115 聖神帝の御前試合と、影で蠢く邪神と賢者
聖神帝ウルズとの交渉は、事前に思っていたよりもはるかに簡単に済みそうであった。
それぞれの神帝は個性があるが、ウルズはとにかく自分の美意識に忠実である男だった。その美意識によると、神帝自らが戦闘を行うというのは、大人気ないというか単なる弱い者いじめというものである。
よってネアースへ干渉しないことはすぐに決められたし、他の神帝と戦争になろうとしたら、介入してくれることも承諾してくれた。
だがただこちらの願いを一方的に叶えてくれるというわけではない。
ネアースが守るに値するものか、それを彼は知りたかった。
「御前試合……ですか?」
シファカからモニター越しに伝えられたフェルナとナルサスは、数秒その意味を考えた。
「こちらに守るに値する価値が、つまり逆に自分と対等に付き合う価値があるか確認したい。もしくはこちらの戦力を測って、たいしたものではないなら侵略したい。そんなところか」
ナルサスは現実主義者である。冷徹な判断から、その聖神帝からの提案を考える。
対してフェルナは統治者であるが、やや甘いところがある。むしろその甘さに含まれる寛容さ、もしくは怠惰とも言える性根が、魔族の頂点に立つためには必要だったのか。
「条件はどういうものですか?」
ナルサスが与えられた情報をぐるぐると考える間に、フェルナはさらなる情報を欲する。
「お互いの領地から五人の戦士を選んで、星取り戦をする。そして負けた方は勝った方に対し、最初に使節を送るというものだ」
先に使節を送るというのは、こちらが先にお願いをするということで、分かりやすい上下関係に見える。
もっともセリナなどの考えでは、幕末ペリーの砲艦外交を思わせるものであるので、それほど心理的な抵抗はない。
そもそも聖神帝の領土では天翼人が支配者階級であるという前提があるので、こちらが天翼人でない限りは、ナチュラルに見下げてくるのである。
見下げるだけで、虐待などはしないので特に危険ではないのだが。
まあ聖神帝は全領土でその試合を公開するらしいので、こちらが絶対的に強いというイメージを与えることもできるかもしれない。
単にお祭り騒ぎをして、臣民たちに娯楽を提供するのが目的かもしれないが。
それで誰を選抜するかだが、これが難題であった。
あちらは聖神帝自身は参加しない。彼は参加するのではなく、それを主催し楽しむ立場なのだ。
するとこちら側も、為政者が参加するのは避けるべきだろう。それに神竜や神を持ってくるのも何か違う気がする。
そもそも人種の戦闘力上位陣は、既に上級の神の力を超えている。
「とりあえずわしは参加したいんじゃがの」
試合であると聞いて、ノリノリなのがシズであった。
かつてのオーガスでの試合も、目的こそあったが、参加すること自体は前向きであたのだ。
誰も文句をつけないので、一人は決定した。試合のルールを考えても、彼女は適切な人材である。
聖神帝の作った結界の中の舞台で戦うというので、接近戦がメインとなる。武器や魔法の使用も当然可で、故意でさえなければ相手が死ぬのも仕方がないというルールだ。
遠距離攻撃主体のライザは、この時点で不参加を表明している。
「上から順番に数えていくと、神とか為政者が多いからな」
シファカの隣でフェルナたちに話しているのは、当然ながら不参加なレイアナである。
本人は結構乗り気なのであるが、最高戦力を明らかにするのは戦略上よろしくない。それに彼女は神竜である。
ちなみにジークフェッド一行は、当然のごとく不参加である。金にもならず女もいないところに、彼が行くわけはない。
天翼族が美人揃いと知ったら、聖神帝との関係が悪化するようなことをしそうなので、その情報は与えられていなかった。
ネアース世界の全域に出場者を求める通達がなされたのだが、手を簡単に上げるのは、井の中の蛙が多い。レベル200程度であれば、もはや雑魚というパワーインフレが起こっている。
そこで意外な所から手が上がった。
「私がやってもいいわよ」
竜牙大陸の先代魔王であるアスカであった。
先代の魔王で、現在は権力者としては全く働いていない。そもそも魔王であった頃から、ほとんどの仕事は部下に丸投げしていたのであるが。
聖神帝の結界の中を太陽以外の光で照らしてもらえば、彼女の戦闘力は十全に発揮される。
現在の彼女の強さは、レベルで言うなら300を軽く超えている。不死性はダンピールよりも上の、ほぼ完全に不死身の真祖様である。
吸血鬼であるので怪力なのは当たり前。魔法を使わせても一流であるので、実力的には問題がない。
そして三人目も名乗り出た。少し意外ではあるが、誰も文句のつけようがない人物であった。
「出来るだけ向こうの様子を見てこようと思います」
銀髪の聖女。神竜の花嫁。
かつては竜殺しの聖女と呼ばれた、レイアナの正妻カーラである。
「そういえば先生は、ここ千年以上は権力に関わってないんですよね」
セリナは確認する。レイアナの代理者という側面もあるが、政治的な思考も出来、深い洞察力のある人間として、確かに選ばれるのに相応しい人物である。
「一応お前もついていけ。何があるか分からんからな」
師匠であるレイアナに言われて四人目につっこまれたのがセリナである。実のところレイアナは、聖神帝ウルズに警戒感を持っている。
敵対するとかではなく、美しさに異常に意識を向けるあれが、カーラに目を付けないわけがないという、きわめて健全な独占欲である。
「あ~、いいんですけど、なんか全員女で構成するんですか?」
このままだと残りの一人はミラかプルあたりになりそうな気がしたセリナだが、シファカの推薦する男がその席に座ることになった。
剣の勇者トール。シファカと共に箱舟に眠っていた、かつての勇者である。
もちろんレベルや技能は高く、その戦闘スタイルはかなりシズに近い。
接近戦であればアルスより上であったのだから、このルールの中では確かに力を発揮するだろう。
この五人に加えて何人かの随員を伴って、ネアースの選手団が聖神帝の領地の辺境に作られた戦場に向かう。
その随員の中に、こっそりと邪神帝ジンと、大賢者サージなどがいたりもするのだが。
神竜という存在は、神帝よりもはるかに異常な存在なのだと、邪神帝ジンは言った。
「はあ……」
聞かされたサージは特に言うこともなく、そういえばバルスに初めて会った時は、格上過ぎてまともに息も出来なかったなと思い出す。
「神帝というのは、単に強い存在だ。もちろんそれなりに魔法も使うし異能力もあるが、まず第一に神竜とは寿命が違う」
賢者の塔を訪れて、わざわざ説明するジンに、サージは首を傾げざるをえない。
お茶の準備をしてくれたクリスと共に、彼の話を漠然と聞いている。
「精神構造の問題なんだろうな。神帝はしょせん『人間』だ。長命の者でも数万年しか生きない」
ならば目の前の存在はなんだというのだろう。サージは疑問に思った。
邪神帝ジンが50億年の時を生きているというのは、既に聞いている。
「俺の魂は磨耗して、罅割れ、歪んでいる」
とても人間的で、精神を病んでいるとは見えないジンはそう言った。
「まあ普通に見えるかもしれないが、これは自動的に動いてるだけだ。俺の本来の性格や意思がまともに働いているとは言いがたい」
ジンの言っていることは分かる。
本来100年も生きない人間が、何らかの原因で不老不死となる。これは色々なストレスを与えてくるのだ。サージもそうであった。
最初の100年が一番辛かった。
生まれた村に残っていた、両親や兄弟、そしてその子供たちが死んでいった。
孫たちが死ぬ頃には、もちろん村には人間の知り合いなどいなくなっていた。
共に旅をした仲間たちも、順番のように死んでいった。カルロス、ギグ。
ハーフエルフであるルルーはもう少し長く生きたが、それでも300年少しで死んでいった。
彼女は孫や曾孫や玄孫、そのさらに先の子孫までを見たが、孫や曾孫が自分より先に死ぬのが辛いと言っていた。
1000年が経つ頃には、長命種の知り合いも死んでいった。
だがそれでも、自分は幸せだったのだ。共に長く生きると言ってくれた伴侶がいて、そして若い時代を共に駆け抜けた、美しい神竜がいてくれたから。
しかし不安はあった。大魔王アルスが一時期、廃人のようになって眠りに就くことになったのを知ったからだ。
人間の精神は、そんなに長く生きるのには向いていない。
寿命を持たない吸血鬼や竜が、大陸各地に眠っているというのは、自殺を避けるためでもあるのだと悟った。
3200年生きた。そのうち引き篭もってほとんどクリス以外と話さなかった数百年もあったし、逆にクリスと離れて過ごした数百年もあった。
人種の死滅した大陸が甦っていくのも見たし、そして国が興り、衰退し、滅亡するのも見た。
異なる地球の存在を知って、そこから召喚された勇者たちを帰還させるのに働いたこともあったし、新たな神竜が生まれるのも見た。
生来の好奇心と探究心が故に、なんとか人間としての精神性を失わずにいられる。
だが、それでも。
「俺の人生の最後の目的は、死ぬことだ。最初は元の世界に戻るために不死を求めたんだが、それが滅びてしまった今、もう死ぬことしか残っていない」
50億年を生きる。神竜はおよそそれぐらいの期間、つまりこのネアースであった大地が惑星として誕生した頃から存在していた。
特に黄金竜クラリスと暗黒竜バルスは、この惑星の歴史と共に存在していた。
竜は眠る。おそらくそれが、魂を失わずに済む、最も簡単な方法なのだろう。
「だけど皮肉なことに、俺は強くなりすぎた。正直他の神帝全員でかかってきても、俺を倒すことは出来ない。これは自慢でも慢心でもない。実際に一度に三人の神帝を、力の1%も使わずに殺したことがある」
ジンの目付きは鋭く、とても感情を失いつつある人間とは思えない。
「シルフィさんは?」
クリスが問う。傍らにいてくれる存在がいれば、人は孤独に耐えられるものだ。
自分がそれを一番よく知っている。だがジンは皮肉に口を歪めた。
「あいつはハイエルフだ。今ではそれですらないが、人間である俺とは違う」
人間だと、ジンは言う。
50億年を生きる生命体が、人間を名乗って良いものだろうか?
「体と精神を鍛えすぎたせいで、自分で自殺も出来ない。正直50億年の大半は、どうやって自分を殺すかの研究の日々だったな」
とてもありえない方向に、ジンは思考を向けていた。
「そしてこの数千だか数万年だか前、ようやくその手段を見つけた。だがそれを行うには、準備と手助けが必要だ」
ジンの視線はサージにのみ向けられている。ネアース世界で唯一、神竜のシステムを超えて時空魔法をレベル外にまで上げた賢者。
時空魔法の特徴は、異世界とつながることも可能にする。
「お前の力を借りたい」
「メリットは?」
避けられないであろう協力を感じながらも、サージは尋ねた。
「俺の力で出来る範囲のことを、全てしてやる。神帝たちが邪魔だと言うなら、全て殺してやる。そしてデメリットだが」
冷たい口調で、ジンは告げた。
「癇癪を起こして、お前以外の全てのネアースの生物を殺してしまうかもしれないな」
静かな、だがだからこそ圧倒的な言葉を発し、ジンは沈黙した。
サージの答えを待っている。だが既にそれは、分かっているも同然のことなのだ。
大賢者は頷き、邪神帝ジンとの長い話を始めた。
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