99 旅程
……旅は長い。
普通の旅であれば、船なら寄港地があるし、陸路なら駅や途中の街がある。
どこにも寄港せず、ただ目的地まで半年も向かうというのは、イスカンダルへ向かうようなものであろう。
しかもそれを阻止しようという敵すらいないのだ。
もちろん勤勉なセリナたちはこの時間を無駄にせず、訓練に励みたいところであったが、彼女たちが本気で訓練をすれば、空母自体が壊れかねない。
しかしこれは困ったものである。訓練をしなければ肉体も技も、すぐに鈍くなってくる。
セリナやシズは型をゆっくりとなぞることによってそれを防いでいるが、それ以外の人員はそんな修行の方法を知らない。
ここで大賢者サージが働いてくれた。
彼は亜空間を作り出し、そこを訓練場としたのだ。
「神聖なる時の部屋みたいですね……」
「あれよりも壊れやすいけど、さすがに空母の中で訓練するわけにはいかないだろうしね」
サージは言ったが、それは謙遜であったことが明らかになる。
禁呪以下の魔法の威力では、この空間を歪ませることすら出来なかったのだ。
「しかし半年かあ。一度行けば次からは座標が取れると言っても、距離がありすぎるなあ。この空母も型から比べてみるとかなり速いけど、どうやって交流してんだろ」
サージの疑問はそれである。ネアース基準で言うと、根幹世界は広すぎる。何かとてつもない移動手段がない限り、遠距離の土地を統治するなど相当に難しいのではないだろうか。
少なくとも大気の存在するこの場所では、音速を超えることが難しい。
「考えられるのは、転移門でしょうか」
ネアースでも使われている技術であるが、大規模な移動には適していないし、維持するコストも高い。
「転移門もあるだろうけど、神帝の転移能力がどのくらいかも……」
クリスが研究者らしく手元の用紙を振ってみる。
「そうか、今までは攻め込まれるばかりだから分かってないか」
捕えた捕虜はしょせん神将レベルの統治者の配下であり、神帝に関しては「ものすごく強い」という程度の情報しか持っていなかった。
ここから考えると、やはり根幹世界は広すぎる。このような広大な大地に、どんな文明が発達したのか。
捕虜から情報は聞き出しているが、彼らにとって当たり前のことや、彼ら程度では知らないことも多いはずだ。
「SFにするには、空気の存在が無駄なんだよなあ」
サージの言葉に、地球由来の知識を持つ人間は頷く。
宇宙空間であれば、大気の層を突破してもっと速度が出せる。まるで世界の移動を妨げるように、大気が存在している。
「そうでもないと思うわよ」
ぼーっと窓の外を見ていたミラが、指し示す先。
丸い窓からから見える延々とした荒野に、壁のように隆起した大地が見えた。
その隆起は空母の進路と斜めに交わり、それが何なのかは、心当たりのある者にははっきりと分かった。
「音速を超えた衝撃波による大地の隆起……」
空を飛ぶという魔法には、実際のところいくつかの段階が不文律として存在する。
まずは浮遊という段階。これは文字通り空中を歩く程度のもの。
次が飛行。馬を全力で駆けさせるほどの速度がこれに当たる。
そして飛翔。音速の壁を突破し、空中戦を駆使する一流魔法使いの証明。当然ながら防壁を発生していないと、衝撃波で自分の体が弾き飛ぶ。
そして最後のものが飛閃である。
これは光速に何%近づくかというもので、惑星状で使えば大災害を引き起こす可能性が高い。
「高度をどれぐらい取っていたかにもよるけど、これは飛閃レベルの痕かな」
そう判断するサージは、実は飛閃の魔法は使えない。
何しろ瞬間移動の方が便利なので。
「飛閃は竜なら使えるはずだな」
プルが言うとおり、竜であれば飛閃は使える。だがそれにも程度があり、ほとんどの竜は光速の1%にもはるかに及ばない速度しか出せない。
ここ最近の訓練で、一行の中には飛閃をかなり高度に使えるまで高めた者がいたが、それでも光速の1%程度である。
肉体を半分気体に変えてしまうという半吸血鬼のミラがそうであるのだが、光速の1%という速度は実際には、神をも上回る領域なのである。
光速は一秒でおおよそ30万キロを通過する。その1%というのは一秒で3000キロ。ネアースであれば一分もかからずに惑星を一周出来る距離である。
セリナとプルも飛閃にまでは達し、そもそも装備のおかげで飛閃にまで達しているシズを加えると、セラとライザがみそっかすになる。
だが実のところ、ライザは己の肉体を光の精霊に昇華させることに成功しつつあり、もしこれが完全に実現出来れば、ライザは光速で移動することが出来るようになる。
「船を止めよう。少し痕を見てみたい」
サージの提案に、一同は賛成する。どうせ半年かかる旅なのだ。少しぐらいの寄り道は誤差の範囲。むしろここから情報が得られれば、そちらの方が嬉しいものだ。
空母を着艦させ、全員で隆起した地面を見る。魔力の残滓はない。相当昔のものだ。
こんな荒野を誰がなんの目的で移動していたのか、少し疑問が残る。
「進路とは違うが……他の国があるんだろう」
ナルサスが隆起を左右に見るが、それはネアースの方向とも神将の領域の方向とも違う。
「……神帝の力の跡」
いきなりライザが呟いて、一同はぎょっと驚く。
「神帝の力って、どうして分かる?」
ナルサスの疑問に、ライザはこてんと首を傾けるが、言葉が出てこない。
相変わらずコミュニケーションに独特の間があるが、ナルサスも弁えているのか、辛抱強く答えを待つ。
「……精霊に力が残ってる。だから」
そんなことが分かるのか、と全員が思うが、そもそも精霊術というのは魔法とはまた違った系統の力である。
竜でさえ半分不可解なその力に、言葉になる答えを求めるのも難しいのかもしれない。
「どれぐらい前のこと?」
セリナの問いに、今度はすぐにライザは答えた。
「一年ぐらい前。あっちの方向に」
一方通行だと、ライザは指を示した。
「神帝……今回は関わらないはずだが、もし何かあったら、サジタリウス様に転移で逃げられるようにしてもらおう」
ナルサスの意見には、全員が賛同した。
長い旅立ったはずだが、途中からその速度が上がった。
単にセリナやプルが魔法で空母を後押しして、それをライザが上手く空気の動きに変えたからだ。
「なるほど、それはいいことですね」
スクリーンの向こうでフェルナは言っているが、正直疲れた顔をしている。
そういうことが出来るなら、最初からしてほしかったというものだ。ライザにそれを求めるのは難しいのだろうが。
「そちらには何か?」
ナルサスが問うが、ネアースでは特に何も起きていないという。
もちろん小さな混乱はいまだに続いているらしいが、暴動のようなものは起こっておらず、神将などの敵が襲ってきたということもない。
まあ細かい治安を維持するだけで、充分に大変なのだろうが。
ライザの言った神帝の移動の跡に関しては、フェルナも少し関心を持ったようである。そして移動速度が上がったことについては、どうして誰もそれを指摘しなかったのかと、頭を抱えたものだが。
まあ空母の船体の強度を考えると、それも無理はなかったのだが。
「つまりそちらは何者にも接触してないということですね?」
「ああ。ひょっとしたら魔物の類が出てくるのかと思ったが、完全に荒野だ。草一本見当たらない。光合成も出来ていないだろうから、呼吸が出来るのも不思議なものだが」
そもそも根幹世界には酸素が必要なのかとか、そういう問題も最初は出ていた。だが結局のところ、物理現象に関しては特に問題も出ていない。
「こういう土地を見ると、開拓出来ないか興味が湧くけどな」
ナルサスはそう言うが、現実的に見てそれは無理だろう。
根幹世界の領域に入って以来、雨が降ったことも雲を見たことも一度もない。
セリナの地図で地底を探ってみても、水脈や鉱脈も反応しない。
完全なる不毛の大地。ここでは基地や中継所を作るのも難しいし、維持が出来ないだろう。
かくして旅程は短縮され、おおよそ一ヶ月で目的地に到着することとなった。
……本当に、ライザはこちらから言わなければ出来ることに思い当たらない。
まだ若いハイエルフで、エルフ的にはまだ子供と言えるので、仕方がないと言えなくもないが。
だがライザも成長はしているのだろう。どこかを見つめて考え事をしている姿を見られることが多かった。
そしてついに、セリナの地図に生命反応が現れる。
「前方400キロ! 植物の反応です!」
「言われなくてもね……」
せっかくのセリナの報告ではあったが、ブリッジに詰めている者には明確に分かっていた。
上を向いて、山脈のようにそそり立つ無限の大地。
そこにははっきりと植物の存在を知らしめる、緑の色が広がっていた。
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