90 乱神討伐
魔神ルキエルの示唆から三日後、セリナたち一行は目的の迷宮に到達していた。
「っていうか、迷宮よりもここまで来る方が大変だったんじゃない?」
ミラはぼやいているが、その感想は当たらずとも遠からずといったところか。
乱神ラドミエルの迷宮は、悪魔たちの棲家の森にあった。
当然ながら上位悪魔や昆虫人の襲撃は多く、しかしながらそこを六人で突破するという無茶を通すのがこのパーティーである。
レベルも少しは上がり、特にライザの成長が著しい。逆に壁を突破できていないのがミラである。
ミラの接近戦技能は己の不死性を前提に組み立てられているし、魔法に配分を置いた訓練をしてきたわけでもない。
鉤爪というきわめて限られた者が使う武器に関しては、さすがのシズも教えることがない。
体術をセリナから教えられて、これはダンピールの彼女にはかなり有効であったが、そもそも体術は人種を相手に考えられた技が多い。
魔法にしてもアルスたちから研究されて開発されたものが送られてくるのだが、使いこなすには技能レベルが足りていなかったりする。
だが、壁は見えてきたのだ。あとはそれをどう突破するかだ。
迷宮の入り口は、まるで神殿のような建物であった。
しかしその意匠のモチーフはSAN値を直撃するようなもので、やはり精神を攻撃するような神には相応しいと言えよう。
「隊列はどうしましょう」
セリナが問う。普段なら索敵能力に優れたセリナが先頭を行くのだが、ここ最近はいろいろと試行錯誤している。
「あたしがやってみたい」
ミラが手を上げる。一同の視線が無言で交わされ、そして頷かれた。
元々ミラの能力は、斥候に向いている。レジスタンスとしてレムドリアで活動していた時も、姿を隠したり奇襲をしたりするのは得意だった。
地図の祝福と万能鑑定を持つセリナが便利すぎる人材なだけである。
ついでに半獣人のシズも五感は相当に高いため、セリナの万能鑑定と地図を欺くほどの敵も、彼女が対応してくれる。
さらにはライザも周囲の精霊が警戒してくれるわけで……プルとセラの二人以外では、ミラが戦闘に立つ必要はない。
しかし何事も経験である。
神殿の奥の階段を下り、迷宮の中に入った。
「なんだこれは。目がチカチカするぞ」
プルの言葉に頷く一同だが、セリナは迷宮の壁や床、さらには天井にまで描かれた記号や文字を、前衛芸術と捉えていた。
「混乱の魔方陣ですね。常人なら発狂して自殺するか、仲間同士で殺しあうでしょう」
セラはそう言って腕を一振り。迷彩を通常の迷宮の風景に変えてしまった。
「……精神に働きかける魔法を使うそうですが、セラと比べるとどちらが上なのですか?」
微妙にセラの反発を買うかもしれないセリナの質問だが、セラはにっこりと笑って答えた。
「単に人の心を乱すことと、それを操って争わせ裏切らせること、どちらが難しいでしょう?」
笑顔は美しいが、やはり中身は邪神である。
「それにそもそも、ラドミエルは正常な精神というのを理解出来ていない神でした。こちらを混乱させることは出来ても、誘導することは難しいでしょう」
セラの言葉は正しく、本来ならば複雑に見えて背後を振り返れば形の変わる迷宮も、セラの手が翻るたびに正常な、つまり理解しやすい形へと戻っていく。
これはセラが、ちゃんと人種の正常さと異常さを理解しているから出来ることだ。
「ラドミエルは人型の神ではないんだよな?」
プルが確認するように問うと、セラが頷いて説明をする。
「無数の触手と眼球、そして這いずる節足で構成された肉体を持っています。見るからに悪しき神々ですが、戦っていくうちにさらに変態していきますので、今がどんな形をしているか分かりません」
同じ悪しき神々であっても、セラとラドミエルは仲が良くない。
ラドミエルは単なる混沌である狂気を、セラは秩序だった悪意をいとしむので、価値観が違うのだ。
どちらにしてもろくでもないのは間違いないのだが。
「それはともかくとして、来たよ」
ミラが両の鉤爪を伸ばす。迷宮の回廊の奥からは、比較的まともな形態の魔物が駆けてくる。
「哺乳類系の見た目はありがたいなあ」
猪と狼の中間のような獣である。目が真っ赤だが、それは無視出来る程度の怖さである。
すれ違い様にミラの鉤爪が閃き、魔物を上下に両断した。
しかしその体内から、無数の触手が現れた。
「キモ!」
反射的にミラは凍結の魔法で触手を凍らせる、その後容赦なくそれを砕き、経験値とした。
「あ、危なかった。見た目で騙されるところだった」
ぷるぷると震えるミラであったが、触手に絡まれるのはビジュアル的にライザの役目であろう。……いや、今のご時勢ではミラでいいのか。
そんな不穏なことを考えながら、セリナはしっかりと地図を発動させている。
ミラには内緒だが、この迷宮はただ強ければ攻略出来るという類のものではないだろう。
三日間をかけて、最下層に到達する。その間、精神的に疲労したのはミラとプルの二人である。
元々感性のおかしいセラはともかく、セリナとシズはその精神が強靭故に、またライザは無関心故に、精神的な攻撃が効かなかった。
おかげで精神系の攻撃に対する技能レベルが上がった二人である。
そして目の前にあるのは、おぞましげなモチーフの彫刻がなされた門である。
もしこれをデザインしたのが人間であれば、それは間違いなく狂人である。
「で、開けるのかの?」
シズの声には、なんなら自分が開けてもいいという響きがあったのだが、ここまでの過程でミラの精神は狂いながらも慣れてきている。
「ここまでかかったストレス、ぶちまける相手は神の方がいいわよ」
そう言ったミラはキレぎみに片足を上げ、門を破壊した。
迷宮の主の部屋は、回廊よりもさらに悪趣味だった。
床と壁が鮮やかな虹色で、そのくせ動物の体内のように脈打っている。
血管のようなものが見え、その中を巡っている体液は青い。
「うげえ……」
「これはひどい」
ミラとプルは呻いているが、セラはどこか恍惚とした表情を浮かべているし、ライザは無反応である。
セリナとシズからしたら、戦場跡での一番悲惨な状況と比べれば、たいして差はないというところだ。
「それで、あれを相手にするわけじゃが」
シズが指差すのは、崩れた金塊を玉座のようにして座る異物。
セラの言った姿ではなく、さらにそれは酷い。
甲羅を背に、無数の触手には吸盤と爪。目は人種の眼球だけでなく、昆虫の複眼が混じっている。
象のような巨大な鼻があり、そこからは明らかに状態異常をもたらすであろう鼻息を洩らしていた。
おそらく強いのだろう。高位の神であることは間違いないのだから。しかしその威圧よりも嫌悪感が先に来る。
「……二人いれば倒せる程度だな。まあミラはその一人として、もう一人をどうするか」
ナチュラルに自分は外そうとしているプルに対して、ミラは憤激する。
「ちょっとあんた! あんな這い寄る混沌相手を、あたしに押し付けないでよ!」
「だがまあ、お前の壁を乗り越えるための試練だろ?」
「あんただって経験値は欲しいんでしょうが!」
「いや、あれの相手をするのは私の美意識に反する」
「あたしだって嫌に決まってるでしょうが!」
醜くも、もっともだと思える争いをする二人の前に立ち、セリナは太刀を抜いた。
「気をつけてください。あれは精神をえぐる攻撃をしてきますから」
セラは後ろから呑気に声をかけてくるが、いざとなればちゃんと援護してくれるのだろう。たぶん。きっと。
そしてセラよりは少し前に立ったのはライザである。
エルフと触手の相性の良さ、あるいは悪さを考えるときわめて危険だが、本人はやる気である。
「だ~いじょうぶ。ま~かせて」
ライザの抑揚に欠けた声と共に、戦闘は始まった。
ひどい戦いであった……。
精神魔法という魔法がどれだけ凶悪か、自らはそんな洗礼を浴びたことのないセリナは、戦場であるにも関わらず思わず目を覆ってしまったものだった。
目を覆いこそしなかったが、シズもまた呆れた顔を隠さなかった。
楽しそうに戦場跡を眺めるのはセラだけである。
ミラは狂戦士のように敵味方の区別なく暴れ回り、結果的にはラドミエルに止めをさしたのは彼女である。
しかしその後がっくりとうずくまり、アヘ顔を晒しながらぴくぴくと震えている。
プルはそんな状態にはならなかったが、戦闘の途中からは正気を保つため、一秒に一回ぐらいの割合で自分の足を剣で刺していた。
自傷癖にはならないだろうが、精神的にはやはり疲れたらしい。
ライザは遠距離からの攻撃に徹していたのだが、性格的にも性癖的にも嫌らしいラドミエルは、触手を伸ばして彼女の服だけを溶かしていた。
粘液塗れのライザは……率直に言ってイカ臭い。
「それじゃあ綺麗にしましょうねえ」
セラはそう言って魔法でライザを洗浄しようとしたが、それを拒んで自分で身を清めるのがライザである。
なお予備の服はセリナから渡されている。
それでも一度は風呂に入りたいだろうが。
この粘液は水で洗い流す程度では落ちないだろう。
セリナが峰をミラの頭にがんがんと打ち付けると、彼女は正気を取り戻した。
記憶がないのは幸いであろう。何が起こったか、セリナは言うつもりはない。おそらく絶妙のタイミングでセラが暴露するだろうが、それを止めるのはきわめて難しい。
プルは精神的に最も疲労していた。プレイの時も、彼女は攻められる側でなく攻める側である。
根本的な部分で自我を傷つけられたので、数日は寝込むかもしれない。
だがそれでも、乱神討伐は成功であった。
精神的には大きなトラウマを抱えたかもしれないが、大丈夫、彼女たちなら立ち直ってくれる。
そうセリナは信じ――祈ることにした。
《ミラ、プル、ライザの精神汚染耐性が上昇しました!》
「お帰り。おや、随分と消耗したようだが、そんなに強い神ではなかっただろ?」
神竜軍の陣営で、爽やかな顔で出迎えたルキエルに、被害者三人は凶暴な視線を向ける。
文句の一つや二つは出る様子であったが、それが止められたのは、陣営内の中枢に漂う緊迫した、そして絶望的な雰囲気が原因であった。
「何があったんですか?」
セリナの問いに、珍しくというか神らしくもなくというか、口ごもってルキエルは迷った。
その情報を自分が伝えるべきかどうか。それは彼には判断がつかない。
だが殺伐として、全く余裕がなくなっている神竜軍の幹部たちに比べれば、自分が言ったほうが適切なのだろうと、きわめて常識的な判断力を持つ彼は認めた。
「それがね――」
そしてその短い情報は、セリナたちを硬直させ、絶望させた。
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