3-1. 動揺
昼飯どきのカフェテリアには珍しく、雑誌スペースに新聞が残っていた。
ざる蕎麦を置いてトツカが取りに行くと、ヒシダテが取り出すところだった。向こうもトツカに気付いて、手に持った新聞と見比べる。
「これ?」
「別にいらん。ニュースだったら寮のテレビで見る……」
「いいよ。一緒に読もう」
彼はまたチャーシュー麺を頼んでいた。新聞を挟んでトツカの隣に座り、興味なさげにスポーツ欄をめくる。
「また、そのみみっちぃのかい?」
彼は目も上げずに言った。
「うるせえ。これでもニッポン伝統の完全食だぞ」
「カロリーが足りないよ。胃だって細くなる」
「おまえこそラーメンばっかりで舌がバカになるんじゃねえか?」
「それが何か。ソムリエになる予定はないし」
午前は座学だったらしく、ヒシダテの金髪は景気よくツンツンと尖っていた。
整備科というと生傷が絶えないものだが、特別なケア用品でもあるのか、ラーメンをすする彼の指に傷は見られない。やはり実家が太いのだろう。
「眠れてないみたいだね」
「分かるか」
「夜は寝かせてもらえない、の方が正しいのかな」
ヒシダテは喉の奥で笑った。トツカがぺしりと頭をたたいてもまだ笑っている。
「冗談だよ」
「こっちは命の危険なんだぞ……」
「聞いたよ。シズ・カゲキが
「まったくだ」
部屋の変更願は出したが、未だに回答が来ない。
あるいは手違いでもあったのかとハバキ教官に直談判したが、「まだ実害は無いのでしょう?」の一点ばりだった。腕の一本でも折られてから来い、ということなのだろう。
「それはそうとしてヨーロッパの方は大変、と」
ヒシダテが新聞をめくる。
政治面では戦線のことが記事になっていた。ドイツは
「仕方ねえよ。向こうは地続きだ。一ヶ所ダメになったら、そこから流れ込んできやがる」
「ここはのどかなもんだね」
「一度は撃退したからな。余裕があるんだろ」
これと比べたらスティーリアの件は些事なのだろう、とは思う。
戦争の始まりは
またたく間に北陸全体に広がった
「でもドイツにもORBSはあったんだろう?」
「あるにはあっても、動かす人員が足りてねえんだろうな」
トツカは蕎麦をすすって言った。
「今さら間に合うわけねえよ。専用のオペレーターと整備班の育成、生産ラインの確保、補給プランの立案と十年単位の配備計画。ただの戦車を増やす方がよっぽど能率的だ」
「……きみもツルマキ教官の戦史講義、受けてたんだ」
ヒシダテが苦笑する。
「あの人、どのクラスでも話してんの?」
「うん、一言一句まるっきり同じ。ORBSと比べたら戦車のがマシって」
いくら強くてもカテゴリの違う新兵器は導入が難しい。
かつてのニッポンでも、ろくにORBSを修理できなかったと聞く。
先の戦争での未帰還率は七割を超えた。推進器が大破し、ほとんどの装甲が剥がれたゾンビのような特機歩兵たちが、地を這いずりまわってようやく得た勝利だった。
「ニッポンから兵隊を派遣してあげればいいのに」
「まさか。激戦してるところに島送りなんて、世論サマが許しちゃくれねぇって」
「なんとまあ対岸の火事だねぇ」
「対岸どころか地球の
ヒシダテは新聞を閉じて、折り目を押さえた。
「まあいいや。士官コースは、次の授業でやっと『飛ぶ』んだっけ?」
「ああ」
トツカはにやりと笑った。
「やっとCGのシミュレータとはおさらばだ」
「壊さないでおくれよ。そっちでやられた機体はこっちに回ってくるんだから」
「OK、検討しとく」
ヒシダテと別れたあとでトツカが食器を洗っていると、反対の壁際の席でシズが地形図を開いているのが見えた。
地形図の隣にはハンバーグの皿が置いてあるが、やはり手を付けた様子はなかった。
「おい、昼メシ終わるぞ」
トツカがすぐ後ろに立っても、彼女は気付いた様子もない。
開いてあるのは古い地形図のコピーだった。
「ナガノか」
「……トツカくん?」
初めてシズの顔が上がった。脇に置いたタブレットが、これで六回目のアラームを鳴らす。
「次の授業だ。さっさと食って行くぞ」
「あ、うん。またやっちゃった」
昼食に誰も同席していないのは、たぶん彼女の方から断っているのだろう。
シズがハンバーグをかき込むあいだに、トツカは地形図を畳んでやった。
やはり
「宿題なの」
食べ終わると、シズは人差し指を口に当てていった。
「秘密ね?」
「普通の人は、秘密を授業中におっ
「私は普通じゃないから良いでしょ」
「タチ悪いな。自覚してたのかよ」
グラウンドの端の飛行場では、すでに生徒たちが整列していた。
「あらあら。よく噛んでお食事なさってらしたのね」
青筋を立てたハバキ教官が、駆けてくるトツカたちを睨む。
一歩、シズが進み出た。
「私のおしゃべりに付き合ってもらってました!」
「わたくしの授業よりお大事な?」
「はい!」
生徒たちが何人か噴き出す。トツカが肩をすくめて列に加わると、両脇から小突かれた。
「本当に度胸あるよな」
「空気が読めねえだけだろ、あの女……」
「いや、おめーだよ」
軽く
「そこの殿方たち、いい加減になさい」
ハバキはため息をついて後ろを向く。
飛行場には背丈の二倍ほどもあるORBSの
『グラム』タイプとは違うらしい。迷彩パターンは森林を意識した茶色と緑で、翼の形状も六角形のクリップドデルタになっている。装甲もステルス性を重視したのか全体的に丸い。
「最新鋭の『カリバーン』モデルです。お美しいでしょう」
紹介するハバキは何故か浮かない顔だった。
「訓練機の準備が間に合わず、今回はこちらのORBSを使っていただく運びとなりました」
「武装はあるんですか!」
誰かが声を上げた。
「いえ。しかし出力も調整しておりませんので、正式配備機とまったく同じ速さ、挙動、そして危険性を体験していただくことになりましょう」
ちらりとトツカと目を合わせてくる。
「……まあ、遅れてきた御仁がいらっしゃいますし、まずは人身御供となってもらいます」
「オレ?」
「ええ。慣れてらっしゃるでしょう?」
あっという間に列から押し出された。シズも追って並んできて、ハバキは何か言いたそうだったが、諦めて他を見渡した。
「もうひとり枠がございます。どなたか?」
女子が挙手した。トツカはよく覚えていないが、ホームルームの副委員長だったはず。
ハバキからケーブルをぐるぐると巻いたグリーンウェアが差し出された。
「あ、どうも」
トツカは手をかざす。
だが何も起こらない。
しかめ面になって手を振る。やっぱりグリーンウェアはぴくりともしなかった。
「……何をなさっているの?」
「いや、こうしたら自動で装着できるんじゃねえかなって……」
後ろで笑いが起こった。トツカは舌打ちして、袖に手を通した。
『グラム』のときは勝手に動いていた。やはり量産型は色々と安っぽくなっているのだろう。
残りのふたりも装着が終わり、
そちらもグリーンウェアのソケットに接続し、最後にヘルメットの丸いバイザーを下ろす。
「あー、あー、本日は晴天なり、本日は晴天なり」
ヘルメット内のスピーカーから、ハバキの高い声が飛び出した。
「曇ってますよ、空」
「こう言う決まりですの。無線の講義は?」
「テストがまだで復習もしてないです」
上品な悪態が聞こえてきた。ひとつ咳払いを挟んで、ハバキは続ける。
「操作は視線と音声で行いますの。まずは『起動、ファーストフェイズ』と
「起動、ファーストフェイズ」
その瞬間、ぐさぐさとグリーンウェアから針が飛び出した。
トツカがうめく横で、シズたちが悲鳴を上げる。他の生徒たちもざっと足を引いた。
「あ。検針がお肌を刺しますのでお覚悟を」
ハバキがひたいを押さえて言った。
「教官、オレたちに恨みでも?」
「忘れておりました。それだけです」
本当だろうか。
ハバキは嫌味たっぷりに笑って、続ける。
「では二次電源を始動しまして、まずは各部の点検を――」
「すみません」
細い声が割って入ってきた。例の副委員長だ。
装甲の中で、もぞもぞと身体を動かしている。
「あ、あの」
「あら。お花摘み?」
「いえ! その、止まらないんです!」
胸の固定具をつかんで、ガチャガチャと揺らす。ヘルメットのバイザーに何かの警告が表示されていた。トツカたちが見ているあいだにも、どんどん赤い表示が増えていく。
ハバキの笑みが消えた。
「動かないでくださいまし。今、外から停止措置を」
「何が起こってるの? た、助けて教官! 見えない。見えないの! 教官! 誰か――」
次の瞬間、『カリバーン』のブースターユニットが爆炎を上げた。
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