第三部 幻想崩壊 間章

61 海路

「せっかくですから、リプミラの愛称も考えましょうか」

「じゃあミラで。元々そう呼ばれてたし」

 帝都を出発して早々の夕暮れ、特注の棺桶から出てきたリプミラとセラとの、他愛ない会話であった。



 一行は帝都をエクリプスの牽く馬車で出発し、南の方角を目指した。

 ミラの故郷である竜牙大陸は、レムドリアの帝都から見れば西になるのだが、素直にその進路を取るには、交通網が寸断されていたからだ。

 ナルサスの戦略に従ってレムドリアの陸上交通はズタズタにされていたが、それが返ってきたものである。自業自得という。

 よって一行は陸路ではなく、海路を選んだ。レムドリアの南の港から、カラスリ半島を回り、大陸棚を進む。海には道がない代わりに、進路が途切れることもない。ネアースの船舶は海凄の巨大な魔物に対抗するため、沿岸部を行く船以外は巨大なものである。

 陸路では国境線でいくつも道が途絶しているため、迂回してでも海路の方が早いという判断だ。

 飛空挺の一機でもあれば話はまた別なのだが、あれは魔結晶の確保が大変であるので、レムドリア国内の往来にしか使用されていない。

 本当は魔法で飛んで行くのが一番速いのだが、それだと足並みを揃えるのが大変なのである。



 よって一行は海路を選んで南の港を目指しているのだが、レムドリア国内の治安は現在大きく乱れている。

 北部や東部、そして首都はナルサスが手に入れたが、南部は半独立、西部には勢威を落としたとは言えレムドリアの旧勢力が残っている。

 もっとも南の沿岸部は商業的に独立しているだけで軍事力はなく、西部はナルサス以外のレジスタンスや敵対していた小国群と挟まれているので、統一は時間の問題であろうと思われていた。



 そしてこの旅において、ミラのダンピールゆえの弱点が浮き彫りになった。

 そもそも吸血鬼は太陽の下で活動できる種族ではない。直射日光を浴びれば並の吸血鬼は一瞬で灰になるし、真祖と呼ばれる最上級の吸血鬼でさえも、一般人以下の力しか振るえない。

 ダンピールはそれよりもかなり日光に対する耐性はあるが、それでもミラは吸血鬼寄りの体質らしく、肌をさらせばすぐに火傷になる

 よって移動時間か移動手段に制限がかけられ、棺桶に入って馬車の旅というのは、それなりに彼女を満足させるものだった。







 そしてこの旅の行程で、6人の実力を測る訓練も行われた。

 本気で全能力を使えば周辺数キロが荒野になるので、接近戦のみの話だが、おおよその戦闘力の順番も分かった。

 一位はセリナである。元々の近接戦能力に加えて、魔法での補助もある。

 二位はシズであったが、装備により追加される戦闘力も高い。純粋な接近戦技能ではほぼセリナと互角である。

 三位はミラで、吸血鬼特有の鉤爪による接近戦は脅威であった。

 四位がプルで、彼女の場合は何も付け加えることがない正統派の戦闘力である。

 五位がライザ、そして六位がセラであったが、元々この二人は接近戦には向いていないというか、その方面の技能を持っていない。



 もちろん殺し合いになれば、極端な再生力を持つミラが有利であったり、同じく治癒力のあるセラが勝利することもあるだろう。ライザにしても、精霊の力を使って自分の肉体を気体にしてしまうという裏技を持っている。

 それでもやはり、一番強いのはセリナであるというのは、衆目の一致したところである。なにせ竜の血脈由来の不死性は、半吸血鬼に劣るものでもないからだ。

 他の面から見れば、昼間に太陽の下で戦闘を行えば、ライザでもミラには勝てるだろう。だが夜ならセリナとも互角に戦える。状況に依存した強さがミラの持ち味である。



 そんな血みどろの検証を行いながら、一行は南の港へと到着した。

「うーみーだー!」

 似合わない無邪気さを見せて、セリナは御者台から飛び降りた。

「懐かしいな」

 このメンバーの中で、海を見たことがないのはライザだけである。しかし数十年単位で海を見ていないということなら、プルもそうだ。オーガスの首都はかなり内陸にあったからだ。

 シズとミラの二人は竜牙大陸から渡ってくる途中で、当然ながら海を見ている。



 小高い丘から見える平野部を街並みが埋め尽くし、その先には薄い水色の海が広がっている。

 残念なことに透明度はそれほど高くないが、セリナにとってはネアースの海というのはそれでも汚染されていないものなのだ。

 前世、地球の海は沿岸部は大半が汚染され、漁業が成り立たなくなるほどであった。

 死の直前には浄化の運動も始まっていたが、半世紀は沿岸の魚介類は食べられないであろうと言われたほどであった。



 港町に到着した一行は、二手に別れて宿と船の手配に回った。

 宿のほうは問題なかったが、船のほうは思うようにはいかなかった。陸路があちこちで途絶しているため、海路を利用しようと考えるのはセリナたちだけではなかったのだ。

 それでも二日後の客船を6人分押さえたのだが、想定以上の豪華客船となってしまった。路銀には困っていない一行であるが、豪華客船は足が遅い。それでも選択肢がなかったので仕方がない。

 実のところ贅沢な生活が好きなプルは喜んでいたが、他の5人は貧乏と言うか劣悪な環境でも気にはしない。

「まあ、これもいい経験になるだろう。食事もいいものが出るだろうし」

 身なりのいい上流階級の人々に混じって、明らかに旅人としか見えない6人がいるのは異質である。正確に言えばプルは男性貴族の身なりであるし、セラは聖職者の格好なのでおかしくはない。セリナにしても騎士の格好である。

 平民にしか見えないシズは無手であることもあって不思議であるし、フードを目深にかぶったミラとライザは明らかに不審者である。

 だがそれでも、ナルサスに用意してもらっていた身分証明証で、入船は許可された。







 豪華客船の旅を一番満喫しているのは、間違いなくプルであった。

 初日の晩からして、どこぞの富裕層の令嬢と個室に消えたりして、ここしばらくなかった美少女キラーっぷりを見せ付けてくれていた。

 またミラやセリナも、それなりに楽しんでいる。豪華客船の中にはカジノがあり、ルーレットやカードゲームなどでチップが飛び交っているのだが、貧乏性なセリナは、ここで路銀を補充しようとイカサマよりも性質が悪い手段で荒稼ぎしていた。

 彼女の動体視力や観察力をもってすれば、ルーレットの目を当てるのは難しくないし、カードの表面にわずかににじんだ指紋などで、相手の手を読むことなどはたやすい。

「ぎゃー! また負けた! セリナ、ちょっと融通して!」

 ミラは下手の横好きと言うか、ギャンブルは好きだが弱いようである。なんでもありにしたら、彼女にしたってどんなギャンブルでも勝てそうなものなのだが。



 つれなく資金の無心を断られるミラを尻目に、シズはセリナと同じ手段で稼いでいた。

 傭兵というのはギャンブルも好きな者が多く、それを相手にしていたシズは、セリナと同じような感覚で荒稼ぎしていたものだ。

 そしてライザもまた、その能力を存分に発揮していた。セラの隣に佇み、ルーレット盤をじっくり見ている。

「……次、赤の12」

「では赤の12へ500」

 ライザの精霊術というのは、単純に風や水を操るというものではない。物理現象自体を測定することが出来るのだ。

 ならばルーレットを転がる玉の運動エネルギーを計測して、どこに入るかを計算することもたやすい。

「……赤の12です」

 冷や汗をかくディーラーに向かって、セラは聖女の微笑を向けた。



「……お客様、よろしければ当カジノのオーナーがお話したいと……」

 従業員からそう声をかけられたのは、セリナもセラもほぼ同時であった。

 客同士の金銭のやり取りならともかく、二人はもう勝ちすぎていた。よくあるテンプレ展開が待っているのかと、別室へ向かう途中で合流してしまう。

「あら」

「やりすぎたのですか?」

 セリナとセラは合流し、お互いの顔を見合わせた。

「ライザがとても良くしてくれたので、ちょっと遊びすぎたようです」

「……そのライザは?」

「シズと一緒にスロットをしています」



 シズは動体視力で完全にスロットを目押しするが、やりすぎないので目を付けられてはいない。

 博打からの流血沙汰というのは、傭兵時代にもよくあったことなのだ。

 ライザは本人自身は、特にギャンブルに興味はないので、シズが保護者代わりに見ているのだ。







「ようこそいらっしゃいました」

 そう言って頭を下げたのは、この船のカジノを仕切る幹部である。

 予想通りセリナとセラが勝ちすぎていたので、別室にて他の大富豪と、特別に掛け金の高いギャンブルに招待したというわけだ。

 それにしても、二人とも十代半ばの少女にしか見えない上に、片方は貴族、片方は聖職者という格好であるので、さすがの幹部も戸惑いがあるのだが。



 そして始まったギャンブルであるが、セリナはあくまで胴元と対決するようなゲームを選択した。

 カードゲームはそもそも胴元が有利になるように作られたゲームが多いのだが、その中でブラックジャックは例外的に客側が勝利する場合も多い。

 セラは逆に、カモられても笑っていられる富裕層を相手にしている。人間の感情を読み取ることも出来る彼女相手に、ポーカーフェイスは通用しない。



 そして二人はまたも勝ち続けた。

 ディーラーの顔色が青くなり、より熟練の者に換わっても、その勝率に変化はない。

 超人的な動体視力と記憶力を前に、いかなる腕前のディーラーであっても勝利はありえない。イカサマさえ使われなければ。

 そしてイカサマを使うような気配があれば、セリナは容赦なく威圧の技能でその指先を狂わせた。

 結果、二人はますますチップを積み重ね、そして他の挑戦者がいなくなる。

 最終的に二人がついたのは、雀卓であった。



 麻雀は二人で行えるゲームではない。よって胴元からも二人のメンバーが出される。

 しかしこの二人がイカサマ――通し――をするであろうことは明白であるので、セリナもセラも大人気なく全力を出すことにした。

「……ツモ、ピンフのみ」

 セラがあっさりと胴元側の親を蹴ると、次はセリナのターンである。

「カン、もう一つカン」

 そして引いてきた牌が、カシリと表を向く。

「リンシャン、ドラ8」

 全自動卓で積み込みのイカサマなど出来ないはずであるが、そこはセリナの豪運である。

「リーチ一発ツモ、裏ドラ乗って2000、4000」

 牌に移った指紋、ツモの折の胴元側の呼吸の乱れ、わずかな心拍の動き、そこから相手の手を読む。

 両者共に威圧を繰り返し、どちらが先に胴元側のメンバーを飛ばすかが問題となる。



「ダブリー」

「……レンホー」

 イカサマをしていないはずなのに、上がりまくる両者。イカサマをしていても、胴元側はそれに追いつけない。

 もはやセリナとセラはお互いのみを見て、どちらが上かを競い合う。

 半荘10回を終えて、胴元側の二人は一度も上がれないという、異常事態が発生していた。

「さすがはセリナ、簡単には勝たせてくれない」

「それはこちらの台詞です。さすがは偽りの加護を持っているだけはある」







 両者の注意はお互いのみに向き、だからこそセリナの反応は遅れた。

 並の戦艦より巨大な豪華客船が、ぐらりと揺らいだ。

「何事だ!?」

 先ほどから脂汗を流しながら麻雀を眺めていた幹部が、あわてふためいて叫ぶ。その間にセリナは意識を切り替えていた。

「クラーケン? 違う、これは」

 シーサーペンとやクラーケンといった巨大海凄魔物よりも、地図に示された反応はさらに大きい。

「リヴァイアサンか!」

 その声が周囲の意識に浸透するまでに、しばらくの時間が必要だった。



 リヴァイアサン。魔物ではなく神獣とか幻獣と呼ばれる、並の竜よりも強大な生物である。

 生態系が分かっていないので、対抗する手段も確立されていない。半分は幻の存在とも思われているが、大陸棚の向こうに進んだ戦艦が、何度か沈められた記録がある。

「参った」

 混乱の中、セリナたちは仲間と合流していた。船は左右に幾度となく傾き、一部の区画からは浸水さえしている。

 セリナによる説明を受けた一行は、眉間に皺を寄せた。リヴァイアサンは単に強大な幻獣というだけでなく、その生息地が海の中ということもあって、有効な攻撃手段があまりない。強力な魔法というのは、火属性のものが多く、水中では威力が削がれるのだ。

「それにしても、少し沖合いに出ただけで襲われるとは、なんとも運が悪い」

 セリナの脳内地図によると、この客船はわずかに大陸棚をはみだして航行していたようだ。

 クラーケンやシーサーペンとでも、この規模の船を襲うことはないので、油断していたとも言える。



 しかしリヴァイアサンは違う。全長は数キロにも及び、ネアース世界のどのような船であっても対抗する手段はない。

「夜だったのが幸いね……」

 鉤爪を出し、飛行するミラ。その横には天空武装のシズ。ライザもまた眼下の情景を見つめている。

 そこにセリナとセリナに抱えられたセラが加わり、最後に遅れてプルが合流した。

「……女臭い」

「うむ」

 ミラとシズが険しい視線を送るが、プルは何も悪びれない。

「なかなか可愛い子が離してくれなくてな。さあ、どうにかしようか」

 その言葉に溜め息をつき、一行は戦闘準備にかかった。

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