112 外交開始
ネアースにおいてこの二年間で行われたのは、大規模な組織の刷新であった。
組織というのはそれが大きければ大きいほど、制度疲労を起こして無駄に複雑になり、正しく国力を行使できなくなる。
ガーハルト、オーガス、レムドリア、魔王領、大森林、神竜直轄地などの問答無用で強大な勢力が統一政府を発足させ、まずは組織を新たに作り直すことになった。
具体的な政体は元首制を取ることになった。議会制民主主義や絶対王政では、前者は判断が遅すぎるし、後者は間違いがあった時に致命的である。
……実際のところはもし問題が起こったら、神竜のブレス一発で解決という力業を前提としていたりする。
その初代元首として選ばれたというか押し付けられたのは、ガーハルトの大魔王フェルナーサであった。
ガーハルトには人種にとって、唯一古竜に対抗する手段が存在する。
機械神である。
アルスの遺産は人種の中においては絶対的に優位な戦力であり、それを整備するのも、あるいは改良するのも、そして維持するのもガーハルト以外では無理であった。
そんな強大な国家の大魔王以外がネアースの代表となるのは、フェルナ自身が嫌だと言っても、軍部や国民がむしろ納得しない。
前にも話し合ったことだが、代表はフェルナが、政略面はナルサスが、軍事面はマートンがというように、統一政府の要職は、それに見合った力量のある人物が務めることになった。
そしてもう一つ作られた組織がある。元老院である。
国会に近いのかと言われればそうではない。フェルナの作り上げた、事実上の内閣から、有識者や有力者が選ばれて元老院の議員となる。
これは元首の諮問機関であって、立法機能もなければ政策の議決権などもない。臨時元老院議員などというものも存在する。
柔軟的にこれは活用され、元首の知恵袋になったり、地方勢力との折衝を依頼することもあるというものだった。
「それにしても、よくそんなスピードで出来たもんだな?」
セリナがナルサスに問うと、彼は皮肉な笑みを浮かべた。
「反対者には物理的に消えてもらったからな」
セリナが嫌な顔をすると、ナルサスはあえて柔らかな笑みを浮かべた。
「今は非常事態だ。対抗勢力など国内に生かしておく余裕はない。まあ後に有用になりそうな人物は、軟禁程度で済ませてあるがな」
非常事態にナルサスが採る手段は、世界が変わっても暗く陰惨なものである。
セリナはもう慣れているが、確かにこの男は創業の人間、非常の人であって、世の中が平穏な時代には危険人物になりうる。
それだけにこの場合には有用な人物であるのだが。
「それにしても綱渡りな外交になるな」
二人きりなので遠慮のない口調になり、セリナがナルサスの心労を思いやる。
ナルサスは苦笑するが、その表情にはまだ余裕があった。
「前世での侵略軍の動きに比べればな。あれは敵だけでなく、味方も敵だった。今は味方が味方であるだけマシだ」
敵であった味方というのは、マスコミや自称専門家、野党の大部分や与党の一部などであった。
それを背中に抱えて大国と戦争をするのは、さすがのナルサスでもかなり大変だったのだ。
セリナが前世で「無理だろ」と思った作戦のかなりの部分が、大陸への対処であった。
敵の指揮系統をズタズタにし、背中からの刃を持ち主ごと破壊し、国力を戦争に注力させるのには多大な犠牲が伴った。
福祉や人道的支援などというものは国家に余裕がなく、弱者は一律で管理された。放っておけば社会問題になるし、暴徒になる可能性もあったからだ。
老人や難病の患者は放置され、ひたすら国家を守る戦いが続いた。
それでもまだ、日本国内は世界的に見てマシな方であったのだ。
ネアースが整えた体制において、ナルサスの役割は内閣官房長官と、外務大臣、財務大臣などの複数の要職を兼ねるものとなる。
戦時体制とは言え、悪しき前例が生まれた気もするが、そういったことは生き残ってから考えるべきだろう。
ナルサスの執務室を辞去したセリナは、今度はマートンのいる作戦室を訪れる。
広大な空間に様々なディスプレイが置かれ、担当の軍事官僚たちが忙しそうに端末を動かしている。
そんなせわしない動きの中で、マートンの周囲だけが妙に静かであった。
彼は提出されたデータを紙に印刷して、あちこちの数値を見ながらメモを書いている。
そして何らかの結論が得られたのか、その部分は別の紙に書いている。
ネアース世界でもPCと同様のものはあるのだが、大量の情報から結論を引き出すには、実はこういった作業の方が適していたりする。
もちろん各個人により最適の手段は違うのだろうが。
マートンの戦略眼は、ナルサスをも優りネアース世界一と言ってもいい。
彼を初期段階で拉致……もとい引き抜いたのが、レムドリア帝国崩壊の最大要因とも言えよう。
しかしいくら優秀なコンピューターでも、データを大量に入力しないと答えが出ないように、彼の頭脳を活かすには手足となってデータを集め、整理する人員が必要となる。
そして戦略レベルの問題に加え、彼はナルサスと政略レベルについても話し合う必要がある。国家の方針で軍の選択が狭められるのは、ごく普通の話である。
「基本は軍事力を背景にした外交になるが、原則として対等な条件さえ得られるならば、無理押しはしない予定だ」
ナルサスの言葉にマートンはほっとする。軍人が戦争を好まないというのは、近代以降の総力戦を思えば当然のことである。
それに第一の問題として、勝利するのがきわめて難しいという問題がある。
マートンの分析した結果、もしネアースと最も近い位置にある聖神帝の勢力が戦争を行った場合、敗北するのはネアースである。
聖神帝という強大な武力に対しては、こちらも神竜以上の戦力を当てることで、対等に戦えるかもしれない。だがもし消耗戦でそれを失えば、次にくるのは他の神帝との戦いだ。
暗黒竜レイアナを失った時点で、ネアースは敗北する。それがマートンの結論である。
また突出した武力ではない、通常の軍事力で戦う場合でも、聖神帝には勝てない。
だがこの部分では、負けることもないだろう。
そもそも兵站の補給において、ネアースとそれ以外の領地とは距離的に隔絶している。
ネアースの最外縁部に要塞を構築して粘れば、いずれ相手は軍隊の消費に耐えられなくなって、軍を退かざるをえない。
好戦的ではない聖神帝がそのような状況を歓迎するとは思えない。そもそもこちらに軍を向ければ、より近い位置にいる闘神帝や竜神帝に攻撃される怖れがある。
「とまあ、状況は作り出したわけだが……」
執務室に移動し、五人が――正確には四人と一柱が話し合っている。
フェルナ、ナルサス、マートン、セリナ、そして暗黒竜レイアナである。
セリナは前線の状況を正確に把握するため、そしてレイアナは竜との連携を密にするためにここにいる。
「異なる文化が衝突した場合は、戦争になることが多かったな」
ナルサスが地球の歴史を元に考えているが、はたして根幹世界でまでそれが通用するかは分からない。
実際現地を見てきたセリナは、少なくとも聖神帝と魔神帝とは、問答無用の戦争状態にはならないと思っている。
そしてこの二人と同盟を組めば、それが牽制となって二人のバトルマニア神帝と、戦わなくて済む……かもしれない。
これが戦略的に見た「戦わないで済ませる」最良の選択であると思った。
この戦略はセリナたちが集めたデータを元に作られた。神帝と直接会ったわけではないが、その領地に行き、現地の住民と話した結果、神帝の方針はおおよそ掴めたと言っていい。
魔神帝の方は怪しいが、それでもどちらか片方が味方につくだけで、戦力のバランスはこちらに有利になる。距離的な問題はあるが単体の戦力としては、武神帝とも連携出来る。何より邪神帝ジンがいる。
平和というのは戦争でない状態を指す。冷戦であっても戦力バランスによって膠着状態が作れれば、ネアース世界としてはそれでいいのだ。
もっともこの方針は、永遠に続くものではない。
神帝のような規格外の存在はともかく、ナルサスやマートンは不死でも不滅でもない。この状況を維持するためには、神竜の力によって不老不死になる必要があるが、それに両者の精神が耐えられるとは思えない。
フェルナにしても、いずれその精神は崩壊するだろう。不老不死を選んだ者たちが、それに耐えられず眠りに就くことはネアース世界で起こっていることだし、自ら死を選ぶこともある。
だから後継者は必要になるだろうし、もしその選別や育成に失敗したら、ネアース自体は残っても、そこに住む人種が絶滅する可能性は高い。
もっともそれは未来の課題であって、今行うべきは、ネアースの安全保障なのだ。
それは神竜も含めたネアースの全員が理解している。
「歪だな……」
大賢者は考える。
時空魔法を極め、さらにその先を求める彼は、問題を別の観点からアプローチしていた。
そしてそれに協力してくれる、極めて優秀な魔法使いが伴侶であった。
「術式はこれでいいと思うけど……現実的には使えないわね」
二人がかり数年をかけて作り上げた術式は、主に技術面からアプローチしていた大魔女クリスにとっても、理論上だけの存在であった。
大賢者と大魔女。ネアース世界において、竜に匹敵するほどの戦力である二人だが、それでもこの根幹世界では、絶対的な強者ではない。
聖山キュロスの塔において、二人は根本的に違う、事態の解決法を考えていた。
そして生み出されたのは、確かに神竜やナルサスたちでも考えつかないものであった。
手段としてはありである。だが実行は不可能。
この二人だけでは不可能ということだが。
「私たち二人の魔力を魔法でさらに貯蔵したとしても……最大出力が足りない」
「そこは、なんとかする」
サージの考えた策は、他人の力を利用したものになる。
だがこの事態において、手段がどうこうとは言っていられない。それに悪辣さという点では、それほど外道なわけでもない。
弱者が知恵を絞って考えた、あるいは自分自身の命を賭けたものである。
「アルスの『我が命と引き換えに』が使えるなら楽なんだけどな」
サージがぼやくようにいうと、その顔をクリスが両手でがっしと掴む。
「3000年一緒にいたのに、最後は別というのは許せない」
独占欲の強い妻の言葉に、サージはその体を柔らかく抱きしめる。
「それは約束する。死ぬときは一緒だ」
サージは全く嘘のない言葉で、それを約束した。
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