110 偵察任務

 戦争の前にまずしなければいけないのは、情報収集である。

 敵を知り己を知る。孫子の言葉の中でもかなり含蓄のある言葉であるが、その具体的な準備が始まった。

 戦争を知らない人間は、まず敵の中に味方を入れて、情報を収集するのだと考える。

 それは違う。自分の戦力を正しく把握するのと、敵の戦力を把握するのは同時に行わなければいけない。

 自分の方が弱いと分かれば、まず戦争を避けなければいけない。それが不可能だというなら、一時的に相手の傘下に下るのも手段の一つだ。

 最終的に勝てばいい。地球の歴史において、そんな例は多々ある。項羽に負け続けた劉邦しかり、金ヶ崎で逃げ出した信長しかり。



 もっともこの場合の戦力というのは、あまりその言葉に当てはまるものではない。

 純粋な個の戦闘力がどれだけあるか、その戦闘力の内容をどう考えるか。それが超越した戦闘力を持つ者たちを正しく判定する方法である。これを、戦力と呼ぶ。

 軍隊などというのは、治安確保の要員に過ぎない。戦闘は個が行うものだ。それが根幹世界の究極的な考え方だ。

 だから邪神帝ジンなどは個として持つ力は特上だが、占領統治に関心がないため、他の神帝の領地を巡っていたりするのだ。



 結果マートンが戦力としてかなり計算できると考えたのは、竜の存在である。

 竜はそうそう繁殖しない生物である。生物であるのかどうかすら、実は疑わしいが。

 3200年前の大崩壊でそれなりの竜が死んだが、その数は補われていない。

 全体的な数からすればわずかな数であったということもあるし、竜の繁殖はあまり成されない。種族的なものとも言えるが、実のところ休眠状態にある竜がほとんどであるからだ。



 そもそも強大な、ネアースの神々にも匹敵する古竜でさえ、神竜の力の前には誤差に過ぎない。

 相手が数を揃えてくるならそれを殲滅するのに役立つが、神帝などの突出した個人的武力に対しては、牽制にしかならないだろう。

 マートンは所謂人間の勢力間における戦争と、根幹世界での神帝との戦闘には、明確な違いがあると説明した。

「そもそも根幹世界の本気の戦争というのが、どういうものであるのか分かりませんから」

「神帝同士のガチの戦争はあまりないな。配下に命じて小競り合いを続ける場合が多い」

 根幹世界に関しては最も詳しいジンがそう言う。



 武神帝劉秀との連絡は取ってある。彼は通信越しにではあるが、こちらに好意的な印象を持っている。

 そもそも地球時代でも、戦争が嫌いなのに誰より戦争が上手かった人だ。ネアースがとにかく侵略を受けることには心を痛めてくれている。

 ――まあ実際のところは、ネアースが征服されれば、武神帝の領域への橋頭堡になる可能性を恐れているぐらいが本当のところだろう。政治家に親切や良心を求めてはいけない。

 マートンの考えでは、武神帝を頼ることは想定していない。とりあえず挟撃されなければそれでいいと、彼は発言していた。

 神帝の行動ロジックからして、協力してネアースを占領し、植民地のように分割支配するという可能性は捨ててある。万一そんな事態になれば、もうどうしようもないということでもあるが。

 その場合は武神帝にいち早く降伏して、ネアースが好き放題に分割されるのを防ぐというのが、最悪の展開における選択肢である。







「まず大切なのは、複数の神帝の勢力と同時に戦わないということです」

 マートンの説明はレムドリアの王宮で、諸王や将軍を前にして行われた。

 当然の前提である。セリナは前世における太平洋戦争や、第三次世界大戦後の混沌とした世界を思い出した。

「各個撃破、ということでしょうか」

 そのセリナの確認の言葉に、マートンは首を振った。意外である。

「情報が揃っていないので断言出来ませんが、継戦能力が続かないと考えましょう」

 参謀としての考え方か、マートンは状況を悪い方向に考える。

 将軍たちは血気盛んに戦争の連続すら望む傾向にあるが、兵站や国力、限られた戦力である竜の損耗を事前に説明されていたので、ここで馬鹿なことを言い出す者はいない。



「出来ることなら一度も戦いたくはありません。戦うとしても一勢力に限りたい」

 外交交渉や内乱を起こさせて、こちらに目を向けさせないというのであろうか。

「そもそも神帝というのは、それぞれ争っていたというのがポイントです」

 マートンは毒気のない顔をしながら、極めて悪辣で味方の被害が少ない未来を語る。

「それぞれの勢力に対して異なる対応をし、疑心暗鬼を生じさせてあちらの中で争わせる。その後必要があるなら、残った勢力を潰すというのが理想です」



 マートンの話した内容はあまりにこちらに都合のいいものであったが、成功するのであれば最も費用対効果が高いものであろう。

 実際のところ彼自身は、これが成功でもしなければ、ネアース世界の勝利はないとまで悲観している。

 彼の頭脳は敵の戦力を最大化して考え、それにどう対応するのかを考えている。

 まず、邪神帝ジンは本当に味方をしてくれるのだろうか?

 神竜から彼の身の上を聞く限り、ネアース世界自体を呪っていてもおかしくはないが、神王であるハイエルフが共にいて、これまでの行動を加味すると、ある程度楽観的な予想が立てられる。

 そして純粋にこちらの戦力を、暗黒竜レイアナと他の神竜と考える。

 相手の神帝が一人だけであるならば、おそらく勝てるであろう。



 その相手の神帝を一人に絞るために、事前の工作が必要である。

 敵国に潜入して撹乱する。そのために必要なのは少数精鋭の隠密部隊だ。

 即ちセリナたちとなる。

 各国の情報部の人員たちは、情報収集の専門家ではあるが、それまで全く接触のなかった相手にいきなり潜入し、生きて帰るだけの戦力が足りないと考えられる。

「神帝たちを結束させることなく、各個撃破するよりもさらに、対立させるわけか。策としてはいいが、実現可能かだな」

 ジンはそう評価する。そしてマートンは彼からさらに情報を引き出す。

「自国内を荒らされて、正気を失って冷静な判断が出来なくなるのはどの神帝でしょうか?」

 その問いに対して、ジンは考えるまでもないという早さで返答した。

「闘神帝だな」







 闘神帝ブライは、この周辺の領域を支配下に置く神帝の中で、最も戦うことに己の存在理由を偏らせている存在だという。

 単純で武を好み、戦士を優遇し、隙あらば他の神帝との一騎討ちを望むという、ジンと同じく変り種の神帝だ。

 頭が悪いとまでは言わないが、浅慮であり脳筋であるという意味では、まず狙うのには最適な存在であろう。



 セリナたちに命じられたのは、彼の領土内で、他の神帝勢力と思われる軍事力が、敵対行動を取ったと思わせることである。

 もちろんネアースの者だと知られてはいけないが、根幹世界に接続したばかりのネアースが、彼の領域に侵入して破壊活動を行う理由など、向こうからみれば考えづらいだろう。

 そもそもネアースの存在自体に、まだ気付いていない可能性すらあるという。

「なんか最近便利使いされてるわね」

 ガーハルトの高速飛行船発着場で、ミラはぼやいた。

 彼女はあまり乗り気ではない。それは彼女の母である先代の竜牙大陸魔王が、目覚めたことと関係がある。



 先代の魔王アスカは、吸血鬼の中でも真祖と呼ばれる高いステージにある魔族である。

 だが実のところメンタルはあまり強くないし、政治的人間でもない。親友の死によって眠りについた寂しがりであり、アルスの死を聞いた時には動転してとても見ていられる様子ではなかったようだ。

 蘇生の魔法は使えないのか、と神竜たちにも訊いたが、そもそも使えるなら即座にアルスを復活させている。



 神竜は今でも変わらず、ネアースでは強大な存在である。

 だがその力は今のところ、根幹世界とネアース大地の穏やかな融和に使われていることもあり、そうそう他の部分に力を使えるわけではない。

 蘇生の魔法というのは、死者の力――存在感とでも言うべきものが高ければ高いほど、必要とされる魔力容量と精度が高くなる。

 現在の神竜は蘇生魔法を使えない。神竜ではないがカーラも同じことである。



 何よりアルスの死は、己の死と引き換えに力を爆発させるという、いわば自爆魔法であった。

 おかげで格上の神帝の打倒に成功したわけだが、ネアース世界にとっては大きな損失であった。

 神帝どもは一人や二人死んだところで、他の神帝に領土が占領される程度である。

 だがネアースにとってのアルスは、代えのきく存在ではなかった。



 ネアースは純粋な集団としての軍事力はもちろん、個の武力を必要としている。

 相討ちとは言え神帝を倒したアルスの存在は、重要なものであったのだ。

 あの自爆魔法はまだ、アルスしか実用できる段階ではなかった。

 理論だけなら大魔女であるクリスやカーラも理解出来ているのだが、必要な各魔法の技能が足りていないし、無限魔法という規格外の魔法を使える人種は、アルスの他には一人しかしないのだ。

 そしてその一人であるラビリンスは、無限魔法以外の魔法の技術が足りていない。

 理論は完成したが、それを実現するための人的資源がない。それに何より自爆の魔法であるというところが問題だ。

 古竜たちならあるいは使えるのだろうが、それでも特攻してもらうというのは、戦争においてはもはや敗北に近い状況であろう。







 セリナたちを見送るために発着場に来ていたのは、ナルサスとサージの二人だけであった。

 そもそも機密性の高い任務であるので、大々的に送り出すことなど論外である。

 ナルサスは最後の詰めのため、サージは一度きりなら使える、ネアースへの転移石を持ってきたのだ。



 だがサージが持ってきたのは、転移石だけではなかった。

 時空魔法のレベル10オーバー。ある意味ではアルスと同じくらい希少な存在である彼は、彼の最も得意とする魔法で、事態の解決の糸口を探っていた。

 そしてたどり着いたのが、時空魔法の究極形である。

 まだ理論すら完成させていないのだが、それは地球における核兵器、つまり「戦略兵器」を作ることと同等であったのだ。



 根幹世界との接続が成される以前、サージが最も時間と労力をかけていたのは、その接続が少しでも遅くなることであった。

 そもそも接触を避けようと最初は考えていたのだが、世界と世界の接近を防ぐというのは、彼にとっては無理なことだとすぐに分かった。

 神竜でも無理であった。そもそもそんなことが可能なら、3200年前に大崩壊は起こっていない。



 だが、技術は進歩するものである。

 サージは奥の手を、フェルナとナルサス、そしてマートンには話してある。成功する確率が低いのと、現段階では成功のための理論構築段階であることも含めて。

 そんな重要機密を、サージはセリナとプルには伝えたのである。

 魔法に対する素養のないシズや、種族的な素質で才能を使うミラ、信用するなと自分から言うセラや、魔法の使えないライザは話さない。

「なるほど、そのためにも時間稼ぎは必要だと」

 セリナが理解した様子を見て、サージは鷹揚に頷いた。

「良策とは言えないし、完成するかも分からないけどね。そういう手段があるというのは知っておいてほしい。ただ、神帝たちに知られるのは絶対にダメだ」

 なにしろジンにさえ言っていないのだ。虚空魔法の使い手である彼なら、案外簡単に結果を出してくれそうな気もするのであるが。



 かくしてセリナたちは出発する。

 向かうはネアースよりもはるかに広大な大地。そしてネアースよりもはるかに強大な戦力が争う地。

 斥候の得意なセリナであっても、任務の困難なことは分かっていた。

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