104 武神帝

 前世において剣聖とまで呼ばれたシズは、戦の耐えない戦国期を生きた武将であり、転生してからは傭兵としてはやり戦い続け、さらにセリナと共に戦いだらけの旅にも同行した、筋金入りの武人である。

 黄忠は後漢末期から三国時代にかけて争乱の中国大陸にて活躍し、関羽だの夏候淵だのとガチで戦い合い、根幹世界でも能力値でなく武芸の技で戦ってきた戦場人である。

 そんな二人の戦いが、普通であるはずはなかった。



(なんと迷惑な戦いだ)

 法正は部下の兵士たちに指示を出しつつ、二人の武人の戦いを見守っていた。

 神将オグルと呼ばれているが、彼にとっては黄忠。己の知略を力に変える、武人であり将軍である。

 国造りも軍の鍛錬も、外交や内政でさえ、彼にとっては余技に過ぎない。

 全ては戦争に勝つ。ひたすらに領土を拡張する。それが彼にとっての楽しみであり、黄忠の武力を活かす手段でもあった。



 黄忠は神将のレベルの戦士ではあるが、実際のところ戦ってみれば、神王級の戦闘力を持っている。

 それは単純な腕力や肉体の頑健さとは異なる、鋭く鍛えられた技によるものだ。

 そして何より、兵を率いる将軍としての力量は、個人の武とは全く違うところにある。

「兵を500ずつ連れて、将軍の射た者を探せ! 回復されて連携を取られるわけにはいかん!」

 突出した個人の武力が存在するこの世界でも、集団戦を指揮する必要性は存在する。

 そのために法正は策を練り、先制攻撃をしかけた。しかし相手の力が想定を上回ることなど、よくあることなのだ。

 そう、黄忠が全く敵わなかった、あの神帝のように。



 個人の武としては決して優れているわけではない法正は、自分の周りには護衛の兵を置いている。

 前世において自分の死後どうなったか、いくつかの地球型世界から法正は知識を得ている。蜀漢の勢力が魏王を打倒できなかった理由の一つに、自分の早世があったと思う。

 だからこの世界においてはひたすら身を慎み、黄忠と出会ってからようやくその真価を発揮しだした。今では誰も彼を侮る者はいない。



 しかしそれでも、法正の見通しは甘かったと言わざるをえない。

 自分を護る歴戦の兵士たちの、厳重と言うよりは常識的にも非常識的に考えても過度の警備の中に、ひっそりと潜り込んだ姿があった。

 その人物の持つ刃物が首筋に当てられた冷たさで、ようやく法正はそれに気付いた。

「動かないでください。別にあなたを人質にしようとは考えていません。あの一騎打ちが終わるまで、兵を動かさないでくれるだけでいいのです」

 気配を完全に遮断し、光学迷彩にて姿を消し、それによって洩れるはずの魔力も完全に光学迷彩のみに使いきって、法正の背後にまで迫ったセリナであった。







 二人の武人の戦いは、かなり拮抗していた。

 ステータスの能力では黄忠が上。それに対してシズは馬と武装の点で上回る。

 だがステータスが高いということは、力押しの戦闘が多いということでもあり、シズがセリナと訓練してきたような、対人戦闘の精密な技巧には対処しづらい。

 元は地球の武将であっても、ステータスの上限がない世界では、単に筋力を挙げて殴るというのが、最も効果的であったりもするのだ。

 まして根幹世界では、ネアースのように強力な魔物もいるようであるし。



 黄忠の失敗は、接近戦を許したことだ。

 武芸全般を習得したと言っても、個人にはやはり得意不得意というものがある。黄忠のそれは凄まじく高いレベルの話であったが、弓が最も優れている。

 対して接近戦だと、技量はシズの方が優れていた。黄忠の武は戦場の武であり、一騎打ちと言っても一対一の勝負の機微にはわずかに疎い。



 まず、馬が潰れた。

 サラブレッドなどではもちろんなく、世紀末覇者が乗っていそうな馬であったが、上級悪魔であるエクリプスには及ばなかった。

 勢いのままにシズは槍を振るうが、そこは相手も歴史に残る豪傑将軍。盤刀を上手く使ってシズの強打を受け流す。

 だが、それによって盤刀の刃が潰れる。

 神竜素材のシズの装備は、基本的にオリハルコンよりもはるかに上だ。

 パーティーの中でほとんど魔法が使えないだけに、装備での底上げは必要だったのだ。

 そしてそんな装備であれば、神将級の敵であっても、よほどに腕の差がない限りはシズの方が強い。



 戦闘は終了に向かいつつあった。

 黄忠は演義においても正史においても三国志における名将であるのは間違いない。

 後の世に「ジジイの癖に強い」という武将像を生み出したのは彼であると言ってもいいほどの将だ。

 しかしやはり個人としての戦闘力は、武芸者であるシズの方が高かった。後の時代に生きたことにより技の研鑽が進んでいたのと、対人戦闘に特化していたことが理由として挙げられる。

 槍を繰り出し刀に持ち替え、黄忠がそれに対応する前に次々と技を繰り出していく。

 自らの流派である陰流だけでなく、一刀流などに関しても対応するという求道者が、単なる猪武者として強いのは当然のことであった。







 黄忠は敗北しつつあった。

 それは誰の目にも明らかで、それでも法正の態度がそれほど焦ったものでないのに、セリナは違和感を覚えたものだ。

「何かまだ秘策でもあるんですか? こちらは彼女と同じぐらい強い武人がまだ数名控えているので、早めの降伏をオススメしますが」

 それに対して法正は、彼にとっては自分でも分かっている、相手を皮肉に見下すような笑みを浮かべた。

「愚かなことだ。軍師たるもの念には念を入れて、後詰めの用意ぐらいはしてあるものだよ。つかの間の勝利に喜んでいるといい」



 法正のこれほどの自信に、セリナは冷静に考えを巡らす。

 後詰めと言うからには援軍の手配をしてあるのだろう。

 しかし神将である最大戦力の黄忠が、完全にシズ一人にかかりきりになっている。しかも旗色は悪い。

 これで黄忠が敗北したら、戦はセリナたちの勝ちである。近代軍と違って神将などの突出した王が存在する国家では、その王が倒れればそのまま戦争は決着が着く。

 つまり向こうには、黄忠以上の存在が控えているということなのだが……。



「まさか劉玄徳殿が転生しているなどということはないでしょうね?」

 セリナが問いかけると、法正は引きつった笑みを浮かべた。

「転生者が、しかも顔見知りが同じようなところに転生するなど、奇跡的なものだ。そこまで都合良くはない。……だが、いいところは突いている」

 そう言う法正の口調は、先ほどまでよりもよほど余裕が感じられる。

 つまり黄忠や法正は、神王以上の存在から援軍を受けられる立場にあるということか。

 わざわざ転生者に拘らなくても、この世界には常軌を逸した存在がいるのであるから。







 セリナの脳内地図には、それほど強大な存在は感じられない。

 だがそれより先に、身に付いた危機感知能力が、警鐘を鳴らした。

 致死感知には反応はない。だが、巨大な力が迫っていることは、それとは別に分かるものだ。

 象は巨大な生物であるが、こちらに害意はないのと同じことだ。

 敵ではない。だがこのタイミングで接近するのは、法正の言葉に真実味を与える。



 半径400キロの地図が、ほとんど一瞬でそれの通過を許し、セリナには他の仲間に伝える余裕も与えられなかった。

 彼女がしようとしたのは法正を気絶させ、シズに注意を促すことだけ。

「シズ、敵が接近中!」

 敵とは限らないが、それは間違いなく脅威であった。

 シズは刀で黄忠の盤刀を圧倒し、今にも決着がつきそうであったが、突然に刀が手の中から消えた。

 戦棍で弾き飛ばされたと気付いたのは、コンマ一秒ほどの後であった。



 男がいた。

 甲冑に身を固め、両手にそれぞれ戦棍を持つ男。いつの間にか、そいつはそこにいた。

「呼ばれなくても即参上! 特攻野郎Aとは俺のことだ!」

 なんだか間の抜けた名乗りに対して、シズのみならずセリナも気が抜けた。

 背は平均より高い。筋肉の肉付きも良い。顔は戦場を渡り歩く戦士としては割と穏やかで美男とも言えるが、むしろその本質は違うところにあるだろう。

 セリナは彼に対し、初めてアルスと出会った時のような感触になった。



「ウェンシュウ様……」

 法正がほっとその名を呼ぶのと同時に、彼の首筋に当てられていた刀が弾かれた。ウェンシュウと呼ばれた男は、ほとんどセリナも反応出来ない速度でそれをやってのけたのだ。

(強い……)

 微笑すらたたえてこちらを見つめる男の、奥が知れない。

「陛下……」

 黄忠は驚いたように彼を見つめているので、これは法正の独断だったのだろう。

 それにしても、この男の得体の知れない男は何者なのか。

 邪神帝ジンは何人かの危険な神帝や神王について言及していたが、この男のような存在は知らされていない。



 セリナは構えた刀を、そっと下ろした。ただこのまま戦うのはまずいと、経験から感知していた。

 それにしても、黄忠が陛下と呼ぶ。それはつまり、この男は黄忠の主君に当たる存在であり――前世の記憶によると、劉備がそうであるはずなのだが。

 劉備がそこまでの個人の武を持っていたとは記憶にないし、どうも雰囲気がそれらしくはない。まあ、劉備に実際に会ったことはないので、確かなことは言えないのだが。

「それでこれは、どういう状況なのだ?」

 男はこの緊迫した空気の中でも、ごく日常的な会話をするように、平静とした言葉を発した。

 それに対してセリナとシズは、無言の攻撃で応じた。



 セリナとシズ。この近接戦闘に秀でた二人が、前後から同時に攻撃を加えたにも関わらず、男は身を仰け反らせるようにして、両手の戦棍でその攻撃を受け流した。

 二人が熟練した連携の攻撃を加えても、全てそれはかわされ、受け流され、あるいは受け止められる。

 ありえないことであった。



 神帝という存在は基本的に基礎能力値が高く、それに頼った戦い方をするため、二人のような技巧をこらした攻撃も、そのまま受け止めるのが普通である。

 例外である邪神帝ジンでさえ、これほどの攻撃を二人同時にさばくことは出来なかったであろう。

 だが、それを目の前の男は行っている。それも平然と。



 化物。

 神帝という存在は、神竜などと同じく、単に力の塊であるという認識が、覆される。

「む」

 神帝のかすかな気合の発散にて、二人は後退させられた。



 この男は異常だ。

 ジンが知っていたのなら、必ず言及したに違いない。

 今までの神帝とは、同じ神帝でも全く実力が隔絶している。それこそ神帝二人分というぐらいだろうか。

 勝てない。

 二人では勝てない。空母に残る全戦力を投入して、どうにかなるのかも分からない。

 そして全戦力を一人に注ぐには、法正の指揮する高レベルの兵士たちがそれを邪魔しにくるであろう。



 状況が詰んでいる。逃げるしかない。

 だがその気にならないほど、目の前の男は悠然としていた。

 何者なのだろう、この男は。

 法正が陛下と呼んだ、ウェンシュウという名の男。

 セリナは抑えきれず、その問いを発した。

「いったい貴方は……」

「ほう、知りたいか? 本当に知りたいか?」

 イラっとする物言いではあったが、男は上機嫌で、踊るようにステップを踏み、マイケルジャクソンばりのムーンウォークを披露して、自らの名を告げた。



「我は武神帝と呼ばれている。だが東の国からやってきた地球の者ならば、違う名前を知っているだろう」

 もったいぶって、彼は一つ一つの言葉に細かくフリを入れてくる。

 はっきり言ってイラっとくるが、その動作の中にも隙がない。

 そして――散々もったいつけて前フリをした後、男は自らの名を告げた。

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