1-2.

 初めはただの石ころのようだった。

 どこからともなく飛んでくると、トラックの前に転がってきた。

 朝日を反射して、銀色の表面が光った。

 やがて反射が不規則なパターンに変わり、やがて石ころの表面がごぼごぼと泡立ちだす。


 運転手の顔が青ざめる。

 慌ててステアリングを切った――そのときには、無数の針が運転手を串刺しにしていた。

「あ……」

 トツカの目の前を、スピンしたトラックの荷台がかすめた。

 曲がりながらタイヤが浮き上がり、すぐに傾きが復元力の限界を超え、トラックは横転しながら向かいのビルに突っ込んだ。さっきの女学生が「びっくり」という顔のまま荷台とガレキの影に隠れる。


 トラックが止まると、血まみれになった針がずるりと抜けて、変形した石ころに収まった。

 金属質の光が赤みを帯びて、今度は地面に針を刺していく。

 道路に亀裂が走り、石ころを中心にクモの巣のような模様を広げていく。

棄械スロウンだ!」

 兵員輸送車から兵士たちが下りてきた。フルオートで一斉に発射したライフル弾が、めくれ上がったアスファルトに阻まれる。

 石の輝きはさらに増していく。

 波打つ表面には幾何学模様が浮かび、血管じみたパターンを構成していく。もはやその外見は鉱石というより、湿った心臓のようだった。


 トツカは横倒しになったトラックに駆け寄った。

 粉砕された運転室を避けて、荷台のビルのあいだに身体をねじ込む。摩擦熱とエンジンの余熱で肌が焼けたが、なんとか耐えられるうちにガレキを抜けることができた。

 まだ射撃の音は続いている。

 トツカも棄械のことは聞いていた。暗黒時代の文明が遺した暴走兵器だ。

 実物を見るのは初めてだが、思ったよりも小さく、そしておっかない。


 ビルの中で、例の女学生は割れたガラスの下敷きになっていた。

「おい!」

 抱き起こすと、ぞっとするくらい軽かった。

 だが、軽いということは生きている。硬直した死体は運ぶと重い。

「……あ……」

 薄いまぶたが開き、焦点の合わない瞳がトツカをぼんやりと映した。

「動けるか? 外で棄械スロウンと兵隊が戦ってて」

「棄械……?」

 オレンジの瞳に光が戻った。

 トツカの身体を押しのけると、女学生はスカートをめくった。あらわになった太ももにはホルスターが巻いてあった。護身用には明らかに大きすぎる拳銃が逆さに吊るしてあり、それを引き抜く。


「『グラム』が……私、守らなきゃ……」

 女学生はふらつきながら立ち上がり、すぐに膝をつく。左の内ももに深々とガラスの破片が突き刺さっていた。

 トツカが手を差し伸べると、女学生は首を振った。

「大丈夫。痛いだけ。独りで立てるから……」

「その傷じゃ無理だ」

「あんたまで決めつけないで!」

 女学生はもう一度立とうとした。ガラスの縁を真っ赤な血が伝った。

 舌打ちしてガラスを抜こうとした女学生を、トツカは腕をつかんで止めた。

「動脈が切れてる。それ、抜くと死ぬぞ」

「でも早くしないと! じゃないと……」

「『グラム』って、トラックの中身だよな? オレが行くから!」


 女学生はうつむいた。

 関節が白くなるほど拳銃を握りしめて、やがて歯ぎしりしてトツカに押し付ける。

「ごめん」

 よく聞くと幼い声をしていた。同い年かもしれない。

「後で返す。名前は?」

「……シズ」


 探すと、通り抜けられる穴があった。

 そちらにシズを誘導したあと、トツカは拳銃をあらためた。

 弾倉は無く、代わりにバッテリーとペレットのケースが差してあった。姉弟子がときどきいじっていた軍用モデルと同じだ。

「シズって、まさか苗字じゃねえよな……」


 ビルを出てトラックの後ろに回ると、誰かが荷台の鍵をいじっていた。

 みすぼらしい身なりだった。すり切れたトレンチコートを羽織り、重たそうなブーツをひきずっている。肩が盛り上がっているから、ずいぶん鍛えているらしい。

「おい、そこの人――」

 トツカが声をかけた瞬間、男が振り向く。

 沸いたように濁った瞳をしていた。半開きになった口に、欠けた歯ががたがたと並んでいる。

 その足元に、兵士の死体が転がっていた。

 不意に殺気を感じて、トツカは姿勢を落とす。

 頭のすぐ上を銃弾が飛んで行った。男が持ち上げた手の中で、火薬式の古びた拳銃がにぶく光った。


「おまえ!」

「はずれました」

 男が呟いた。

「はい……はい……申し訳ありません」

 大股でトツカに近寄り、覆いかぶさってくる。呼気から焼けた鉄のにおいがした。

「さっきから何を――」

「はい……ああ……殺すのですね」

 垢と乾いた汗で縞模様になった手が、トツカの首をとらえた。

 気が付いたときには、気道を万力のように締め付けられていた。

「ああ、はい。いま、殺します。はい、申し訳ありません」

 男は変わらず呟き続けている。

 その肩越しに、撃ち続ける兵士たちと、ゆっくりと開いていく荷台のドアが見えた。

 すぐに目がかすみ、耳の奥がぐちゅぐちゅと潰れた音を立て始める。思わず指に力を込めると、パンと乾いた音がした。急に喉が楽になり、流れ込んできた酸素で頭がくらくらした。


 じんわりと腕にしびれが広がっていく。

「撃っちまった……」

 さっき渡された拳銃が煙を上げていた。

 男が後ずさりしていく。発射されたペレットが当たった腹には、大穴がぽっかりと口を開けていた。

 だが、血は一滴も流れていなかった。

 皮膚の下には黒ずんだ塊がうごめいているだけだった。それが仄かに赤い光を帯びて膨張していく。ものの数秒で傷口が埋まり、男はぞっとするような笑みを浮かべた。

「ああ……彼が、そうなのですね」

 ぽきんと音がして、男の目が裏返った。

 白目を突き破るように銀色の液体が漏れて、顔を覆っていく。液体が頭部を包み終えると、無数の半球が浮かんで、ぐるりとトツカの方を向いた。


「人間じゃない!?」

 半球が割れて、針が飛び出した。トツカが飛びのくと、すぐに第二射が足元をとらえてきた。

 まさに後ろで兵士たちが戦っている相手と同じだった。

 しかし棄械が人間に擬態するなんて聞いたことがない。そんな話があるなら、すぐに報道されるはずだ。

 第三射の前にトツカも応射する。

 ペレットが当たると棄械はひるんだように見えたが、恐らく衝撃に身体がよろめいているだけだろう。

 勝てる相手じゃない――ちらりとよぎった考えを、トツカは振り払った。

 兵士たちはもう一体を相手に苦戦している。こいつを向かわせたら確実に皆殺しだ。


 もう一発撃つと、銃のスライドからバッテリーが排出された。

 これで弾切れ。

「くそ!」

 相手が動けない隙に、開いたトラックの荷台に駆け込む。

 ドアを閉めた瞬間、銀色の針がばりばりと扉に穴をあけた。

「ぐ……」

 左肩にひんやりとした感触があり、服の袖がぬめぬめした液体で濡れていく。

 治療する時間はない。荷台の内側からはロックできないから、どうせ追い詰められる。


 ライフルの一挺でもないかと手探りで漁ったとき、床とは別に、固い感触があった。

「……これか」

 ドアの穴から光が差し、金属製のフレームがきらめいた。

 指を這わせていって、そいつに四肢と胴体があると分かった。背中から伸びたコードが床のバッテリーにつながっていて、充電中を示す赤いランプが点滅している。

 武装どころか満足な装甲すら見当たらないが、間違いない。『グラム』だ。


 トツカが屈むと、グラムのランプが青色に変わった。

「あ?」

 耳元で駆動音が響いた――と思ったら何かが腕を握ってきた。

 シリコンのケーブルだった。軟体動物みたいにぐねぐねと脈打っている。

 みちみちと嫌な音がして、グラムの胴体が迫ってくる。

 トツカは声を上げた。その喉をケーブルが締め上げる。

 全身に絡みついたグラムが、神経に電極ピンを刺していく。ボルテージが上がるにつれて駆動音も大きくなっていく。じきにオイル臭のする蒸気が覆い隠して、トラックの荷台が完全に見えなくなった。


 ゆっくりと荷台の扉が開く。

 棄械の男がふらりと現れた。複眼がばらばらに動き回り、中の暗闇を走査していく。

 やがて、は人影を見つけた。考えるより先に針が伸び、熱源を壁に縫いつけようとする。

 攻撃は空を切った。

 熱源が大きくなる。

 回避しようとした矢先、カーバイド製の手甲ガントレットが顔面にめり込んだ。

 衝撃波が空気を揺らした。


 吹き飛びながら、それは壊れゆく視覚器官で少年の姿をとらえた。


「はあ……はあ……」

 むき出しのグリーンのチューブに包まれた身体。

 最低限の装甲に包まれた各部にはラジエータグリルが口を開け、絶えず冷媒を吐き出している。

 カチカチとこぶしが開き、少年の呼吸に合わせて伝達ケーブルが大きく膨らむ。

 ぼたぼたと血がしたたって、地面に小さな水たまりを作った。

「懐かしいだろ……?」

 ああ、とそれは声にならない声で同意する。

 最強の矛にして盾。人類が棄械に対抗するため生み出した、最後の兵器。


 ――汎即応性戦闘装甲外殻ORBS、開発コード『グラム』

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