1-3.
――
あまり自分のことを語りたがらない姉弟子だったが、ORBSのことになると
戦時の急造品ゆえ、
「あと四分……」
トツカは腰を落とす。
今しがた殴り飛ばした棄械も、致命傷には至らなかったようだ。破裂した頭部が再生を始めて、新たな感覚器を生やしている。トレンチコートを
先ほど、拳頭が接した瞬間には確かな手応えがあった。
だが腕を振り抜くまでの
打撃で頭部は無理だ。身体を破壊しなければ。
敵の顔がごぼごぼと泡立つ。
「来る――」
トツカが踏みしめると、脚のケーブルが白熱した。放たれた銀弾を半身でかわし、その勢いで地面を転がって射線から外れる。
脚が触れたそばから、
受け身を取り終えると、一足の間合いに敵がいた。相手も気付いたらしく、片足を引こうとしていた。間合いを離される前にトツカは踏み込み、脚で敵を払う。
ケーブルが触れるや、化繊と肉の焼ける悪臭を放ちながら、敵の膝がずぶずぶと崩れていく。熱が股まで食い潰すと、支えを失った胴が地面を転がった。
とどめを刺そうとトツカが
銀色の針が散らばり、四方の空間を埋め尽くす。
「くっ……」
顔は手で覆うことができた。だが、かばい切れなかった腰から胸にかけてにぶい痛みがあった。
たたらを踏むように下がりながら、腹を見る。
損傷はほぼ下腹の全体に及んでいた。ケーブルに刺さった針がどろどろと液体となって滴っている。破壊されたケーブルの被膜からも、空気に触れて酸化した駆動液が漏れ出て止まらない。
戦いで腹をやられたらおしまい――と姉弟子は言っていた。
獣は元来、四つ足で動くものだ。立ち上がって歩くヒトは、
今の一撃は幸いに、わずかに届かなかった。
次は、死ぬ。
「落ち着け」
息を止め、吐く。意識を挟んだ動きをしたことで、少し考える
すでにトツカはふたつ当てた。向こうはひとつ。技量はこちらが
この敵の攻撃は言うなれば、点のようなものだ。
槍と同じと考えればいい。穂先を避ければ硬い柄が手元まで伸びているが、そちらをぶつけたところで滅多に人は死なない。離れて狙われるよりは近付く方が安全ということだ。
動けば次の一撃も当てられるだろう。しかしトツカも有効打があるわけではない。
敵がゆっくりと立ち上がる。
崩れた足を金属が補い、コンパスのような金属針となった爪先が地面を
敵の目を通して見えたトツカは、
やはり、気負けしていた。
さっきから嫌な予感はあった。
こうなった試合では必ず敗北してきた。今もわずかに萎えている。わずかながらでも、負ける気がしている。
――私、守らなきゃ。
ふと女の子の顔が浮かんだ。
身じろぎしたとき、足元で砂利が散った。
その音ではっと我に返る。まばたきをすると、敵の泡立つ顔がはっきりと見えた。ごぼごぼと揺れる表面から針が突き出し、ひとつ、またひとつと尖った切っ先をこちらへと伸ばしてくる。
思うより先に身体が動いた。
妙にゆっくりとした視界の中で、光る針が動点となって軌跡を描く。ひとつの動きを目で追うと、残りも常に等しく加速していると分かった。一瞬後、動点が腕をかすめる。焼けるような痛みが走った。
だが浅い。
次の点をかわし、その次は左腕で受ける。無数の切っ先が頬をかすめ、顔をかばったケーブルの表面もかじり取られる。血しぶきが左目を覆った。肩の関節も衝撃で外れるのが感じられた。
左手が下がったとき、目と鼻の先に敵の顔があった。
この距離になってもなお針を射出している。うち十ほどの先端はトツカの顔を捉えている。
反射的に右手が出た。
巻きついたケーブルが青い閃光を放つ。掌底に触れた針がジュッと勢いを失い、金属の玉となって腕を伝った。
もはや抵抗は無かった。
ぬめった顔面へと、トツカが突き出した手が沈む。行き場を失った熱が互いを破壊しながら膨れあがり、増大する熱と光ですべてを溶融させていく。
均衡はじきに崩れた。
敵の顔が輝きを失い、黒ずんだ表面にオレンジの火が透ける。ひとたび焦げた金属がはらはらと剥がれると、それに連鎖するように中枢を失った全身が崩れていった。
冷媒の煙に包まれながら、トツカは腕を引き抜く。
右腕のケーブルは完全に炭化し、内側のノーメックスの耐熱層もところどころ融けていた。指先をこすり合わせると、グローブの内側でずるりと
腰の発電機から、耳障りなビープ音が鳴り響く。冷媒が切れたらしい。
スーツのケーブルが硬さを失っていき、勝手に離れていく。腕の拘束も外れると、関節の外れた左肩がぶら下がった。唐突な激痛にトツカはうめく。
「向こうはどうなって……」
兵士たちの銃声はまだ続いていた。なかなか終わりそうにない。
そのとき、空から甲高い音が響いた。
兵士たちが見上げる。トツカも視線を追ったが、直上の空には飛行機雲があるだけだった。
飛行機雲の先端は今も伸びている。地表からそう離れていない高度だというのに、飛翔する物体は豆粒のように小さかった。
次の瞬間、飛翔体が急降下する。旋回で速度を落としたのも一瞬で、爆発的な加速とともに音の壁が突き破られ、
そいつが弾丸のような速さで接近してくる。
ソニックブームが広がり、建物の窓ガラスが割れた。
この速度だというのに狙いは驚くほど精確で、兵士たちに囲まれた棄械だけが撃ち抜かれる。
飛翔体は街を通り抜けるとすぐにスライスバック機動で折り返す。今度は速度を落としての掃射だった。上空から激しいレーザーの弾雨が降り注ぎ、熱湯を当てた雪玉のように棄械の丸々とした輪郭が失われていく。
ものの数秒で、戦場はクレーターと焦げた金属塊だけになった。
トツカが口を開けていると、飛翔体が降下してきた。
外骨格で延長された四肢に、ロケットポッドとレーザーカノンが輝く。
派手な白とライトグリーンで塗装されたその姿は、一見すると航空機を模しているようだった。しかし可変翼と双発エンジンが囲む機械群の中心に鎮座するのは、簡素な装甲をまとっただけの人間だ。
「グラム……
テレビでしか見たことがない伝説の兵器が、目の前にある。
姿勢制御スラスターが埋め込まれた肩には『02』と塗装してあった。
第
「このたびの要請に応えていただき、感謝します」
兵士のひとりがライフルを下げて敬礼した。残りも続く。
「お構いなく。こちらもちょうど哨戒中でしたもの」
兵器から鋭角的なデザインのヘルメットが外れた。蒸気が上がり、ウェーブした茶髪がふわりと広がった。
現れたのは女性の顔だった。二十代といったところだろう。グリーンの瞳はくたびれて細くなっているが、あまり歳を取っているようには見えない。
彼女は地面にばらばらと転がる薬莢を眺めて、鼻を鳴らした。
「
「対人ライフルだったのです。ご存知の通り普通科はいつも金欠でしてね」
「金欠? 使うアテのない
女はまた鼻を鳴らした。
「世間では『足らぬ足らぬは工夫が足りぬ』とも申しております」
「では工夫しまして、貴官には御公儀の方に具申してもらいましょうか」
「あらあら。わたくしごとき
女性が固定具を外し、兵器から出てくる。
ボディアーマーの隙間からは、さっきまでトツカが身に着けていたものと同型の、グリーンのスーツが覗いていた。
彼女がぐるりと辺りを見渡したとき、トツカと目が合った。それから脱ぎ捨てたスーツの残骸へと視線が流れていく。整った形をした鼻が、大きくひくついていた。
女性は思いっきり顔をしかめながら、トツカに向かって歩いてきた。裏鉄を仕込んだブーツがガンガンと地面を踏み鳴らす。
「あなたが、あれを?」
いざ正面で見ると、女性はトツカと同じくらいの背丈だった。灯油のにおいに混じって、高そうな香水のかおりがしている。いくらか化粧もしているようだ。
「あ、はい。すんません?」
零小隊のグラム二号機――先の戦争では政府の女官が使っていたはずだ。たしか、ハバキとか。
「ハバキ教官でございますか? ムラクモの」
トツカは敬礼を取った。目に見えてハバキが不機嫌そうになる。
「今は特務中尉としてここにおります」
「ハバキ中尉どの。オレ、トツカ・レイギって言います。今年から推薦で入る……」
「あらそうでしたのー」
ぴしりとひたいをはじかれた。トツカがうめいていると、ハバキは人差し指を振って言った。
「グリーンウェアで戦うなど自殺行為です。あれの先の装着者さんはご存知?」
「あ、はい……?」
「あなたも将来ある
「はっ。
「まあお気の安いこと。ハバキナイシノジョウマロミ特務中尉どのですわ」
また鼻がひくついていた。
「……それと頭とお尻に
「ハシ……何だって? あ、マム。ハバキナイショなんとか――」
またひたいにデコピンが飛び、トツカは尻もちをつく。
それを見てハバキは何やら満足した様子で、駐機させた機体へと戻って行く。
数歩歩いたところで思い出したように振り向くと、気持ち悪いくらいの営業スマイルを浮かべてきた。
「そのお怪我はムラクモ学校で手当てなさって。もし踏み迷いなさるのでしたら、このわたくしが
「ここから北に真っ直ぐ行くだけでしょうが。オレを馬鹿にせんでください!」
ハバキは一瞬だけ驚いたようだった。それからふっと微笑み、「よろしい」とだけ言って固定具を身体に着けた。
来た時と同様に、彼女は超音速で帰って行った。
「……道案内って、ウツリ姉さんじゃねぇんだから」
姉弟子はひどい方向音痴だが、まだトツカは地図が読めるつもりだ。
しかしあのハバキとかいう女、本当に教官だとしたら、相当に食えない性格だ。学校生活も、これから苦労するかもしれない。
「戦い方はどこで習った?」
尻もちをついたままトツカが外れた左肩をさすっていると、兵士のひとりが声をかけてきた。
胸の階級章は大尉だった。歩兵隊長だろう。がっしりした体格をしている。
「まあ。オレくらいの年代のやつって、どいつもテレビでああいうの見てるじゃないですか」
「ヒーロー番組で英才教育か」
「
さすった腕にはびっしりと針の跡が付いていた。
スーツのコントロールでは、活動電位を正確に測るために、グリーンウェアからプラチナ製の検針が数センチ間隔で肌に刺される。聞いていたよりは痛くなかったように思う。
「将来有望だな」
大尉は肩を揺らして言った。
「お世辞ならいらんですよ」
「本気だぞ? 我々はきみに助けられたんだ」
大尉はヘルメットを取り外していた。敬礼だ。
「あ……どうも」
どうもばつが悪くて、トツカはひたいの血を拭くフリをして顔を隠す。
ちょっと横を見ると、ちらほら通行人たちが戻ってきていた。
その中に、例のシズとかいう女学生も見えた。じっとこちらを見つめたまま身じろぎひとつしない。
「どうよ」
トツカが親指を立てると、彼女は背を向けて去った。
恥ずかしかったのか、それとも血まみれの姿で怖がらせてしまったか。
まあ、人助けなんてこんなもんなのだろう――トツカは肩を落とした。
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