1-3.

 ――外縁装甲コーテックスが無ければ、戦闘機動が取れるのは最大で五分。

 

 あまり自分のことを語りたがらない姉弟子だったが、ORBSのことになると饒舌じょうぜつだった。

 戦時の急造品ゆえ、内部義装グリーンウェアにはまともな冷却機構が施されていない。このまま冷媒が切れたら自動で固定具が外れ、脆い生身を敵に晒すことになる。


「あと四分……」

 トツカは腰を落とす。

 今しがた殴り飛ばした棄械も、致命傷には至らなかったようだ。破裂した頭部が再生を始めて、新たな感覚器を生やしている。トレンチコートをひるがえしてこちらを見つめる姿には、すでに目立ったダメージは見られない。


 先ほど、拳頭が接した瞬間には確かな手応えがあった。

 だが腕を振り抜くまでの寸毫すんごうで、感触がふいに消えた。平手で水面を打つようなものだ。流体金属の硬く張った表面を過ぎれば、内部のコロイド流体で衝撃を受け流されてしまう。

 打撃で頭部は無理だ。身体を破壊しなければ。


 敵の顔がごぼごぼと泡立つ。

「来る――」

 トツカが踏みしめると、脚のケーブルが白熱した。放たれた銀弾を半身でかわし、その勢いで地面を転がって射線から外れる。

 脚が触れたそばから、けたアスファルトがじゅうじゅうと音を立ててにえた。

 受け身を取り終えると、一足の間合いに敵がいた。相手も気付いたらしく、片足を引こうとしていた。間合いを離される前にトツカは踏み込み、脚で敵を払う。

 ケーブルが触れるや、化繊と肉の焼ける悪臭を放ちながら、敵の膝がずぶずぶと崩れていく。熱が股まで食い潰すと、支えを失った胴が地面を転がった。


 とどめを刺そうとトツカがかかとを上げた刹那、敵の背中が割れた。

 銀色の針が散らばり、四方の空間を埋め尽くす。

「くっ……」

 顔は手で覆うことができた。だが、かばい切れなかった腰から胸にかけてにぶい痛みがあった。

 たたらを踏むように下がりながら、腹を見る。

 損傷はほぼ下腹の全体に及んでいた。ケーブルに刺さった針がどろどろと液体となって滴っている。破壊されたケーブルの被膜からも、空気に触れて酸化した駆動液が漏れ出て止まらない。


 戦いで腹をやられたらおしまい――と姉弟子は言っていた。

 獣は元来、四つ足で動くものだ。立ち上がって歩くヒトは、臓腑はらわたを守る位置に骨がない。そこを打たれることがあれば、如何に鍛えた兵士であろうと命に関わる。


 今の一撃は幸いに、わずかに届かなかった。

 次は、死ぬ。

「落ち着け」

 息を止め、吐く。意識を挟んだ動きをしたことで、少し考えるひまができた。

 すでにトツカはふたつ当てた。向こうはひとつ。技量はこちらがまさっている。

 この敵の攻撃は言うなれば、点のようなものだ。

 槍と同じと考えればいい。穂先を避ければ硬い柄が手元まで伸びているが、そちらをぶつけたところで滅多に人は死なない。離れて狙われるよりは近付く方が安全ということだ。


 動けば次の一撃も当てられるだろう。しかしトツカも有効打があるわけではない。

 敵がゆっくりと立ち上がる。

 崩れた足を金属が補い、コンパスのような金属針となった爪先が地面をいた。こつこつと鳴らしながら歩みを進めるうちに、膨れたような機械の目が、ぬらりとした表面にトツカを映す。


 敵の目を通して見えたトツカは、怖気おじけた顔をしていた。

 やはり、気負けしていた。

 さっきから嫌な予感はあった。

 こうなった試合では必ず敗北してきた。今もわずかに萎えている。わずかながらでも、負ける気がしている。


 ――私、守らなきゃ。

 ふと女の子の顔が浮かんだ。

 

 身じろぎしたとき、足元で砂利が散った。

 その音ではっと我に返る。まばたきをすると、敵の泡立つ顔がはっきりと見えた。ごぼごぼと揺れる表面から針が突き出し、ひとつ、またひとつと尖った切っ先をこちらへと伸ばしてくる。


 思うより先に身体が動いた。

 妙にゆっくりとした視界の中で、光る針が動点となって軌跡を描く。ひとつの動きを目で追うと、残りも常に等しく加速していると分かった。一瞬後、動点が腕をかすめる。焼けるような痛みが走った。

 だが浅い。

 次の点をかわし、その次は左腕で受ける。無数の切っ先が頬をかすめ、顔をかばったケーブルの表面もかじり取られる。血しぶきが左目を覆った。肩の関節も衝撃で外れるのが感じられた。

 左手が下がったとき、目と鼻の先に敵の顔があった。

 この距離になってもなお針を射出している。うち十ほどの先端はトツカの顔を捉えている。

 反射的に右手が出た。

 巻きついたケーブルが青い閃光を放つ。掌底に触れた針がジュッと勢いを失い、金属の玉となって腕を伝った。

 もはや抵抗は無かった。

 ぬめった顔面へと、トツカが突き出した手が沈む。行き場を失った熱が互いを破壊しながら膨れあがり、増大する熱と光ですべてを溶融させていく。


 均衡はじきに崩れた。

 敵の顔が輝きを失い、黒ずんだ表面にオレンジの火が透ける。ひとたび焦げた金属がはらはらと剥がれると、それに連鎖するように中枢を失った全身が崩れていった。

 冷媒の煙に包まれながら、トツカは腕を引き抜く。

 右腕のケーブルは完全に炭化し、内側のノーメックスの耐熱層もところどころ融けていた。指先をこすり合わせると、グローブの内側でずるりとけた薄皮が感じられた。


 腰の発電機から、耳障りなビープ音が鳴り響く。冷媒が切れたらしい。

 スーツのケーブルが硬さを失っていき、勝手に離れていく。腕の拘束も外れると、関節の外れた左肩がぶら下がった。唐突な激痛にトツカはうめく。

「向こうはどうなって……」

 兵士たちの銃声はまだ続いていた。なかなか終わりそうにない。


 そのとき、空から甲高い音が響いた。

 

 兵士たちが見上げる。トツカも視線を追ったが、直上の空には飛行機雲があるだけだった。

 飛行機雲の先端は今も伸びている。地表からそう離れていない高度だというのに、飛翔する物体は豆粒のように小さかった。

 次の瞬間、飛翔体が急降下する。旋回で速度を落としたのも一瞬で、爆発的な加速とともに音の壁が突き破られ、蒸気錐体ヴェイパーコーンの白い輝きがはっきりと視認できた。

 そいつが弾丸のような速さで接近してくる。


 ソニックブームが広がり、建物の窓ガラスが割れた。

 みどり色の何かが地表をかすめ、通り抜けざまに白い光線を放つ。


 この速度だというのに狙いは驚くほど精確で、兵士たちに囲まれた棄械だけが撃ち抜かれる。

 飛翔体は街を通り抜けるとすぐにスライスバック機動で折り返す。今度は速度を落としての掃射だった。上空から激しいレーザーの弾雨が降り注ぎ、熱湯を当てた雪玉のように棄械の丸々とした輪郭が失われていく。

 ものの数秒で、戦場はクレーターと焦げた金属塊だけになった。


 トツカが口を開けていると、飛翔体が降下してきた。

 外骨格で延長された四肢に、ロケットポッドとレーザーカノンが輝く。

 派手な白とライトグリーンで塗装されたその姿は、一見すると航空機を模しているようだった。しかし可変翼と双発エンジンが囲む機械群の中心に鎮座するのは、簡素な装甲をまとっただけの人間だ。

「グラム……迎撃装備インターセプターか?」

 テレビでしか見たことがない伝説の兵器が、目の前にある。

 姿勢制御スラスターが埋め込まれた肩には『02』と塗装してあった。

 第ゼロ特機小隊、二番機。


「このたびの要請に応えていただき、感謝します」

 兵士のひとりがライフルを下げて敬礼した。残りも続く。

「お構いなく。こちらもちょうど哨戒中でしたもの」

 兵器から鋭角的なデザインのヘルメットが外れた。蒸気が上がり、ウェーブした茶髪がふわりと広がった。

 現れたのは女性の顔だった。二十代といったところだろう。グリーンの瞳はくたびれて細くなっているが、あまり歳を取っているようには見えない。

 

 彼女は地面にばらばらと転がる薬莢を眺めて、鼻を鳴らした。

路傍みちばたの石ころ相手に、ずいぶん苦戦なさったご気色けしきですわね」

「対人ライフルだったのです。ご存知の通り普通科はいつも金欠でしてね」

「金欠? 使うアテのない金子きんすで備えが整うと?」

 女はまた鼻を鳴らした。

「世間では『足らぬ足らぬは工夫が足りぬ』とも申しております」

「では工夫しまして、貴官には御公儀の方に具申してもらいましょうか」

「あらあら。わたくしごとき掌侍ないしのじょうにご無理をおっしゃって」


 女性が固定具を外し、兵器から出てくる。

 ボディアーマーの隙間からは、さっきまでトツカが身に着けていたものと同型の、グリーンのスーツが覗いていた。

 彼女がぐるりと辺りを見渡したとき、トツカと目が合った。それから脱ぎ捨てたスーツの残骸へと視線が流れていく。整った形をした鼻が、大きくひくついていた。

 女性は思いっきり顔をしかめながら、トツカに向かって歩いてきた。裏鉄を仕込んだブーツがガンガンと地面を踏み鳴らす。

「あなたが、あれを?」

 いざ正面で見ると、女性はトツカと同じくらいの背丈だった。灯油のにおいに混じって、高そうな香水のかおりがしている。いくらか化粧もしているようだ。

「あ、はい。すんません?」

 零小隊のグラム二号機――先の戦争では政府の女官が使っていたはずだ。たしか、ハバキとか。

「ハバキ教官でございますか? ムラクモの」

 トツカは敬礼を取った。目に見えてハバキが不機嫌そうになる。

「今は特務中尉としてここにおります」

「ハバキ中尉どの。オレ、トツカ・レイギって言います。今年から推薦で入る……」

「あらそうでしたのー」

 ぴしりとひたいをはじかれた。トツカがうめいていると、ハバキは人差し指を振って言った。


「グリーンウェアで戦うなど自殺行為です。あれの先の装着者さんはご存知?」

「あ、はい……?」

「あなたも将来ある若人わこうどなら、まずは身の程をご了解りょうげなさい。シズさんはいい加減な御仁でしたが、ご無理は神掛けてなさいませんでしたよ?」

「はっ。了解りょうかいです、ハバキちゅ――」

「まあお気の安いこと。ハバキナイシノジョウマロミ特務中尉どのですわ」

 また鼻がひくついていた。

「……それと頭とお尻に上官殿マムくらい付けなさいな端女はした背人せうとが」

「ハシ……何だって? あ、マム。ハバキナイショなんとか――」

 またひたいにデコピンが飛び、トツカは尻もちをつく。

 それを見てハバキは何やら満足した様子で、駐機させた機体へと戻って行く。

 数歩歩いたところで思い出したように振り向くと、気持ち悪いくらいの営業スマイルを浮かべてきた。


「そのお怪我はムラクモ学校で手当てなさって。もし踏み迷いなさるのでしたら、このわたくしが先達せんだつを致しますが」

「ここから北に真っ直ぐ行くだけでしょうが。オレを馬鹿にせんでください!」

 ハバキは一瞬だけ驚いたようだった。それからふっと微笑み、「よろしい」とだけ言って固定具を身体に着けた。

 来た時と同様に、彼女は超音速で帰って行った。

「……道案内って、ウツリ姉さんじゃねぇんだから」

 姉弟子はひどい方向音痴だが、まだトツカは地図が読めるつもりだ。

 しかしあのハバキとかいう女、本当に教官だとしたら、相当に食えない性格だ。学校生活も、これから苦労するかもしれない。


「戦い方はどこで習った?」

 尻もちをついたままトツカが外れた左肩をさすっていると、兵士のひとりが声をかけてきた。

 胸の階級章は大尉だった。歩兵隊長だろう。がっしりした体格をしている。

「まあ。オレくらいの年代のやつって、どいつもテレビでああいうの見てるじゃないですか」

「ヒーロー番組で英才教育か」

義姉あねもORBS使ってたんです。英才教育って言うんですか?」

 さすった腕にはびっしりと針の跡が付いていた。

 スーツのコントロールでは、活動電位を正確に測るために、グリーンウェアからプラチナ製の検針が数センチ間隔で肌に刺される。聞いていたよりは痛くなかったように思う。


「将来有望だな」

 大尉は肩を揺らして言った。

「お世辞ならいらんですよ」

「本気だぞ? 我々はきみに助けられたんだ」

 大尉はヘルメットを取り外していた。敬礼だ。

「あ……どうも」

 どうもばつが悪くて、トツカはひたいの血を拭くフリをして顔を隠す。


 ちょっと横を見ると、ちらほら通行人たちが戻ってきていた。

 その中に、例のシズとかいう女学生も見えた。じっとこちらを見つめたまま身じろぎひとつしない。

「どうよ」

 トツカが親指を立てると、彼女は背を向けて去った。

 恥ずかしかったのか、それとも血まみれの姿で怖がらせてしまったか。

 まあ、人助けなんてこんなもんなのだろう――トツカは肩を落とした。

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