117 開幕
わざわざこの試合のために、これほどの設備を短期間で作れたという時点で、聖神帝とその組織の権勢が分かるというものである。
朝早い時間、試合の舞台となる会場を見て回って、セリナはそう思った。
試合の開幕は午後六時で、予定通りなら九時には全試合が終了する予定である。
ちなみに副将戦は完全に日が没しているので、アスカの能力が落ちることはない。
娘のミラが必死で獲得した日光耐性を、怠惰な彼女は手に入れていなかった。
会場を見に来たのは、セリナ以外にもいる。と言うかアスカ以外の全選手に加え、大賢者サージや神竜たちまで来ているのだ。
さすがにナルサスやフェルナはいないが、試合の映像を送る設備は整えられ、ほぼリアルタイムで観戦する予定である。
ガーハルト帝国から魔法で各国にその映像は送られ、多くの国でそれを観戦することが出来る。
おそらく史上空前の大イベントなのであろう。ネアースでは確かにオーガスで行われたような武闘会が行われたことはあるが、国家間の威信をかけたような大会はなかった。
話が決まってから開催までの期間は短かったが、これを充分に利用して儲けようとしている者もいる。
一部地域では賭けの対象ともなっており、表でも裏でも、多くの組織が金儲けに熱心になっている。
聖神帝陣営はご丁寧にも、出場選手たちの以前の試合映像まで渡してきてくれている。情報では圧倒的に有利だ。なにしろネアース側が同じ条件として提出しようにも、残っているのはセリナとシズの試合ぐらいである。
しかも二人はあれからかなりレベルを上げて、技能も超越した頂点から更に超越している。
カーラ、トール、アスカにいたっては、もはや歴史上の偉人である。カーラが竜を倒したり、トールが魔王を倒したことはもちろん知られているが、その映像があるわけはない。科学的な問題でなく、魔法的にもそれを残す余裕などなかった。
よって最低限条件を対等にしようと、三人による訓練の様子を撮影して向こうには渡したのだが、これがネアースにも流れたのである。
伝説の英雄たちの戦いに、民衆は湧いた。
戦争のような死者が出る血なまぐさい殺し合い以外で、超越者たちの戦闘が見られる。これはネアース世界始まって以来のことである。
『黒と銀の美貌』と呼ばれたレイアナの伴侶カーラは美しく、優雅でありながら剣の腕は確かで、大剣を操るトールと渡り合う。
そのトールは巨体からは想像も出来ないほど、速く正確で玄妙な剣技を使う。剣の腕だけを見るなら、カーラよりもやはり上だろう。
そしてアスカに至っては、ほぼ反則である。なにしろ彼女には、まともな物理攻撃が効かない。
魔力を纏った攻撃なら別なのだが、それが命中する寸前に、体を霧に変えて回避してしまう。
かつて召喚された勇者にてこずった経験から、魔王でありながら彼女は執務よりも戦闘力の向上に力を入れたのだ。
この三人の映像を見て、ネアース世界の民衆は誰もが勝利を確信した。
そしてその後に流された相手の選手たちの試合を見て、その確信を砕かれたのである。
「この広さで戦うのは、ちょっと難しいな」
そうトールがこぼした試合場は、一辺が100メートルの四角状になっている。
100メートルである。音速を超えて戦闘を行える彼らにとって、その舞台は狭すぎる。
もっとも聖神帝の側の選手たちも、それは同様のようなのだ。だが彼らはこの広さで戦うことに慣れている。
誰かに見せるための戦いなどしたことのない三人は、己の戦い方をどうこの範囲で収めるかを考えざるをえない。
正直なところ、一番戦力が削られるのはカーラであろう。
彼女は魔法剣士だ。どちらかと言うと魔法の方が得意なぐらいだ。しかし当然この会場では、流星雨のような広域を巻き込む魔法は使えない。
そもそも竜と戦った時など、街が一つ消滅するぐらいの破壊が行われたのだ。もちろん強化や治癒の魔法にも長けているが、攻撃魔法を使いづらいのは確かである。
ネアースでの戦争や戦闘は、基本的に上位者同士であると、山を砕き地を割るというような惨状を引き起こす。
流星雨のような広域攻撃魔法では、街どころか都市とその周辺部全てを破壊することも可能である。
もっとも皮肉なことに、周囲を巻き込まない戦い方、を最も身につけているのもカーラなのであるが。
「一応物理属性や時空属性の魔法で結界が作られるから、観客席にまで飛び火はしないはずだけど」
サージは構築されている魔方陣などを見て確認している。
「足場も石材ですから、特に問題になることはないでしょう」
カーラは言うが、やはりこういった場所で戦うのに慣れているのは、職業武闘家の聖神帝陣営だろう。
ネアースでも格闘技などの競技はあるのだが、騎士団の試合や未成年者の大会などが多く、真の強者が全力で戦うことが興行されることはない。
「まあ、わしはそのあたり得意じゃがの」
最低限の力で戦う。そういうことはシズのような地球出身の人間には慣れていることだ。
一辺100メートルの舞台で戦うなど、むしろ広すぎると言えよう。
その意味ではアスカが一番適正がないのかもしれない。吸血鬼の真祖は一息で、100メートルの差を一瞬で詰める。
「試合まであまり時間はないが、色々と考える必要はあるだろうな」
トールがまとめるが、一番考えなければいけないアスカがいないのは、なんともお茶目な皮肉であった。
密室の中でわざわざ時空魔法の結界まで張り、サージとジン、そしてラナとテルーの二柱の神竜が最終確認を行っていた。
「闘神帝あたりが暴走してくれれば、こちらの負担は軽くなるかもしれないが」
ジンの視線に晒されても、ラナとテルーの顔色は変わらない。神竜とはそういう存在である。
「準備は出来ています。もし余裕が出来たら、よりその力を計画に回しましょう」
ラナの言葉には、覚悟があった。
そんな神竜の泰然とした様子を見て、ジンは深く息を吐く。
「神竜ってのは本当に分からんな。どうして数億年も生きていて、正気を保てるんだ? まあそれを言うならハイエルフもそうだが」
ジンの言葉には呆れが混じっていた。
彼は自分が狂っているか、まともな精神が崩壊していると考えている。他人とのコミュニケーションは取れているが、そもそもの思考がおかしい。
50億年という年月は、彼を孤独にさせた。
それでも初期にあっさりと自決しなかったのは、シルフィがいてくれたからであるが。
ハイエルフは自然と共に生きる。逆に言えば、自然があるところであれば、いつまでも若々しさを保てる。
普通のハイエルフならそれでも限界があるのだろうが、シルフィはその限界を突破している。彼女もまた超越者なのだ。
「それで、準備の方は?」
ラナが確認し、サージが頷く。
「観客席を守るための結界も利用して、時空魔法を使う。まず失敗しないだろうし、成功率は神竜の力を頼ることでさらに上がる」
事務的な態度でいようとしたサージだが、どうしてもラナとテルーの表情を見ていると、彼女たちが人間の姿をした別の存在だと感じる。
神竜は、転生しない。
人間から成り上がったレイアナは例外かもしれないが、神竜は世界と共に存在し、世界と共に消滅する。
その意味ではネアースという世界が根幹世界に統一された現在、もう神竜の役目は終わっているのかもしれない。
事実ラナとテルーという、億を超える年数を生きてきた神竜は、もはや己の役目を放棄しようとしている。
サージは内心で溜め息をつく。
二柱の神竜が、己たちの役目は終わったと判断するのはいい。ネアースという世界は消え、ネアースという地域に変わったのだ。他の領土へと行くのも、距離を考えれば難しいが、不可能ではない。
気候変動などの自然災害から守る程度のことは、オーマでも出来るのだ。大崩壊のようなどうしようもない異常事態は、もう起こらないと見ていい。
だがこの二柱は神竜の中でも、古き時代を生きた二柱だ。その存在感は、実力では優るであろうレイアナよりも、人々の敬意は多く受けている。
だがそれでも、この二柱はもう決めたのだ。ネアースと呼ばれた神竜の守護する幻想世界から、退場することを。
この後に起こることを考えれば、サージはやはり溜め息をつきたくなる。
為政者としてはフェルナやナルサス、権威としてはレイアナやオーマが残るが、それでもネアースという領土は変革を迫られるだろう。
サージは自分が変わるのには拘らないが、周囲が変わっていくのはあまり好まないタイプの人間なのだ。
そもそも自分自身があとどれだけ生きるかも、分かっていない。
魔法の研鑽と研究に身を捧げてきた。これからもそれは止まらないだろう。
だがいずれは、かつてのアルスのように生きることに疲れてしまうかもしれない。
クリスを失えば、おそらくすぐにでも輪廻の輪に還ることを望むだろう。
それはかつて旅をした、仲間であるレイアナに対しての裏切りにも思える。
だが、賽は投げられたのだ。
幻想世界から、最大の幻想が失われるまで、もうわずかな時間しか残っていなかった。
正午からその催しは開幕された。
聖神帝の領土だけでなく、交流のある神帝やそれ以下の勢力圏にまで、すべて流される大会の放送である。
ネアース世界に関する簡単な説明と、それと交流するに至った理由。そしてこの交流戦が友好のために行われると宣言された、
世界を股にかけたイベントというだけあって、会場は本番前に既に九割以上の席が埋まっている。もっともVIP席である神帝たちの場所には、まだその姿はない。
観衆たちはネアースという未知の世界の情報に驚き、出場選手の過去の戦闘を見ながら、わくわくと本番を待っている。
出場するネアースの戦士たちは、アスカを除いて最終調整に入っている。既に頭に入ってる対戦相手のデータであるが、それをやや上方修正して、己の戦いに活かさなければいけない。
幸いにも相手の戦闘は映像で難度も見たが、この大会でのルールとは微妙に違う条件での戦いなので、奥の手が出てこないとは限らない。
それでもネアース側は情報量では圧倒的に有利であった。唯一映像情報が送られているセリナとシズにしても、本当の本当に重要な、相手の死を前提とするような奥義は使っていない。
控え室にはセラがいるので、即死であっても脳が破壊されても、わずかな生命の灯火さえ残っていれば、蘇生は可能である。
最大限の無茶をして、戦うことが出来るというものだ。
「長く感じるな」
意外なことにトールが神経質になっている。控え室に設置された画面の映像を見ているが、どうもこういうお祭りでの待ち時間には慣れていないらしい。
「ふむ、確かにの」
シズが軽く同意するが、先陣を切る彼女は、どちらかというと心地よい程度の興奮状態にある。
「最後の私は、もっと大変なのですが」
苦笑するように言うセリナは、ここまでくれば肝も座るというものである。
地球時代、戦場で三日三晩ぴくりとも動かずに過ごした経験もある。
それに比べれば、死なないこの大会で緊張するのは、馬鹿らしいというものだ。
まあ棺桶の中で眠っているアスカほどリラックスはしていないだろうが。
地球での戦いでは、勝った後に安全に逃げ切ることの方が、よほど難しかった。
ただ戦闘だけに全力を使えるというのは、ありがたいことである。
選手のみならず、多くの人々や、人でない知的生命体の待つ時間は、徐々に短くなっていく。
そして、全ての最後が始まった。
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