リーサル・エジュケーション
平沼 辰流
第1章 ニック・チョッパーの告白
1-1. 上京
初めて来たときはさびれた駅だと思った。今になっても似たようなものだ。
夜行列車を降りると、しっとりと重たい街の夜気が膚(はだえ)を包んだ。
相変わらずタイル張りの床は割れたまま放置されていた。三つある自販機は真ん中だけ蹴り壊されており、残りふたつにも品切れのテープが貼ってあった。
見上げると、蛾が有機ELの照明に突撃を繰り返していた。すでに照明の下には死骸がいくつも重なっている。照明のソケットにもずいぶんと汚れが溜まっているから、あのまま切れたとしても交換する人間はいない。
「あんた、ムラクモの生徒さんかい?」
「……ん?」
いつの間にか、すぐ隣に男が立っていた。
呼気からは酒とマリファナの混じった臭いがした。浮浪者かと思ったが、服装からすると駅員らしい。そこだけよく磨かれたネームプレートに
男は酒でしわがれた声で言った。
「サイガワラで降りるお
「オレ、田舎っぽく見えるですかね?」
「さあな……だが慣れない敬語はそうだな、ここいらじゃ見かけない」
む、と思わずうなった。
「チバからです。道場の推薦ってやつですよ」
少年は自嘲ぎみに言って、背負った木刀袋を揺らした。
「だろうな」
「ムラクモの生徒も、よくここに?」
「いや。教官がたまにって程度だ。寮制なんだが、買い出しは売店があるそうでな」
駅員はそう言って、スキットルを取り出した。
ひどく古びたスキットルだった。官給品らしく角が立っていて、強く握ると指が切れそうだ。
「あなたも従軍経験が?」
「まあ本部の総務課だがね。ひげの剃り方ひとつ知らないような部署さ……」
「オレの姉弟子は
「学徒兵か」
駅員はスキットルを下ろして、さらに酒臭くなった息を吐いた。
「ムラクモ学校は降りて南の大通りをまっすぐだ。南北は分かるな?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「喉が渇いていたら、そこの自販機にな?」
駅員は何かを蹴るような仕草をすると、現れたときと同じように、音もなく去っていった。
彼の姿が見えなくなったところで、少年はひとつ空咳をうった。
都会もまだまだ捨てたもんじゃない。
横目で自販機を見る。まだ壊れていないふたつも、何度か蹴られた跡があった。見たところ、
「……喉、か」
取り出し口を開くと、中に炭酸飲料が1本入っていた。
まだ冷たいそれをカバンに入れて、少年は歩き出す。田舎者にしては、上手く付き合えた気がした。
初日にしてはなかなか悪くない。
―――★
昔もトウキョウという名前の別の町があって、やはり日本国の首都をやっていたらしい。
らしい――と言うしかない。裏付けるための記録は失われた。
人類史に200年ばかりの空白期間があって、そのあいだに人類の文明は大きく停滞したのは確かだが、それだけで何も分からない。
錆びた鉄のような朝焼けが空に広がり、今日も世界は回っていく。
「息が詰まるな……」
少年は駅前のホテルで一夜を明かし、今は朝食を求めて街を歩いていた。
計画的に開発されたダウンタウンには、直方体の建物がぎゅうぎゅうと並んでいた。看板や外壁の色でアレンジしていても、規格化された箱が並ぶ風景はどこか色あせて見えた。
街角に知っている
モーニングには少し遅い時間ということもあり、店員はアルバイトの冴えない男がレジ打ちをしているだけだった。
店主は午後の仕込みをやっている最中らしく、厨房からの煙に乗って、玉ねぎの甘い香りが漂ってきていた。以前、ここのオニオンサンドは絶品だと紹介されたのを思い出す。今日は注文してもいいかもしれない。
カウンターは近くの大学の学生で満杯になっていた。
ボックス席も有閑マダムや商談中のサラリーマンで埋まっていたが、奥にぽつんと、女学生がひとりで座っているテーブルがあった。
「すみません、今は満席でして」
バイトの男が頭を下げてきた。構わず少年は奥の席をさした。
「相席でもダメですか?」
「さあ……」
この男、あまり接客慣れしている人間には見えない。
少年は女学生の席へと歩いていった。隣に立ち、声をかける前に荷物がどいた。
「ん。大丈夫」
女学生は顔も上げずに言った。
少年がオニオンサンドとコーヒーを頼むあいだ、女学生はずっとメモ帳と格闘していた。
思ったより背が高い。黒い髪にも艶があり、いい生活をしてそうだった。
テーブルを半分ほど埋めるようにコピー用紙が広げてあった。紙には同心円状に広がる波線と、四角形の記号が書いてある。
「コーヒー、飲んでいいか?」
店員が持ってきたマグを片手に、少年は尋ねた。
女学生が顔を上げる。ぱっつりと切り揃えた前髪が揺れて、明るいオレンジの瞳がこちらを見る。
「なんで?」
「いや、運ばれてきたから……」
「じゃなくて、私に訊いた理由」
「勉強中だろ? オレ、不器用だからこぼすかもしれねえし」
女学生は面倒そうにコピー用紙をたぐり寄せた。
「兵棋か?」
「ん」
鼻を鳴らされた。たぶん、同意だろう。
「オレも来週からムラクモに入るんだけど、それ、制服だよな?」
紺色のブレザーは丁寧にアイロンがけしてあった。プリーツスカートと合わせてあって、少し古くさい。
「だったら、なに」
「初日から同じ学校の人に会えるって嬉しくね? べつに狙ってたとかじゃねえけど、ほら……あ、名前まだだった。チバから来たんだ」
「トツカ・レイギ、でしょ」
女学生は息を吐いて、地形図とメモ帳をカバンにしまった。
「え……」
トツカはまばたきをした。女学生は立ち上がり、店員のところまで行くと、紙幣を置いて店を出た。
店員はレジを打つとき変な顔をしていた。
もういちど紙幣を数え直して、やはり首を傾げ、トツカに駆け寄ってくる。
「お客様、お勘定はさきほどの方とご一緒でよろしかったでしょうか」
「は?」
見せられた紙幣は、トツカが注文した分も入っていた。
どうも
「よく来るのか、カノジョ?」
レシートをもらいながら、トツカは窓の外を見た。
軍用のトラックが信号で止まっていた。隣に護衛の兵員輸送車がいるのを見るに、ただの積み荷というわけじゃないようだ。
もうちょっと探すと、向かいの通りにさっきの女学生を見つけた。
「いえ。しかし戦勝2周年ですから」
「ああ、パレードね……あのトラックも中身は『グラム』だったり?」
「それはどうでしょう。まあ、かもしれませんね」
店員はそう言うと、カシャカシャと食器を集めだした。
今いる客からのオーダーはひと通り
相変わらず女学生は動かずに腕時計を見ていた。
時計も彼女の格好に負けないくらい古ぼけた代物に見えた。バンドがすり切れて白くなっている。
ちょうど信号機が青になり、トラックが進み始めた。
予定を思い出したらしく、女学生も歩き始めた。その姿が路地裏に消える前に、トツカは喫茶店を出た。
「おい、さっきの人!」
爆発があったのは、その直後だった。
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