96 前日
敵を待つのは辛いものである。
敵ではないかもしれないが、それはそれで別な緊張感をもたらしてくれる。
テルーが把握している相手側の動きは、そのまま関係各所に教えてくれる。どうやら竜爪大陸だった場所の南端で、接触しそうである。
ジンを見た限りでは相手は知的生命体であり、いきなり問答無用でこちらを攻撃することはないだろうと期待している。
だが想定は最悪にしておくべきである。文明の度合いが上がっても、人間の本性が暴力的なものから自由になれるとは限らないからだ。
さて、この竜爪大陸の南端は、地上に軍を展開するのに適した場所ではない。
ネアース世界の海ごとこちらの世界と接続したので、最初に接触するのは海となるが、竜爪大陸には海軍らしい海軍がない。
また空軍もお粗末なものである。率直に言って天竜ラヴェルナが竜の姿となれば、他の全ての飛行生物や兵器を駆逐できる程度のものである。
そして地上部分は山脈の端となっているため、大軍や兵器で戦闘を行うのには向いていないのだ。
ネアースの飛行船の速度では、何者かの接近を知ったところで竜爪大陸の南端に向かうのには時間がかかるし、そのための基地など整備されていない。
よってここでの戦力は、少数精鋭の戦士たちとなる。
「見えるか?」
遠く根幹世界の風景を眺めていたセリナに、プルが声をかける。
振り返ったセリナの瞳は、両方が黄金色になっていた。
ここ最近の訓練は激しく、ようやくセリナの潜在能力は解放されていた。
「神竜でも見えないのに、見えるはずがありません」
そもそも視力より、セリナの地図の方が観測には向いている。
テルーが語ったこちらに接近する飛行艦隊の速度は、ネアースのそれとはあまり変わらない。
しかし航続距離は比べ物にならない。ネアースの大型飛行船は、恒星間航行すら可能な箱舟を別とすれば、せいぜい惑星を一周する程度のものでしかない。それは、それ以上の必要がないからでもあるのだ。
もちろん燃料となる魔石や魔結晶を用意しておけば、もっと遠くまで飛ぶことが出来る。しかしそのためには食料や水などの必需品を減らす必要がある。
時空魔法で倉庫の容量を上げることも出来るが、今度はその魔法を維持するためにまた魔結晶などが必要となるわけだ。
つまり向こうの飛行船は、速度が最低でもこちらのものと等しいという以外は、ほとんどの性能が上回っている可能性が高い。
「参ったな……」
そう言ったマートンの表情は、本当に参っていた。
「もし戦えば、軍同士の戦いはこちらの惨敗になると思います」
航続距離の問題だけでも、マートンが悲観的になる理由になる。
しかしこれは、相手の戦力をかなり高めに見積もったものではないだろうか。
「この距離をわざわざこの速度で飛行してくるというのは、それが限界だからじゃないか? 普通なら最大速度で飛行して、一刻も早くこちらを偵察しようとすると思うんだが」
ナルサスの言葉に、マートンはくしゃりと頭をかいて考えた。
「サジタリウス様ほどではなくても時空魔法使いが一人いれば、燃料や物資の問題は解決しますから、楽観的に考えるならそれもありかもしれません」
あまり速度を出さないのは、こちらの出方を覗っているからという可能性もある。
頭脳陣は大変である。
一方その頃、セリナたちはやはり竜爪大陸の南端部で、訓練をしながら現地勢力を待っていた。
向こうの飛行船との距離は250万キロ。時速500キロで飛んでも半年はかかる距離である。
これは単純な偵察と考えられる。もしもいきなり襲う手はずならば、途中で中継地点を作る必要がある距離だ。
転移するなら一瞬であり、サージや神竜なら、この距離を転移するのも不可能ではない。
しかしいきなり転移して近づけば、敵対的な行動と見られる可能性がある。
それを思えば、相手にはとりあえず敵対する意思はないと考えられる。
そもそもここまで遠距離にあるネアースに、わざわざ侵攻してくる必要があるのだろうか。
条件を積み重ねていくと、まず心配はいらないだろうという結論に至る。
もっともそれは、相手がこちらと同じく、論理的に考えられればという話であるが。
ジンの情報からして、根幹世界には、ただ征服するためだけに征服する、という国もあるらしい。彼からはまたこの近辺の話を聞きたいものだが、接触してくる様子はない。
根幹世界というのは所謂物理法則の根本的な部分があやふやで、その果てを見た者はいない。
地球世界での宇宙の果てはどうなっているのかという話題以上に、その果ては不思議の塊となっている。
そもそもこの根幹世界が発生から何年経過しているのかも分からない。
ジンの調べたところによると、7962億年は経過しているそうだが、これが地球世界なら宇宙は消滅しているぐらいの時間単位である。
根幹世界。
まさにありとあらゆる幻想の根幹にある世界とも言える。
無限に広がる大地は果てしなく、その所々に空いた穴から、小さな太陽が昇っては沈む。
地面に立っている以上、重力はあるように思うのだが、それが本当に重力なのかも分からない。物理学者と魔法使いは、共同で色々な研究を開始している。そして発狂しかけていたりもする。
そして旧ネアース世界とも言える範囲内では、意外なほど混乱が起きていない。
球体であった世界が平面になったのだから、交通の面でも大変なことになるはずなのだが、そもそもネアース世界はどの地方にも安全に素早く移動できる環境にはなかった。
空には巨大な魔物がいて、海にはさらに巨大な魔物がいる。これが地球であればアフリカ大陸から南北アメリカ大陸に渡るのには大西洋を横断すれば良いのだが、ネアースでは距離があっても竜骨大陸を経たほうが安全であった。
環境に関しても、季節風や四季、海流といったものは神竜の力で以前と同じように抑えられている。表面上はまだ問題は起こっていない。
夜になれば天空に見えていた大地が消え、星が見えたりもする。
空間が歪んでいるのは間違いないが、その法則性も分からない。もっともこれは、下手な転移魔法が使われないという好条件ともなるのだが。
竜爪大陸南端では、急ピッチで拠点となるべき軍事基地が建設されている。
魔法使いと機械を間断なく使う、贅沢な工事であるが、背に腹は変えられない。
半年という猶予も、あくまで現状の情報から考えられているものであるので、過信はしない方がいい。
戦闘員は厳しい訓練を受け、特に一騎当千の強者は少しでもレベルを上げ、技能を高めようとする。
最前線は竜爪大陸南端。補給の問題もあるため、いくら設備を整えたとしても、そこまで物資を送るインフラが整うにも時間がかかる。
最悪そこは放棄して、大陸の中央部まで撤退することも視野に入れておかなければいけない。
……そうなると、最初から基地まで作る必要はないのだろうが。
緒戦に戦うのは、以上の理由によって常人を超越した戦士たちとなる可能性が高い。
それにしても半年という時間は、緊張感を保つのには無理がある長さであった。
「……暇だ」
召集されはしたものの、敵の存在が明らかにならない日々を送るうち、ジークフェッドはだらだらと過ごすことが多くなっていた。
もちろん名高い彼のことであるから、訓練の相手を頼まれることもあったし、気が向けば応じることもある。
だが元々才能だけで強くなった彼である。気が向かなくなることもすぐであった。
召集された戦士の中には、一度前線から戻る者も多かった。
敵と目される相手は人種であり、対人戦闘の技術を磨くのは重要であったが、ベースとなるステータスを高めることも同じように重要だったからだ。
幸い竜爪大陸から悪魔と昆虫人はほぼ駆逐されたが、普通の魔物は残っているし、強力な個体が生息する迷宮もないではない。
だが経験値を得てレベルを上げるというのは、まだその余地があるということでもある。既にその方法ではレベルが上がりにくつつあるセリナたちは、地味に訓練を続けるしかない。
それでも時々は迷宮に潜って、悪しき神の討伐などをしているのだが。
そしてここでセリナは、懐かしい顔と出会うことになった。
いや、顔は変わっているのだが、前世の仲間であった。
ジークフェッドのパーティーに最近加入した槍使い、トリーである。
「いや~、やっと出会えたな。って言うか、ネアースに転生してるとは思わなかった」
気安い関係に、セリナの口調も明るくなる。
「あたしも迷ったんだけど、こっちに転生したら、地球よりも生きやすかったろうし」
第三次世界大戦の後、安全な環境というのはきわめて貴重なものとなっていた。
それに比べればまだしも、ネアースの世界の方が、安全な地帯は多いと思ったわけである。
トリー・ラグウェル。年齢は19歳。
持っている祝福は看破、耐性、不老不死といった珍しくはあっても人間以外ならよくあるものである。
そんな彼女が転生時に選択した、一つ特別な祝福がある。
それは万能治癒というものであった。
前世では異なる祝福を受けた彼女であるが、あの祝福は確かに強力であったのだが、乳幼児期に死亡する可能性が高い、分かりやすい弱点があった。
それに対して万能治癒は生存するためには便利な祝福である。セラと役割がかぶってしまうが、トリーにはセラにはない接近戦能力がある。
「じゃあ折角だし、久しぶりに立ち合ってみるか」
「そうだね。かなり差はつけられちゃったと思うけど」
そしてセリナの刀と、トリーの槍が交差した。
刀と槍、どちらが強いかという論争には、明確な答えがある。
槍の方が強い。
だが刀は携帯性に優れるため、また屋内戦闘に向いているため、槍よりも修行する者が多く、人数が多ければ研鑽もさらにされていくものである。
よって論理的には槍より弱いはずの刀で、セリナはトリーを圧倒する。
隔絶した技の差がある場合、武器の優劣は問題にならない場合が多い。
致命傷にいたるような傷も万能治癒ですぐに癒してゆき、二人は半日も訓練をし続けた。
やがてトリーの方に体力の限界がきて、地面に座り込む。
体力の回復も万能治癒では可能なのだが、精神的に集中力が切れたらしい。
トリーの隣にセリナも座り込み、同じ方向を向いた。
竜爪大陸の南端。さらにその先へ。
「……勝てるかな?」
トリーは小さく呟いたが、セリナは首を振る。
「分からない。正直に言って相手の戦力が不明だし、そもそも何をもって勝利とするのか」
ナルサスとマートン、そしてフェルナの意見は一致している。ネアースの安全保障だ。
そのために今、政治家たちはネアースを一つの政府として統合しようとしている。
ネアース世界の統一。三大強国のガーハルト、オーガス、レムドリアは賛成している。
ニホンはあまり乗り気ではない。あの国には天皇がいる。権力としてはともかく、権威、象徴としては4000年以上の歴史を誇る家柄だ。今でもそれを意識する者は多い。
まあ世界の名家として名を残すことは可能なのだが、名目上とはいえニホンは天皇を最高権力者としているため、統一政府に同化することは難しいかもしれない。
国連をさらに強めたような存在になるかもしれないが、ネアース自体が一つの国家のようになってしまっているため、いずれは天皇も消えてしまうかもしれない。
前世が日本人という二人にしては、些かならず不思議な感情を抱いてしまう。だがここまでくれば、世界の流れを止めるわけにはいかない。
時が過ぎる。
半年という長いようで短い準備期間が、終わろうとしている。
強さが足りているのか、だんだんと不安になっていく。準備は整っているが、それが適性なのかは分からない。
そしていよいよ明日、ネアースの海上に根幹世界の存在が姿を現そうという時。
既にセリナは15歳になり、レベルも450を突破していた。
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