70 邪神降臨

 シズの攻撃は、半ば成功し、半ば失敗した。

 砦を落とすという目的は果たしたが、敵の兵力はそれほど削れていない。

 普通なら一割の兵力を削れば、士気が落ち継戦能力に支障が出て、勝敗が決するのが地球時代のシズの知る戦争である。

 だが近世以降の軍隊では、指揮系統を確立し、軍の編成を整備したことによって、戦力として崩壊する兵力の限界が上昇している。



「というわけで、すまなんだな」

 シズは殊勝に謝るが、将軍は戦慄と同時に興奮していた。

 敵の拠点に一人で――正確には一騎だが――潜入し、一割の戦力を削って砦の機能を破壊する。

 個人の武勇が突出するネアースでも、この数百年の兵器の進歩により、一人の英雄が出現することは珍しくなっている。

 しかしシズがしたのは、そういうことだ。魔法使いの大規模戦術級魔法ではなく、その近接技能で行ったところがさらにおかしい。

「まあ、生かしておいた兵が、今後も役に立つかと思えば疑問ですけど」

 セリナはシズを擁護するでもなく、そう発言する。

 銃でも魔法でも傷つけることあたわない存在が、敵にいる。それは一種のホラーであろう。



 さて、作戦は第二段階に入る。

 敵右翼とも言える砦は攻略した。少し手をつければまた使える程度の損壊であるが、とりあえず死体の片付けだけでも時間がかかるだろう。早急にそれは行わなければいけないが、砦の機能としては停止している。

 次は敵左翼の砦である。こちらの攻略は、先ほどの砦とは全く異なる手段で行われる。

 プルの戦術級魔法、流星雨。これでシズの力とは全く異なる、しかしながら圧倒的という意味では同種の戦力を見せ付ける。

「さて、では一発」

 塹壕から一人這い出る。それに向けて銃撃が加えられるが、元よりただ一人を狙った散発的なもの。当たることはないし、当たってもどうということはない。

 そして一瞬の芸術的な術式の構築。陣地や城を破壊するという点では、おそらく最も効率の良い魔法が、敵左翼の砦へと降り注いだ。



 流星雨。隕石の衝突エネルギーは、核兵器の爆発にも劣るものではない。わずか一瞬砦を守る結界が反応したが、一撃で破られた。

 合金の砦も耐えることはなく、一撃で破壊される。そこに篭った敵兵は、肉の塊にさえなることを許されない。衝撃波で肉体は爆散し、ゲル状になるか蒸発する。

「むーん」

 そのエネルギーが城の壁を破壊しないようにするライザの精霊術も、尋常のものではない。

 砦は単なる合金の塊と、有機質が混ぜ合わさった、現代アートのような存在となっていた。

「セリナ、生存者は?」

 セリナが地図を起動させて探るも、反応はなし。

 2万の敵兵全てが、肉塊以下の細切れとなり、肥料にさえならない大地が出現した。



 この光景を見て、敵はもちろん味方も戦慄する。だがそれがもたらすものは、もちろん正反対のものである。

 敵はこれを見て、魔王軍にはすぐにでもこちらを消滅させる戦力があるのだと恐怖する。

 魔王軍は逆に圧倒的な英雄の大魔法に、勝利を確信する。

「これで作戦の第一段階は終わりですね。では――」

 言葉の途中で、セリナは違和感を覚えた。

「む?」

「……」

 直観力に優れた、シズとライザもそれを感じた。

 それに対してプルやセラが疑念の声を上げる、そのわずか前に。



 瞬間――。



 空が割れた。







 戦争日和の青空。太陽は丁度南天にいる。

 その青が割れて、闇が現れた。

 星の見える夜空の闇ではない。ただ光が全くない場所。闇は空を割り、太陽の光が失われる。そして、そこから人影が二つ降りてくる。

「何だ? 時空魔法か?」

 突然の事態であるが、この現象は時空魔法に近い。プルはそう呟いたが、セラが首を振る。

「時空魔法とは少し違うようですが……」



 音もなく大地に立った人影は二つ。黒の外套とフードで姿を隠した中肉中背の、おそらくは男。そして白の外套とフードで姿を隠した、おそらくは女。

「馬鹿な……」

 思わず呟いたのはプルで、無言で体を強張らせたのはセラ。

 そして臨戦態勢に入ったのはセリナとシズで、なぜかライザは全く緊張感を抱いていなかった。

「プル、あの二人はなんですか?」

 セリナの致死感知には、まだ反応するものがない。しかしこの異常事態に危機意識を持たないのは愚かであろう。

 そしてセリナよりも優れたステータス看破能力を持つプルは、ありえないことを口にした。

「……あの二人、ステータスがない」

 それは、この世界の理を外れた事象であった。



 ステータスやレベル、技能に祝福といった個人を形作るシステムは、神竜の管理下にある。

 たまに神々が加護を与えてシステムに己の力を加えることはあるが、それは神竜のシステムを前提としてあるのだ。

 異世界から転移したり転生したりする者も、その過程においてシステムに接触し、ネアースのシステムの影響下となる。

 それは神でさえ例外ではないことだった。



「隠蔽しているわけでもないようですね。鑑定して力が分からないというのは、少し厄介です」

 セラは冷静さを保っているが、それは事態の異常さを把握していていないからだ。

 システムに頼らずとも相手の力量が読めるセリナとシズは、ただ佇んでいるだけの二人に圧力を感じている。

 相手の強さを肌で感じるという点において、地球で戦闘経験のある戦士は有利である。

 変わらずライザは沈黙している。セリナたちとは全く違った感覚を持つ彼女は、どうやら危険だとは思っていないらしい。

「なんか知らないけど、目が覚めた」

 棺に眠ってたはずのミラが、太陽の力が失われているのを感じて出てくる。



 やがてその男女は、フードを脱いだ。



 男は日本人に見えた。年の頃は十代後半から二十歳前後。目付きが悪いが、それ以外は特に目立つ特徴もない。

 女はハイエルフであった。

 ハイエルフのはずであった。なぜならその髪の色が、ハイエルフに特有の水色だったので。

 同族と感じたので、ライザは危機感を抱かなかったのだろうか。



 男はゆっくりと首を回し、破壊の爪跡が残る砦を見た。

「……竜の世界だな。間違いない」

 かすかな呟きはセリナたちに聞かせるためのものではなかったのだろうが、聴覚に優れたセリナたちにはしっかりと聞こえた。

 ハイエルフはそれに小さく頷き、セリナたちの方へと右手の人差し指を向けた。

 男の動きは、変わらずゆっくりとしたものだった。戦場になりうる場所のど真ん中に位置しているのを、把握しているのかしていないのか。

 只者でないことだけは分かるのだが。



「竜人が二人に、半神、ハイエルフ、そこまではいいとして……半吸血鬼に半獣人? この世界ではないのか? いや――」

 呟き続けて思考を整理しているのだろう。やがて空を見て、なぜか納得したのか、軽く頷いた。

「星座の形が少し違う。統一暦で3000年以上経過しているのか。竜の世界であることは間違いないな。遺伝子操作でもしたら、エルフ以外との混血も生まれるものか。科学も発達したか、魔法の発展によるのか」

 男は隙だらけのような、それでいて自然体の動きで、セリナたちの陣へと近づいてくる。その背後に従うハイエルフの少女も共に。

 その歩みはゆっくりとしていて、武器も持たないので魔王軍の陣営からも何人かの兵士が出てくる。さすがに将軍はいないが。

「ああ、戦闘の後のようだが警戒しないでくれ。と言っても異常事態だから無理だろうが、君たちに危害を加える気はない。そちらのハイエルフは大森林の出身だろう? 基本的に俺は、エルフとは友好的に接することにしてるんだ」

 両手を広げて敵意のないことをアピールする男だが、セリナとシズ、特にシズは刀を両手に持ち、いつでも動けるようにしている。



 セリナがそこまでの危機感を抱かなかったのは、彼女の持つ祝福による。

 彼女が持つ技能で最も自身が重要だと考えているのは、近接戦で無敵を誇る戦闘技能でもなく、竜の血脈から発生する不死身に近い肉体でもなく、地形を把握して一方的に有利になる地図の能力でもない。

 前世から今までにかけて、最も役に立った能力。それは致死感知だ。

 目の前の男には殺意も敵意も害意もない。ただ圧力だけがある。

「多少は見えていたんだが、直接この世界に戻れたのは今日が初めてでね。少し聞きたいことがあるんだ」

 嘘くさい笑みを浮かべるようなこともなく、男の言葉と表情は真摯であった。

「まずは名乗ったらどうです? 正直あなたは只者ではないと感じるので、こちらも敵対したいとは思えませんが」

 セリナの言葉に、男は頷いたが、少し考える素振りも見せた。

「名前か。名乗るのは構わないんだが、意味があるのかな。ハルトさんは多分、俺のことを広めてないと思うんだが……。ああ、ジークフェッドさんの昔の仲間と言えば分かるかな? ハイエルフになら俺の名前も伝わってるはずだろうし」

 なぜここでジークフェッドの名前が出てくるのか。それも彼に「さん」と付けるような殊勝な人間は、世界でもほとんど例がないだろう。

 それにハルトという名前。セリナはこの名前が、先代大魔王アルスの本名だと知らない。

「俺の名前は榊原仁。ジンと呼んでくれたらいい。それで、こちらはシルフィだ」

 ライザに似て無口のハイエルフはかすかに頷いた。



 ジン。セリナの記憶にはない名前だ。日本人の名前であるということは、転移者であろう。話している言葉の内容からして、どうもネアースに一度は召喚されたらしいが。

 そしてシルフィという名前のハイエルフ。セリナが視線を向けると、ライザは短く答えた。

「3200年前、大森林を出たハイエルフ」

 そこまで聞いて、セリナには見当がついた。クオルフォスから聞いた話や、神竜レイアナの話とも合致する。

「勇者……」

 そう、3200年前、大崩壊の直前に、ネアースに召喚された、三人目の勇者。

 帝国の消滅と共に姿を消した勇者は、水竜ラナの力によってネアースから他の世界に転移したと言われているが。

 なにぶんセリナの師匠であるレイアナでさえ、彼との直接の面識はなかったのだ。



 勇者。それも帝国消滅以後の劣化召喚術によるものではない、真に魔王と戦う力を持つ存在。

 なぜ、どうして、このタイミングでここにいるのか、疑問は尽きない。

「それで聞きたいことなんだが、神竜はどこにいる? 出来れば暗黒竜バルスか、水竜ラナがいいんだが。他にもこの世界に干渉しようとしているやつがいるから、すぐにでも会いたいんだ」

 不思議なことをジンは言った。

 この世界を守護する神竜。それは黄金竜イリーナ、暗黒竜レイアナ、水竜ラナ、風竜テール、火竜オーマ、天竜ラヴェルナ、星竜リーゼロッテの七柱である。

 暗黒竜バルスは、3200年前の大崩壊によって消滅し、代替わりしている。それを知らないという事実は、逆にジンがこの3200年ほとんどネアースの出来事に感知していなかったことの証明にもなるのだが。



 疑問は尽きないが、とりあえず暗黒竜の代替わりについてだけは答えようと思ったセリナだが、その直前に空間の歪みに引っ張られるような感じがした。

 それは転移の前兆であり、一瞬の後、セリナたちとジンの間に、三人の女性が現れていた。



 いや、正確には三柱と言うべきか。



「とうとう来ましたね。勇者よ」

 前触れもなく現れたその三柱の存在を、セリナは知っている。

 前世において地球からネアースに召喚された折、彼女は出会っている。この世界の守護者である神竜に。

「ラナか……」

 そう、ネアースにおける神々をも滅ぼす者。神竜が三柱も目の前にいる。

 水竜ラナ、風竜テルー、火竜オーマ。

 神竜の中でも古参と言われる三柱。当然ながらその戦闘力は、いや存在そのものが、全てを超越している。

「なぜこの世界に戻ってきたのです。しかもこの時期に」

 ラナとジンの間に、ピリピリとした空気が漂う。



 ジンは獰猛な笑みを浮かべた。

「この時期だから、というものだけどな。この世界はもうすぐ……滅亡するだろう? 一応は助けるつもりで来たわけだが……」

 ジンの視線ははっきりとラナだけに向けられ、その中にははっきりとした敵意が向けられていた。

「他の神竜はともかく、あんたには借りを返さないとな」

 戦意が高まる。まさかこの勇者は、神竜と戦おうというのか。

 かつてこの第三の勇者とアルスとの戦いによる破壊を止めるため、黄金竜クラリスが己の存在を消滅させたという歴史をセリナは知っている。

 それはあくまでもこの世界への影響をとどめるためのものであり、それでもかつての帝国の首都は消滅し、大陸中央部には巨大な湖が痕跡として残っている。



 ジンは何も武器を手にしていないが、それでもラナに向ける敵意は暴発寸前にまで高まっているのが分かる。

 おそらくこの両者の戦いの余波だけで、魔王軍の陣地や敵軍の城塞都市は消滅するであろうと、セリナは致死感知がもたらす警鐘を感じていた。

「それと、今の俺は勇者じゃない」

 抑制された口調に、それでも感情を乗せて。

「数多の世界で、俺は『邪神帝』と呼ばれている。大仰な呼び名だとは思うが、まあ自分で名乗ったわけじゃないからな」

 ラナに対して歩み寄りながら、ジンは長剣を収納空間から取り出した。

「神帝……我々神竜と互角か、あるいはそれ以上と聞いています」

 神竜であるラナの言葉に、わずかな緊張がある。それは異常なことであった。



 神竜は絶対的な存在なのだ。世界を――惑星を破壊してしまうほどの。



「色々とこの世界も大変みたいだが、まずは遺恨を晴らさせてもらおうか」

 ラナの姿が竜に変わる。その全長は数キロに及び、姿を現したというそれだけで、圧力が大地を振動させる。

 会話に加わっていなかったテルーとオーマが、結界を張った。

 そして戦いという名の、破壊が始まった。

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