80 ニホン帝国
ニホン帝国は竜牙大陸の南部から向いて、東にある諸島をまとめて成立している国である。
国内には迷宮が五つもあり、冒険者の数も多く、軍は精鋭で、特に海軍はこのネアース世界でも最強とまで言われている。
地球の科学と魔法を融合させたという点では、あるいはガーハルトよりも優れた技術を持つ国かもしれない。もっともオーガスでは文化の発信地としての評価が高かったが。
竜牙大陸の魔王ミュズも、先代の魔王アスカも、そして大魔王アルスも、この国には気を遣っていた。
ミュズの場合はニホン帝国の誇る文化……BLという存在に耽溺していたためであるが。
ニホン帝国は地球に存在した国家の中では唯一、避難前の体制を維持できた国家であり、ネアースの中では最も異質な国家と言える。
エルフやドワーフといった亜人、吸血鬼やグールといった魔族まで混生していて、一応は人間主体の国家であるが、異種族に対しても寛容な国なのである。
それが今回、明らかに人間に加担している。もちろん人間主体の国家なので多少の贔屓はあるかもしれないが、ニホン帝国は改めて言っても、異種族を排斥しない、むしろ歓迎するような国家のはずだ。
「それが、最近は徐々に変わってるみたいね」
おそらく竜牙大陸の国家からの思想誘導があったのだろうが、人間以外の種族に対して、少しずつ排斥する傾向が見えている。
考えてみれば異種族混淆の国家などというのは、それだけで統治するのは難しいはずなのだ。
オーガやオークの怪力に達する人間は普通はいないし、エルフや吸血鬼の長命に優る者もまずいない。
ゴブリンの繁殖力が人間よりやや大きい程度に変わっているのはありがたいが、それでなければニホン帝国の多数層はゴブリンやコボルトに変わっていたのかもしれない。
「基本的にニホンは、他の種族はお客さんとして見てる傾向があるのよね」
ミラの発言に、セリナは大きく頷くものがあった。
地球の日本にも、同じ種類の偏りがあった。他の国の人種の文化は、基本的に繁栄することはない。他国の文化は異質なものとして変化して使用するか、排斥する性癖があったというべきか。
簡単に言えば島国根性だ。セリナの前世では戦乱時に半島や大陸からの難民を、秘密裏に船ごと沈める仕事があった。
「つまりニホンには、根本的な種族差別思想があり、南部の人間とは違い異種族に寛容ではあっても、平等ではないということか」
セリナの説明を受けて、プルがまとめた。
「差別と言うよりは、日本人という意識だったと思いますけど……」
セリナの知る限り日本人は村社会の人種であった。
第三次世界大戦のあった世界にはそんな本質もどこかへ消えてしまったが、平和な地球からネアース世界に移民して3000年以上経ても、外敵から襲われることがなかったので、こっちの世界の日本の本質は変わっていないのかもしれない。
そもそもニホンの政治情勢が全く不明である。立憲君主制で、世界中にアニメやマンガを輸出する、軍事大国であり文化大国であることは確かだが、一行の中には詳しい者がいない。
しいて言えばシズなのだが、彼女も直接ニホンに行ったことはないのである。
「それで、どうする? 元日本人」
プルはシズとセリナに問いかけるが、二人の感想は違うものであった。
「日本人と言っても、わしの生きていたころは国内で争っていたからのう。甲斐の武田は強かったが……」
内乱か、と他のメンバーは納得するのだが、セリナにとっては戦国時代とは後の世に娯楽を与えた世界でもある。
「こちらの世界のニホンがどうなってるのか知らないと、なんとも言えませんね。出来れば戦いたくはないです。戦略的に見て」
そこで六人は人狼の将軍に詳しい話を聞きにいったのだが。
「ニホンが本格的にあちらにつくことはないだろう。そもそもこちらにも物資の輸送などで協力しているしな」
そんな答えが返ってきた。
竜牙大陸において最も確実で早い輸送手段は、船である。
線路を破壊されたら復旧に時間がかかる陸路に対して、船に線路は必要ない。もちろん海路図はあるのだが。
商業的に見て、日本はどちらにも食糧などの物資を提供している。しかし武器類は除かれている。
どちらにも商品を売る、死の商人のような存在と言えなくもない。
そんなニホンへの対策をどうするか、前線の将軍に加えて本国の魔王ミュズも、通信用の魔法具によって話し合っていた。
問題はニホンの議会にあると、セリナは説明した。
地球の日本でもそうであったが、こちらのニホンも議会が選良とされた存在であり、内閣が存在する。
しかしそれはネアース世界ではむしろ異端である。王制の国家の方が、国力を活用するには効果的だというのが一般常識なのだ。
裕福でノウハウのある家の方が、能力のある子供を育てやすいという面もある。もちろん平民の中からでも成りあがる者は多い。ガーハルトなどは力さえあれば軍部でいくらでも出世出来る。いや、どの国でも大概軍部はそうだが。
アルス・ガーハルトやレイアナ、リュクホリンや各魔王領の政策が順当であったため、民主主義は必要とされていない。
特にアルスの政策や政治に対する姿勢は、地球におけるストア哲学にも似たものであったため、まず力によって支配される魔族が上に倣うことになった。
オーガスも初代のレイアナと宰相であったギネヴィアの存在が、国家の基本的理念となっている。
レムドリアは遂に失敗したが、それを滅ぼしたナルサスもまた、王制を採用した。
貴族は平民とは違うとか、そういう区別はあまりない。そもそも多種族の存在するネアースでは、一人一人が政治に参加する民主主義というのが、そもそも無理があるのである。
ゴブリンやコボルトは数こそ多いが、一般的な吸血鬼や三眼人に比べるとはるかに弱い。
このような事情で、特定の種族が大多数を占める国家でないかぎり、民主主義は発生しないのだ。元の世界から持ってきた立憲君主国のニホンが例外なのである。
「ニホンは刺激したくありません」
それが魔王ミュズの出した結論であった。
ニホンを敵に回すと、まず海路の補給が完全に出来なくなる。また彼の国は海軍と海兵隊を持っているので、アヴァロンから前線までの長い補給路の何処でも断つことが出来る。
個人的な趣味も合わせて、ミュズはニホンと敵対しないと決めた。
そしてそれは前線の将軍たちも同様であった。まずネアースの国家のほとんどが、海戦の経験を持っていない。せいぜいが海の魔物との戦いぐらいである。
「どうしても、と言うなら策はありますが」
だからセリナの提案は、言わせてもらうだけなら言わせてもらえた。
「空軍による大規模な奇襲です。それによって艦艇はもちろん、港を完全に破壊します。ただニホンの艦艇は通商用の物でもそれなりの装備がありますし、こちらの空軍の意図を悟らせないという前提条件が必要ですが」
セリナの頭の中にあったのは、パールハーバーへの奇襲であった。
あれによって太平洋艦隊とハワイの港湾設備を、より完全に破壊していれば、少なくとも太平洋戦争の行方はもっと変わったものになったはずである。
もっともニホンを完全に敵に回すデメリットに対して、それが適当とされるかは別の話だが。
つまりニホンを完全に潰すことも不可能ではない、という選択肢を挙げただけだ。
「しかし大陸南部を魔王軍の統治下に置くというのは、これも悪手ではないかの」
徹底的に異種族排斥勢力を駆逐すると決めていたはずなのだが、シズからそんな声が上がった。
視線を感じて本人が言うに、その理由ももっともなものであった。
「大陸南部を魔王領としてしまえば、魔王軍の力が強くなりすぎる。すぐお隣にそんな大国が出来たら、ニホンとしては防衛が困難だと考えざるをえまいて」
なるほど、それもそうなのである。
現在の大陸南部は、人間主導の国家が複数存在する。
それに共通するのは他種族排斥の機運であり、なんとなく同盟のような形になっているが、実のところは国家としては明確な勢力として統一されていない。
だが魔王軍がこの地を制圧して統治するなら、ニホンにとってはすぐ近くの大陸に、巨大な国家が誕生することとなる。
自らを防衛するために、魔王軍に敵対――それでなくともやや南部勢力に積極的に協力するということはありえる。
さすがに軍事力は提供しないだろうが、ニホンは迷宮から得た資源を元に、武器や食料の支援をすることはありえる。
特に艦艇に装備する大砲などは、魔王軍にとってさえ脅威となるだろう。
「一理どころか二理も三理もある話ね」
通信具の向こうから、苛立った口調でミュズが同意した。
隣国の大国に力を与えるなど、よほど国力が拮抗しているか、明確に同盟を組んで戦う相手がいない限りはありえないのだ。
「それはでも、今までの占領政策を行えばいいのでは?」
セリナは主張する。これまで落としてきた都市や国家は、異種族融和派に政府を作らせている。
魔王軍が敵対するのは、あくまで人間至上主義派なのである。それは事実としてこれまでの統治政策から見て取れる。
だが問題は、隣に強大な軍事力があるという点なのだ。まともな政治家なら一時的とは言えそれを許容するのは難しい。
「電撃戦ですね」
セリナの言葉に、諸将が振り向いた。
「ニホンが動く前に、全ての領地を占領してしまう。それからならニホンの選択肢も限られたものとなります」
「いや、そうは言ってもな――」
「具体的に、ニホンが事態に参入してくるまでに、どれぐらいの時間がかかるでしょう?」
机上の戦略ではなく、現実の時間を突きつけられたため、反論しようとしていた将軍は口を閉ざす。
「政府が方針を決定し、態勢を整え……その前に一度はこちらに意図を尋ねてくるとして……」
将軍たちは顔を見合わせる。そこは政治と外交の舞台だ。即答できる者などいるはずもない。
「こちらで一週間は伸ばせます」
ミュズが言った。魔王の根拠地とニホンの間でやり取りが行われるなら、確実にそれぐらいは時間がかかるだろう。
「しかし狙い通り、ニホンがこちらと交渉してくるかは……低い確率ですが、いきなり攻撃をしてくるという最悪の事態も想定しておくべきでしょう」
本国のミュズは事態を楽観視していない。それに将軍たちが軽く頷いている。
ニホン。はるかなる故郷の体質の国家であれば、右往左往している間に全ては終わっているだろう。
だが第三次世界大戦を送ったセリナには、日本人でも即応できる力があるのを知っている。
「ニホン国内の亜人や魔族に、反戦デモを起こさせましょう」
頭脳では明確にミラより優れていると言われたミュズは、搦め手を提案した。
「それはいい考えですが、出来るのですか?」
セリナの問いにミュズは、魔法具の向こうでふっと笑ったようだった。
「魔王にとって竜牙大陸近辺の国家は、全て仮想敵国なのよ」
その言葉には力強い魔王の意志が込められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます