2-1. 入学

 きっと実家で布団じゃなかったら、もう少しマシな寝相になっていた。


 ドゴッ、とにぶい音。それから馬鹿みたいにでっかい激痛。

「おぉ、おっ、ぉ……っ」

 トツカは左肩を押さえて悶絶する。

 背中の下でフローリングがキュキュッと鳴った。そうやってぐるぐると回ること数度。どうにか痛みが耐えられる程度に引いてきた。

 あまりに痛すぎると悲鳴も上がらないことは初めて知った。ここ数日、人生初ばっかりだ。

 着けたままの腕時計がカチカチと時を刻む。

 時刻は午前六時だった。起きるにはちょうどいい、と言っても良いだろう。


 部屋に入ったときにはとっぷり疲れていたから、着衣は入学式そのままだった。学ランみたいな制服にやたら硬い制帽。胸にはご丁寧に紙のコサージュまで挿してある。

 医務室で処方された痛み止めをばりばりと噛み砕きながら、トツカは勝手の悪い左肩を回した。

 三日が経って、傷はそれなりに癒えた。

 あちこち絆創膏やら包帯やらでミイラみたいになっているものの、動けないというほどじゃない。それこそ試合の翌日と同じくらいの、慣れた痛みだった。

 ベッドに腰かけて考える。

 こういった寝具で横になったのもたぶん人生初だ。

 自慢じゃないが、寝相の悪さには定評がある。起きたら廊下に出ているのはまだ良い方で、和室で寝ていたはずなのに納戸の隅っこで目を覚ましたこともある。


「オレ、右に転がるんだよな……逆に寝ればいいのか?」

 うんうんと枕を置き直していると、床に散らばった教科書が目についた。

 入学式後のオリエンテーションは、大きな学校のわりに手短に終わった。授業開始は九時。単位の登録は希望兵科に合わせること。身代わり出席代筆禁止、関係ないからって基本五教科はサボるな――などなど。


 最悪なことに、ホームルームの担任はハバキ教官だった。

「わたくし、実績では差別しませんのー」

 と新聞を振っていた。

 見出しは『ムラクモ学校の生徒、棄械スロウンを倒す』というものだった。トツカの名前は上がってなかったから、クラスメイトの大半は上級生の手柄だと思っただろう。

「わたくしの前でお天狗サマになる方がいらしたら、そのお高い鼻をねじ切りますからね?」

 みんな笑っていたな――とトツカはげんなりと思う。

 スーツ姿のハバキ教官は、ちょっとした美人だった。かつては募兵ポスターのモデルもやっていたらしい。仲良くなった同級生に見せてもらった写真には見覚えがあった。

 同じポスターを姉弟子も「この人、すッッごく綺麗だよね!」とかワケが分からないくらい褒めちぎって、台所の壁に貼っていた気がする。まあキツそうなモデルの目が苦手で一週間で剥がしたが。


「……あいつら、みんなデコピンされちまえばいいんだ」

 洗面台で顔を洗ってぼやく。

 何がバラ色の青春だ。バラ色って、ピンクともう半分は灰色じゃねえか。


「おはようございます、旦那様マスター

 横からタオルが差し出された。

「ン、悪ィ……」

「キョウカが起きたよ。食堂、行く?」

「あー。ここの献立、美味い?」

「給養員は勤続十四年だった。特に苦情は上がってないと思う」

「そっか……」

 タオルを返したところで、トツカはぱちぱちと目をしばたいた。

 もう一度、顔を洗って鏡を見る。

 不景気なツラをした細面の男が映っているが、今はそんなのどうでもいい。

 間違いない。後ろにタオルを持って控える女がいる。

「あの……どなた様?」

「お忘れだった? スティーリアだけど」

 顔立ちからすると歳はトツカより少し上、だろうか。

 氷のように青みがかった銀髪に、真っ青な瞳。服装は黒いシャツとプリーツスカートを合わせているが、使用感よりも埃が目立つ。タンスにでも長いこと仕舞っていたのだろうか。


「きみ。部屋、間違えてない?」

「いいえ」

 ゆっくりとした口調で女は言う。

「ベッドひとつだけど……だってオレ、男だぞ?」

「はい。私は女性です?」

「そうじゃなくてさ――ああ、そうか、オレ……」

 覚えてないが、新入生歓迎会みたいなものがあったのかもしれない。

 未成年飲酒。一気コール。酔った女と男が部屋にふたり。何も起こらないわけがなく。

「ごめん」

 トツカは髪をかきむしった。酔った勢いで最悪だ。

「いいよ。私も会いたかった」

 スティーリアは胸に手を置いて、微笑む。

「部屋って住人がいて機能するものだから。それは私も同じ。苦節八年、この倉庫もようやくレゾンデートルを満たせて……」

「待て」

 倉庫とは。


 トツカが部屋のドアを開けると、カメラのフラッシュが焚かれた。

「おわっ」

「ハロー、ハロー」

 もう一発、パシャリと撮られる。

 真っ白になった視界が戻ると、目の前に眼鏡をかけた女がでっかいカメラを担いでいた。

「やっと見つけた! ほい、ピース!」

「は――?」

 あれよあれよと三面図みたいに色んな角度から連射を食らう。

 撮り終った女は、面倒くさそうにカチカチと写真の出来栄えを眺めていく。手あたり次第に色んな設定を試したらしく、ピンボケしてるものも多かった。

 

「表情がカタいなー。ま、強者のカオってこんなもんかね」

「あの!」

 分かってる、と女は笑った。

「ナゴシ・ナルメ。三年、新聞部。あんた、トツカだろ?」

 女に指差されて、トツカは思わずうなずいた。ナゴシは満足げにウインクをかます。

「シズ・カゲキのORBSよろいを着た?」

「まあ」

 シズ――あの女の子も英雄と同じ名前をしていた。

「強かった?」

「いや。そんなの考える間も」

「さよーか。今の気分は?」

「しばらく、うるさい女とは話したくないですね」

 ナゴシはにやりと笑った。

「『ゆうべはおたのしみでしたね』?」


 後ろからスティーリアが出てくる気配があって、トツカはドアを蹴って閉めた。

 ばくばくと心臓が鳴っていた。こんなに早くバレるとは。

 どっかりと座り込み、うなだれる。

「オレ、たぶんどうかしてたんだ。自制心は一応あるつもりだったのに……」

「そーか」

「これ、何に当たるんですか。刑法? 民事? まだ校則は見てねえんですけど、一夜の過ちって風紀を乱す的な? オレ、もうちょっと人間って本能に素直になっていいと思うんですよね」

「そーか、そーか」

 ナゴシがとうとう噴き出す。とんとん、と部屋の表札をたたいていた。

「ここね、ずっと空き部屋だったんだよ」

 六号室だった。この寮は一番小さくて、ここが角部屋だ。

「それは、どういった?」

「壊れた擬人機械ガイノイドが棲みついてるから。あんたも会っただろ?」

「あ、あれ。ガイノイドか……」

 ロボットの中でも、棄械と違って人間が造ったまともなやつだ。

 そういえばさっきの女、服が汚れているわりに使用感はなかった。汗をかかないロボットなら納得がいく。


 ずるずると力が抜けた。すかさずナゴシがシャッターを切る。

「あー……いいね。そのポーズ、すっごい自然体……」

「今から部屋を替えることってできますかね?」

「いいじゃないか、美人だったろう」

「これでも田舎じゃ硬派で通ってたんだよ! 変な噂を立てたくない」

 オレってこんなに情けない声をしていただろうか――と思う。

「『人間ってもうちょっと同居人に素直になっていいと思うんですよ』ってね」

 ナゴシはトツカの口調を真似して言った。そのまま唇をひん曲げて笑い、トツカの手を取って立たせる。腐っても軍学校の先輩らしく、予想外に力が強い。


「まずは飯を食おうじゃないか。ここの飯は美味いよ?」

「……らしいっすね」

 ドアを開けると、まだスティーリアは玄関に立っていた。

 トツカを見ると手を振ってきた。壊れているという話だったが、この外見だけでは故障しているようには見えない。

「行ってくる。たぶん戻ってこないけど、気にすんなよ?」

「はい、お待ちしてます」

 前言撤回。やはり壊れているようだ。

「かわいいよねー」

 と、隣でのたまうナゴシ。背中から撃たれちまえ、とそっと思う。

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