2-3.
剣道用具の鍵は、宿直の教官に頼むと簡単に貸してくれた。
「どうせ明日から授業でやるんだが……」
教官は体育教師そのものといった堅太りの男で、トツカが倉庫からタイヤ台を引っ張り出すのを、ごましお頭をさすりつつ眺めていた。耳が全体的に潰れているから、柔道もやるのだろう。
「指導を頼まれたんです。推薦で入ったんで」
「ああ、二組のやつか?」
「シズですよ。ほら、こないだ演説でやらかした……」
ほう、と教官は手を止めた。
「あれが、剣道を?」
「鍛えてくれって言われたんです。なんか
それを聞いて教官は腕を組むと、ぶつぶつとつぶやきながら、難しそうな顔をして倉庫に入っていった。
しばらくすると、柄がすっかり青くなった竹刀を何本か抱えて持ってきた。
ぱらぱらとトツカの前に並べていく。だいたい同じ銘だが、高いカーボンのやつも混じっていた。
「今使えるのはこんだけだ。長いって言うなら奥の方にサブナナの竹刀もあるが」
「やっぱ持ってこない連中、多いんですか?」
剣道部があるのか知らないが、ただの貸出し用にしては多い気がする。
「替えだ。なにぶん初めて握る奴ばっかりだからな、店もヘボいやつを買わせやがって」
「はあ、需要ってやつか。ボロい商売するもんだ……」
トツカは試しに一本握って、振ってみた。
古い竹刀というのは
「この手のカーボンって打ちが重くて苦手なんだよな……」
ジャージに着替えて適当な竹刀を選ぶ。しばらく素振りして待つことにした。
それから三十分待った。シズはまだ来ない。
トツカはタイヤに打ち込んだ。埃がぱっと舞い、上げた切っ先の周りにはらりとこぼれる。
剣道に限らず、スポーツや芸能というのは一日サボると三日分後退すると聞く。九日分サボったツケは、幸いにも今のところは感じられない。
「戦いが待ち切れない感じ?」
タイヤ相手に抜き胴を練習していると、後ろからヒシダテが話しかけてきた。
整備の実習を終えたところらしく、自慢の金髪がオイルで汚れていた。士官コースと比べると、やはり整備科は座学より実習の比率の方が高いようだ。
「まさか。戦いをやりたいなら鉄砲に行ってる」
「じゃあ日課?」
「ああ。三日ぶりのな」
片手でぱん、とタイヤを打つ。剣先の伸びが悪くなっていて、やっとブランクを実感できた。
ほお、とヒシダテが間抜けな声を出す。つくづく戦いとは無縁の男のようだ。
「きみ、『グラム』で棄械に勝ったんだよね」
「昼飯のとき知ってるって言ったじゃねえか」
ぱん、ともう一度。どうにも納得がいかない。
「どうだった? その、気分って意味で」
「べつに。当たり前のことしか感じなかったぞ」
ぱん、ぱん。まだ粗い。動作ごとの
「当たり前?」
「高揚感とか、疲労とか、そんな感じの。コンバット・ハイってやつか?」
「ああ。聞いたことがある」
「でも本当の戦いって疲れるばっかりだった。全然良いもんじゃねえわ、アレ」
ヒシダテはじっと見つめてきた。兵士らしくない、と思ったのだろう。
構わずトツカがタイヤを痛めつけていると、やがて彼も飽きたらしく黙って去って行った。
それから数分経って、やっとシズが現れた。
「ごめん」
とやって来るなり言って、むんずとカーボンの竹刀を握る。素材が竹じゃないことに驚いたようで、珍しそうに弦をはじいていた。
「遅かったな。何かあったのか?」
「クラスみんなの連絡先、聞いてたの。一番のアカザキくんから、二番のアザミくん……」
シズの手が止まる。「ウチのホームルーム、何人だっけ?」
「三十九人のはずだ。明日じゃダメだったのかよ」
「あれ? 一人足りない……」
がちゃりと竹刀を落として、シズはタブレット端末をいじり始める。ひい、ふう、と数えるうちに首をかしげた。トツカは肩を落として、バッグから旧式の携帯電話を取り出す。
「どうせオレの番号だろ」
「あ、本当……」
仕方ないのでアドレスを二次元コードで送ってやった。
登録し終えるとシズはにっこりと笑って、さっきの竹刀を拾い上げた。初手からカーボン製は変な癖がつきそうだが、たぶん彼女は好きにやらせても上達する。
「ジャージはどうした?」
「だってぜんぶ用意してくれるって……」
きょとんとされた。そういえば言い忘れていた。
トツカはうなずいて、タイヤ台を指した。
「これ、打つから見ててな」
タイヤの前に立ち、中段に構えて呼気を吐く。
人型の的でないから正眼とはいかないが、自然と切っ先は目線の高さで止まった。
改めて見ると、さっきはずいぶん間合いを遠く取っていたらしい。打つ前に一歩、詰めた。す、と足に勢いが乗ると剣気が高まったのを感じた。
もう打てる。今だ。
「
一声、
足が床を打つと同時に、竹刀の先がタイヤの上面をはじいた。
上がった剣先はすぐには下ろさず、ゆっくりと残心を取って、トツカは竹刀を納めた。しっくりと来る、心地よい重さが手首に残っていた。いい手応えだった証拠だ。
シズもしばらく何も言わなかった。
例の無表情を浮かべたまま何秒か考えたあと、ようやく口を開く。
「……打つとき何て言ったの?」
「そこ!?」
「気になるもの」
シズがじっと見つめる。
「ま、まあ、知らんけど『めーん』のつもりで……」
「ほんとに?」
「マジでつもりなんだよ。一応、口の形は『めん』に開いてる……か?」
めーん、とシズは口を真似して、かぶりを振った。
「全然違うじゃない」
「もういい、動きの話をしよう。ちょっと打ってみなって」
トツカが退くと、シズもタイヤ台の前で竹刀を構えた。
ただ立っただけだが、背を伸ばしたままなのに肩の力が抜けていた。バランス感覚が良いのだろう。重心も偏っておらず、それでいて踏み込みに充分な程度の重さがひかがみに載っている。
だが次に繋がらない。剣先をタイヤ台に向けたまま、固まってしまっている。
「どした?」
「えっと、手を先に上げるの?」
「あー……どうだろな」
トツカの場合、跳べば手首がスナップし、勝手に敵の頭をはたきに行く。
意識するのは跳ぶタイミングだけだ。
だが初心者のシズはどうだ。手首の角度、跳ぶ距離、間合い。注意点を箇条書きにすれば二十行はゆうに超える。しかもすべて同じくらい重要と来た。
素振りをさせるか、とも思った。
しかしシズの「鍛えろ」と言うのは棄械に勝つ鍛錬であって、剣道に強くなることではない。
普通じゃいけないのだろう。彼女は頭が良さそうだから、もっと、広いところから入っても良いのかもしれない。
「……三殺っていうのがあるんだ」
トツカは腰を下ろした。シズの竹刀を受け取って、同じように座らせる。
「さんさつ」
「相手の要素をみっつ殺す。剣、技、心。オレは戦いぜんぶの基本だと思ってる」
「突破包囲攻撃みたいな?」
「知らねえけどたぶんそうだ。こいつらが死ぬと、どんなやつでも動けなくなる」
普通は審査のときにちらりと習うだけのことだが、姉弟子は口癖のように言っていた。
「それで?」
「だから……」
次を考えてなかった。うーんとうなって舌を動かす。
「……まあ、相手を見ろってこと。何を武器にして、どう使って、どこに気を入れてるかってやつ。ひとつずつ潰していけば、分かんねえけどどうにかなるんじゃねえの?」
「それ、トツカくんは剣道で覚えたの?」
「剣道っていうか
シズは変わらずトツカを見つめていた。頭蓋骨の奥でも透視しようとするみたいに視線が動いていなかった。それを見ていると、なんだか騙しているような気がしてきて、トツカは目をそらした。
やがてシズはまばたきをして、言った。
「ウツリさん、元気?」
「は――」
心臓が飛び出すかと思った。シズが、姉弟子の名前を知ってるとは。
「あ……ああ。うん」
「そ」
シズが立ち上がる。そこで初めて存在に気が付いたようにタイヤ台を見て、打ち込まれた跡をなぞるのを見ながら、トツカも床の竹刀を集めた。
どうせ授業で剣道をやるのだから、動きのことはそのあとで教えればいいのだ。
用具を片付け終えて倉庫の鍵を返しに行くと、教官は職員室でインスタントコーヒーをすすっていた。
「遅かったな」
「すいませんでした。すぐ帰ります」
「色々危ないご時世だから気を付けてな」
机の上には写真立てがあった。
そのすぐ横に、マグカップの輪染みが残っていた。この人はこうやっていつも飲みながら写真を眺めているらしい。写真の中では同じ部隊章の男女がポーズを取って並んでいる。
ただの教師ではなく、やはり前線に立っていた兵士なのだな、と思う。
武道場に戻ってみるとシズの隣に人影があった。
「調子どう? そろそろ行けそう?」
「うん、だんだん分かってきたみたい。もうすぐ――」
白い武道場のライトに照らされて、髪が鮮やかな銀色に光っていた。遠くからでも、ここでは珍しい黒い着衣が見て取れる。
「やべえ、部屋のこと言い忘れてた」
トツカが歩いていくと、スティーリアはいちはやく気付いて手を振ってきた。
「遅かったから迎えに来ちゃった!」
彼女が長身のシズと並んでいると、視線がちょうど一列に並んでいて落ち着かない。
「オレ、戻ってこないけど気にするなって言った覚えがあるんだよなぁ」
「じゃあヒマだったからってことで」
「待ってるって言ってなかったか?」
「自分に出した命令なんて守るわけないじゃん。覚えてないの?」
「いや知らねぇし……昨日まで他人だった女だし……」
シズが横で笑っていた。
「ここに居たなら言ってくれたら迎えに来たのに」
「任務中だったから、ごめんね」
このふたりも、たった今知り合ったようには見えない。
そういえば、朝もスティーリアはシズの名前を言っていたように思う。
「それじゃ、帰ろ!」
スティーリアはひとり勝手に盛り上がって帰って行く。本当にヒマだったらしい。
「もしかしてスティーリア、トツカくんに迷惑かけちゃってた?」
寮まで歩くまでの夜道で、こっそりシズが耳打ちしてきた。
「いやそこまでは……超うるさい座敷わらしみたいなもんだろ、アレ?」
数メートル先でスティーリアが鼻歌を口ずさんでいる。ひどく古いポップスのサビだった。
「ウチの
「中古か。壊れてるとか言われてたな」
「壊れてるっていうか」
さらに声量を落として、シズは言った。
「あの子、人を殺しちゃって……」
鼻歌が途中で止まる。
数秒の間をおいて、スティーリアはサビの最初からリピートを始めた。コツコツとローファーが地面をたたく音が虚空に響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます