126 5分間

 鬼神帝の最初の攻撃は、単純で圧倒的なものであった。

 鉤爪すら使わず。ただ超スピードで接近し、セリナに殴りかかったのだ。

 山をも砕く破壊力で。



 セリナはそれを、最初は刀で切断しようとして、致死感知によって慌てて回避した。

 音速を三倍ほど突破した拳のスピードで衝撃波がセリナを襲ったが、その程度ならば魔力による鎧と神竜の鱗は貫けない。

「ほう?」

 鬼神帝は唇を微笑の形に歪めたが、表情全体は弱者を弄ぶ驕りに満ちていた。

「美しい娘よ。その皮膚の下に、どれだけ熱い血が流れているのだろうね。それを手に入れるのが、今から楽しみだよ」

 吸血鬼らしいことを言いながら、鬼神帝は鉤爪を伸ばした。



 鉤爪の強度は、ミラの場合であるとミスリル以上アダマンタイト未満である。だがそれは魔力による強化でどうにでもなる。個体によっては、あるいはオリハルコンを超え、神竜の牙をも超えるかもしれない。

 鬼神帝の鉤爪を刀で受けようとした瞬間、致死感知がそれまで以上に大きくなる。

「くっ!」

 無理に体勢を変えて、鉤爪を受け流す。セリナの魔力をあっさりと切り裂き、刀身に接触した鉤爪は、どうにか受け流すことが出来た。

 だが今ので確信した。まともに打ち合えば、砕けるのは神竜の牙の方だ。

(強い!)

 一瞬の間に牽制すべく、プルとライザが魔法と精霊術で攻撃していたが、それらは鬼神帝が軽く張った魔法の結界で弾かれていた。



 理不尽なほどの魔力量と出力は神竜以上。そしてある程度の戦闘技術。

 神竜に比べると、おそらく実戦経験ははるかに豊富だろう。あと数十年修行したら追いつける気がするが、今この場では間違いなく勝てない相手だ。

『超加速・身体強化・天元突破・超越』

 魔法を全て強化に回す。攻撃しても全く効果はないであろう。

 だからとにかく、約束された5分間を粘るしかない。

『ごめん、もうあと1分ほど頑張って』

 ジンからの念話で、心が折れそうになったが。







 さて、時間を稼ぐ戦いの場合、防御に徹するのは正解だろうか?

 ハズレである。相手からしたら防御力も大して無い相手を、ひたすら攻撃するだけの簡単なお仕事になるからだ。防御力を相手の力が上回っていれば、それでおしまいである。

 正解はひたすらの攻撃。ダメージを与えることが重要なのではなく、余裕をもって防がせることが目的なのだ。

 攻撃を繰り返しても全く無駄であると知れば、いつかは心が折れる。

 だがそれは純粋な戦闘の場合だけで、時間を稼げばいいだけならある程度の余裕はあるのだ。

 某マンガのように「悟空早く来てくれー!」などという精神状態にはならない。



 だがそれにしても、5分間とは――今では6分間だが、この時間は長い。

 体感時間を引き延ばしているので、余計に辛い。だが加速をやめれば、一瞬で致命傷を負うことになる。

 どこまで相手を飽きさせずに攻撃し続けるか。セリナの刀だけではなく、プルとライザの遠距離攻撃も加わっているのだが、煉獄の炎に焼かれても、鬼神帝のガードは開かない。

 ひたすら強い。さすが時間切れが勝利条件の、イベントボスである。



 必死に刀を振るセリナであるが、本来は隙ですらない一瞬の刹那に、鬼神帝は攻撃をしかけてくる。

 それを防ごうとはせずに、セリナは一撃で殺される攻撃以外は無視していた。

 なぜなら生きてさえいれば、仲間が治癒してくれるからだ。

『瞬間再生』

 生きてさえいればどれだけの重傷からも一瞬で完全な状態に戻る、治癒の神の力を持つセラ。

『瞬間回復』

 血を失ったことや肉体の再生に使った部分を、これまた一瞬で回復させる。

「ほう?」

 鬼神帝の注意がセラに向けられる。パーティーで戦う場合、盾職か回復役を最初に潰すのは定跡だ。



 鬼神帝がセリナも追いつけない速度でセラの前に移動する。圧倒的な強者を前にしても、セラの表情は変わらない。

「お前が最初だ」

 鬼神帝の貫手が、セラの心臓を貫いた。



 鬼神帝の背中に向かって、セリナは刀を叩きつける。わずかに結界を貫き、その肉体を傷つけた。

 この敵は不死身ではないし、完全無欠でもない。今まで戦った中では最強の敵だが、状況がいくらでも味方をしてくれる。

「あなたの相手は私です」

「お前如きがか?」

 向き直った鬼神帝だが、その背中越しに、セラが自分の肉体を一瞬で再生しているのが見えた。

 セリナたちの有利な点まず一つ、鬼神帝はセラの治癒能力をまだ甘く見ている。



 セリナを一応は警戒しているのか、鬼神帝の攻撃はこちらを探るようなものだった。それでも攻撃の度に防具は切り裂かれ、いくつかは致命傷が与えられる。

 だがある瞬間を境に、それが通らなくなった。

 鬼神帝の鉤爪で引き裂かれたはずの部分。そこに銀色に輝く竜の鱗が現れていた。

 神竜の力が解放されつつある。この土壇場に来て、致命傷を受けつつ回復するのを繰り返し、肉体がさらに強靭な肉体を求めている。

「ダメージを受けたら強化されるということか。だが、一撃で心臓を貫かれても、生きていられるものかな?」

 鬼神帝はまだセリナを甘く見ている。だがそれでも、圧倒的な力量の差は埋まるわけではない。



 接近され、数合の打ち合いの後に、竜鱗を砕いてセリナの心臓を貫く。

 だがそれと同時に、セリナの刀も鬼神帝の首を切り裂こうと動いていた。

 わずかに深い傷を与えたが、鬼神帝も高い治癒力で、その傷を見る間にふさぐ。

 そして鉤爪で心臓を破壊されたはずのセリナも、肺から上ってきた血を吐くと、鬼神帝に刀を向ける。

「吸血鬼並に再生能力が上がっているのか? しかも上位種に」

 鬼神帝はまだのんびりと分析しているが、実のところそれに加えて、セラの再生魔法がかかっているのだ。



 死闘の中で、圧倒されダメージを負いつつも、セリナの力は上がっていく。

 竜の血脈が発現していっているのだ。おかげで鬼神帝はセリナがまだ実力を隠していたと勘違いし、少しばかり慎重になっている。

 それはありがたいことだ。セリナたちの役目は時間稼ぎなので。

 だがそれもいつまで続くのか。セリナは再度攻勢に出る。考えてもらっている時間は貴重だ。

 短時間に強化されたことの無理により、セリナの肉体は悲鳴を挙げている。だがセラの治癒や回復が地味に大きな役割を果たしてくれている。

 戦闘は様子見――鬼神帝にとってはだが――のまま、膠着状態が続いていく。







 水竜ラナと風竜テルー。

 ネアースにおいて最も長い時を過ごしてきた二柱の神竜は、己の存在の終焉が近づいていることを感じていた。

 神竜としての権能を発揮し、ネアースであった土地を守る。それが二柱の最後の仕事になる。

 そして最後のきっかけを作る大賢者サージも、もうあとは舞台が整うのを待っているだけだ。



 長かった。

 ネアースの管理者として、長い時を生きてきた。いや、存在してきた。

 元々精神構造が他の生物とは違うため、永久にも近い時間を過ごすのは苦ではなかった。それでも時折思ったものだ。

 何時まで続くのだろうと。

 神竜は意思がないわけではないのだ。この理不尽なまでに長い生に、意味を求めたくなったこともままある。



 それが満たされたのは、まず最初の大崩壊。

 火竜オーマが消滅した。ネアース世界を守るために、己の存在と引き換えに、ネアースを消滅させる要因を排除した。

 神竜たちはそれを見て、己たちの存在する役割を果たすことにした。

 次には二人の大魔法使いの衝突により、再びネアースは崩壊しかけた。

 それを防いだのが黄金竜クラリスであり、彼女は暗黒竜と並んで最も古い神竜であった。

 大崩壊以外にも神竜を消滅させる要因があると知った。



 暗黒竜バルスの消滅。そして新たな神竜の誕生と、古き神竜にとってはあまりにも短い間に、大きなことが起こった。

 そして、ネアースは消滅した。

 正確には統合されたと言うべきだろう。しかし根幹世界の一部となったことで、ネアースのシステムは根幹世界の影響下に置かれた。

 世界を守るべき神竜の役割が、消滅したのだ。

 ならば既に、自分たちの役割も根幹世界に任せて消滅してもよかろうと、長命の二柱の神竜は考えた。

 そこにジンからの提案があった。

 彼の目的に協力する代わりに、今ではネアース領とでも言うべき大地を、安全にしようと。



「もう少しですね」

 大地が砕け、天が裂け、大気が蒸発する煉獄の環境の中で、数多の命が消滅していく。

 千年紀や大崩壊を引き起こしたのと同じような現象が、間もなく起こる。

 そこで自分たちは消滅する。神竜に守られた世界は、そこで終わる。

 あとは人の生きる世界になる。



 神々の名を持つ強者さえもが、次々にその命を散らせていく。

 その際に発生するエネルギーが、時空を歪曲させていく。

 ああ、甘美なる滅びの訪れは、もう近い。







 鬼神帝は己の見通しが甘かったことに気が付いた。

 満身創痍で体力も魔力も枯渇寸前と見えた少女が、また回復して襲い掛かってくる。

 心臓を貫いて殺したはずの回復役は、なぜかちゃっかり回復して、その役目を果たしている。

 そちらを先に、今度こそ完全に消滅させようとすれば、魔法使い二人が邪魔をして、背後から剣士が襲いかかる。



 敗北することは絶対にない。それだけ戦闘力に差はある。だがあっさりと片付けることは不可能だ。

 いや、可能ではあるのだが、そこまでしてすぐに片付ける意義を見出せなかった。

 周囲では他の神帝が戦っていて、消耗したところを狙われるかもしれない。

 元々は自分がそうしようとしていたのだから、この展開は皮肉である。



 そして目の前の存在は、ひたすら面倒であった。

 戦闘力もそれなりにあるのだが、とにかく致命傷を避けるのが上手い。

 全力で細胞一つ残さず消し去ろうかとも考えるのだが、それに必要なわずかな力の溜めを、なぜか的確に突いてくる。

 体力が切れるのを待って、ただ一撃。それだけで勝負はつく。

 鬼神帝はそう判断した。



 セリナの分析も同じであった。

 とにかく攻撃をし続ける。ダメージは与えられていないが、相手の攻撃を防いではいる。

(まだ半分も過ぎてない)

 ジンから指定された6分という時間は、あまりにも長く感じられるものだった。

 鬼神帝がちょっと気まぐれを起こして攻撃に転じたら、あっという間に戦況は覆る。

 それが分かっていたからセリナは攻撃を続けていて、このままならどうにか6分間は耐えられるのではないかと思っていた。

 だが、想定外の事態は起こるものである。

 周囲で起こっていた戦闘の余波が、セリナたちを襲ったのだ。



 鬼神帝にとっては無視してもいいほどのエネルギーであるが、セリナたちには深刻なダメージを与えるほどのもの。

 セリナを支援していた三人は、シズとミラを含めてその余波から守るために力を割くしかない。

 鬼神帝の無造作な攻撃が、またセリナの防御を突破し、それを受けた右肩が爆発した。



 これは戦場だ、とセリナは思った。

 周囲は敵と味方が判別できないほどの乱戦であり、確実に支援してくれる味方は少ない。

 だがそういった戦い方が、セリナは最も得意だった。

 ただ生き延びるだけの戦い方。

 それは前世の戦場で何度と無く経験したものだ



 頭のどこかが冷静になり、再び鬼神帝を見る。

 残り時間はあと2分ほど。そこまでこの超越者を引き止めておく。

 自分や仲間だけでなく、周囲の状況さえも利用する。

 冷静さの中に高揚感を覚え、セリナは最後の攻撃に移った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る