92 絶望の序曲
やはり能力特化型か、とアルスは判断した。
死神帝バミラは、そのあまり実践的でないと思われる大鎌を武器にアルスと打ち合うのだが、接近戦技能は圧倒的にアルスが上であった。
だが、そもそも根本的に、ダメージが与えられない。
聖剣で切っても、バミラの肉体を素通りする。霊体であっても切り裂くはずの聖剣が、全く意味をなしていないのだ。
かといって魔法で攻撃しても、やはり素通りする。禁呪を使えばどうなるかは分からないが、そこそこ近い距離に集落があるここでは、大規模な魔法は使いたくない。
アルスはバミラとの攻防の中でも、少しずつ北へと戦場を移していった。
ガーハルト帝国は世界の北に位置する国であり、そのままの環境であるなら当然ながら寒い。
国土のほとんどを簡易な結界で覆っているので、住民にはそれが感じられないのだが。
アルスはその結界を抜けて、人種の生息しない北極圏へと戦場を移した。
バミラが素直にその動きについてくるのが不気味であったが。
「ここなら生き物がいない分、力を出せるというわけかな?」
アルスの思惑はしっかりとバミラにばれていた。
負傷して戦闘力の衰えた仲間から離れるということもあったが、まず戦場を限定したかったのだ。
もっともこのバミラの力がネクロほどもあるのであれば、山を砕いてその向こうの戦場跡にまで力は及ぶのだろうが。
カーラは付与魔法でアルスを援護し、少しずつ己の魔力の回復を待っている。
ルギアスは冷静に戦況を見ている。猪突猛進が身上の彼だが、切り札の一撃はここぞという時に叩き込みたい。
そしてゲルマンが転移でやってきた。
彼は戦況を見るや英霊を召喚し、アルスの援護に向かわせる。
だがこれはバミラ相手には全く効果がなかった。
彼に接近すると、英霊が消滅してしまう。死を司るというのは伊達ではないらしい。
ゲルマンは基本的にオールラウンダーな魔法使いであろうと心がけていたが、前世において最高位の神を英霊召喚で倒した経験から、召喚魔法と死霊魔法をメインに訓練していた。それがこの相手とは決定的に相性が悪かった。
逆にサージは相性がいいと思われるのだが、いざという時に時空魔法を最高出力で使って、相手を元の世界に叩き返すため、魔力を温存する必要がある。
つまりこの状態では、アルスの援護をしてくれる援軍が来れない。
他にも数名いる実力者は、それぞれがそれぞれの仕事を抱えている。
緊急事態でなければ、フェルナなどは先頭切ってこの場に現れただろう。
(まずいな。すぐに倒される類の相手ではないのかもしれないけど、確実にこちらを消耗させてくる)
死を操るというからには、生命力も操るのであろう。アルスは自分の体力や魔力が、通常の戦闘よりかなり速く減っていくのを感じていた。
遅滞戦闘でもしろというのか。アルスは苦笑するだけの余裕がまだあった。
「ほう、何やらまだ余裕がある様子。ではこちらも少し本気を出そう」
結論。戦闘中に無理に笑うのは良くない。
バミラの周囲から、灰色の霧が現れた。
かすかにそれに触れた瞬間、アルスは猛烈な脱力感を覚える。
体力や魔力を吸収されたというより、精神力を消耗した感覚だ。
「そこそこ力はあるようだが、これに触れ続けると簡単に死ぬぞ?」
フードの奥に隠れた顔は、ミイラのものであった
なるほど死神らしい姿だ。アルスはこの期に及んでも感心した。
ネアースにおいては死霊の王、リッチと呼ばれる存在である。
知性的なアンデッドであり、生きている人種と交流することも出来るが、そもそも巨大な怨念を抱いて誕生する魔物であるため、その交流が悲劇的なものになることがほとんどだ。
アルスが魔族を統一するにおいて、ネアースではほぼ絶滅させた存在だ。しかし目の前の相手は、似ているだけでおそらく存在は一段階上。
自分より強い。
一人では勝てない。この場の戦力を合わせても、まず勝てない。
だが、光明が見えた。
人種の中では、余裕があって来れる者はいない。
しかしアルスの味方は人種だけではないのだ。
大地に落ちる日光を遮る影。
天空を見れば巨大な肉体を誇る、この世界最強の存在が、何百体といる。
竜だ。成竜だけでなく、古竜までいる。
そしてアルスの横に、二つの人影。
「待たせたかな?」
赤い髪に、相変わらずスラムの子供のような粗末な服を着た少女
火竜オーマ。この世界における最強存在である神竜の一柱。
「生きてるなら大丈夫だよね。間に合って良かったよ」
金色の巨大な鎧を身にまとい、大剣を軽々と扱う金髪の少女。
黄金竜イリーナ。神竜たちの中ではレイアナに続いて、人型形態での戦闘力を誇る。
二柱に左右から支えられるような感触を覚えて、アルスはその身に力を入れる。
「百人力どころの話じゃない援軍だな。だけど気をつけろ。あいつの力は神竜以上だ」
レイアナやラナの連絡から、神帝という存在が神竜よりも強力だとは聞いていた。
しかし二体の神竜に加え、大空を飛び交う無数の古竜を計算すればどうだろうか?
さらに神竜の中でも、イリーナとオーマは、レイアナほどではないが人型での近接戦に慣れている。
基本的に竜は、超遠距離からブレスをぶっ放すのが、戦闘におけるお仕事なのだ。
「行くよ~」
間の抜けた声を出し、イリーナはバミラに駆け寄る。
ドタバタと。しかしものすごい速さで。
強化などしていない、単純な肉体能力の結果だ。
かつては身体能力だけで戦っていたイリーナであるが、レイアナやカーラの指導を受け、人型でも強力な戦力となっている。
怪力を誇る腕で大剣を振り、バミラの肉体を上下に真っ二つにした。
もちろんそれで死ぬような存在なら、アルスが脅威に感じるはずもない。
上下に分かれた肉体はそのまますとんと上体が腰に落ち、切れ目もなく次の動きに移った。
死を司る者は他人の死だけではなく、自分の死さえも支配するらしい。
「厄介だな」
「そうか? 不死ではあっても不滅じゃないんだろ?」
アルスの呟きに、オーマが軽く返す。
その小柄な体が変化し、小さな竜の姿を取った。
わざわざ人型で登場して、竜に変化する。その意図がアルスにはすぐに分かった。
「イリーナ、適当なところで離れろ」
おそらく理解していないだろうが、イリーナは素直な子なので、数度バミラと打ち合った後、大きく跳躍して下がる。
そこへ、オーマのブレスが直撃した。
神竜のブレス。その中でもオーマのブレスは、破壊力においてはイリーナの次ぐらいに位置する。
余熱で周囲の大地を蒸発させ、さらには大気をプラズマ化させながら、ブレスはバミラに直撃した。
「やったか!? ……いや、まあやってないんだろうけど」
アルスが盛大にフラグを立て、即座にそれを折ろうとした。
バミラは確かにやられてはいなかったが――そのローブは燃え尽き、ミイラのような外見を現してしまっていた。
「……リッチ?」
こてんと首を倒して、イリーナが疑問の声を上げる。長命の彼女でも、世界の闇に隠れて生きるリッチの存在は、知識でしか知らなかった。
「気をつけろ。攻撃を防いだと思っても、こちらの生命力を奪っていくからな」
珍しくもいささか緊張感の伴った声で、オーマが注意する。
これまでに得た神帝たちの情報によると、そもそも神帝とは力任せのパワータイプが多いらしい。
だが目の前の敵は、明らかに異能に優れた雰囲気を漂わせている。斬撃もブレスも純粋な物理的な攻撃ではあるが、普通はブレスの一撃で消し飛ぶものだ。
不死の祝福を持つ吸血鬼の真祖でさえ、神竜のブレスの前には消滅する。概念的な結界や防御も、それごと消滅させてしまうのが神竜のブレスなのだ。
それが通じない。オーマにとっては初めてのことだった。
イリーナとアルスが人間として接近戦を仕掛けるのとは違い、オーマは竜の姿のまま攻撃を繰り返す。
竜の爪や牙はオリハルコンであろうと破壊し、その鱗はオリハルコンの刃も通さない。
だがその鱗にバミラの鎌が触れるたび、オーマは脱力感を感じていた。
対して鎧で武装しているイリーナはそれほどでもない。
まずいな、とオーマは考えた。
神竜とこの敵とでは、相性が徹底的に悪い。このまま戦いが続けば、まず自分が倒れる。
ネアースの世界において、オーマの存在は世界の秩序を維持するための一部である。それが失われることはまずい。
下手をすれば今進行している異世界との接触が、一気に進んでしまうかもしれない。
かと言ってイリーナをこの場に置いて自分だけ撤退するのは論外だし、アルス一人に任せるのも無茶である。
こちらの攻撃でさえこちらにダメージが加わることで、オーマは焦っている。
対等以上の敵と戦ったことがないという弱点が、神竜であるオーマにはあるのだ。
イリーナはともかく、アルスはそれでも状況は改善したと思っていた。
ルギアスはほんのわずかな時間であれば、自分をも上回る力を発揮する。その数秒にかけるため、アルスは削られていく体力や魔力を我慢している。
その意図が分かっているので、ルギアスは構えたまま動かない。ゲルマンの指示を待つ。
ゲルマンと彼はあまり仲が良いとは言えないが、戦友としては認め合える関係だ。
だがその作戦を理解出来ず、台無しにしてしまう存在がいた。
皮肉にもそれは、最強の存在であるはずの火竜オーマであった。
オーマは生まれた時から強く、策を考えて強者に勝つという経験がなかった。
それゆえ現在の劣勢をそのまま信じてしまい、あせりから不用意で渾身の一撃を与えようとした。
竜の牙。本来なら全てを破壊する武器である。
だがそれに対してバミラは鎌で迎撃し、思ったとおりにオーマの力が抜ける。
とどめの一撃が加えられる前に、ルギアスが動いた。
『覚醒』
ほんの数秒間だが、全ての能力値を高める祝福である。
ルギアスの前世において、知人の一人が持っていた強力な武器。
それをタイミングを誤って使ってしまった。
オーマとの連携が取れていないことが、全ての元凶だった。だがアルスにしろ、神竜と共に戦った経験などはほとんどないのだ。
何よりオーマは、神竜の中でも比較的戦闘経験が少なかった。
そして悪夢の瞬間が訪れる。
ルギアスの数秒の奮戦は、わずかにオーマを延命しただけであった。しかしそのわずかな時が、オーマを死の顎から救った。
イリーナは盾になろうとオーマとの間に入り、アルスは牽制の攻撃をバミラの背後から加えようとする。
だがそれはバミラの罠であった。
バミラはこの中で誰が一番厄介か、ちゃんと分かっていたのだ。
振り返ることもなく、バミラの大鎌が、アルスの鎧を貫き、その肉体を半ば切断していた。
まずい。
死が迫っている。その途上においても、アルスの頭脳は冷静に働く。
ここで自分が死ねばどうなるか、ルギアスは殺される。ゲルマンやイリーナたちは転移で逃げられるだろうか。
それよりもここでバミラを放置すれば、南下して帝国の中枢を破壊するのではないか。
もしここで自分が死に、そしてフェルナまでいなくなれば、全ての作戦は崩壊する。
喉からこみ上げる血液に呼吸を乱されながらも、アルスは最悪を回避しようとする。
自分が死ぬことは、最悪に近いが最悪そのものではない。
サージの時空魔法でバミラを追放するという手も、不確かである。
だから、ここで倒す。
つい先日完成した、使う者などいないであろう禁呪を使ってでも。
ミイラの顔に喜悦の表情を浮かべるバミラ。それに対してアルスは聖剣を捨て、両手でバミラの顔を掴む。
迷いはない。迷うほどの余裕がなかった。
そして魔法が発動する。
『我が命と引き換えに』
それは、アルスの知る限りで最も強大な魔法。
長く生き、強大な魂を持つ者ほど、強大な威力を発揮する魔法。
命と引き換えに使う、たった一度の魔法。
アルスの生命が燃焼し、バミラに殺到する。
不死であるはずの肉体も精神も、全てを焼き尽くし、砕きつくし、滅ぼし、無へと帰す魔法。
絶叫の中、バミラが消滅する。
それを見ながら、アルスも倒れた。
疲れた。
もうゴールしてもいいかな。
この期に及んでアルスはそう考え、自らの血だまりの中でかすかに笑う。
こちらに駆け寄る真っ青な顔のカーラや、愕然とするルギアスを見つめる。
ごめん。
あとは頼んだ。
フェルナ……。
そしてアルスの意識は消滅した。
アルス・ガーハルトが死んだ。
これが目に見える絶望の始まりだった。
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