああ。世界最強だ」

 だからおまえが手を出すまでも無いんだぞ、と言うほどの勇気は出せなかった。


 医療棟を出ようとしたとき、事務室に制服を着た女を見つけた。

 向こうもこちらを見るなりトットッと小走りに駆けてくる。あまり運動はしない人間らしい。軍人特有のコンベで測ったような歩幅ではなくて、かなりデタラメな走り方だった。

 彼女はトツカの前まで来ると、肩を上下させて言った。

「ね、トツカくんで良かったよね!」

 その声で、トツカも思い出した。暴走したORBSを装着していた副委員長だ。

「まあな……退院?」

「ちょっとハズレ。もともと経過観察だったから、今日はただの確認」

 間近で見ると、気後れするくらいの美少女だった。ショートにした髪がよく似合っている。

「そっちの人は?」

 スティーリアが前に出ようとするのを、トツカは遮った。

「寮の。入ったらアメニティで転がってた」

 副委員長はくすくすと笑う。見ちゃった、とでも言いたげだった。

「ああ、そういうこと」

 世間でどんな噂になってるか怖くてもう聞けない。

「それで、きみはお見舞い?」

「終わって、これから教室に行くところだ」

「じゃ、ちょうど良かった。メイにノートの件言ってくれない? たぶん出られないから」

 急に申し訳なさそうに頼み込んでくる。スティーリアもシズも表情のバリエーションが少ないから、人間の顔とはここまで動くのかと感心してしまった。

「分かった……あ、こっちも頼んでいいか?」

「なに?」

 トツカは買い物袋を持ち上げた。

「シズのお見舞い。つい渡しそびれちまった」

 副委員長は受け取って、重さに驚いたようだった。

「これなに。バケツ?」

「マグカップのつもり。ほら、あいつ何時間もじっとしてるから、たくさん入るやつの方が良いだろ。使えねえなら赤ペンも買ったから放り込んでペン立てにでもすりゃいいし……」

「わかった、わかった!」

 副委員長は手で止めた。

 そうして笑いながら「このあいだはありがとね」と言ってエレベータに向かっていく。

 トツカは口を開いたまま固まった。

 やがてがっくりとうなだれて、「まあな」と呟く。

 シズのプレゼントひとつで長々と語ってしまった。硬派で通すつもりが、とんだプレイボーイになってしまったものだ。


「今の。ウルミさんだったね」

 スティーリアも苦笑気味だった。

「副委員長か?」

「うん。潤海ウルミ家は陸軍の航空隊」

 あの砕けた態度で、軍人の家というのは意外だった。

 スティーリアは笑みを消して、じっと見つめてくる。ただならないものを感じて、トツカは後ずさった。

「う、浮気しねえよ! だいたい、シズともそういう関係じゃねぇだろ?」

詞子シズ家は文官の一族だけど、マスターは特機歩兵だった」

 スティーリアは言った。

「それだけじゃないよ。砥握トツカ家は兵庫頭ひょうごのとうで政府の武器を管理してきた。請朽コイグチ巾旗ハバキ、みんな何かしら軍に関係してて、たぶん探せばみんなここにいる」

 それからもスティーリアはいくつか名前を挙げた。中にはクラスメイトと同じ苗字もあった。

 彼女が言おうとしていることが、トツカにも分かってきた。


「ここには軍関係者しか入学してねえって言いたいのか?」

「かもね」

 スティーリアはまた微笑んだ。調べろ、ということか。

 副委員長のウルミはまだ戻ってこない。時計を見ると授業開始まであと五分だった。


「図書館で絵本でも読んで待ってろ。オレが行くまで騒ぎを起こすなよ」

 トツカは外へと走り出す。

 このあいだの棄械スロウンの次は学園の陰謀と来た。何かとんでもないことに巻き込まれつつあるのを、ひしひしと感じる。

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