118 戦士の尊厳

 前菜のお祭り騒ぎが終わり、いよいよ本命の試合が始める。

 一番手であるシズと、聖神帝の陣営の剣士リーグは、同時に舞台に現れた。

 リーグは長身の人間で、鍛えられた肉体に魔物素材の鎧をまとい、オリハルコンらしき片手半剣を持っている。

 舞台の中央にまで歩み寄った二人は、お互いを観察する。

 シズが無手で、鎧もまとっていないことに、リーグは不審な顔をする。

「まさかその格好で戦うのか?」

「それこそまさか。直前まで魔力を温存したいのでの」

 シズの装備は元々魔力が込められた神器であるが、それを利用するためには己の魔力も若干必要となる。

 よって試合開始の直前までは、装備するのを避けていた。



 リーグの強さを考えてみて、わずかでも余裕を作り出そうとしていたからだ。

 彼の試合の映像は、まだ彼が未熟なころからの分も含めて、かなりの量を見た。

 彼が闘技場で戦う剣士であることを考えると、まずおそらく未見の奥の手はないと考えてもいいだろう。

 ならば勝てる。それがシズの判断である。

 だがだからと言って、勝率を少しでも上げる努力を放棄する理由にはならない。



 思えばシズは、前世でも武芸者であった。

 かつては主君を持ち、戦場にて槍を振るう侍大将であった。武田信玄の勧誘を断り、その後は西方に向けて弟子を連れて旅をした。

 弟子たちの役割は、もちろん己の剣術を広めるためのものでもあるが、護衛としての側面もあった。

 そして武芸者や他流派の者と戦う時には、まず弟子を出したのである。

 情報を仕入れ、相手の戦法を丸裸にしてから戦う。それが彼女の流儀であった。



 卑怯とは思わない。時と場合によっては、毒や人質を使ってさえも、とにかく勝つか負けないことが重要であったのが戦国時代である。

 それでも最低限の倫理は持っていたが、命のやりとりの間においては、余分な拘りとさえ思う者もいただろう。

 セリナとの戦いにおいても、シズは自分が本質的な意味で敗北したとは思っていない。

 なぜなら、自分はまだ生きているからだ。

 そして目的は果たした。結果から見れば、彼女は勝者である。







 聖神帝陣営のリーグと戦うことにおいても、彼女は事前の準備を怠らなかった。

 情報の収集はもちろんその一つの手段であるが、その気になれば家族を人質に取るとか、直前の食事の毒を入れるとか、いくらでも勝率を上げる方法はある。

 さすがにそれは卑怯、とは思わない。だが彼女の心はそれを許さない。

 それこそまさに、戦士の尊厳と言えるものだ。

 どのみちそんな方法は聖神帝の力で不可能ではあるのだろうが、それでもシズの基準では強さを証明することにはならない。



 彼女はこの対決の前に、決めていたことがある。

 聖神帝陣営と和を結び、差し迫った危険がなくなったと判断された時。

 もう一度セリナと対決する。

 時代は違えど同じ日本から転生した、日本の武術を極めた者。

 戦いたい。出来れば、生死を賭けて。ルールも無しで。

 その前にはこの男を倒す必要がある。



 こいつを通過点とする。リーグが弱いからではない。

 リーグは強い。だがその強さの基準は、シズやセリナの認めるものではない。

 この男の強さは、所詮選手としての強さ。あるいは競技者としての強さだ。たとえ死人が出る試合であっても、殺し合いを確実な前提とはしていない。

 セリナにはもちろん恨みはない。むしろ仲間として頼もしく思うし、友人であると思っている。だがだからといって、戦わない理由にはならない。

「試させてもらおうかの」

「試す?」

「わしがどの程度強くなったか……いや、強さではないか。これはなんと言ったらいいのかの……」



 シズが言葉で説明するのは難しい。元々武術の奥義などには、言葉で説明するのが難しいものがある。それは武士がよく信仰していた禅宗から出た概念でもあるのかもしれない。

「本気でやるからの。死ぬなよ」

「笑わせてくれる」

 リーグの表情に変化はない。この程度のことを言ってくる相手とは、何度も戦ってきた。外見で騙されることもない。

 彼も一流の戦士であることは間違いないのだ。ただ、シズたちとは基準が違うだけで。

「まあ、面白い試合になるといいがの」

 頭上に表示された数字が、ゼロへと近づいていく。本来なら立ち会った時点で既に勝負は始まっているのがシズの基準だが、ここでその基準を持ち出すことは出来ない。



 リーグに背を向けて、シズは少し間合いを取る。

 背中からの攻撃に注意をしているが、当然のようにリーグも攻撃はしてこない。ルールが守られている。

 ルールを守るのは、リーグが戦いを見世物としているからだ。彼は競技者であっても、戦士ではない、少なくともシズの分類ではそうだ。

 舞台が聖神帝の領域で行われるのだから、彼が事前にシズに仕掛けることは可能だった。時間が短かったが、彼のスポンサーとなるような人物はいるだろうし、シズに接触することは難しくなかったはずだ。



 だが彼はそれをしなかった。もっともその辺りの危険は、セリナが排除していたのだが。

「あまり参考にはならんかな」

 セリナには毒が効かない。そして不意打ちも効かない。

 彼女には致死感知という、ある意味最も厄介な能力があるからだ。真正面からただ、己の力量だけで戦うしかない。

 それもまあ、面白いのだろうが。



「わしがどれだけ強くなってるのか、確かめてみんとの」

 頭上の数字がゼロになる。







『武装・水虎』

 シズが片手半剣に対して選んだのは、当然ながらさらに長い間合いを持つ十文字槍。

 その最速の突きを、リーグは受け流した。



 槍は刀より強い。ある程度それは真実である。

 だが、剣は刀とは違う。剣の形状は切るための物に似ているが、実際は衝撃力を集中させるためのものである。切れるという現象は、ただ単にその結果にすぎない。

 刀は切るための能力に優れている。そして剣を切断するほどの剛性と、簡単には折れない弾性を秘めている。



 シズの槍は流麗に受け流され、リーグが半歩間合いを詰めようとした瞬間、シズは槍を手放して飛び退いた。

『武装・天空』

 戦争において最も人を殺した武器。それは鉄砲などの銃火器以前には、弓矢であった。

 当然のことである。戦争という形態を考えれば、遠距離から攻撃するのが効果的だとは、狩猟の時代から人間は知っている。

 天空装備のシズは空を飛び、剣はおろか槍でも届かない間合いから、攻撃する。これが一番効率的に兵を殺す手段だ。

 だが達人を殺すには不足している。



 リーグは片手半剣を両手で持ち、たやすくシズの放った矢を打ち払い、あるいは回避した。

「将門公は流れ矢で戦死したとあるが、真の武人にそんなことはないか」

 かなりの間合いを取ってシズは着地し、そしてまた武装を変える。

 最も優れた、馴染んだ武装に。

『武装・神竜』

 暗黒竜レイアナの手によってさらに強力となったその装備に、リーグは半身で構えた。







 戦うのに理由はいらない。だが戦うための理由がある。

 ただ単に強さを示すため、最も強い者となるため、そのように戦う者もいる。

 俗物であっても高潔であっても、戦いを求める者はいる。形而上の理由、形而下の理由、それぞれ色々だろう。

 職業剣闘士としてのリーグは、分かりやすい俗物であり、生きるための手段として強さを示している。

 ならばシズはどうなのか?



 戦乱の世に生まれ、戦乱の地に生まれた。

 生きるために戦う術を身に付け、その先を目指すようになった。

 シズはほとんど魔法を使えない。その点で既に強さの極みに到達するのは無理だと思うものであるが、諦めるという思考はシズは取らなかった。

 やがていつかは本当の壁にぶつかる時が来るのかもしれないが、それが今、努力をしない理由にはならない。

 出来るならば、出来るところまで戦ってみる。神竜や神帝という超越者を見てもなお、彼女はそう思う。

 精神的な面で言えば、彼女はセリナよりも強いのかもしれない。

 何せ、ほとんど不可能と思えることに、生来の肉体能力では大いに劣る自分が挑戦するのだから。



 シズはリーグに対して下段で構える。突きに向いた構えだが、同時にここから跳ね上げることも出来る。

 対するリーグは剣を構えて少しだけ腰を落とした後――その場から消えた。ように見えた。

 遠い距離から見ていた者や、動体視力に優れた者には見えた。しかし近距離のシズには見えなかっただろう。超高速の移動による風圧で、目を閉じることになったのだから。

 だが背後からの一撃を、シズは見事に受け流した。



 目を閉じていた。だが他の五感、そして気配を探る術は持っていた。

 受け流されて体勢の崩れたリーグの右肩、最も近い位置にシズは刀を振り下ろす。

 無理な体勢からも超反応し、リーグはそれを剣で受け止める。だがシズの刀はリーグの剣の刃を滑り、勢いをそのままにもっと小さな点を斬る。



 片手半剣を持っていた右手の親指。動きやすさを重視するため強固な防具をまとえないそこを、シズの刀は切断していた。

「ぬっ!」

 剣道の試合なら小手の一本も取れない。だが実戦であれば、格段に戦闘力を落とすその一撃。

 だが聖神帝の領土である試合では、この程度ではまだ勝負がついたとは言えない。

 片手半剣を両手で持ち、改めてリーグは構えた。



 もし自分だったら、とシズは考える。

 指を落とされた程度では敗北とは考えない。むしろ何も気にしない。あるいは逆に好機と考える。

 相手が戦闘力を奪ったと思った隙に、逆にそれの油断を突く。だがリーグにはそこまでの覚悟はなかった。

 負傷した部分からの出血は止まり、血で滑る束を持ち直し、改めて構えなおしている。



 戦意も衰えていない。シズの仲間ならこの程度の負傷なら、すぐに治癒させるか、あるいは再生の魔法でどうにでもなる。

 地球の真剣での勝負なら既に終わっているだろうが、ここは殺し合いさえも許された闘技場だ。

 二人の行っているのは競技ではないし武道でもない。

 殺し合いではないが、相手が動けなくなるまでは決着がついたとは言えないだろう。

「……まだやるのだな?」

 念のために確認したシズだが、その言葉が終わる前には間合いを詰めていた。



 片手半剣も存分に振るえる間合い。しかしリーグの握力は、指一本を落としただけで大幅に落ちている。

 シズならもう武器には拘らず、投擲でもするのだろうが――剣闘士としてのリーグの本能が、悪い方に働いた。







 上に弾かれた剣を、リーグは離さないように必死で握っていた。武器に拘りすぎだ、とシズは思った。

 ここでシズがリーグの胴体へ攻撃した場合、それで決着はつくだろうか?

 いや、とシズは否定した。

 おそらくシズの刀を、リーグは鎧と己の肉体とで絡み獲ろうとするだろう。死までのわずかな瞬間で、剣をシズに振るうことが出来る。

 だからシズの狙いはそちらではない。



 闘技場の勝敗は、死をもって終わること以外に、誰もが認める一方の戦闘力喪失でも決まる。

 シズの剣閃は鋭く、振り上げてリーグの両腕を切り落とした。

 剣を持ったままの両腕が落ちる。だがそれでもまだ、シズは攻勢を緩めない。

 跳ね上げた刀をそのまま重力に従い振り下ろし、リーグの両腕が地上に落ちる前に、その両足を深く切り裂いた。



 攻撃力を失うと共に、リーグは機動力も奪われた。

 これが相手がアスカやミラなら、まだ勝負はつかない。一瞬で再生して反撃してくる。

 だがリーグは人間であり、再生系の能力はほとんど持っていない。

 回復や治癒はしても、再生はしない。しかもここまでやってなおも、シズは油断をしていない。



 膝から倒れこんだリーグに対して、シズはまだ構えを解かない。

 残心。

 相手を殺しても、殺したと確実に判断するまでは油断をしない。

 レフリーのいないこの試合だが、勝敗を決定する審判は存在する。

 その両者が認めて、ようやくシズの勝利は確定した。



 剣闘士。それが命を賭けた職業。

 だが敗北が必ずしにつながるわけではないし、死が蔓延する戦争とも異なる。

「覚悟が違ったか」

 些か拍子抜けした口調でシズは呟き、彼女の戦いは終わった。

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