2-2.

 朝食はビュッフェスタイルだった。

 まだ朝も早いというのに、食事にいそしむ寮生がちらほらと見られた。メニューはどうやら学食から配達されてくるようで、特に厨房のようなものは見当たらなかった。


 トツカがぼけっと突っ立っていると、ナゴシが「ほら」とトレーを押し付けてきた。

「士官たるもの、部下に遠慮させない食いっぷりが肝要だよ」

 いつの間に取ったのか、ナゴシのトレーにはこんもりとパンが乗っていた。

 トツカもカゴからバケットパンとチーズスプレッドを取った。

 そうして壁際にぽつんと置かれた椅子に座ると、ナゴシは物足りなさそうな顔をして離れていった。どうやら諦めてくれたらしい。それでいい。豊かな食事というのは誰にも邪魔されず、静かであるべきなのだ。


 この寮は昔からある兵舎を改装したようで、壁のところどころに鉄骨が見えていた。

 トツカの部屋にも二段ベッドの脚の跡がくっきりと付いていた。壁紙は流石に替えてあるようだが、ふと注意を向けると、あっちこっちに軍隊の色が浮かびあがってくる。


 ねっとりとチーズを塗ったバケットをかじっているうちに、反対側の壁際で、同じように独りで食事を取る女学生を見つけた。

 向こうも傷は癒えたらしい。

 相変わらず赤ペンまみれの地形図を広げながら、身じろぎひとつせずに考え込んでいる。今朝のメニューはスクランブルエッグにしたようだ。まだ皿に手を付けた形跡はなかった。

「シズ・キョウカ、か……」

 入学式では総代をやっていた。ああいったものを選ぶ基準は成績か血筋か知らないが、壇上に立った彼女は演説慣れしているように見えた。

『あの英雄、シズ・カゲキの妹さんです』

 学長が誇らしげに紹介したときでさえ、彼女は無表情だった。無関心だったと言ってもいい。


『先の戦闘で、私たちが喪失した兵力は全体の〇・二パーセントでした。私は、彼ら英霊に名を連ねるつもりはありません』

 というのが、そんな彼女の演説の始まり。

 胸に赤いコサージュを付けたシズは、マイク越しにどこか遠くを見つめているようだった。

 

『勝利とは生きた兵士の不断の努力により掴み取られたものであり、まつられる数人の犠牲で成し遂げるものでは決してありえないからです。

 私は戦死者に価値を見出したことはありません。

 いかなる事情があろうと、彼らは自らの落伍によって、戦友たちのタスクを増やし、戦線にコンマ数秒の間隙を作り、敵に数センチメートルの前進を許しました。彼らの死は大いなる損失ですが、同時に我々が切に反省すべき汚点でもあります。

 私は戦場に栄誉を求めません。

 しかし私が務めを果たすことで、未だ名も知らぬ戦友がいつかの安息を得られるのなら、進んでこの身を捧げましょう。私たちは死すべき愛国者ではありません。誰もが、勝利を求めて止まぬ生きた兵士なのです――』


 拍手はほとんど無かった覚えがある。

 誰かが適当に手を打ち合わせて、ややあってまばらな音が続いたくらいだった。

 英雄の妹が、戦死者を冒涜したのだ。教官たちは苦笑していたが、上級生は半分ほど殺気立っていたように思う。一席ぶったあとに彼女がやった敬礼もほとんど会釈のようなもので、明らかに挑発していた。


「どんだけれ枯らしてんだか……」

 彼女と同じ士官コースを希望したことに、今さら後悔の念がふつふつと湧いてきた。


 初めての授業は戦史だった。

「こいつが諸君らの敵である!」

 担当の教官は暑苦しい口調の男で、スライドを映したスクリーンを指揮棒でばんばんと叩いていた。

「動力・材質ともに不明、技術も由来も解析不能! 我々にできるのは頭を出してきたモグラどもや出た杭をブッ叩いて引っ込ませることだけだ」

 スライドが切り替わり、このあいだトツカが倒したのと同じ、銀色の石ころが現れる。

 飛び飛びのアニメーションが始まった。そいつがトゲを出した瞬間、すみやかに銃弾がぶち込まれていく。弾丸の口径はどんどん大きくなっていって、十七ミリ弾でようやく貫徹に至った。


「幸いに数は多くない。諸君らには少数精鋭としてORBSを用いた制圧を期待するものである」

 ぼやけたスナップ写真に切り替わった。

 重厚な鎧に身を包んだ男が、巨大な銃器を担いでいた。戦闘の直後に撮影したらしく、まだ銃口からは細い煙が上がっていた。顔の細部はうかがえないが、がれきの街並みを見ながら途方に暮れているようにも見えた。

 ORBS――マッハの機動力とメガジュールの火力を併せ持つ最強の兵器。


 トツカは斜め前の席を見た。シズは前屈みになって、やっぱり広げた地形図と格闘している。

 教官もそれに気付いて口を開きかけたが、どこか申し訳なさそうに肩をすくめると、教壇のパソコンをいじって次のスライドに移った。

 シズの兄は、二年前に棄械と戦って死亡している。

 試作型のORBSで戦線を維持した、真の意味での英雄だ。

 初対面のときの、シズの素っ気ない態度を思い出しながら、トツカはシャープペンシルを回した。あんな演説までしたのに同情されるのだから、そりゃ人間嫌いにもなるのも仕方がない。たぶん友達もまだいないだろう。


 午前の授業が終わると、生徒たちはカフェテリアの案内を受けた。午後三時まではやっているからお気軽にどうぞ、ということだった。こちらの施設は小ぎれいに整っていて、各所のスピーカーからは古臭いボサノバがループ再生されていた。

 トツカが券売機で一番安いざる蕎麦を買っていると、追加の小銭が投げ入れられた。

「たぬきにしなよ」

「あ……?」

 遊んでいそうなツンツンの金髪の男だった。愉快そうな顔をして、財布の口をぱちりと閉じる。

「ただでさえ安い学食でざる蕎麦なんてみみっちいよ」

「悪かったな。あと三十円くらい、オレだって持ってる」

「小銭を崩したいんだ。手数料ってことにしてくれ」

 トツカはしぶしぶたぬき蕎麦のボタンを押した。出てきたハッカ色の食券を引っこ抜いて、じゃらじゃらと吐き出された釣り銭を金髪男に手渡す。

「ありがとう」

 金髪はチャーシュー麺を選んでいた。金持ちらしい。格好のわりに育ちも良さそうだった。


 トツカが席についたときも、やはり男は隣に座ってきた。

「その髪、注意されねえのか?」

 追い払うのも面倒になって、トツカは麺をすすった。奢ってもらうのはしゃくだが、揚げ玉がかりかりとして美味い。

「整備科はルーズでね」

「ああ。ロボットだろ、教官?」

「すぐ怒るけど素晴らしい人だよ。今日もさっそくホンモノを触らせてくれた」

 ほら、とタブレット端末で写真を見せてくる。

 右腕が焼け焦げたORBSのグリーンウェアだった。腹のあたりも損傷が多い。

 ぽとり、と箸から麺がこぼれる。

「へえ、これ、あー……すげえ派手にぶっ壊れてんな。へへー……」

「先週のアレだよ」

「ああ。そんな感じする。なんだか壊れ方に風情があるよな。うん」

 金髪はにこりともせずに箸を置いた。

「きみだろ?」

「……はい、そうです」

 トツカはうなだれた。学校という世間はときどき嫌になるくらい狭い。


「二択だったんだ。シズ・キョウカかトツカ・カゲキか」

 金髪はチャーシューをつまんでみせた。「これ、要る?」

「蕎麦には合わねえよ。で、あんたはオレを選んだと」

「そう。おかげで賭けに勝った。このたぬき蕎麦も、配当ってやつ」

「オレ、そんなに話題になる要素とかあるか?」

「推薦枠は九人だけで、しかも特機小隊の身内は二人だけだからね」

 自分がそこまでレアな存在だとは思わなかった。

 二年前に投入された特機小隊は三個。整備や補給といった後方任務に就いていた連中を除いても、二十五人ほどがORBSに関わっていたことになる。

「上級生もいるだろ」

「彼らはダメだ」

 金髪はかぶりを振った。

「戦場に出なかった予備役ばっかりで、ほとんどは頭でっかちの出涸でがらし。残りも戦うような無鉄砲さはないよ」

「で、オレは無鉄砲だって言うわけか」

 金髪は笑うばかりだった。

 てっきり質問攻めにしてくると思っていたが、あのナゴシとかいう新聞部と比べるとなかなか人間が出来ている。

 トツカは少し考えて、名前は、と尋ねた。


「ヒシダテ」

 と金髪は言った。菱形のヒシに、立つと書くらしい。

 またな、と食い終わった食器を丸ごと食洗器にぶち込んで別れる。

 ヒシダテが見えなくなったあとも、トツカはカフェテリアに残って、次の授業の教本を広げた。

 午後は国語。それから訓練場のオリエンテーション。どちらも大したイベントじゃない。

 軍事の名門とは聞いていたが、いざ入学してみると、思うほど劇的に変わるものはない。

 この調子で続くようなら整備科に転向するという選択肢も見えてくる。向こうでもORBSは扱えるし、今の話だとなかなか楽しそうな授業をするらしい。ツナギは着たことがないが、まあ道着と似たようなものだろう。


「トツカくん」

 今日やる文法を確認していると、後ろから声がかかった。女だった。しかも同じくらいの年ごろの。

 トツカはため息をついた。

 隣を空けてやる。重い音がして、チャーシュー麺の載ったトレーが置かれた。

 やけに高カロリーだな、と思っていると、ずずずとトレーがトツカの方に寄ってきた。

「これ。あげる」

 シズは指先でトレーをこつこつと示して言った。

「……は?」

「さっき、羨ましそうだったから」

 シズは仏頂面だった。

「さっき?」

「あの金髪の人」と、シズはいらいらと髪をかき上げる。「早くして。時間ない」

「いや……今、蕎麦食ったの見ただろ?」

「だから?」

「だからって。あー、もしかして不器用さんか?」

 食洗器を探ると、ハーフサイズのどんぶりがあった。

 半分だけチャーシューをよそって、残りをシズに寄越す。彼女は憮然とした顔で箸を取った。


「ラーメン、そこまで好きじゃない」

 シズはチャーシューをもぐもぐとしてから、卓上の胡椒を振った。

「好きじゃないって珍しいな。日本人のソウルフードだ」

「兄は好きって言ってた。でも友達と食べてばっかりだったから……男の人のああいうのって携帯電話とか手紙の代わりなんでしょ?」

「で、あんたもラーメンでオレに電話か」

「ん」

 シズは空っぽになった胡椒の瓶を置いた。「悔しかったの」

「何が」

「私だけ動けなかった」

 シズは真っ黒になった麺をすすり、顔をしかめた。

「あのときは脚をやってただろ。逃げるのも必要な判断じゃねえの?」

「足のケガは必要なものじゃなかった」

「それこそ運だろ。ラッキーの問題だ」

「私、昔から運が悪いんだ。だから、やっぱり悔しい」


 半分こにしたチャーシュー麺は、どうにか時間内に食べきれた。

 トツカがいい加減きつくなってきた腹を押さえていると、シズが身体を向けてきた。オレンジに輝く視線が真っ直ぐに差してくる。


「私を鍛えて欲しい」

 トツカはじっと見つめ返す。焦点は合っているのに、不気味なくらいに澄んだ瞳をしていた。

 冗談を言ってるようには思えなかった。

 演説のときも同じ目をしていたのを思い出す。あるいは喫茶店で初めて会ったときも、よく見ていれば同じ目をしていたと分かったかもしれない。

 あの演説は挑発じゃない。本心だ――トツカは理解した瞬間、渇いた笑いを漏らしていた。


「どうしたの?」

「いや。何でもない。思ったよりやるなと」

「やっぱり高いよね、チャーシュー麵」

 ほら、とシズはぼろぼろの財布を振った。どこかの安ブランド品だった。十年は同じものを使っているように見えた。

「そうだな。じゃ、放課後に武道場で集合な。道具とかはオレが頼んどくから」

「え?」

「分かったと言ったんだよ。鍛えてやる」

「ああ、ありがと。武道場ね。放課後……」

 シズはメモを取ると、そのまま教室に帰って行った。

 胡椒まみれの食器はそのままだった。トツカは苦笑して、自分の分と一緒に食洗器に持って行った。


 あの手の変人は道場にもいた。

 一度気になったら、地稽古じげいこも打ち込みもすっ飛ばして何万回と素振りばっかりやってるようなタイプだ。

「秀才になるわけだよ」

 スピーカーから予鈴の音が鳴り、トツカも荷物をかき集める。

 ほとんど予習はできなかった。それなのに、すでに放課後が楽しみになっている自分がいる。

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