3-3.

 曇り空は翌日には雨に変わった。

 昨日の事故は調査中らしく、誓約書にサインだけしたら、さっさと解放された。

 初めの日の棄械スロウンとの戦闘も、簡単な聴取で決着した。今の時代、珍しいことではないのだろう、とトツカは思う。世間に公表されていないだけで。


 しとしととしたたる雨だれを避けるように、トツカは体育館と教室棟のあいだを駆ける。

 春先の雨といっても暖かくなる時分はまだ遠く、濡れて歩くにはこたえるものがあった。

 実家では、雨が降ると姉弟子のウツリが道場から家まで送ってくれた。そういうときの彼女は古いコウモリ傘を片手に、長々とした道中、トツカにずっと昔話をしてくれたものだった。


 彼女は誰よりも早く出征して、戦争が終わる前に帰ってきた。

 ……ぼろぼろの身体に、退役証明書と名誉除隊勲章を提げて。

 復員したあとも、やはり雨の日は道場まで迎えに来てくれたが、今度はトツカが傘を差していた。


「大抵の怪我は耐えられると思ってたのに」

 トツカが町を出る一週間前、ウツリは歩きながら装具を撫でて言った。

 彼女の細いうなじからサクラの香りがした。他の道場から師範代が研修に来た、という日で、彼女には珍しく香水を振ったようだった。

 昔から姉弟子は男みたいなところがあって、雪駄に黒い着流しという格好をよく好んだ。アルミニウムの骨組みで半身をがんじがらめにされていても、細い身体に和装はよく似合っていた。

「罪悪感っていうの? 心の痛みだけは慣れないのよね。私が欠けたらみんな迷惑するって分かっちゃうもの」

 かつて、あんなに速足で歩いていた彼女が、今は足を引きずるしかない。

 トツカは見ないふりをしてうなずいた。

「惜しいよな。義姉ねえさんは天才剣士だったし」

「でも時代は鉄砲だったのよねーって……」

 ウツリは左の指で鉄砲をつくり、ばーんと虚空を撃つ。


「レイギもムラクモ学校なんて。あそこ、そんなに良いものでもないのに」

「兵隊になるなら学のある士官って言ったのはウツリ義姉さんじゃねぇか」

「うん。軍隊入りは徴兵まで待つとかほざいたら、お醤油を一升瓶で飲ませるつもりだった」

 こういう話のとき、彼女はいつも真顔だ。トツカは肩を落とす。


「ニッポンじゃ向こう数年は戦いなんて起こらねえんだろ?」

「そうね。そうだと良いけど」

 ウツリは細い目を開く。形の良い紅色の瞳が、宝石のように光った。

「なのに、オレには軍隊に入れってうるさくしやがるんだから。義姉さんたちが棄械スロウンどもを全部やっつけたんじゃねえのかよ」

「時代は繰り返すものなのよ。遅かれ早かれ……」

 と言ってから、彼女は「ごめん」とかぶりを振った。

 雨が強くなる。トツカが傘を傾けてやると、ウツリはばちばちと雨をはじく生地を見上げた。


「私たちのこと、人身御供ひとみごくうだって言われてたでしょう?」

「……ああ」

 英雄に手を合わせる人間は多くても、どいつも「自分じゃなくてよかった」という顔をしていた。

「彼らのこと、あんまり怒っちゃダメよ。人間って、知らないことは悪くしか見られないんだから」

「それ、馬鹿みたいじゃねえか」

「私たちだって知らないことは多いもの。そういうものは、すごく馬鹿みたいに見える。でも、そこで止まっちゃダメなのよ」

 初めてウツリは笑った。

 怪我で除隊してから、彼女は控えめに感情を出すようになった。ストイックになったのかもしれない。


「『直観ちょっかん』よ、レイギ」

 微笑んだまま、ウツリはいつもの言葉を口にする。

「みんな何かしら繋がってるの。それでも本質を作るのは、あるがままの真ん中にある部分だけ。思い込みと経験を切り離して、物事をじかる目を持ちなさい」


 家に着くと、彼女は不自由な右手で戸を開けた。

 食卓につくなり、出世祝いしないとね、と言って炊けたばかりの赤飯を用意する。

 トツカが酒を用意してやると、ウツリはだらしなく笑ってさかずきをあおった。

「おいしい」

 こういうときだけは、彼女も思うことを素直に顔に出してくれる。

 トツカが戦場で何があったか尋ねても、ウツリは何も教えてくれない。ただ、砕けた首の骨と一緒に動かなくなった右半身だけが、激しい戦いを物語っていた。

 間違いなく義姉はあの戦場で何かを失った。身体の半分と、それ以上に大事なものを一緒に。

「次のニュースです。来週の戦勝パレードに向けて――」

「レイギ、テレビを消して」

 はっとして、トツカは急いでリモコンに手を伸ばす。にこやかに語るニュースキャスターの顔がぷっつりと消え、黒いディスプレイの下地に切り替わる。

 テレビのガラス面にウツリの顔が反射していた。能面のような無表情の真ん中で、鮮やかな紅色の双眸だけが石炭のように光っている。


「誰も、そのままを見ようとしない……」

 ウツリが低く言うのが聞こえた。トツカは知らないふりをして、空になった盃に酒を注いだ。


―――★


 見舞いには菓子か花がいいと聞いた。

 シズはきっと、どちらでも喜ぶだろう。だがあんまり変なものを選んでも仕方がないので、同伴者を付けることにした。

「お菓子はやめた方がいいかな。キョウカはたぶん食べない」

 スティーリアはさっさと菓子コーナーを通り過ぎた。

 日曜の半舷休日ということで、土産を見繕おうと売店に来たが、ここは一般にも開放しているらしく客が多い。商品を見るとORBSのステッカーやら、教官たちの写真が載ったカレンダーなんてものもあった。もしかすると学費よりこっちの売り上げがメインの収入なのかもしれない。

 先日の事故は、まだ発表されていない。たぶん今後も秘密のままだろう。


「じゃあどうすんだ。あいつ、お花ってガラじゃねえだろ」

「服とか?」

「はぁ、服ね……ギフトショップで?」

 レディースのシャツは学生のブラウスと変なロゴシャツしか無かった。

『特機小隊』と大書されたTシャツ――たぶん彼女は迷いなく着るだろう。そうなるとこちらの腹筋が危ないし、そもそもクラスの連中が許してくれそうにない。

「もう、これでいいんじゃねえか?」

 トツカはレジの横のマグカップを拾い上げて、隣に置いてあった赤ペンとセットにして会計を済ませた。ふたつ合わせて千五百円。値は張るが、悪い買い物じゃない。

「ねえ私、必要だった?」

「ダメ押しするやつがいねえと、男の買い物ってのはタラタラ続くモンなんだよ」


 売店の前のベンチで買い物袋をいちど開く。

 マグカップは一番地味なやつを選んだが、印刷された『グラム』の長いシルエットのせいで無駄にデカく、牛乳が半パックくらい入りそうだった。赤ペンもそこらの百均で売ってそうだ。

「ミスったな……」

「ほら言わんこっちゃない」

 スティーリアは立ち上がると、自販機のところで炭酸飲料を買ってきた。

「どうぞ、マスター」

「ああ。悪い」

 トツカは渡された缶を回した。ここに来た初日、駅の自販機に入っていたものと同じだった。

 二度目か、と呟いた。

「炭酸ならコーラの方がよかったな。義姉さんの教育方針で飲ましてくれなくて……金は?」

「あの自販機、オトモダチだから」

 無料だったらしい。何をやったか知らないが、人に見られてなくてよかった。


「それにしても、あんまりシズを心配してねえよな、あんた」

 トツカが飲むあいだ、スティーリアはずっと立ちっぱなしだった。

 男だけ座っているというのは具合が悪いが、気をつかって下手に噂されるのも困るので、今は気にしないことにした。

「命に別状はないんでしょ?」

「肋骨が一本折れて、内臓もぱんぱんに腫れてる。クソ痛くて起き上がることもできねぇ」

「でもなおるから良いじゃない」

 トツカは空になった缶を投げた。きれいな放物線を描いて、口を開けたゴミ箱に吸い込まれていく。

 からん、といい音がした。

 スティーリアの青い瞳の奥で、絞りが開いた。

「……人間は、壊れたらなおせねえんだよ」

「知ってるよ」

 トツカは彼女を見つめる。

 光を反射するカメラアイのなかに、血まみれになったシズと、倒れた彼女の母親が見えた気がした。本当に壊れた人間を知ってる目だ、と思う。

 トツカは炭酸飲料の冷たさが残った手をズボンで拭いた。


 また殺すかもしれない、と以前、スティーリアは言っていた。

 そのときの顔を思い出すと、嫌な想像をしてしまった。

 だからシズを遠ざけようとしているのかもしれない。棄械スロウンに仲間が襲われたら、彼女は絶対に見捨てない。それこそ、再起不能になるまで戦うだろう。

 死なせず、殺さず。

 死ぬよりはマシだから、傷つける。

 この手のガイノイドのことはよく分からない。まして壊れた中古ともなると、どこまで誤作動でどこから仕様なのかも把握しきれない。

 トツカはひとつため息を吐いて、医療棟へと歩き出した。

「行くぞ。授業まであと一時間しかねえ」


 今はとにかく、誰かとまともに会話したかった。

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