リーサル・エジュケーション

平沼 辰流

第1章 ニック・チョッパーの告白

1-1. 上京

 初めて来たときはさびれた駅だと思った。今になっても似たようなものだ。


 統京トウキョウに来たのはこれで五回目。

 夜行列車を降りると、しっとりと重たい街の夜気が膚(はだえ)を包んだ。

 崔瓦サイガワラ駅は姉弟子の付き添いで来たっきりだったが、そう変わったようには見えない。

 相変わらずタイル張りの床は割れたまま放置されていた。三つある自販機は真ん中だけ蹴り壊されており、残りふたつにも品切れのテープが貼ってあった。

 見上げると、蛾が有機ELの照明に突撃を繰り返していた。すでに照明の下には死骸がいくつも重なっている。照明のソケットにもずいぶんと汚れが溜まっているから、あのまま切れたとしても交換する人間はいない。


「あんた、ムラクモの生徒さんかい?」

「……ん?」


 いつの間にか、すぐ隣に男が立っていた。

 呼気からは酒とマリファナの混じった臭いがした。浮浪者かと思ったが、服装からすると駅員らしい。そこだけよく磨かれたネームプレートに埜摺ヤスリという名前が光っていた。

 男は酒でしわがれた声で言った。


「サイガワラで降りるおのぼりさんは書生と決まっているのでな」

「オレ、田舎っぽく見えるですかね?」

「さあな……だが慣れない敬語はそうだな、ここいらじゃ見かけない」

 む、と思わずうなった。

 茅場チバの片田舎ではどこに行っても向こう三軒両隣といった具合で、だいたいタメ口で通じていた。言葉遣いは身内に仕込まれたものだが、やはり実践するとなると難しいものがある。


「チバからです。道場の推薦ってやつですよ」

 少年は自嘲ぎみに言って、背負った木刀袋を揺らした。

「だろうな」

「ムラクモの生徒も、よくここに?」

「いや。教官がたまにって程度だ。寮制なんだが、買い出しは売店があるそうでな」

 駅員はそう言って、スキットルを取り出した。

 ひどく古びたスキットルだった。官給品らしく角が立っていて、強く握ると指が切れそうだ。

「あなたも従軍経験が?」

「まあ本部の総務課だがね。ひげの剃り方ひとつ知らないような部署さ……」

「オレの姉弟子は特機とっき歩兵だったと聞いてます」

「学徒兵か」

 駅員はスキットルを下ろして、さらに酒臭くなった息を吐いた。


「ムラクモ学校は降りて南の大通りをまっすぐだ。南北は分かるな?」

「あ、はい。ありがとうございました」

「喉が渇いていたら、そこの自販機にな?」

 駅員は何かを蹴るような仕草をすると、現れたときと同じように、音もなく去っていった。

 彼の姿が見えなくなったところで、少年はひとつ空咳をうった。

 都会もまだまだ捨てたもんじゃない。

 横目で自販機を見る。まだ壊れていないふたつも、何度か蹴られた跡があった。見たところ、裏鉄うらがねを仕込んだブーツでやっている。軍用のものだ。


「……喉、か」

 取り出し口を開くと、中に炭酸飲料が1本入っていた。

 まだ冷たいそれをカバンに入れて、少年は歩き出す。田舎者にしては、上手く付き合えた気がした。

 初日にしてはなかなか悪くない。


―――★


 昔もトウキョウという名前の別の町があって、やはり日本国の首都をやっていたらしい。

 らしい――と言うしかない。裏付けるための記録は失われた。


 棄械スロウンのせいだと言う人もいるし、データの消失が原因で棄械が現れたのだ、と分析する学者もいる。

 人類史に200年ばかりの空白期間があって、そのあいだに人類の文明は大きく停滞したのは確かだが、それだけで何も分からない。


 錆びた鉄のような朝焼けが空に広がり、今日も世界は回っていく。


「息が詰まるな……」

 少年は駅前のホテルで一夜を明かし、今は朝食を求めて街を歩いていた。

 計画的に開発されたダウンタウンには、直方体の建物がぎゅうぎゅうと並んでいた。看板や外壁の色でアレンジしていても、規格化された箱が並ぶ風景はどこか色あせて見えた。


 街角に知っている喫茶店カフェーを見つけたので、少年はドアノブを引いた。

 モーニングには少し遅い時間ということもあり、店員はアルバイトの冴えない男がレジ打ちをしているだけだった。

 店主は午後の仕込みをやっている最中らしく、厨房からの煙に乗って、玉ねぎの甘い香りが漂ってきていた。以前、ここのオニオンサンドは絶品だと紹介されたのを思い出す。今日は注文してもいいかもしれない。


 カウンターは近くの大学の学生で満杯になっていた。

 ボックス席も有閑マダムや商談中のサラリーマンで埋まっていたが、奥にぽつんと、女学生がひとりで座っているテーブルがあった。

「すみません、今は満席でして」

 バイトの男が頭を下げてきた。構わず少年は奥の席をさした。

「相席でもダメですか?」

「さあ……」

 この男、あまり接客慣れしている人間には見えない。

 少年は女学生の席へと歩いていった。隣に立ち、声をかける前に荷物がどいた。

「ん。大丈夫」

 女学生は顔も上げずに言った。


 少年がオニオンサンドとコーヒーを頼むあいだ、女学生はずっとメモ帳と格闘していた。

 思ったより背が高い。黒い髪にも艶があり、いい生活をしてそうだった。

 テーブルを半分ほど埋めるようにコピー用紙が広げてあった。紙には同心円状に広がる波線と、四角形の記号が書いてある。

「コーヒー、飲んでいいか?」

 店員が持ってきたマグを片手に、少年は尋ねた。

 女学生が顔を上げる。ぱっつりと切り揃えた前髪が揺れて、明るいオレンジの瞳がこちらを見る。

「なんで?」

「いや、運ばれてきたから……」

「じゃなくて、私に訊いた理由」

「勉強中だろ? オレ、不器用だからこぼすかもしれねえし」

 女学生は面倒そうにコピー用紙をたぐり寄せた。

「兵棋か?」

「ん」

 鼻を鳴らされた。たぶん、同意だろう。


「オレも来週からムラクモに入るんだけど、それ、制服だよな?」

 紺色のブレザーは丁寧にアイロンがけしてあった。プリーツスカートと合わせてあって、少し古くさい。

「だったら、なに」

「初日から同じ学校の人に会えるって嬉しくね? べつに狙ってたとかじゃねえけど、ほら……あ、名前まだだった。チバから来たんだ」

「トツカ・レイギ、でしょ」

 女学生は息を吐いて、地形図とメモ帳をカバンにしまった。

 

「え……」

 トツカはまばたきをした。女学生は立ち上がり、店員のところまで行くと、紙幣を置いて店を出た。

 店員はレジを打つとき変な顔をしていた。

 もういちど紙幣を数え直して、やはり首を傾げ、トツカに駆け寄ってくる。

「お客様、お勘定はさきほどの方とご一緒でよろしかったでしょうか」

「は?」

 見せられた紙幣は、トツカが注文した分も入っていた。

 どうもおごられてしまったらしい。


「よく来るのか、カノジョ?」

 レシートをもらいながら、トツカは窓の外を見た。

 軍用のトラックが信号で止まっていた。隣に護衛の兵員輸送車がいるのを見るに、ただの積み荷というわけじゃないようだ。

 もうちょっと探すと、向かいの通りにさっきの女学生を見つけた。

「いえ。しかし戦勝2周年ですから」

「ああ、パレードね……あのトラックも中身は『グラム』だったり?」

「それはどうでしょう。まあ、かもしれませんね」

 店員はそう言うと、カシャカシャと食器を集めだした。

 今いる客からのオーダーはひと通りけて、新しい客が来る様子もない。店員としては、レジと食洗器を往復するだけの、いちばん暇な時間だ。


 相変わらず女学生は動かずに腕時計を見ていた。

 時計も彼女の格好に負けないくらい古ぼけた代物に見えた。バンドがすり切れて白くなっている。

 ちょうど信号機が青になり、トラックが進み始めた。

 予定を思い出したらしく、女学生も歩き始めた。その姿が路地裏に消える前に、トツカは喫茶店を出た。

「おい、さっきの人!」


 爆発があったのは、その直後だった。

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