第三部 幻想崩壊 竜牙大陸戦国編

67 腐敗の魔王

 魔都アヴァロンに存在する巨大な魔王城。その中でも奥に存在する謁見の間。

 普段は滅多に使われないその場所に、魔王領の重鎮たちが揃っている。

 玉座に座るのは、言うまでもなく魔王ミュズ。ハーフダークエルフという、世界でも数人しかいない存在である。

 その左右に、扉まで並ぶのが文官や武官たち。そして謁見する立ち位置にいるのが六人。

 五人は立っていた。そして一人は正座していた。



 魔王の視線は冷たく、その臣下たちの視線も、あまり好意的ではない。

 そして仲間のはずの五人も、セラが一人疑惑の微笑を浮かべている他は「しゃーねーな、こいつは」といった感じである。

「まったく、私がどれだけ苦労したと思ってるのですか?」

 苛々と玉座の肘掛を指で叩く魔王ミュズ。その言葉にうんうんと頷く魔王の臣下たち。一人の例外もない。

「だって――」

「だってじゃありません!」

 肘掛を叩き、ミュズは叫んだ。

「『旅に出ます。探さないでください』あんな手紙だけで! 皆が納得すると思っていたのですか!」

 どうやらミラの出奔は、かなり大胆と言うか、刹那的に行われたらしい。



 ミラは俯きながらも左右を見て、そして喋った。

「でも結果は良かったみたいじゃん」

 それは左右に並ぶ魔王の臣下のうち、ミラを推していた者たちも同じように並んでいることから分かる。

 後継者候補の片方が失踪した結果、ミラを支持していた者たちも、ミュズを推戴しているということだ。そしてミュズも寛容にそれを受け入れた。

 内部抗争で国力の低下、人的資源の損失を招くことを避けようとしたミラの目的は、とりあえず果たされたようだ。



 だがミュズはこめかみに青筋を立てて、また大きく怒鳴った。

「結果論ですか!? 私たちがどれだけ苦労したか! せめて私と、貴方を支持していた重鎮ぐらいには言っておくべきでしょう! 私は貴方を暗殺したと思われ、ついさっきまでその疑惑は残っていたのですよ!」

 道理である。臣下たちはうんうんと頷き、仲間たちでさえ苦笑いである。

「……悪かったわよ……」

 不貞腐れるように横を向いて言うミラであるが、すぐに明るい表情に変えて、ミュズへ向き直る。正座はそのままだが。

「でもでも、私強くなったよ! それにほら、私並の仲間が5人! 大陸制覇も夢じゃないよ!」

 ミュズはその突然の変化に一瞬、ぱちくりと色の違う表情を浮かべた。

 ミラの言葉に、シズとプルはうんうんと頷くが、残りの3人は無表情である。

「大陸制覇ね……。まあそれについては、色々と困ってるんだけど……あんた並のが5人?」

 ミュズの口調が変わる。それは魔王としてではなく、彼女本来のものなのだろう。

「そうね、お話はしたいわ。私の部屋に、場所を変えましょう。あ、ちなみにミラはそのまま朝まで正座ね」

 ミラの顔が絶望に歪んだ。







 ミュズの護衛として侍る魔族は、レベル200前後の者が5人。ミラの連れだとしても、さすがに魔王一人にするわけにはいかないのだろう。

 吸血鬼、三眼人、天翼人に、ハイオークにオーガという種族がバラバラの構成だが、どの者も動きに隙がない。

 セリナはすすすと動いて、ハイオークの隣に移動する。

「あの、あなたはブンゴル流ですか?」

「む、確かにそうだが……貴殿もそのようだな」

 ハイオークの足運び、重心移動は古流剣術や武術に特有のものだった。腰に差したのが刀という姿からしても、予想はたやすい。

「私は剣神流なので、少し違いますが。前世でブンゴルとは一緒に修行をしたものです」

「むむ!」

 ハイオークの武人は、鼻から荒く息を吐く。くわっと目を見開き、小柄なセリナに詰め寄った。

「前世持ちであるか! 剣神流に、その齢にしては隙がないと思っていたが……いや、待たれよ! もしや貴殿は神竜の騎士か!」

「あ~、今はそう呼ばれてるみたいですね」

「神竜の騎士?」

 それまで先頭を黙々と歩いていたミュズがぐりんと振り向く。首が180度回転している。特技か。

「マジで!? するとククリの伝承の虚偽部分とかも分かるの!?」

 ハイオーク並みにふんぬーと鼻息も荒く、ミュズはセリナに詰め寄る。

「……まあ、ククリとは旅の最初から一緒でしたし。戦争に巻き込まれそうな時は少し別行動でしたけど」

 雰囲気の変わったミュズに、セリナは少し引きながら答えた。

「よっしゃ! これで百合男子どもの幻想を破壊してくれる!」

 訳の分からないことを言いながらも、その後ミュズのセリナへの対応は、さらにも増して親密なものになった。



 魔都アヴァロンとその周辺は、竜骨大陸の魔王領ガーハルトと魔法で情報交換をしている。

 ガーハルトの国内は地球の未来並みにネットワークが発展しているが、さすがに竜牙大陸の魔王領はそこまでではない。

 地球の日本に比べると、20世紀末程度の文化を持っている。

「でね、この十数年、ガーハルトもうちも、BLよりも百合の勢力の方が強いのよ!」

「はあ……」

 どうしてこうなった、とミュズ以外の全員が考えていた。

 そう、この竜牙大陸に魔王、ミュズ・ブラッドフォード。

 彼女はまだ未熟ながらもバランス感覚に優れた為政者であった。

 だが同時に腐女子でもあっただけである。







 ネアースの世界は、通信手段がその他の文明度に比べてやや遅れている。

 それは通信を妨害する手段が大量にあるのと、結界や魔素の噴出などで、科学的にも魔法的にも、全世界をリアルタイムで覆うことができないからだ。

 だがもちろん交流はある。印刷物もあれば、数日遅れで大概の情報は入ってくる。

 そして……同人誌の文化もある。むしろ印刷機器の発達や、国内の流通に限っては地球より優れているため、その手の文化はかなり先進的だ。

 さすがにインターネットが一般に使われているほどではないが、同人文化とはインターネット以前より存在していた。



 そしてミュズの趣味というのが、同人活動なのである。子供の頃から絵は上手かったし、コネで色々な一次作品を手に入れることもあった。

 魔王としての政務を行わなければいけなくなった現在、彼女の私的な楽しみは、同人作家紹介の雑誌を読むことと、年に一度の同人誌即売会にお忍びで参加することである。

 まあ、なんというか。

 ミラとは違った意味で、残念な拗らせ女子なのであった。

 この二人の魔王候補の選出は、どちらを選ぶべきかという積極性よりも、どちらがよりマシか、という消極性を持っていたのかもしれない。



 ネアース社会で男性同士の同性愛よりも、女性同士の同性愛が、創作上とは言え優勢なのは、ちゃんとした理由がある。

 主に暗黒竜レイアナと、先代の暗黒竜バルス、その他の……まあとにかく竜の生態によるものだ。

 この世界を管理している、最強の存在である竜は、基本的に雌、あるいは女の形態で生きている。

 繁殖期になると、肉体の一部が男性化して、生殖活動をするのである。



 竜という絶対的な存在が、そもそも百合百合しいのである。地球では古代などむしろほとんど女性同士の同性愛などなかったが、男性同士の同性愛が奨励されていた変な時代もある。

 だが竜や神といった存在が、両性具有である場合が多いため、人間と繁殖する場合は、女性同士の形を取ることが多い。

 神話や伝説と違って、まさに歴史にさえ、暗黒竜レイアナには3人の妻がいたと記されている。と言うか、プルがその娘の一人である。

 しかし男性同士の同性愛というのも無いわけではなく、歴史上の人物を勝手にBL化して腐女子たちが楽しんでいる場合も多い。

 新撰組がBL被害に遭っているのと同じ尺度で、ネアース世界の男性英雄はBL被害に遭っている。例外はジークフェッドぐらいであろう。

 ちなみに歴史上の人物で、もっともBL被害を受けているのは、先代大魔王のアルスであったりする。







「いや、本当に私は男に興味はないぞ」

 とりあえずプルの先制攻撃。

 場所を会議も行えるような応接室に移し、なぜか一行は腐った文化的なことを話し合っていた。

「竜はともかく、神竜の騎士はそんな百合百合してなかったよね!?」

 非常にプライバシーに関わる――そしてどうでもいい事実を、ミュズは必死の形相で確認しようとする。

 周囲の臣下の顔から表情が抜けている。



 セリナは深く溜め息をつき、そして正直に答えた。

「前世の私は、男でした」

「は? 神竜の騎士は女でしょ?」

「神竜の加護を得ると、女の体になってしまったんですよ。だからまあ、男と絡むことはなかったですし、同行の勇者とかエルフとはキャッキャウフフしてましたよ。地球に戻ったらちゃんと男に戻れたので、普通に女性と結婚しました」

「な……そんな……」

 絶望の色をその顔に浮かべ、ミュズは真っ白に燃え尽きた。

「何もそんな絶望的なことを言った覚えはないのですが。いいですか、同人というのは自分の妄想を……オナニーをいかに強烈に見せつけるかです!」

 ぶほっと笑い声が聞こえたが、ほとんどの者は表情筋を震わせながらも耐えている。

「BLでも百合でも、他人の価値観を認めないなんて悲しいことを言わないでください。貴方は貴方の趣味を貫けばいいのです!」



 セリナの言葉は無駄に真摯で、ミュズの胸を打った。

 はっと目に輝きを戻したミュズは、腐った魂に火を付ける。

「そうよ! BLは魂の輝き! 誰も私の心を支配することなんて出来ないのよ!」

 何を言ってるんだこいつは、という視線の中でも彼女は燃えていた。萌えていたのかもしれない。

「まあ、わしの前世の時代は、衆道は普通に行われていたがの」

 火に油を注ぐ発言。それは戦国という時代を生きたシズのものであった。

「え、そこんとこ詳しく!」

「ふむ、地球の中でも日の本の国にはの、坊主……神官は妻帯してはならぬという戒律があったのだ、若い神官を女の代わりにしとったという話じゃよ。あと戦士階級でも衆道は盛んじゃったな。戦場には女子がなかなか来れんという理由もあったかもしれんが、男同士というのはよくあったし、大名……貴族階級の衆道は、嗜みとしてあったの」

 むはーと鼻から息を吐くミュズ。臣下たちの表情が死んでいる。



「地球世界では男性同士の行為は、確かに自然な時代もありました。古代と呼ばれる時代ですが、世界の西方の文化が発達した地域では、むしろ男同士こそ正しい結婚であり、女は産む機械などと思われている場合もありましたね。まあある時期、ろくでもない宗教が同性愛を禁止して、そこからは衰えていきましたが」

「なんとファック! ろくでもない宗教ね! うちの領内ではそんな宗教は消毒よ!」

 机の上に片足を乗せて、絶叫するミュズ。臣下たちはもはや腐りかけている。

「ちなみにその宗教とは一神教とその類似品です」

 その言葉を聞いた瞬間、ミュズの表情が一瞬で醒めたものになった。

「あ~……あれか。地球出身者って割とまともなのが多いのに、あいつらだけどうしてあんなに馬鹿なのかな……」



 一神教の教徒は、3200年前の大崩壊において、ほとんどネアースに移民する事が出来なかった。

 また移民したとしても、ほぼ全知全能の竜が存在し、神々も存在するこの世界では、信仰を守ることは難しかったのだ。そのままなら平和的に消滅していたかもしれない。

 だがネアースには人間以外の人種がいた。

 魔族。おおよそ地球の伝承では、邪悪と信じられていた存在である。

 死に掛けの一神教と、人間以外の人種への偏見が合わさって、大陸の特に南部は、エルフやドワーフなどの一部の人種を除いて、他種族を排斥する傾向にある。それが延々と続く戦乱の理由の一つでもあるのだが。

 やはり一神教はろくでもない。まあ地球と違ってネアースでは、神々が種族を作った事実があるので、そのあたりの影響もあるのだろうが。



「南部ね……」

 椅子に腰掛けたミュズは、部下とセリナたち、全ての顔を一度見回す。

「一度、現状を見てきてもらいたいわね」

 かくして一行は、人間至上主義のはびこる、最悪の竜牙大陸南部に足を伸ばすことになる。



 ――ただし出奔していたミラが各所に謝罪に向かうので、しばらくの時間は与えられたが。

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