89 戦争への道
昆虫人は元々、悪しき神々の中でも、人間の理解の範疇の外にある神が作り出したものである。
知能はあるがその思考は人種とは異なり、共存することは不可能。
何人かの女王の元に集団が形成され、ある意味人間よりも規則的な社会生活を行っている。
蟻系の昆虫人がそうであるが、なぜか飛蝗などの雑食系昆虫人も女王を中心に動いている。
だが中には単独行動を行う昆虫人もいる。
幾種類かの昆虫と同じで、普通の昆虫人は女王を頂点としたピラミッド型の社会を整え、巣を中心とした生活を行っている。
人種に対しての感情は、単なる餌である。自分たちの巣を破壊しにくれば、明確な敵として捉える。
群れない昆虫がいるように、巣もなく単独で生存する昆虫人もいて、こちらの方が単体としての能力は高い。
ちなみに昆虫人の価値観から言うと、共食いも禁忌ではないらしい。
「キモ! 芋虫の昆虫人キモ!」
ミラは主に生理的嫌悪感から、遠距離攻撃を行っていた。
彼女の接近戦武器は鉤爪なので、それが汚れるのは我慢ならないらしい。
「けっこう強いですね」
珍しくセリナも刀を使わずに魔法で攻撃している。昆虫人は肉体の構造が人種や魔物と極端に違い、急所が分からない場合があるのだ。
二つに切られても生きていたりする生命力もあるので、切断する攻撃はあまり効果的ではない。
もちろん刀を振るう衝撃でバラバラにすることも出来るのだが、それはあまりに効率が悪い。
神竜軍は竜爪大陸を南進し、昆虫人を駆逐していった。
地下に巣を張る昆虫人もいたが、それはセリナの地図によりあぶりだされ、見事に経験値に成り果てている。
弱い固体は殺虫剤を流し込み、完全に根元を絶っていった。
昆虫人滅ぶべし。慈悲はない。
「なかなか効率はいいですね」
レベルアップを重ねているセリナであるが、その声に明るいものはない。
「まあ、そうだの」
シズもまた同意したが、言いたいことは分かっている。
ちょっとやそっとレベルを上げたところで、ネクロに勝てるとは思えないのだ。
「なら、悪しき神々でも狩ってみるかい?」
そんな提案を気楽にしてくれたのは、転移で様子を身に来たルキエルであった。
現在レベルアップに重点を置いているセリナたちに対して、魔法の研鑽に力を回しているのがアルスを中心とした魔法使いである。
その中には大賢者が二人と、魔神であるルキエルが入っている。魔法に関しては練達の神ではあるが、アルスの無限魔法や、10レベルオーバーの時空魔法を使うサジタリウスはそれを超越している。
彼らの研究結果を持って、セリナたちに会いに来たのがルキエルなのである。マジメな日本人が根幹にあるアルスと違って、神は世界の危機にも息抜きを忘れない。
「悪しき神を?」
セリナの問いに対して、ルキエルは邪気のない笑顔で言った。
「乱神ラドミエルあたりがこの辺りの迷宮を支配している。あの狂った神なら、昆虫人や悪魔とでも手を結ぶだろう」
善き神々が基本的にお互い助け合う関係に対して、悪しき神々はお互いを食らい合う関係である。
例外的に理性的な悪しき神もいるが、それは本当に少ない。
世界の危機を前にして、そういった後方を乱す存在は消しておかなければいけないのだ。
ここに、とルキエルは地図を指差した。
「隠された迷宮がある。セリナ君の地図機能を使えば、数日で奥まで行けるだろう」
逆に言えば数日かけなければいけない深さということだ。
「ラドミエルは。実のところ火力が高い神ではない。しかし乱神とも呼ばれるとおり、精神魔法をよく使う」
状態異常耐性は、竜の血脈を持つ者はもちろん、ダンピールやハイエルフ、そして精神魔法にさらに精通した神には通用しない。
そして生来の能力では一番劣るはずのシズも、精神力には問題がない。
高位の神を相手にするにも関わらず、一行は経験値の計算ばかりをしていた。
「ふむ」
ガーハルト帝国の王宮、その地下に作られた実験施設の机に向かって、アルスは考えこんでいた。
彼が見ているのはジンから受け取った資料である。その中には暗い未来を予想させるデータが大量に書かれていた。
『私(注・邪神帝ジンのこと)を明確に上回る力を持つ神帝は現在のところ確認されていない』
『私に匹敵するかもしれない神帝は四柱確認されている』
『私が確認した神帝は11柱であり、呪神帝ネクロは比較的弱い部類に入る』
『神帝たちは根幹世界に本拠を置き、他世界への干渉を行っている場合が多い』
『神帝はほとんどが傘下に軍や国を持ち、侵攻にはそれを使う場合が多いので、突出した個人だけでなく、軍備の必要性もある』
アルスの他にそこにいるのは、大賢者サジタリウスとゲルマニクス。大魔女であり研究面では大家と知られるクリスティーナ。
アルスの伴侶であり現在の大魔王であるフェルナ。
蘇生魔法まで使う竜と神の血を引く、ある意味神竜より稀な存在であるカーラ。
他数名の魔法使いがいるのであるが、神竜はいない。
レイアナは結果だけ教えて欲しいと言って、武器の製造に全力を上げている。
なにせオリハルコンの武器でも傷つかない相手がいるのだ。神竜の牙を使った武器も数点は用意する必要があるだろう。
ちなみに同じ一室の反対側では、戦争関連の話がなされている。
編成される軍の名前は『ネアース軍』である。
これはつまりネアース世界の全ての国家や勢力が結集するというものであるが、やはり総戦力の過半を占めるのはガーハルト帝国である。
最高司令官はアルス・ガーハルト。これには彼の実績や権威からいって、誰も文句を言わない。もっとも戦力的に最前線に出る可能性があるので、副将は用意するが。
唯一文句を言いそうだったレムドリア帝国は崩壊し、ナルサスは幕僚総長の職にある。おそらく彼が副将となる。
そして総参謀長がアルジェス・マートンである。レムドリアはつい先日まで内乱状態にあったため、戦争に対する体制を整えるのに一番適した人事配置と言えた。
外見は普通のおっさんであるが、マートンの頭は戦争をさせたら誰にも負けない。おそらく智謀や統率が100近くあるのだろうとアルスやサージあたりは思っている。
オーガス帝国は二国に比べると重要度が薄れるようにも思えるが、安定した経済と平均化された軍隊を持つ点はやはり重要である。
そしてこの帝国の支配者は皇帝でも国王でも酋長でもなく、神竜レイアナである。
長い歴史の中で神竜の支配の頚木から脱しようとした皇帝もいたし、脱したように見えた皇帝もいた。
だが結局は苛政を行うと神罰が下るため、最近ではあまりそんなアグレッシブな皇帝はいない。
神竜の着眼点は、自分の支配下にあるかどうかではなく、皇帝が国家に有用であるかどうかであるのだ。
とにかく戦争の準備は進んでいった。
根幹世界からの侵攻。実は実際にこれが行われるとは限らない。
ジンやシルフィでさえ把握していない世界であるので、ネアース世界が侵略して価値のあるものだと考えるかどうかも不明なのだ。
しかし侵犯者の存在自体は既に何度も確認されているので、防衛体制を整えるのは間違いではない。
竜骨大陸の三大大国に、各神竜の率いる竜の軍勢。さらには善き神々と一部の悪しき神々。
昆虫人と悪魔を根絶させれば、背後を気にせず戦うことが出来るのである。
「意外とこの戦いは、君が一番のキーパーソンになるのかもしれないね」
アルスの声を受けたのは、いまだ青年と少年の狭間の外見を保持している大賢者、サージであった。
「え、俺っすか!?」
思わず下っ端のような声を上げたサージである。
サージの戦闘力は高いが、彼には致命的な弱点がある。
普通に致命傷を受ければ死ぬという点だ。
そんなのは当たり前だと思うだろうが、アルスや吸血鬼などの人外は、出血多量や心臓を貫かれた程度では死なない。
「時空魔法を10レベルオーバーで取得している君は、戦場を決定することが出来るだろう。こちらの世界で戦えば、軍勢同士ならまず負けないだろう」
「大賢者どのは兵站でこちらに協力していただきたかったのですが……」
マートンからも声がかかる。サージ、大人気である。
「そういえばコルドバとの戦いでも、彼は勲等第一でしたね」
カーラが古い記憶を思い出す。3200年前。竜骨大陸西部に覇を唱えた僭王国コルドバは、レイアナの手によって滅ぼされた。
長距離の遠征を行い、敵国深くにまで入り込んでも兵站が破綻しなかったのは、サージのおかげである。
そして現在サージは根幹世界とネアースの接触を監視している。
時空魔法のレベル10オーバーというのは、人種では彼だけである。
神竜も似たようなことは出来るのであるが、そもそもそういった発想をしない。
前世でSF漫画やアニメを見ていたサージの面目躍如というところであろうか。
「なんか俺、すごく働いているような……」
そこは魂の奥底に刻まれた、日本人の社蓄根性が由来であろう。
ともかく根幹世界とネアースの間に亜空間を作り出すのが、彼の役目である。
色々な戦時体制が決まっていくにつれ、さらに決めておかなければいけないことが増える。
細かい総動員体制はナルサスや参謀たちが決めていき、牟田口のようなアホが出現したら放り出すのがアルスの役目である。
心の中で嘆息する彼は、ジンから渡された情報の中で、公開されていない情報の一つに思い悩んでいた。
『根幹世界は根幹宇宙であり、おそらくその果てを目指せば、世界間の壁を超えることなく、ネアースに到達する』
宇宙という言葉自体はネアースにも既に存在するし、月や静止軌道に施設を作っているガーハルトの科学者は、ある程度その概念を把握している。
だが相対性理論を含めた科学的に捉えた宇宙を認識してするのは、カーラでも難しいだろう。
(これもまた、俺とサージで話し合うしかないのかね)
ニホン帝国の科学者を招聘する必要があるな、とアルスはまた増えた仕事に頭痛を覚えた。
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