106 ネアースへの帰還

 武神帝劉秀の都の名前は、彼の前世から取って、洛陽と呼ばれている。

 そこで歓待を受け、改めて後援を得ることを確認し、セリナたちは帰還することになった。

 ちなみに宴の内容はネアースでも珍しいほどの山海の珍味が揃っていたりして、元中国人の意地を見せられたような気がした。

 そしていざ帰還の日。

 執務をナルサスにまで手伝わせて暇を作った劉秀は、わざわざ自らその帰還を見に来ていた。



「本当なら我自ら、都の名所を案内したかったのだがな」

 劉秀の言葉に、彼の背後の文官さんたちが「勘弁してください」と青い顔をしている。

 都の名所には確かに興味が湧いたものだが、これから一向には成すべきことが多くある。

 たいがいはナルサスやマートンに丸投げするものだが、セリナやプルは神竜に報告しなければいけないし、ライザやミラ、セラといった面々も、それぞれの所属する勢力に情報は伝えるべきだろう。

 暇があるのはシズぐらいであるが、彼女にも傭兵団からつながるコネがあり、裏社会に情報を流す必要があったりするそうだ。

 忘れては困るのだが、そもそも彼女はオーガスではお尋ね者である。



 そんなこんなで日々が忙しく過ぎ、大陸主要国家と、権力者の大半が集まる会議が開かれることになった。

 上は神竜から下は暗殺者ギルドの頭目まで、確かにネアースの支配者である者を集めた、まさに国連とも言えるような集まりであった。

 まとめ役はガーハルトの大魔王フェルナーサ。そのすぐ側には神竜たちがいて、さすがの大組織の支配者たちも、威圧感をばりばりに感じている。

 こんな中で交渉の結果を発表するナルサスは、さすがにたいしたものである。







 武神帝劉秀との約定については、特に反対も揚げ足取りもなかった。

 大賢者と大魔女がその正当性を保障しているとのこともあるし、実際の武神帝の戦闘力を聞かされた主導者たちは、現実的に戦争にでもなったら勝てないと判断した。

 そもそも武神帝の支配域とは離れているため、今後も過度の干渉を受けることはないと聞かされたためでもある。

 しかし劉秀の軍事力はネアース全体よりもはるかに上だと報告されたため、今後はネアースでの小競り合いは少なくなるかもしれない。

 絶対的な軍事力が存在する場合、小さな紛争が減少するのは歴史上の事実である。



 オブザーバーとして席を与えられていたセリナとプルは、自分たちが既に知っている情報の共有に、長い時間をかけられて精神的に疲れていた。

 ちなみにエルフの代表としては、名目上はライザが、実質はライラが来てエルフに伝えることになっている。

「まったく、疲れるものだ……」

 プルは疲労困憊した台詞を言っているが、彼女が暇を作っては不義理をしていた女の子たちの間を回っているのを、セリナは知っている。

 本当に、刺されても仕方のない女癖である。もっとも彼女を実際に刺すにはとんでもない腕力が必要になるが。



 レムドリア辺境においては最も大きなこの都市で、世界会議は行われている。

 そこのカフェテリアでプルはぼやいたものだが、同席しているのはセリナだけではない。

「やっぱり武神帝は、中華圏の人っぽかったよね」

 そう口にするのは、地球からの転生者であるサージであった。

「22世紀の地球では、中国は人の住めない土地になってましたけど……」

「え! マジで!? 核戦争でもあったの!?」

「いや、むしろ環境問題でしたね。汚染で農地があらかたやられて、そこから内戦が始まって……日本にも難民が来て、それを受け入れるか受け入れないかで……難民受け入れ側の政治家を、何人か始末したものです」



 セリナの前世は、ある意味ネアースよりも凄惨な後半生であった。

 22世紀の中国は、世界最大のお荷物国家になっていた。そんな国のハニートラップに引っかかった阿呆の類を、セリナは日本刀で何人も斬ったものである。

 また、つまらぬものを斬ってしまった、などと言って。

「こえ~。おいらの世界は滅びちゃったけど、そんな世界で生きるのはしんどかっただろうなあ」



 セリナの地球とサージの地球は違う。根幹世界から見ると、地球型と俗に言われる世界はかなりの数が存在するのだ。

 実のところ地球とは全く違うように思えるネアースでさえ、分類としては地球型であった。大陸の配置や形が似ていて、人間という生物がいる時点で、地球型と言って良いのだ。

 サージの転生元の地球は、アルスの画策によって大崩壊で消滅している。

 それまでネアースに召喚、あるいは転生していた人物たちは多くいたが、これ以降は特殊な例を除いて存在していない。特に召喚される場合は強制的に送還されるようになった。

 セリナの前世での冒険が、これにあたる。







 まあ、それはあくまで前世の話であり、実際のところ劉秀は後世の朱子学に毒された儒教の輩とは違う性格である。

 儒教という遵法意識よりは感情を優先させる宗教に、彼は染まっていなかった。史実では南方の蛮族相手に将軍を派遣しているが、当時は本当に中華の周囲は略奪正義の蛮族だったので、ある程度は仕方がなかったのであろう。

 現実に今対している劉秀は、強大な武力と寛大な精神を持つ、寒いジョークが好きなおっさんである。

 儒教が中国の精神に悪影響を与えたのは、孔子の教えが広まって後のことであるが、儒教的な精神は既に孔子以前からあったとも言われる。

 法より情を極端に上位とし、中華主義の後ろ盾となったあの宗教を、セリナは他の多くの宗教と同じく嫌悪していた。例外は精霊信仰系のものぐらいである。



 それはともかく、武神帝劉秀との接触によって、ネアースは根幹世界において、かなりの安全を確保したと言えるだろう。

 自然環境の激変は、神竜たちの力に酔って抑えられている。海水がどこまでも広がっていったりはしない。ただ球体ではない世界になっただけである。

 航海技術があまり発展していなかったネアースにとっては、さほどの問題になることでもない。水分の確保はそれこそ水竜ラナがしてくれている。

 名目的には武神帝の保護下に置かれた形のようなものだが、武神帝の影響下の勢力がネアースを攻めてきたように、その統治は極めて緩い。

 ちょっかいを出してくるのが同じ神帝レベルでない限り、彼に対応してもらう必要もないだろう。



「それにしても、朝貢貿易に近い形の交流になるとはね……」

 サージが少し問題としているのはその点だ。

 ネアースから武神帝に対して物産を貢ぎ、それに対して武神帝が同じく物産を下げ渡すという形である。

 正式な国交とも言えるのは、その体制であった。一応独立国ではあるが、ネアースという世界全体が従属したという形になる。

 武神帝の保護下にあり、そして下げ渡される物品もこちらから送るより良いものとなる。

 これは武神帝の権威と権力を認め、その影響下に入ることを是認した上で、保護を求めるというものである。

 だが前世から政治家であったナルサスは、この方式を取った。彼に全権委任して送り出したネアースの各勢力は、この内容に反感を持った者が多かったが、それでもこの内容で通った。

 現実主義の神竜と、同じく現実主義のフェルナがこれを支持したからである。



 各国政府の方は、不満はあってもそれでいい。どのみち神竜には逆らえないのである。

 そして個人や企業で武神帝の領域との取引などは、もう少し素案を詰めた段階で了承されることとなった。

 もっとも距離的な問題があるので、実際に貿易をするには巨大な投資と、それに見合った利益が見えなければいけないだろう。

 おそらくイメージ的には大航海時代の貿易のようなものか。

 まあこちらの世界には魔法があるので、転移を使えるサージのような例外もいるが。

 普通に一流の魔法使い程度では、あの距離を転移することは出来ない。

 ネアースで可能なのは神竜や特化した神を別にすれば、魔族を合わせても10人ほどしかいないであろう。



 さて、そろそろ休憩の時間も終わりである。

 また長い会議を経て、認識を共通化しなければいけない。まあ抜け駆けや逆侵攻しようとしても、距離というたった一つの理由によって、それは不可能になるのだが。

 転移門を設置したとしても、その大きさから考えると、運べる荷の量はたいしたものにはならないだろう。

 それに向こう側からそれを拒否すれば、前提自体が成り立たない。

 武神帝は悪辣な支配を好まないので、逆にそれが支配領域の完全な保護につながらなくなっている、







 休憩の時間が終わり、会議の席に戻ると、一部の者たちが集まって何かを話していた。

 その中に神竜たちとフェルナがいることで、内容の物騒さを瞬間的に感じさせる。

 こちらに矛先が向かないかとセリナたちは自分の席へ戻ろうとするが、その前にちょいちょいと神竜レイアナが三人を手招きした。

 猛烈に嫌な予感がしつつも、おとなしく三人は近づく。

「プリムラはいい。リプミラを呼んできてくれ」

 レイアナの言葉に、あからさまにほっとした顔でプルはその場から逃げ出した。



 さあ、セリナとサージの二人にリプミラを追加して、どういった仕事が回ってくるのだろう。

 サージの特異性は、収納と転移に特化した時空魔法である。そしてセリナは戦力と諜報能力。リプミラの場合は隠密能力に不死性となるのだが。

 明らかに不機嫌な表情で、リプミラはやってきた。三人を囲むようにして、神竜たちが語りかける。

「新たにネアースに接近する者を、テルーが感知しました」

 一難去ってまた一難。広大なはずの根幹世界であるのに、いろんな勢力との接触が多すぎるのではないだろうか。



 サージの転移によって接近する集団へ移動し、その様子を探る。斥候としての能力は、確かにセリナの向いている分野である。

 そしてリプミラも呼ばれたのは、彼女も隠密性に優れた能力を持っていると同時に、不死性の高い者だからだろう。

 相手の意図を探る。ただしこちらの手は読ませない。

「相手はどちらから来ます? 東ですか? 西ですか?」

 球ではなく面になってしまった世界ではあるが、方角に関しては以前までと同じように扱っている。武神帝の領域はネアースから見て南に当たる。

「残念ながら北だ。つまり武神帝とは異なる勢力というわけだな」

 また面倒な話である。



 武神帝はこの辺り一帯の勢力の中では、最も強大な存在であった。その端のさらに先に、ネアースは存在する。

 つまり接近してくる存在には、武神帝の威光は通用しない。

「めた面倒な相手がやってくるのか……」

 サージは頭をガシガシと掻き、レイアナも小さな溜め息をついた。

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