71 神竜殺し

 それは戦いと呼ぶべきものだったのだろうか。

 後に回想して、セリナはそう思った。




 神竜はその肉体の大きさを自由に変化させることが出来るが、人間の姿をしていない場合、おおよそ全長4キロほどの姿をしていることが多い。

 もちろんその気になれば地球型惑星と同等の巨大さにもなれるが、それでは相手が余りにも小さすぎて、戦うのが逆に難しいのだ。

 小回りと防御力を計算すると、それぐらいがちょうどいい大きさとなるらしい。


 その山脈ほどの巨体に対して、ジンはあくまで人の姿のまま、手に持った剣を振るった。

 オリハルコンでさえも弾き返すはずのその鱗を、ジンの剣は易々と切り裂いた。

「はは、嘘だろ……」

 地上では破壊力が大きすぎるため、空中で戦う両者。だが流れ弾のような攻撃は、神竜の作った結界を破っては、周囲に被害を与えている。

 たったの一撃で、プルが耕した砦跡を、クレーターに変えてしまった。

「はは、なんだこれ」

 プルが放心しかけて呟くが、セリナは己を保っている。

 だが事態に焦りを覚えていることは間違いない。


「将軍、軍勢を退避させてください。プル、出来る限り兵士を連れて、少しでもここから遠ざかって」

 一応はテルーとオーマが結界を張っているのだが、それでも巻き込まれて周辺は破壊される。

 セリナの進言に従って、将軍は軍を塹壕を辿って後退させ、プルは数人ずつではあるが転移を使って後方へと移動させていく。

 戦闘の開始よりおよそ一分。移動の出来ない敵軍の城塞都市は、戦闘の余波だけで城壁を破壊されていた。

 壊すという段階ではなく、砂よりも細かい粒子にまで砕かれたり、豆腐のように滑らかに切断されていく。

 回避が間に合わなくてミラの腕が吹き飛ばされたりもしていた。


「痛い! マジで痛い!」

 再生させながらもギャグのように叫んでいるが、ダメージがあるのは間違いない。

 セラとシズはお互いの防御力を補う形でその場に留まっているが、ライザは精霊術で攻撃を無効化している。

 いや、よく見ればもう一人のハイエルフが、ライザへの攻撃を遮っているのだ。

 致死感知によってどうにか回避できているのはセリナだけである。


 ラナのブレスにより、魔王軍の攻略対象であった城塞都市は、既に都市内の兵力ごと消滅していた。

 彼女のブレスは高温のエネルギー攻撃の類のものではないが、破壊力という点では他の神竜のブレスに劣るものではない。

 そしてそんなブレス以外にも、ほとんど意識することもせず、魔法を使っている。バフにデバフ。精神に働きかける珍しい魔法や、時間や空間を捻じ曲げる神竜にしかほとんど使えないような魔法である。

 神竜にとってそれらは、手や足を動かすこと以上、ただ考えるのと同じような感覚で発動する。

 だがそれも、ジンには全く効果がない。

 ただ存在するだけで並の人間なら膝をつく圧力。それに対してジンは、攻撃魔法を使わずに肉体を強化するだけで、剣を振るってラナに攻撃を通しているのだ。


 神竜という存在は規格外の反則である。どれだけダメージを入れても、すぐに回復し再生する。

 魔力も理論上はほぼ無限であり、これを打倒するには一撃で惑星を破壊するエネルギーを、数秒の間に何度か連続で叩き込む必要がある。

 だからラナの受けた傷は、全く問題のない程度のものなのだ。しかしそもそも攻撃が通らないはずのラナに対して、傷を負わせるということ自体が異常である。

 ジンの剣がそもそも無茶苦茶な攻撃力を持っているのだが、普通ならオリハルコンの武器に何重もの付与をした上で、ようやく竜鱗を傷つけるというものだ。

 これはほとんど、レイアナの持つ史上最高の武器、神竜刀ガラッハと同レベルである。


 必死に戦闘域から離脱しようとする魔王軍にも、既にかなりの損害が出ている。

 流星雨をも防ぐライザの障壁でも、神竜の魔法やジンの斬撃は防げない。セリナたちのような例外を除いては、生き残れるかは運次第である。

 魔王軍は城塞都市の人間と違ってほとんどが戦闘要員であるので、多少の混乱もありながらも、基本的には隊列を組んで大急ぎでこの場を離れている。

 戦闘が始まって数時間。その姿が地平線の彼方へ消えると、ジンの攻撃がラナを圧倒し始めた。


 相手は神竜である。

 巨大であり、強力であるというだけでなく、そもそも存在自体が概念に近いものである。

 人間がどうやろうと、普通は対抗できる存在ではない。神々でさえ、その力をわずかに抑えるのがせいぜいだろう。

 これに対抗できる存在は、隔絶した力を持つ神と、勇者ぐらいなのだ。

 そしてこの勇者は、どう見ても勇者の中でも隔絶した力を持っている。

 帝国崩壊後の量産勇者はもちろん、真の勇者であるアルス・ガーハルトよりも。

 元々の、量産型勇者以前の召喚は、そもそも神竜が組み立てたものであり、その与えられる力は神をも凌駕するものなのだ。

 それにしても、ラナに対してこうまで圧倒的なのは異常である。


「そうか、竜は基本的に、小さくて強いものには弱いのか」

 ラナがここまで苦戦している原因を、セリナは冷静に分析していた。

 一撃の火力はやはり神竜が上である。

 だが相手は人間に対して蚊や蝿ほどのの大きさの生物であり、それでありながらも絶大な攻撃力を持っている。

 たとえ惑星を破壊するほどの力を持っていても、その懐に飛び込んで戦えば、火力のアドバンテージは大幅に削られる。

 そしてその肝心の火力だが、少なくともジンの攻撃は神竜の防御を貫いている。

 この相手は、神竜よりも戦い方が上手い。それがセリナの感想だ。

 神竜は機関銃を持っているが、ジンは懐に飛び込んでナイフを使っている。

 地球の常識に当てはめると、そんな関係ではないだろうか。




 この程度か、とジンは思った。

 失望でもなく、ただ事実の確認であった。


 かつてネアースに召喚された折、彼は黄金竜クラリスと会っている。

 そのあまりの存在感に、実力を測ることなど出来なかった。自分が象の前の蟻になった気分だった。

 神竜にも力の差はあり、クラリスはほぼ最強の座にいた。

 ラナと会った時も、その存在感の大きさには慄くことしか出来ず、自分との差など比べることすら出来なかった。


 だが今は違う。


 水竜ラナは、明らかに自分より弱い。そしてクラリスよりも弱い。

 これならば暗黒竜バルスとでも、互角以上に戦えるだろう。

「もういいか」

 握り締めた剣に膨大な魔力を注ぎ込む。剣はそれに呼応してその形を巨大な物に変え、黄金の光を発する。

 時空魔法の超加速。ラナもそれには対応するが、やはり大きすぎる。

 人間と毒虫が戦った場合、その虫が素早く、そして即死させるほどの手段を持っていればどちらが勝つか。

 ジンの目的はそれを見定めることにあった。


 無限魔法と虚空魔法により創り上げた創世の神剣。

 その光はラナの魔力障壁も鱗も切り裂き、その首を切断した。




 首を切断されたはずのラナの魔力が、一瞬にして爆発的に増加した。

 どんな不死性を持っていても、さすがに死ぬであろう傷。だがわずかな間を置いて、ラナの肉体は完全に再生していた。

 その再生された肉体が、どろりと溶ける。

 水竜ラナの真の姿。

 それは生命を生み出す海水の塊であった。


 超高水圧で、大地が圧迫され、削り取られ、巨大な穴となる。

 水は再び天空へと飛び上がり、雲と同化して水の竜の姿となる。

 結界内の大気は遠心分離機で攪拌されたように姿を変え、成分が固体となったり気体となったりした。

 およそ直径数十キロの穴が、そこに生まれていた。

「あばばっばばばば」

 結界から吐き出された余波で、ミラがはるか彼方に飛んで行く。

 プルはセラを抱えたまま転移し、この神話時代の戦いを遠望することにした。


 まだ戦場にとどまっている人種は四名。

 ライザの結界に守られたセリナとシズ、そしてジンの供であるシルフィ。

 天地開闢にも似たこの戦いを、見極めようとする、不遜にして大胆な者たち。

「神竜は、竜とは比べ物にならんものじゃの」

 シズの声に呆れた響きがある。だがセリナが注視するのは、それだけの攻撃を受けても全くダメージを受けていないように見えるジンの方だ。

 神竜のブレスのみならず、おそらくラナの持つ本来の攻撃方法でさえも、彼の着用した外套さえ破れることがない。

 攻撃力はともかく、防御力では圧倒的に神竜に優っているのだ。

 山より巨大な神竜を、人の姿をした存在が上回る。これは世界の法則に反する。

 かつて消滅した黄金竜クラリスや暗黒竜バルス、先代の火竜オーマであっても、人との直接の戦闘で敗北したわけではないのだ。


 セリナはジンの力が圧倒的であるのを分かりつつも、腰の刀に手を添えていた。

 両者の戦闘がどういう意図の元にあるのかは、詳しくは分からない。ジンは最初にこの世界を救うと言ったが、ラナには恨みがあるらしい。

 その恨みがどの程度で晴れるのかは知らないが、神竜に消滅してもらうわけにはいかない。

 そもそも探していた神竜が、ようやく目の前に現れてくれたのだ。致命的な結果がもたらされる前に、介入しなければいけない。


 止めるならジンの方だ。

 ラナは存在自体が破壊的で、セリナの刀で止められるようなものではない。しかしラナを圧倒しているはずのジンならば、止められるかもしれない。

 彼はそもそも、セリナたちには友好的に接しようとしていた。テルーやオーマが手を出さないのも、理由はあるのだろう。

 現在のネアースの神竜を強さの順で並べるなら、第一にラナ、わずかに差がありテルーとなる。

 少し差があり次はオーマで、またわずかな差があってレイアナ、そして大分差があってイリーナとなる。

 ラヴェルナとリーゼロッテは、実は古竜より少し強い程度でしかない。


 しかし世界最強の神竜よりも、ジンの方が戦いやすい。セリナはそう感じていた。

 そしてライザに守ってもらいながらもシズが後退していないのは、同じ理由によるのだろう。

 破壊力を求めるだけなら、魔法を使えばいい。事実シズの攻撃した砦と、プルの攻撃した砦では後者の方が致命的な損傷を負っている。

 だが対人戦闘なら話は別だ。一足一刀の間合いから勝負を始めるなら、シズはプルに間違いなく勝てるだろう。

 介入のタイミングを覗っている間に、事態が動いた。




 風竜テルーが動いた。

 その肉体は数キロに及ぶ純白の竜の姿となり、そして半透明の存在へと変化した。

 空中に浮かぶジンに襲い掛かろうとしたが、それを止める者がいた。


 ハイエルフのシルフィ。


 結界の発動を停止し、風を身にまとってテルーへとぶつかる。

 彼女の周囲の大気は秒速数千キロの速度で動き、どのような物質でも破壊するほどの威力があった。

 しかしその中で彼女だけは、ジンと同じように全く傷を負わずにいる。

 ハイエルフは確かに勇者や魔王に匹敵する存在であるが、神竜には及ばない。

 クオルフォスから聞いた3200年前に消えたこのハイエルフは、おそらくジンと同じぐらい強い。

 だが彼女の戦い方は魔法使いの戦い方に近いもので、その力はテルーの膨大な魔力と膠着している。

 問題はこの一柱と一人が抜けたことで、結界の維持がオーマ一人に任されたことだ。


 オーマは完全な結界を形成することを諦め、空の方向へ力を逃している。

 それだけでも周辺の大気は猛烈な動きを止めず、半型数十キロ以内の土地は嵐で荒れ狂っているだろう。

 後退した魔王軍が無事かどうかは不安だが、地表付近は史上最悪の台風程度の風で済んでいるだろう。


「割り込む隙がないのう」

「そうですね。下手をすれば一瞬でこちらが消滅します」

 鍛えられ、神器である鎧を身にまとうとは言えシズはあくまで人種である。セリナの不死性も、肉体が細切れになればさすがに発揮されないだろう。

 致死感知はゆるいものだが、一歩でもその場を動こうと思うと、途端に盛大な警鐘を鳴らしてくる。

 神竜の持つ無限に近い力を考えれば、いつまでこの状況が続くのか分からない。

 それより早くオーマの結界が消滅すれば、この周辺がどの範囲まで壊滅的な打撃を受けるか分からない。


 だが、それでも動くべきか。

 迷うセリナたちに対して、また状況が変わる。

 ジンたちが現れた、天空の闇。そこから滲むようにして、また巨大な力の反応が現れる。

 しかしそれは、絶望を加速させるものではなかった。


 現れたのは二つの人影。

 黒を身にまとった女性と、白を身にまとった女性。

 それはセリナが長く求めていた姿だった。


 大地と大気の激動の中、二人はセリナたちの横に立つ。

「また厄介なことになっているな」

 台詞の内容の中には、わずかな苦笑の響きも湛え。

「……師匠、先生……」

 暗黒竜レイアナと聖女カーラは、戦地に降臨した。

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