72 剣神と邪神

 二人が――正確には一人と一柱が降り立った時、戦闘の空白が生まれた。

 ラナとテルーは呼んでいない仲間の、おそらくは援軍としての到来を計算していなかった。

 ジンとシルフィは、そもそもその存在を知らなかった。

 セリナの呼びかけに、レイアナはわずかに首を傾げたが、すぐに状態を把握したようだった。

「その魂には見覚えがあるが、とりあえず話は後回しにさせてもらう」

 こちらも地面に降り立ったジンとシルフィに対して、レイアナは歩きながら武装を整えていく。

 神竜の、つまりは己の鱗から作り出した鎧に、常人であれば触れただけで気絶する、その力の象徴とも言える神竜刀ガラッハ。男前すぎる変身である。

 わずかに後ろを歩くカーラも、竜殺しの聖剣を抜いている。



「さて、実は私も状況を完全に把握しているわけではないんだが、お前はあいつらの同類か?」

 レイアナの言葉の中の「あいつら」の意味を、ジンは正確に把握した。元々そのためにここへ来たのであるから。

「力を持つ者という意味では同類だが、目的は違う。ラナと戦ったのは、個人的な理由によるものだが」

 真の姿を取っていたラナが、レイアナの後ろに人の姿に戻って両膝を着いた。無限であるはずの彼女の力が、かなり消耗していたらしい。

「しかし、お前は何者なんだ? 神竜に近い気配を感じるが、その割にはあまりに人間らしい」

 ジンのこの世界に関する記憶は、3200年前で止まっている。つい最近ネアースに関わることになったが、それほど事前に調べていたことはない。

「私は暗黒竜レイアナだ。人から成り上がったので、人間臭いというか、今でも気分的には人間だがな」

 だからその台詞には、少なからず驚いた。

「人が神竜になる? 竜の血を引く人間というだけならともかく、そんなシステムがあったのか?」

 言葉はレイアナに向けられたものだが、彼は顎に指先を当てて考えこんだ。



 実はこの疑問は、レイアナもずっと持ち続けていたものだ。

 イリーナを例に挙げれば、神竜という存在を生み出すためには、神竜同士が番えばいい。

 ラヴェルナやリーゼロッテもそのように生まれてきたものであるし、例外は他にオーマだけである。彼女は最も強い古竜が他の神竜の力を受けて神竜となったものだ。

 元々神竜であるオーマが消滅し、その後しばらく火竜の座が空位になってしまった問題を反省材料にして、予知能力のあるバルスなどが保険のために生み出したのがイリーナである。

 ならばどうしてバルス自身が自分の後継者を、わざわざ人間であるレイアナにしたのか。

 そういう運命である、とバルスは告げたものだが、これは明らかにおかしいのだ。



 神竜同士の交わりによって新たな神竜を生み出すよりも、手間はよほどかかる。確実性もない。

 だが確かにそこには、バルスの狙いがあったのだ。

 3000年以上前に予知していたのかは大いに疑問だが、ジンと戦うなら、無駄に大きな神竜よりも人の姿のレイアナの方が有利だろう。

 偶然と言うには都合が良すぎるし、イリーナもまた人の姿での戦闘には比較的長けている。

 リーゼロッテはともかくラヴェルナも、人の姿での戦闘経験は多い。

 もっともやはり元が竜であるので、レイアナほどの戦闘技術は持たないが。

 そもそも竜はそんなものを必要としないほどの強大な存在のはずなのだ。







 そんな根本的な疑問を別にして、ジンとレイアナは緊張感を持ちつつも、友好的に接していた。

 ジンの視線はレイアナとカーラの超越した美貌にも向けられるが、そこに込められた感情は枯れている。

 色仕掛けは通用しない。それはレイアナにとって好ましい対象なのだ。

「しかし話そうと思うと、どこから話したらいいのか分からないな。とりあえず、この世界が飲み込まれようとしているのには気付いているな?」

 ジンの言葉にレイアナは頷いた。背後のセリナは動揺しているが、得心するものもある。

 なぜ、レイアナは根拠としていたドワーフの里を長らく離れていたのか。

 オーマやイリーナといった神竜が、己の神域にいなかったのか。

 守護すべきこの世界のために動いていたというのなら、納得出来るというものだ。



「領土を獲得しようとでもいうのか、うるさい羽虫が侵犯して来ようとしているな。中にはとても羽虫と言えない者もいるが」

「今のところ世界を隔てる断層が小さいので、よほど巧みに魔法を操る者か、弱い神格を持つ者しか来ていないはずだ」

「で、お前はどちらかというと、ネアースを守りたいと思っていると」

「ネアース? 竜の世界ではなく、この世界はネアースという世界なのか? いや……そういうことか……」

 ジンはまた空中に視線を向けて、しばらく何かを見つめていた。

「システムにアクセスして情報を得ているのか?」

「その通り。祝福名で言うなら、森羅万象といったところかな。神竜やハイエルフも使えるはずだが」



 対話は平和裏に進んでいる。情報交換が進み、お互いを理解しあえば、衝突も避けられるのかもしれない。

 セリナがそう思ったすぐ後、レイアナがぽろっと言った。

「それでは、戦ってみようか」

「そうだな。おそらくラナよりお前の方が、俺の相手としては相性がいいはずだ」

 なぜ今までの会話から、そこに結論が飛ぶのか。

 そもそもこの場には、ネアース世界の戦力の9割ほどが集結している。ラナを圧倒していたジンであるが、いくらなんでも多彩な戦闘法を使って数で押せば、勝つことは可能であろう。

 だが他の神竜もカーラも、その場から退いていく。つまり、一対一だ。

 先ほどよりもさらに強力な結界が張られ、そして殺気のない戦闘が開始された。







「あ~、ひどい目にあった」

 ミラがずたぼろになった姿でセリナのところまで戻ってきた時には、既に戦闘は30分を超えていた。

「どっちが優勢?」

「互角。というか探り合い」

 ミラに声を返しながらも、セリナは二人の戦いから目を離さない。

 レイアナの刀は、硬軟の技術を取り混ぜて繰り出される。そこにはほとんと剣術の極地とさえ言える流麗さと、豪胆さがあった。

 対してジンの剣は、より直線的だ。技術を思わせるよりも、純粋な力を感じさせる剣術である。



 どちらが上かと問うなら、それはレイアナだろう。ジンのそれは、身体能力の強化によって、無理やりレイアナと拮抗しているにすぎない。

 だがその表情に焦りは全くなく、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。

 そして事実そうであった。

「ごり押しの力勝負ならともかく、研鑽された技術で俺と戦える相手は、随分と久しぶりだ」

 そんな声をかけるほどの余裕があるジンに対して、レイアナは違和感を抱いていた。

 目の前の戦士は、恐ろしく強い。正直接近戦での勝負ならば、アルスでさえも叶わないであろう。

 しかしそれでもレイアナから見れば、この男はこの戦い方に慣れていない。

 即ち、人の姿で剣を使いラナを圧倒していようが、この男の本来の戦闘スタイルは、戦士ではなく魔法使いだ。



 かつて黄金竜クラリスと帝都が消滅した事件。

 あれはアルスとこの勇者が戦った結果に起こったものであったが、アルスやバルスから、この勇者の特性については聞いている。

 虚空魔法。時空魔法よりも無限魔法よりもさらに高度な、神竜でさえも使うことはないという概念上の魔法。

 それが存在しなければ、他の全ての魔法が存在するはずがないという理由で、神竜たちが把握していた魔法。それを三代目の勇者は使えたのだ。



 つまりまだ、この男は本気を出していない。

「もう少し本気を出してもらわないと、こちらも困るな」

 そう言ったレイアナの刀に、膨大な魔力が注がれる。

 軽く振ったその一撃は結界を破壊し、大気を切り裂き、大地を割り、はるか彼方の山脈に激突し、それを消し飛ばした。

 セリナたちでは対抗のしようがないほどの火力も、ジンは回避している。さすがに少しは危機感を抱いたのかもしれない。

「じゃあ俺も、少しだけ本気を出そうか」

 ジンの周囲に黒い球が浮かび上がる。それを見たレイアナは、素早く刀を振るって斬撃を飛ばし、黒い球を破壊しようとした。しかし黒球はその斬撃を吸収する。

 吸収した瞬間そのエネルギーは、レイアナへと跳ね返った。



 反射ではないな、とレイアナは冷静に分析していた。

 吸収と放出。それにある程度指向性を与えているのだ。精度が上がれば反射とも思えるだろうが、それはそれで回避すればいいだけだ。

「よ」

 ジンの手が動くと、そこからは闇ではなく光があふれる。

 光はレイアナを飲み込むほどに拡大し、しかし指向性を持って放たれ、レイアナは転移してそれを回避した。

 そしてその光は結界をたやすく貫き、大地をえぐり、はるか彼方の大地までを蒸発させながら、大気を分解しつつ、彼方への空へと消えていった。



 神竜の結界でも耐え切れない、おそらくは古竜ですら消滅するであろう、しかしながらまだ余裕をもった上での攻撃だった。

「接近戦でないと話にならんな」

 転移したレイアナはジンの背後から刀を振り下ろす。それをジンは転移して回避する。

 転移。回避。攻撃。それが何パターンか繰り返され、そして二人は溜め息をつきつつ距離を取って大地に立った。

「地上では全力で戦えないな。下手に攻撃の方向を間違えると、惑星が砕ける」

 レイアナの言葉に、ジンも不本意そうに頷いた。

「この世界は脆すぎるな。今こちらに来ようとしている程度のやつならともかく、俺とほぼ同レベルのやつが来れば、この惑星は砕かれる」



 ジンの手から剣が消えた。戦意も霧散している。

 レイアナは名残惜しそうに刀の柄を撫でたが、やはりそれを亜空間にしまった。

「お前たちの世界は、どういうものなんだ?」

 もはや闘気も収め、レイアナはジンに歩み寄った。

「どうって……広い世界というか……。おそらく根幹世界じゃないのかな」

「やっぱりそうか」

 納得したようにレイアナは頷いているが、神竜ならぬ身、セリナたちにその会話の意味は分からない。

「基本的に、必殺技一発で恒星を砕くレベルだからな。かといってそんな化物ばかりじゃない。野菜の星の戦闘民族もいれば、普通の強い地球人もいるといったところか」

「……それはかなり差があるな」

「へえ、この比喩が分かるということは、お前は元は地球型世界の出身なのか?」

「……竜球は地球型世界では、一般的に存在するのか?」

「どうだろうな。地球型世界でも、魔法がほとんど存在しない世界もあれば、地下に潜って熾烈な魔法戦をしている世界もある。



 文化のレベルでなく、創作作品のレベルで同質の世界がある。

 これはレイアナも気付いていたことだ。少なくとも彼女が転生する前の地球と、セリナの転生する前の地球はほとんど並行世界にも思えるほど同質だった。

「まあ、もう少し時間はある。頑張って鍛えることだな。神竜の中では多分、お前が一番伸び代があるだろう。竜の血を持つ人間なら、こっちの世界の優秀な戦士とも、互角以上に戦える。今の世界な、生まれつきの才能の差がありすぎて、強いやつはあんまり技術を磨こうとしないんだ」

 やれやれ、とジンは肩を竦めた。

「お前は味方をしてくれるのか?」

「まあな。俺の体感的には50億年以上昔のことだけど、こちらの世界ではせいぜい3000年だろ? 知り合いもいるし、あえて滅ぼそうとも、絶滅して当然とも思わないさ。まあ、接触が完全になれば、その時はおそらく俺の力でもどうしようもなく、この世界は終わるだろうけど」

「……回避手段はないのか?」

「ある。が、間に合わない。異世界間の時間差を利用しても、どうしようもない。実質的にはないのと同じだから、せめて少しでも助けられる人数を増やしておくべきだな。100億人ぐらいなら俺の国で預かってやる」



 ジンの言葉には重要な情報が幾つも含まれている。レイアナは少しでもそれを得ようとしたのだが、ジンの外套の裾を、シルフィが引いた。

「時間」

「あ、もう限度か。またこちらには来ようと思うが、場所も時間も簡単に選べるわけじゃないから、訊きたいことがあればまとめておいてくれよ。じゃあな」

 余韻も何もなく、ジンとシルフィは空を切り裂いた闇の中へと消えていく。

 それと同時に世界は調和を取り戻し、闇は防がれて青い空と太陽が復活した。

「行ったか……」

 考え込むレイアナに、セリナは声をかけようとした。だがその前に、ミラの悲鳴が起こる。

「た、太陽! 直射日光! あついいいいい!」

 火傷をこさえて地面を転がり回るミラが、シリアス成分を奪っていった。

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