87 限界への挑戦
ライザは一人、天空回廊の最上層から、地平線の彼方を見つめていた。
神竜の神域と言えど、精霊が存在しないわけではない。彼女は他の皆とは全く別の、ハイエルフにしか到達しえない世界を見ている。
ほぼ無表情で、何を考えているか分からない無口な少女。ライザの印象はそんなものだろうが、彼女とて心の中では考えることも多い。
(私は無力だ)
そして今考えているのは、そんなことだった。
呪神帝ネクロ。あの存在は異常だった。
全く本気を出していなかったという話だが、こちらの攻撃で唯一まともなダメージを与えたのはセリナの渾身の一撃だけで、ライザの精霊術では全く効果がなかった。
防御にしても攻撃を防ぐことは出来ず、ただ逃げ回るだけであった。
今、仲間たちはあれと同じような存在を想定して、修行を行っている。
そしてその中では自分が一番伸び代がないと、ライザは考えていた。
セリナとプルは竜の血を引いているので、その肉体能力を更に上げるだろう。
シズは本来一番基礎能力が低いはずなのに、セリナと互角に戦う近接戦能力を持っている。
ミラはその不死性により、無茶な攻撃が可能となっており、またセラは本来の大神としての力を解放しようとしている。
その中でライザの精霊術は、一番上限が限られている。
精霊は世界を満たすものであり、大自然の現象を好きなように現出するのが精霊術だ。
火山の爆破や山を飲み込む大波、また台風よりもはるかに猛烈な風を起こすこともあれば、炎を生み出すことも出来る。
だがそこ止まりだ。
ネクロに対しては、その全てが効果がない。そもそもあれは、本気になれば惑星を破壊出来るほどのものだ。
惑星の精霊を使役するライザの精霊術では、限界があるのは当然なのだ。
自分に何が出来るのだろうと、ライザは生まれてから初めて、真剣に考えた。
考えに没入するあまり、横に立っている人物にも気が付かなかった。
そこには存在しない、いわば影。水色の髪と笹穂耳を持つ、ハイエルフの姿。
これはただこの世界に写した映像でしかない。だがそれでも、ライザにとってはありがたいものだった。
シルフィは気付いたライザに向かって、空を指差した。
「空?」
ライザの問いに、シルフィは首を振る。
「宇宙?」
シルフィはそれに頷き、さらに背伸びをして指先を伸ばす。
「宇宙の先?」
それに頷いたところで、シルフィの像は安定を失って消滅した。
ライザはしばらくその場に佇んでいたが、やがてこくりと頷いた。
己のすべきことが分かったのだ。
同じ頃、ミラもまた似たような苦悩の中にいた。
吸血鬼は不死身に近い存在である。特に真祖などは心臓を破壊された程度では死にはしない。
ミラは半吸血鬼であるにも関わらず、ほとんど真祖と同じか、それ以上の力を持って生まれた。頭の中は少し残念だが、真祖である母よりも能力は高かったのだ。
父であるアルスの影響か、魔法にも接近戦にも才能があり、個人の武勇を重要視する魔族の中では、政治を理解する知性を持つミュズよりも、彼女の方が次期魔王に相応しいとさえ思われていた。
「死なないってだけじゃ、どうにもならないもんね」
トイレの個室で呟いたミラは、真剣な溜め息をつきつつ廊下を歩く。
先日のネクロとの戦いにおいて、最も役立たずだったのは自分であったという感触がある。
確かに牽制を行う程度なら、不死身の能力は役に立つ。だが決定力には完全に欠けているのだ。
セリナとシズは間違いなくネクロにも対応出来ていた。プルも魔法の伸び代があるだろう。なにしろ竜の血脈を持っているのだ。
セラはあの戦いでも全力を出していなかったろうが、それは分かるのだ。彼女の治癒能力は、戦いの後にこそ役に立つものなのだから。
器用貧乏。そんな言葉をミラは頭の中に浮かべる。弱い相手には問題なく勝てるが、隔絶した相手に対する切り札がない。魔法にしても体術にしても、彼女の技能は暗殺に偏っている。そのくせネクロのような相手には歯が立たない。
成長への方向性を悩み、ダンピールは苦悩する。
プルは己の自堕落さを反省していた。
思えば両親の庇護下から離れて百年以上。己よりも強大な相手とはまともに戦ったことがなかった。
そもそも両親に鍛えられて、既に敵無しと言えるまでの力はあったのだが、それは勘違いであったと既に気付いている。
神竜レイアナだけでなく、母であるカーラよりも、まだ自分は弱い。
同じ竜の血脈を持つセリナに比べると、修練の量も質もはるかに劣っている。
強くなるために必要なことは分かっている。ルキエルから魔法を教わり、セリナやシズと剣術の訓練をすればいいのだ。それは分かっている。
だがそれを今からして間に合うのか? そもそも竜の血脈という祝福を持つ肉体的には優れた素質ではあるが、魔法や剣を極めるほどの才能が己にあるのか。
考えている暇があれば、行動に移すべきだ。それも当然分かっている。だがそれを躊躇するのは、自分への自信がないからか。
オーガス最強の戦士などと言って、実体はこの程度だ。もしネクロのような相手と一人で戦うなどということになったら、間違いなくプルは逃げる。
それでもいいのだろう。せめて逃げるだけの力があれば。しかし大陸を削ったネクロの力を思えば、それすらも難しい。
戦うべきか、逃げるべきか。己に対する劣等感で、プルは時間を無為に過ごしていた。
セラはぶれなかった。
だが更なる成長は必要だと認めていた。
大神である自分だが、人の身のままでは、その力を完全に振るうことは出来ない。
人の身を捨てるか、それとも人の身を強化するか。単純に戦力として考えるなら前者であろう。
だが、神という存在には限界があるのだ。
竜が古竜から神竜へと進化することが基本は無いように、神がより力を増すことは、信仰心を集めることが必要となる。
しかし急に信者が増えることは普通はない。戦の神などの場合は各地に戦乱を起こして無理やり信仰心を集めるという詐欺のような手段が使えたが、偽りと裏切りの神の権能でも、聖治癒神の権能でもそれは不可能なのだ。
人間の身のまま強くなる。強敵を倒して経験値を稼ぐとか、地味に訓練をするとかが方法であるが、実はセラは旅に出てから一つもレベルが上がってない。
前衛陣のように戦闘を重ねることが少なく、癒しの力をフルに使ったわけでもないからだ。今更前衛として行動しても、ステータスだけで大概の敵は倒してしまうので、技能の訓練にはならない。
強くはなりたい。しかしその方法が思いつかない。
どうしようもない現実にセラは溜め息をつくのであった。
そしてセリナとシズだけがわずかずつではあるが着実に力を高めていた。
元々流派の起こしたほどの達人であるし、特にシズなどは、前世では彼女の門弟から様々な流派が生まれている。
それを経験したセリナから技術をフィードバックすることで、削ぐところは削ぎ、増やすところは増やしていく。
剣術技能は既にカンストしているが、さらなる向上は両者共に感じていた。
問題は武器である。
シズの武器はかつて神竜レイアナから与えられた、神器と言ってもいいほどのものだ。兵器の発達した現代においても、シズの手にあれば砦一つを落とすほどのものとなる。
だが、それはあくまで対軍を相手にした場合だ。おかしな話だが、この世界ネアースでは、個人の戦闘力が戦局を左右することがいまだに多い。
シズやプルの働きも理不尽なものであったろうが、ネクロはそれ以上の存在であった。結局有効打となったのはセリナの一撃のみである。
神竜にコンタクトを取り、武器を作ってもらうことはセリナも話していた。シズとセリナの剣術の腕はほぼ互角。だが実際はシズの方が洗練されている。セリナの剣術には身体能力のブーストがあるからだ。
ネクロの防御を突破するには、技よりも力が必要であろう。そのために用意された訓練所で、シズは高重力の中で型をなぞる。
単純に力を付けるだけなら、これでいい。だが筋肉には質の違いがある。持続的に使われる筋肉よりも、瞬発的な筋肉が必要とされる。
速度が破壊力につながるのは、ネアースでも同じことだ。
「何か心配事でも?」
型をゆっくりとなぞっていたシズだが、その微妙な内面が外に出ていたらしい。
セリナはそれに気付いて声をかけたのだが、シズは苦笑するしかない。
「いや、剣だけではどうにもならんなと思ってな」
「それは天文や元亀のころと変わらないでしょうに」
シズの前世、上泉信綱は、上野の国の国人領主長野氏の家臣であった。
長野業正の下の侍大将として働き、武田信玄の侵攻を何度も跳ね返したものである。
主君である業正が死去し、その息子が後を継いでしばらくして、ついに武田に敗北したという歴史がある。
信綱は自らの子飼いの兵と共に奮戦したが、衆寡敵せず武田に膝を屈するをえなかった。
ネアースにおいては個人の戦闘力が突出しているが、それでも軍の力に対しては対抗出来ないのがほとんどだ。
プルの魔法を見た時などは、剣術の限界を感じもしたのだが。
ネクロの強さは異常である。
単独で、しかも装備の優越もなく、一行に加えてアルスやフェルナまで参戦して、ようやく追い返すことが出来たぐらいだ。
ここからまだ強くなる自信はあるが、それでもあの別格の敵が複数いると言う。
数年の時間と鍛錬の相手がいれば、かなり距離を縮めることは出来るのだろう。
だが種族の限界というものはある。シズは半獣人で人間よりも高い身体能力を持つが、それでもセリナのような基礎的な身体能力の違いは持たない。
自分に出来ることは、むしろセリナたちを鍛えることにあるのではないか。
シズは憂鬱にならざるをえなかった。
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