127 渦
巨大な惑星規模の土地に広がる、一つの国が滅びようとしていた。
聖神帝の領土。彼が趣味に走り、大切に、だが自分の美意識だけで作り上げた、最高の箱庭。
捲れ上がった大地などは渦の中で粉々となり、全ての物質が塵と化していく。
根幹世界という物理法則の違う世界でも、それだけのことが起きれば遠くまで影響がある。
ネアースにおいてもその動向は残っていたカメラから送られたし、その地に残った神竜から、映像も音声も送られてきていた。
竜巻で建物が吹き上げられる映像などがあるが、それらは全て最初の数秒を流して消えてしまった。残るのは首脳部が集まった司令室に送られる、神竜からのもののみである。
「これはひどい……」
ナルサスが思わず呟く。これに比べたら核爆発の方がよほど、現実味があるというものだ。
「大崩壊の時ほどではありませんが……あの時も似たような感じでしたね」
フェルナの記憶に残る、3200年前の戦いの記憶。肝心なときに妊娠していて加われなかった戦争は、世界を――地球型惑星を丸ごと破壊するものであった。
地表を爆風が襲い、建造物も生命も、全てが消えていく。その中で神々との戦いが行われたのだ。
惑星が崩壊し、その衝撃からネアースを守るため、暗黒竜バルスは消滅した。
そして今、それにも優る破壊が繰り返される中、太古より存在した神竜の二柱が消滅しようとしている。
神帝たちの戦いのエネルギーが、一定の空間に溜まっていく。
事前に知らされていた通りの現象だ。そして規模は小さいが、これと同じ事を、かつてラナはやったことがある。
即ち、異世界との接続だ。
あと数分。それで根幹世界は変わる。
そしてネアースも変わっていくだろう。良くも悪くも、大きく。
知らず知らずのうちに、フェルナは祈るように手を組んでいた。
戦闘は佳境に入っていた。
神帝たちの戦闘は、自分の派閥以外を全て敵と見なしていたため、要領よく立ち回って時間を稼ぐ、ジンの配下たちの動きに気付いていない。
(このままではまずい)
そう思ったのは神帝の中では頭脳派である、魔神帝であった。
女であるという他の神帝にはない特徴ゆえか、性格的に彼女は戦闘狂の面を一番薄く持っていた。
闘神帝の暴走。始まりはそれだったが、それを引き起こしたのは誰だ?
ネアースと言う世界の者たちだ。そしてそれらは、あの邪神帝ジンと繋がっている。
ジンという存在のことを、魔神帝は全く理解出来ない。
強大な戦闘力を持っているのは知っている。おそろしく長命であるらしいことも証明されている。
しかしその出生や、強さを身につけていった過程が謎である。
そしてそれより分かっていないのは、何を目的としているかだ。
神帝は大概、権力欲を持っている。
あるいは自己実現欲求や承認欲求という類似のものであるが、邪神帝にはそれがあるように見えない。
生身の人間……あるいは知的生命体として、あまりに異質なのだ。
あの男が何を目的としているのか、魔神帝は何度か考えたことがある。
しかし結局は結論に至らず、他のことに注意が向かうという経験を何度もしていた。
しかし今回邪神帝は、前線に出てきている。普段は滅多に使わない配下も、おそらくほぼ全員を出している。
この舞台があの男にとって必要不可欠なのだと、その事実が示している。
何を考えているのか。後衛の立場から戦場全体、つまりは聖神帝の領土を観察していた魔神帝は、最も早くそれに気付いた。
「……なんだ?」
空間の歪みがはっきりと見えている。
そしておそらく、そこは時間の流れも歪んでいる。
そしてそれに気付いたとき、全ては既に手遅れであった。
それがはっきりと見えるようになってから、戦場の目は全てそちらに向いた。
そしてほとんどの者の反応は、意味不明のものを見たというものであり、ごく少数の、つまりネアース由来の者は、久しぶりに見るそれに、動揺を隠せなかった。
天にも大地があり、小さな太陽が昇り降りする、捻じれたこの根幹世界。
そこに渦のように出現したそれは、星空であった。
ネアースに生きた者は、当然それを知っている。
だが根幹世界に生きた者は、それを知らない。
そして地球に生まれて死に、ネアースに転生した者も、当然それを知っている。
「この星座……北半球? でも星座の位置がかなり違う」
セリナが歪みの中の宇宙に気付いたのと同時に、その真空は全てを飲み込み始めた。
転移で逃れようとした者もいたが、その転移の発動する魔力さえ飲み込まれる。まるで大きな渦のような暗黒だ。
この事態を想定して、この事態専用に転移魔法を調整していた者しか、ここから逃れることは出来ない。
それは強大な神帝でさえ同じ事で、転移魔法を調整していた大賢者は、ネアースの人間をどんどんとネアース方面へ転移させていく。
「こんな訳の分からん門が!」
力尽くで渦を破壊しようとした鬼神帝だが、その渦はしっかりと根幹世界に固定されている。
その固定の役目こそ、神竜に任されたものだった。
強大な、惑星すら砕く力を持つ神帝や神王たちが、その渦の力の前には何も抵抗できず、ただ飲み込まれていく。
聖神帝の土地の生物は、ほぼ全滅だろう。不条理なほどの生命力を持つ神々と違って、ほとんどの生命体は酸素を、あるいは大気を必要としているのだ。
星空の中に小さく青い惑星が見えているが、そこまで至っても、ほとんどの生物は生きられないだろう。
セリナが見た星座の微妙な違い。それはつまり、時間が地球人類の生存している時代と異なることを示している。
大気の組成が少し違うだけで、普通の人間は死んでしまう。おそらく相当生命力に関する祝福や技能を持っている者以外は全滅だろう。
邪神帝ジンが提案し、そして神竜の協力を得た作戦。
それは神帝たちの多くをまとめて、地球型異世界の古代に追放してしまうというものだった。
闘神帝の予想通りの暴走。ジンの持つ戦力の全ての投下。そしてネアース世界の神竜の協力により、これが成立した。
既に力の弱い神将級の者はほとんど、渦の先の異世界の宇宙空間に吸い込まれている。
魔神帝のように観察力に優れた者は、己の配下の生存を最優先させ、戦闘を終了させてこの状況からの離脱を計っていた。
だが転移魔法が安定しない。この現象を予測していた神竜や大賢者と違い、戦闘に偏った力を持つ神帝たちは、この状況からの脱出が出来ない。
それでも数人の転移魔法に特化した者は離脱したようだが、少なくとも神帝は全員絡め取った。
精霊王シルフィに足止めされていた魔神帝もその一人である。
強大な力と生命力を持つ神帝たち。
彼らがほとんど覚えない、恐怖という感情を味わっている。
未知の事態への恐怖。それでも頭脳派の魔神帝は、発見した異世界の転生者の情報などを思い出し、事態をおおよそ把握していたのだが。
「くそっ! 邪魔だ!」
シルフィの精霊術は、魔法とは力の根源が異なる。そして世界に空いた穴から、通常は生じない自然現象の攻撃を引っ張ってくる。
結果魔神帝も、抵抗できずに渦に飲み込まれていく。対応しているシルフィが抵抗せずに攻撃に専念しているので、最も魔法に卓越した彼女であっても、ここから逃れることは出来ないのだ。
ネアース軍の作戦は、ほぼ完全に成功しつつあった。
「おのれ! 罠だったか!」
狂ったように形相を変えて叫ぶ鬼神帝だが、相手をするセリナは安堵すると共に、呆れてもいた。
戦争では罠にはまる方が悪い。戦闘力ゆえの傲慢さからか、神帝は力押しの戦闘しかしない。
そしてこのままでは自分も渦に吸い込まれるな、とセリナが考えた時、隣に転移してきた者がいる。
大賢者サージ。時空魔法の傑出した使い手であり、この策の要となった男。
「君で最後だ。馬鹿な脳筋はほぼ片付いた。運が良かった者は、これから片付けていこう」
セリナはそれに応えず、鬼神帝が渦に吸い込まれていくのを見ていた。
「戦いたかったのかな?」
「いえ、馬鹿だなあ、と」
切欠が闘神帝の暴走だったとは言え、なぜ神帝たちはあの状況から一人も逃げ出そうとしなかったのか。
それは神帝という存在があまりにも強大であるがための、自信過剰に寄る。
慎重な魔神帝や、漁夫の利を狙った鬼神帝ですらそうであった。例外はこの事態を画策した邪神帝ジンだけである。
神帝たちもそこに至るまでは弱い時期もあったのだろうが、いざ力を得てしまうと、何事も大味な思考になってしまう。
そもそも根幹世界は、他の世界が融合することはあっても、ここから他の世界に移動するということは滅多にない。
ネアースと接触していた間も、せいぜいが偵察程度の侵攻であった。
よもや敗北することはないだろうという意識があったため、勝利ではなく追放を目的としたネアース側の考えに至らなかった。
「名付けて、ブラックホール爆弾作戦」
「あ、それってアニメの……」
「古い作品だけど、よく知ってるねえ」
「友達がオススメしてたもので」
サージとセリナはそんな会話をしながら、戦場であった場所を見ていた。
戦闘の痕跡ごと、世界が歪んで吸い込まれていく。それでも鬼神帝はぎりぎりのところで踏ん張ろうとしているようだが。
「では、お約束通り」
セリナは物理魔法で加速し、鬼神帝に向かう。
「スーパーイナズマキック!」
衝撃としてはわずかなものだったのだろうが、それが鬼神帝の限界を超えさせた。
罵りながらあちらの世界に飲み込まれていく鬼神帝を見ながら、セリナは笑った。
「グッバイ、アディオス、さようなら~」
そして鬼神帝は、根幹世界から消えた。
「ところであちらの世界は地球型みたいだったようですけど、迷惑になりませんか?」
神帝の一撃は惑星を砕く。そんなレベルの存在が複数追放されてくるなら、あの地球の人間には大迷惑だろうが。
「大丈夫。ちゃんと条件は選んだ。あの地球、だいたい6500万年前だから」
サージの答えにセリナは動きを止める。
「……恐竜の絶滅の原因ですか」
「そうなるかもねえ」
サージは呑気に考えていた。知的生命体が存在する前の段階なので、あまり罪悪感はない。それでも破壊するような戦闘をしたら、それは神帝たちの責任だろう。
そもそもこれは、邪神帝からの依頼でもあったのだ。人間が既に存在する時代の地球への追放は、彼の計画には不適格だったらしい。
「感謝する、大賢者サジタリウス」
キックで鬼神帝を蹴飛ばしたセリナの襟をつかんだサージの前に、邪神帝が現れる。
その背後にはシルフィが付き従っていて、二人の一言では言えない絆を感じさせた。
「おそらくこれで、二度と会うことはないだろう」
「謝礼はもう貰っているから、ギブ&テイクってもんだよ」
少し微笑んだ邪神帝は、渦に向かって飛んで行く。
おそらくこれからはまだ、彼の物語は続いていくのだろう。
「じゃあ、帰ろうか。ネアースへ」
サージの転移で、セリナはネアース領地へと転移する。
そこには彼女の仲間や、暗黒竜レイアナなどが揃っていた。
これほど離れた位置からでも、根幹世界の異常は肉眼で見える。
「終わったか……」
珍しくも心底疲れた口調で、レイアナが吐息をついた。
かくして根幹世界史上、例を見ない戦闘は終了した。
後にこの戦いは神帝大戦と呼ばれるようになるが、それはまだまだ後の話であった。
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