2-4.

 事件は八年前に起こった。

 通報は詞子シズ家の固定電話からだった。救急より先に警察に連絡が行ったというから、ひと目でそれと分かるような事切れ方だったのだろう。

 死亡したのは母親。通報したのは当家で稼働していたロボット――スティーリアだった。

 母親はいつものように長女のキョウカを寝かしつけた直後、激しく喀血かっけつして果てたそうだ。吐き出された血を頭から浴びたキョウカはショック状態で、様子を見にきたスティーリアの腕を掴んで離さなかったらしい。


「私が殺した」

 駆けつけた警官に、スティーリアは語った。

「仕方なかった。この手で殺したんです。私の責任です」

 その場で破壊措置を受けたのち、スティーリアは解析に回されたが、外皮コーテックスに記載されたメーカーや製造番号はデタラメだった。母親も以前から結核の病態がみられ、寝室に処方箋も残っていたところから事件性は無いものとして処理された。



「破損した筐体ボディは兄のカゲキが引き取ったみたいだね」

 食堂の椅子に座って、ナゴシは手製のファイルからスクラップ記事をぺたぺたと並べていく。

「たった半月で修理を完了させて、以降は寮の個室に置いてる。週刊誌がうるさいから流石に外には出さなかったらしいけど」

「よく細かい記事が残ってるな……」

「残したんだよ。面白かったから」

 ナゴシは脇に置いた皿からソーセージを取った。

「『うるさい女』もたまには良いものだろ?」

「それでも根に持つ女は苦手っすね」

 トツカが顔をしかめると、ナゴシは微笑み返してきた。

 

「実際、面白かったよ。詞子シズ家っていえば地方の名家だったから、得体の知れないガイノイドは話題になって。でも結局、メーカーも流通ルートも見つかんなくて、気が付いたら話題ごと自然消滅してた」

「どこかのワンオフなんですか、アレ」

 さあ、とナゴシは目をぐるりと回す。

「お手製かもね。シズ・カゲキのことだから、ロボ作りくらいできたかもしれない」


 ぱきぱきとソーセージを噛み折るナゴシのはるか後ろの席で、シズはまた地形図を広げていた。

 きっと、シズは母が死んだときも無表情だったろう。

 身体をいっぱいに震わせて、隣に立ったガイノイドに爪が割れるほど強くすがる少女。パジャマは鮮やかな朱に染まり、血でべったりとひたいに張り付いた黒髪を、ガイノイドの細い指が優しくく。

 電話機からわたのようにぶら下がった受話器まで、簡単に想像できた。


「あんたは殺したと思ってるんですか?」

「プロが『違う』と判断してるから、どうだろうね」

 ナゴシは口を拭いたナプキンを畳み終えると、ファイルをかばんにしまった。

「でも毒って、要するに試薬の反応で調べるわけじゃない? 化学物質ってそれこそ星の数くらいあるから、警察の試薬が対応してない毒ってのはわりかし簡単に見つかると思う」

「それをスティーリアが?」

「分からないよ。でもロボットって沈黙はあっても嘘はつかないからね」

「あれですか、なんとか三原則とかいう」

 いや、とナゴシは片目をつむった。

「あそこまで役立たずじゃないよ。今はもうちょいマシな基幹部品カーネルがどいつの頭にも入ってる」


 始業ベルが鳴る前にナゴシは士官候補生の座学へと行った。

 トツカも同じように授業を受けていたが、少し考える時間ができると、昨日のことばかり思い出された。

 シズはスティーリアと会話していた。それも楽しそうに。

 ひと口に『殺した』といっても色々ある。

 もしかすると母親から虐待を受けていたのかもしれない。シズは年端としはも行かない子供だった。保護者代わりだったスティーリアが、シズか自分を守るために母親を毒殺した――とか。

 あり得る話だった。カゲキも同情したからスティーリアを持ち帰って直したのだ。


「あのガイノイド、どう思ってるんだ?」

 教室移動のどさくさに、トツカはシズに尋ねた。

 シズと話していた女学生が迷惑そうに見てきたので、トツカも苦笑で受け流す。

「悪い、寮で色々あって……」

「きよっぺの寮、男女一緒なの!?」

 女学生の目が丸くなる。

「ん……トツカくんと一緒。あっ、部屋は別だけど」

「うっそ、マジありえん」

 何か汚らしいものでも見るように睨まれてしまった。

 シズは首をかしげていた。気にすんな、とトツカは呟いた。

「あ、スティーリアのことだよね」

「まあな……忙しいならまた」

「あの子、本当はすごく寂しいんだと思う。トツカくんには本当にゴメンなんだけど」

 いよいよ女学生が白目をむき始める。

「言っとくけど違うからな?」

「え、でも寂しいって、そういうことでしょ……」

「スティーリアのこと、捨てないであげて。トツカくんだけが頼りなの!」

 シズが手を握ってきた。もう言い逃れできない。

「……あー、オレ、一応、童貞だから…………だからその」

「行こ、きよっぺ!」

 シズが女学生に連られて去っていく。バイバイと手を振ってきたのでトツカも応じたが、まったく力が入らなかった。

 ガラガラと周りで何かが崩れていく音がした。

 たぶん、今回崩れたのは青春とかそんなものだった気がする。

 きっとピンク色のかけらをしていた。明日から残るものはもう半分の灰色ばっかりだ。


 結論から言うと、人の噂は半日で千里を走った。


「あーもうやだやだやだやだやだ……」

 トツカは寮の床へとバッグを投げ出す。

 急いで帰ったせいで、閉じ忘れた口からどさどさと教本やノートが散乱していった。

 そいつらを片付けるのも面倒になってきて、そのままバフッとベッドに顔から突っ込む。粗い毛布で頬がこすれたが、今はそれ以上に心が痛い。

「どしたの?」

 スティーリアがのぞき込んできた。

「だいたいあんたのせいなんだよなぁ……」

「相談なら乗ろっか? 吐き出したらラクになれるかも」

 目を上げると、女は変わらない笑みを浮かべていた。

 これが、こいつのデフォルト顔だ。大した基幹部品カーネルを積んでやがる。

「……オレ、ロボットって嫌いなんだよ。シブヤの乗り換えでもなまりで駅の案内が反応しなくてよ、コンビニで案内買う羽目になって。ああいうのは人のぬくもりが一番だろ、何考えてんだジェーアールだか区だか知らねえけどさ……」

「おおマスター、なーんて可哀想によーしよしよし……」

 細い指がしゃくしゃくと髪を撫ぜてくる。意外と頭のツボを選んで押してきていて、自然と眠たくなってきた。

 その気持ちよさがなんだか無性に泣けてきて、トツカは毛布を顔に当てた。


「もう外を歩けねぇ。すっかり女を連れ込んでしっぽりやってるヘンタイだよオレは」

「マスター、しっぽりやってるの?」

「あんたとって設定な? ああ燃えないゴミの日に出されちまえばいいのに……」

「いいじゃない、女の子を連れ込める顔に見られてるってことでしょ」

「じゃあオレ、イケメン?」

「うん。イケメンイケメン。知らないけど」

 手がそっと離れていく。


 少しすると、部屋に申し訳程度に設置されたコンロを点火する音が聞こえてきた。

 さくさくと何かの袋が開封されて、食器棚から出した器がテーブルに乗る。


「何やってんだ?」

「ロイヤルミルクティー」

 スティーリアは紅茶の缶を揺らした。

「ここ、倉庫に使われてたから。疲れてるんでしょ?」

「牛乳なんてあったか?」

「粉ミルクを使うことにする。どうせ安舌やすじたしてるから分かんないだろうし」

 手慣れた手つきで鍋に放り込んだ茶葉を蒸らしていく。

 トツカがデスクの前に座ると、すぐにマグカップ一杯の紅茶が出てきた。ミルクと一緒にハーブも入れたのか、鼻を近付けると良い香りがした。


「ママも好きだったんだ」

 スティーリアは向かいに立って言った。

「ママ?」

「うん、キョウカの。私が淹れたお茶を、いつも飲んでくれてさ」

 トツカは手の中でマグカップを回す。白と小麦色の水面がくるくると渦を巻く。

「シズは六歳だっけか」

「そう。私じゃ全然寝かせられないから、いつもママにおやすみをしてもらってて」

「殺したんだろ」

「うん」

 スティーリアの表情は崩れない。

「分からねえんだ。正当防衛だったのか? ずっと考えてたんだが、どうもシズの態度が腑に落ちねえ」

旦那様マスター

 と言って、彼女はまばたきをひとつした。

 ひと呼吸分だけ間があった。

 青い瞳がほのかに燃え、細い咽喉のどに空気が吸い込まれる。


「誰かが意図的に人を死なせたら、それって殺人に問われると思う?」

「意図的って、そりゃ……そうだろ」

「私もそう思った。だから、殺したって言った」

 唇が機械的に動く。

 スティーリアは目を閉じた。青い炎が消えて、淡い色のまぶたが合わさる。

「私はママを殺したし、これからも誰かを殺すかもしれない。だけど誰も分かってくれない」


 長いこと沈黙が続き、蛍光灯のじりじりという音だけが耳に残った。

 じっくりと考えたあとで、トツカはマグカップを下ろした。

 相変わらず、紅茶の香りは強い。

 水質の悪い国では、不純物のにおいを誤魔化すためにミルクティーを淹れると聞いたことがある。ちょっとくらい毒が入っていても、誰も気付かないだろう。


 トツカが眠ったときも、スティーリアはデスクの正面に立ったままだった。

 紅茶の湯気が立ち昇って彼女の口もとを白く隠す。もしかするとその一瞬、彼女は笑みを消していたかもしれないし、泣きそうに唇を引き結んでいたかもしれない。

 どちらにせよ紅茶が冷めたとき、彼女はまた例の微笑み顔に戻っていた。マグカップの中身を流しに捨てるときも、眠るトツカの顔をのぞき込むときも。


「ごめんね」

 眠る少年に、彼女はそっと言った。

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