67 南へ
魔都アヴァロンに到着して一週間。その間一行は魔都の観光をしていた。
ただし各所にDOGEZA行脚をしていたミラを除く。
健全な観光名所には、ハイオークの武官が自ら案内してくれていた。やはりセリナに対する関心が大きいのだろう。
最初に訓練場の立会いで、瞬時に敗北したことで、ブンゴル流の戦士としては、敬意を表さずにはいられないのだ。
ちなみにその後シズにも一瞬で敗北し、大きく自信を失ったようだが、プルとはほぼ互角に戦えた。魔法なしとは言え、さすがに魔王の側近なだけはある。
DOGEZA行脚で忙しいミラとは戦う機会すらなかったが。
アヴァロンは基本的に魔族の多い都市だが、人間や亜人も少なくはない。
そして文明の程度も、オーガスやガーハルトより少し劣る程度である。しかし現在は大きな問題もある。
一つは流民への対処である。魔王領は大陸の他の場所よりもかなり治安はいいが、それでも盗賊や隣国の略奪がないわけではない。よって国境よりも都市に流れ込む人種が多い。
もう一つは軍を国境に貼り付けてあるということだ。安全保障上の問題で仕方はないのだが、これを維持するのがなかなか難しい。少数の部隊に攻め込まれ、外縁部の領地が荒らされることもある。
それでもやはり、アヴァロン自体は先進的で豊かな都市であるのだが。
そして一週間後。
「さて、まずは勢力の分析をしましょう」
「うむ、説明しよう」
王城の一室を借りて、セリナたちはハイオークから大陸の情勢をの詳細を聞くことになった。モニターのある会議室のような部屋であった、
いまだミラはDOGEZA行脚の途中である。
「まず大陸を、北と南の二つに分ける。そして北をさらに東西に分ける。この北東部が我々魔王領の影響下にある。だが確実に統治できているのは、さらにその半分程度だ」
モニターに映った地図に、線が描かれていく。広大な竜牙大陸の2割ほどが領土となる。
ハイオークはさらに地図に、線を書き込んでいく。主に南部である。
「南部は日々勢力圏が変わるため、最新の地図がすぐに役に立たなくなる」
一年毎の地図を見せるが、勢力の色を示す部分が短期間で変わっている。
「北部をまず完全に掌握した方がいいのではないか? 後背を固めてから進出すべきだと思うぞ。今は南部に主に兵を出しているんだろう?」
戦略的見地から、プルは意見を述べる。魔王軍は途中の地域を完全には制圧せず、前線を南へと布いているのだ。
「そこが問題です。この辺りは自治区や同盟国が多く、一応は魔王の支配下にあります。ですが互いには軋轢があり、武力による衝突も頻発しているのです」
その言葉を聞いて、プルはセリナを見る。一行の中で戦略眼を持つのは、セリナ、プル、シズの三人だが、シズはせいぜい前線指揮官としての経験までしかない。前世でも、今世でも。
セリナは違う。地球という軍隊の原則からして異なる世界の知識もあれば、ネアースでの軍事知識も豊富である。
「後背地になるはずの部分が頼りないため、兵站の維持が困難であることと、紛争が起こればそこに戦力を回さなければいけない。つまるところ、足元がしっかりしていないのが問題ですね」
「むう、確かに事実だけを見ればそうなのだが、余計なしがらみが色々とあってな」
魔族は長命である場合が多い。そして長生きをすれば、他者との利害関係も多くなるものだ。
これまでずっとその支配体制だったのを、急激に変えることは難しい。紛争の調停にも、どちらの言い分も公平に聞き、そのため紛争の根幹となる問題を根絶させることが難しい。
魔王の権力が弱いのだ。そして魔王の戦力もまた、圧倒的ではない。
だがこれに関しては、セリナは既に解決策を考えていた。
彼女自身が解決策であるのだ。
一国を一人で滅ぼせるほどの戦闘力を持つ個人。広範囲の攻撃を持たないシズや、後衛の補助に特化したセラを除いても、四人は軍を相手に戦える戦士がいる。
「それでもまずは足場固めですが、一度私たちの戦力を見せ付ける必要はありますね」
セリナの指が、モニターの上を滑る。
大陸南部。人間が合い争い、亜人や魔族が人として扱われず、殺戮される暗黒の地域。
まずセリナたちは、それに対する力の誇示を選んだ。
アヴァロン王城の地下には、迷宮とも思える巨大な空間が存在する。
浅い層には特殊な牢獄や倉庫、会議室が配置されている。
しかしそれを過ぎ、何百段にもなる階段を降りていくと、そこには静謐な空間がある。
無数の棺が置かれ、その中には眠りに就いた魔族の姿がある。
浮遊大陸ほどではないが、ここにもまた、戦乱の時代を過ごした後、眠りに就くことを選んだ戦士たちがいる。
ここの戦士たちの力を借りれば、大陸の戦乱も治まりそうなものなのだが、眠っているのは戦士としては有能なものの、脳筋であるためあまり出来ないのである。
その最奥とも思える場所には、少しだけ意匠の違う棺があった。
魔王軍でもごくわずかな限られた者しか立ち入れないその場所へ、ミラは一人で赴いていた。
棺の中に眠る、少女のような姿の吸血鬼。真祖であり、ミラの母でもある、先代の魔王。
アスカ・アウグストリアは夢も見ず深い眠りの中にある。
「母様、帰ってきました」
ミラがここを訪れるのを最後にしたのは、これが私事であるからであった。
再び旅立つ前に、いつかは再び眠りから醒める母に、挨拶をする。長い時を生きたために、眠りに就くことを選んだ母。
親友の死と共に活力を失った母は、後継者を指名せずに眠りに就いた。だが指名しなかったという事実が、そもそも誰が魔王になるべきかを示していたのだとミラは思っている。
ミュズは頭もいいし、特殊な性癖を除けば臣下たちの意見の調整能力に優れている。また、勘もいい。単純に学力があるというわけではなく、現状の把握と未来へのビジョンを持っているのだ。
だからミラは、ミュズが魔王を継ぐことを認めた。
無責任に飛び出したのも、それのよって配下がミラに対して失望することを望んだからだ。
……決して、俺より強いやつに会いに行く、という理由などではない。
眠る母にしばらく語り続けた後、ミラは棺を閉じた。
かつての配下からの失望などはどうでもいいが、彼女はこれからこの大陸の戦乱を鎮めなければいけない。
話を聞く限り、セリナとプルはかなりの戦略眼の持ち主であるし、シズも一軍を率いるには充分な経験を持っている。
セラとライザはその手の能力は持っていないが、そもそも能力自体が突出している。
特にセラの治癒魔法は、魔王軍の継戦能力を飛躍的に高めてくれるだろう。
一度は放棄した義務を、今度こそ果たす。
強い決意を胸に、ミラは地下の寝所を後にした。
「何よこれ――――!?」
同じようなことがすぐ前にもあったな、とセリナは思った。
魔都アヴァロンから程近い位置に存在する黄金回廊。
そこは神竜の住まう迷宮であり、特に中に存在する魔物や幻獣の強さでは、火炎迷宮をも上回るという難易度を誇る。
そしてその入り口に立て札があった。
『神竜イリーナは留守中です。またのお越しをおまちしております』
単にレベルアップや、魔石の採集を望む冒険者には問題ないのだろう。だが神竜との連絡を取りたい一行にとっては、これは困るのだ。
オーマに続いてイリーナまで、その守護する迷宮を離れている。これが異常なことは分かる。
もしかしたら、他の神竜も全て己の神域を出ているのだろうか。確かめるには、他の神竜の神域も見てみる必要があるだろう。
もっとも、若い神竜である星竜と天竜はその限りではないのかもしれないが。
セリナが最も会いたいのは、暗黒竜レイアナである。故郷であるオーガスにある迷宮の主であるので、そちらを一度目指すべきなのかもしれない。
「いや、考えてみればおかしい」
「え、何が?」
セリナの呟きに、ちゃんと返してくれるのはミラである。
「世界の何処にいても、神竜なら自分の迷宮の最奥に誰かが至ったら、それを感知して転移出来るはずだ。天竜ラヴェルナと星竜リーゼロッテは別だが、他の神竜たちにはその力がある」
「つまり……感知出来ない場所にいるか、一時的にも迷宮に戻ることが出来ない状態にあるか」
プルの出した答えに、セリナはこくりと頷く。
神竜はこの世界の管理者であり守護者である。
本来人種の戦いに干渉する立場にはないが、己の神域に至った者には加護とも言うべきか、願いを一つ叶えている。
かつてはその神竜の力を借りて、人種の中でも敵対していた魔族との大戦に、勝利したこともある。
本気を出せば神竜の力は、惑星自体を破壊することさえ出来る。その手が塞がっているというのは、確実な異常事態である。
この大陸の戦乱を治めるのは予定通りだとしても、その後はまた神竜たちとのコンタクトを取らなくてはいけない。ゲルマンの仄めかしていた状況とも、神竜の不在はつながりそうな気がする。
まずはオーガスに戻るとして、そこから暗黒迷宮に向かい、その後はガーハルトに向かうべきだろう。大魔王との会見も、プルならば伝手はある。
「まったく、何が起こってるんだか……」
セリナは呟いたが、強烈な胸騒ぎは収まらなかった。
竜牙大陸南部へ。
途中で乗っていた列車が盗賊もどきの傭兵団に襲われるというアクシデントもあったが、さほどの問題もなく一行は魔王軍の軍勢に合流した。
軍は四つに分かれていて、それぞれが違う対象を敵として分散している。戦力の集中の原則に反しているが、敵もまた一枚岩ではないため、どこか一点に集中するというのも逆に問題なのだ。
セリナたちが最初に合流したのは、もっとも数が少なく、もっとも苦戦している軍。魔王軍第12軍団、14軍団、15軍団の三軍団の集結した南西方面軍である、
敵の兵力が単純に優っているため、南西方面軍は陣地を築いてその中に籠っている。
幸い制空権はどちらも把握しておらず、戦況を決定付ける兵器もなく、かといって地形に特殊なところもなく、正面からぶつかるしか方法はない。
時間をかければ迂回挟撃などの戦法も使えるのだろうが、敵は城塞都市とその周辺に隣接した砦に集結しているので、少ない兵力で篭城した多い兵力に対することになっている。
このような状況を維持している人狼の将軍は、間違いなく優秀であった。普通に考えれば。
「さて、どう勝つべきか」
突然現れたセリナたち相手にも関わらず、将軍は侮ることもなく、司令部となっている地下基地に案内してくれた。
もちろんミュズからの親書を持っていたというのもあるのだが、彼女自身が元々ミラの派閥の魔族であったのだ。
ミラが赤ん坊の頃から知っている、それこそ「オムツを替えてあげたこともある」頃からの知り合いであった。
なのでセリナたちを受け入れることはそれほど難しくなかったのだが、その意見まで通るとは限らない。
「まあ、勝つだけなら簡単じゃな。わしとライザの二人だけで正面突破しても良いし、合わせてセリナとミラで指揮官を暗殺してもいい」
簡単そうに言うシズに、参謀たちは疑惑の目を向ける。
将軍でさえ、どこか胡散臭そうな視線を隠さない。ミラ個人に対しては忠誠に近い感情さえ持つ彼女だが、戦争に素人の手はいらないのである。
しかしこの六人の戦力は、戦争を戦闘にしてしまうほどのものであった。先ほどのプルとシズの発言も勝利は前提にある。問題は、どういう勝利を将軍が望んでいるかだ。
「この陣はまず戦線を維持することが求められる。その間に他の戦線を決着させ、その後に城攻めをするのだ」
将軍はミラを見つめている。彼女にとっては一行の中で、まずミラが対話するべき存在であるのは間違いない。
「いや、単に勝つだけなら簡単じゃぞ。わしのこと知らんかの? 七つの流星におった、ミナモトの娘なんじゃけど」
シズは簡単に事実を述べただけだが、将軍の意識を向けさせるには、その情報は充分であった。
「七つの流星。竜殺しの生き残りか」
「あと、オーガスで皇帝を暗殺してきたのもわしなんじゃけど、そのあたりも知らんかの? たぶんそのことで顔は知られていると思うんじゃがなあ」
将軍が眉をしかめ、参謀の一人を振り向く。エルフであるその参謀は、しばし記憶の海を探った後、シズの顔を見出した。
「武闘会準優勝の、シズカ・ミナモト。いや、それにそもそもそちらの方は――」
「プリムラ・メゾ・ウスラン」
向けられた視線に対して、プルは名乗った。
部屋の空気が変わっている。戦術級の魔法使いであり、世界屈指の戦士であるプルの名を、違う大陸とはいえ軍人が知らないはずはない。
そしてそれに合わせるようにして、セラがライザの髪にかけた偽装の魔法を解く。
青い髪のエルフ。それはエルフにとって己の絶対的な上位者であることを示すものだ。
「まさか、ハイエルフ! ……どうしてこんなところに…」
驚愕は伝染していき、セリナたちに対する空気は一変していた。
「では、どうやって勝つかの話をしましょうか」
言葉に力を込めてそう言ったセリナの視線を受けて、誰かがごくりと息を呑んだ。
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