62 幻獣
竜の支配する世界ネアースだが、その竜を上回る存在がいないわけではない。
通常の成竜ぐらいであれば、上位の神々は倒すことが出来るし、人間の中から竜殺しが出ることもある。現代兵器ならば多大の損害を覚悟すれば、超人レベルの強者を必要ともしない。
そして魔物を上回る幻獣や神獣といった存在も、その一つである。
多くの神々や人種が他の世界からやってきたように、幻獣や神獣も、他の世界由来の存在であることが多い。
それは生物のように見えて実際のところは精霊に近い存在であり、単独で生息し子孫を残さない種族であることが多い。
倒してもいずれは復活する。そういう点では生物と言うより神々に近いかもしれない。
その中の一つが、海の帝王リヴァイアサンである。
シーサーペントの上位種だと唱えられたこともあったが、実際には全く違う存在である。むしろ神や悪魔に近い。
力の強大さでは成竜以上であり、あるいは古竜を上回るかもしれないという。高位の神とほぼ同等とも言われているが……。
「セラ、あれを倒せますか?」
「私は戦闘に特化した神ではないので」
セリナの問いに、あっさりとセラは首を振った。
リヴァイアサンの全長はセリナの計測によると5キロ。古竜を上回る巨体である。
だが問題なのはその強さではない。戦場となる環境だ。
海中にその体の大部分を沈めたリヴァイアサンは、客船をその蛇のような長躯で絡み取っている。その気になればすぐにでも、砕くか飲み込むか出来るであろう体勢だ。
「まずは船から引き剥がさないといけないし、その後は船を守らないといけないんだけど……」
海の中のリヴァイアサンと戦うのは、さすがに無謀すぎるとセリナは思った。
「任せて」
短くそう言ったのはライザで、手を交差させると、精霊に呼びかけた。
海が割れた。
「おおう、モーゼ」
思わず呟くセリナだが、海水は穴のようになりその底を晒し、リヴァイアサンはその底でのたうつ。都合のいいことに、船からは身を離していた。
「セラ、船に守りを!」
「了解」
セラの結界が船を包む。せっかくリヴァイアサンの抱擁から離れたとしても、このままでは戦闘の余波で完全に海の藻屑となるだろう。
戦場を整えるのがライザ、船を守るのがセラ、ならば残りの四人でリヴァイアサンを倒す。
「あたしじゃ火力が足りないから、牽制するね」
空中での旋回能力に優れたミラがリヴァイアサンの鼻先に向かう。残るは三人。
「私は接近して攻撃します。シズとプルは、遠距離からの攻撃を」
「わしの弓では、あまり効果がないような気もするがの」
シズの武器は竜をも殺す竜殺しの装備であるが、成竜に比べるとリヴァイアサンはあまりにも巨大である。そして純粋な物理的防御の他に、魔法による防御まで持つ、天災級存在だ。シズの装備でさえ、ダメージを与えるのは難しいだろう。これはシズの戦闘力ではなく、相性の問題なのだ。
「なるほど、なら私の出番だな」
ドヤ顔で進み出たプルは、戦術級の魔法を構成しようとして、背後からセリナのチョップを受けた。
「そんなもの使ったら、船に被害が出るし、大波が発生するでしょうが!」
地震大国日本で前世を送ったセリナは、流星雨などを使えば沿岸部にどんな高波が押し寄せるか明白に分かった。
「しかし火力の強い魔法を使えば、どちらにしろあの船は助からないぞ?」
セラの力は治癒に偏っていて、防御の魔法などはあくまでも副次的なものなのだ。
「一点突破の魔法があるでしょう? プルにはそれを使ってもらいます」
そして説明したセリナの作戦は、決して無謀なものではなかった。
プルがセリナに指示された魔法を使うまでに、環境は激変していた。
リヴァイアサンの使う魔法、禁呪指定の『天変地異』が発動していたのだ。
空には闇に近い黒雲が漂い、台風を上回る風が吹き、大波は何度も船の結界を洗った。
「あまりもちませんよ。早くしてくださいな」
セラは全力で結界を張っているが、時折来るリヴァイアサンの動きで結界ごと弾き飛ばされ、船の中はひどいことになっている。
おそらく戦闘終了後には、怪我人や死人の蘇生をしなければいけないのだろうが、想像するだにひたすら面倒である。
シズが天空装備で矢を何本も放っている間、セリナとプルはリヴァイアサンの巨体が鱗の一枚一枚まで見えるほど接近していた。
「大きいな……」
さすがのプルも、この巨体には慄くしかない。胴回りでさえも数百メートルというこの幻獣は、生物と言うよりは山である。
水棲生物のくせに海水を排除しても自重で潰れないのは、魔力でその肉体を強化しているからである。防御力も成竜並であろう。
「じゃあ、頼みます」
「けっこう怖いぞ」
プルは精神を集中し、禁呪を構成する。普段は高位の魔法をぽんぽんと発動させる彼女だが、禁呪、しかも慣れていないものでは時間がかかるのだ。
それでも1分とはかからずに、魔法が発動する。
『塵は塵に 灰は灰に』
ありとあらゆる物質を消滅させる魔法が、リヴァイアサンの鱗を穿つ。
天まで届く絶叫。リヴァイアサンの肉が抉られ、痛みに耐性のない幻獣が、そのわずかな傷に苦悶する。
「では行って来ます」
そしてセリナは刀をドリル状に変化させ、リヴァイアサンの肉体の中へ潜り込んだ。
神をも上回る戦闘力を誇るリヴァイアサンの最大の長所は、その巨体である。
剣や弓などの武器では針に刺されたほどにも痛みを感じないだろうし、広域を攻撃する戦術級魔法でも、一度や二度ではその防御力を突破して致命傷を与えられない。しかもこの場合、周囲に守らなければいけないものがある。
よってセリナが選択したのは、内部からの破壊であった。
ライザが創り出した巨大な空間の底で、リヴァイアサンはのたうっていた。
滝のような海底に落ちる瀬戸際で、客船はかろうじて浮いている。リヴァイアサンが明らかに手を抜いたからであろう。
そもそもなぜ、大陸棚に近いこんな海域でリヴァイアサンが襲ってきたのかとも考えるのだが、それはそれとして客船からはごく少数の人間が、幻獣の巨体が踊りまわる様子を見ていた。
それはまるで神話の再現。なにしろリヴァイアサンの全長は、ゴジラの10倍を超えるので。
リヴァイアサンの体内に侵入したセリナは、その内部を突き進んでいた。
針が体内を巡るような激痛。リヴァイアサンにはプルの禁呪よりもよほど、セリナの存在の方が厄介である。リヴァイアサンがどんな攻撃方法を持っていても、自分の体内に攻撃することは出来ないので。
しかしセリナも一方的にダメージを与えるわけではない。己の周囲は全てリヴァイアサンの肉体。絶えず魔法の結界を維持しなければ、圧殺される危険がある。
消化器官を頭部に向かって進めたら理想的だったのだが、リヴァイアサンは幻獣だけあって、口はあっても胃や小腸がない。おそらく竜と同じように、大気中のマナを食料としているのだろう。
だがいくら幻獣といっても、肉体を持ってしまった存在。ならば殺すことは出来る。
(太い血管発見! ここから頭部へ移動する!)
ドリルから刀へ武器を変化させ、セリナは血管を切り裂きながらリヴァイアサンの体内を進んだ。
「どうなったの!」
リヴァイアサンが己の存在を全く意識しないようになったため、ミラはプルへと合流した。
その右手は肩のあたりから切断されているが、見る間に新しい腕が生えていっている。さすがダンピールとは言え、片親が真祖なだけはある。
「セリナがリヴァイアサンの体内に侵入した。かなり効果は出ているようだが」
圧倒的であるがゆえに、痛みというものをほとんど知らなかったリヴァイアサンだが、それだけにセリナの攻撃には耐えられなかった。
ライザの作った海底で、悶え苦しんでいる。巨体であるがゆえの弱点とも言える。
二人の傍に、シズとライザも集まってきた。下手に手を出すと、侵入したセリナに悪影響が出るかもしれないと考えたからだ。
ただ見守るしか出来ない仲間たちであったが、決着がつくまでにはそれほどかからなかった。
びくびくと痙攣したリヴァイアサンが天を仰ぐと共に、その額を突き破って、セリナが飛び出してきたからだ。
血まみれになりながらも、セリナは空中に浮かんでいる。しかしその両手に、彼女の愛用の武器はなかった。
「このー!」
八つ当たりのような怒りと共に、セリナは紅炎の魔法を繰り出す。
その炎はリヴァイアサンの頭部を包み込み、蒸発させていった。
死体になったリヴァイアサンを収納したセリナの両腕は、肉片と言うべきほどにズタズタになっていた。
リヴァイアサンの肉体を破壊していく途中で、竜の牙から作られた武器が、負荷に耐えられず破壊されたのだ。
その後は自身の肉体を硬化させてリヴァイアサンの頭部に達したのだが、ここで武器を失ってしまうことは実に不本意なことであった。
沈没しかけた船の甲板に戻った一行だが、セリナの表情は暗い。収納の中に予備の武器はいくつも持っているのだが、竜の牙のように変幻自在な物はなかったのだ。
そんなセリナの背中を、ぽんぽんとライザは叩いて慰める。シズはとりあえず自分の武器を渡そうかとも考えるのだが、彼女専用に作られた武器は、セリナには満足のいくものではないだろう。
そして残りの三人は、沈没しかけた船の修理と、船内で負傷した乗客たちの治療に向かい、セリナのフォローはしていない。
「なんじゃ、またきおったな」
シズは船が南へと流されているのに気が付いた。大陸棚の浅い海域を抜け、巨大な魔物の生息する、危険な沖合いにまで達している。
だがクラーケンやシーサーペンとなどの魔物は、リヴァイアサンに比べれば圧倒的な小物である。ライザとシズが連携して戦えば、物の数ではない。
その間もセリナはへこんでいた。
プルやミラが船の損傷を応急処置で浸水を止め、セラは怪我人やわずかな死人を蘇生させていく。
肉体全部が消滅しているわけではなく、外傷で死んだ程度の死人であれば、時間がよほど経過してない限り、セラには生き返らせることが可能なのだ。
夜が明けてミラが棺桶の中で眠りに付く頃には、さすがにセラの魔力が切れてしまって、とりあえず死なない程度の応急処置しか出来なくなっていた。
セリナもやっと気を取り直して、船の修理に手を貸していた。
しかしリヴァイアサンに弄ばれて、その後も無茶なダメージを受けた船体は、あくまでも応急処置しか出来なかった。
機関部はどうにかなったが、動力部の損傷はどうしようもなく、一度ドックに入って基部から直す必要がある。というか、廃船にしたほうがマシな損傷である。
セラの能力は治癒や回復であって復元ではないので、この場合は役に立たない。
「通信でSOSは出したらしいけど、ここまで来れるような船がどれだけあるか……」
セリナが呟くように、この海域まで来れるような船は、ニホン帝国の軍艦ぐらいだ。それまで食料や水がもつとは思えない。
「まあ、ライザが回復したら、海流を操作してもらえばいいんではないかの」
シズの言葉通り、文字通り海を割ったライザは、消耗が激しくて眠っている。
魔力の高速回復系の技能を持っていないので、そのあたりを今後は鍛えるのが課題である。
乗客乗員に不安が広がる中、セリナは陸地を探していた。
世界地図には載っていないような陸地でも、小さな島はあるかもしれない。そう思って地図を絶えず脳内で起動させているのだが、思ってもいなかった方向にそれは存在した。
「南の方向に、島発見。ただ普通の島ではないもよう」
セリナの言葉に甲板から皆が乗り出して南方を見るが、まだ目視できる距離ではない。
「魔力反応があるぞ。……リヴァイアサンよりでかい!」
プルもそれを察知したが、魔力反応を持つ島というのは、自然に出来たものではないだろう。
そして一行の中では最も古くから存在する、神の知識を持つセラは、その正体に気が付いた。
「浮遊大陸……」
その言葉が一行に与えた衝撃は大きかった。
かつて大崩壊が起こった神話の時代の終わり。滅んだ世界からやってきた人間が乗っていた、巨大な箱舟。
それは3200年前にも一度使われ、異世界から数百万の人間を移民させたという。
「記録によると、もっと東の大海にあるはずだけど……」
ミラは昼にも関わらず起き上がり、プルと同じように魔力を感知しようとする。
浮遊大陸は異世界からの避難民を各大陸に移住させた後、大魔王が大洋の中心に封印させたという。
ネアースにはオーストラリア大陸や東南アジアの諸島群が存在しないので、その話が正しければこんなところにあるはずはないのだが。
「神様的に、その情報の真偽は?」
「いや、その時代、私は封印されていたから……」
役に立たないダ女神である」
「とりあえず、行ってみるか。一時的にでも船を停める場所があればいい」
プルの言葉に、セリナは頷き、伝説の大陸へと向かった。
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