60 帝国の終焉
酷い最期であった……。
4000年以上の歴史を誇り、世界中に名を知られ、覇を唱えた国家とは思えないほどの、哀れな終焉であった。
「まあ、何かが終わる時というのはそういうものです」
何かをやり遂げたような穏やかな顔で、セラが聖女の微笑を浮かべている。認めがたいことだが、帝国に幕を下ろしたのは、彼女である。それは間違いない。歴史書にはとても記せないが。
しかし皇帝が美少女たちにハードSMで責められて権威を失墜するというのは、なんというか……それはちょっとないだろう、とセリナも思ったものだった。地球の歴史を見て見ても、そんな最期を遂げた国家には思い至らない。
あれから一ヶ月が経過していた。
ナルサス軍が旧レムドリア軍の過半を吸収すると、争うように残りのレムドリア軍も恭順を示してきた。
直接的な戦闘はともかく、政治の絡んだ交渉ごととなると、セリナには用がない。用があるのはまたしてもセラで、降伏してきた将軍たちが本当に心から納得しているのかを、ナルサスの横で洞察していたりする。
性格は残念だが、能力は便利。そんなセラであった。
ナルサスは忙しくなった。エクレアーナも忙しくなった。マートンも忙しくなった。
元々あと数年はかけて国家体制を整えていくはずだったので、いくらビジョンはあったとしても、それを実現するのに必要な人材の育成が、ナルサスにとっての急務であった。
エクレアーナは残された皇室の婦女子たちの扱いを一身に引き受け、中には冷酷に処刑の判断をすることもあった。
マートンは「引退したい……」と毎日のように呟きつつも、とりあえず軍の再編を急いでいた。
見た目がお子様なセリナたちには、高度な政治に関わる余地はない。それでもセリナとプルは戦争で荒廃した町や村を復興させ、シズは兵士たちの鍛錬をし、ライザもまた河川の工事や砦の修復などを行っていた。
リプミラは比較的暇ではあったが、ナルサスの判断により今後の国家運営に害悪となりそうな人物を、こっそりと粛清していった。
中途半端に有能で新国家に忠誠を誓えない軍人などは、その最たるものであり、また民衆を扇動するような弁舌の持ち主も有害である。
綺麗ごとで国家を統治する気などさらさらないナルサスの判断は、極めて冷酷であり冷徹であり、そして効率的であった。
皮肉なことにその、今後の害悪になりそうな存在の中に、セリナたちやリプミラも含まれている。
ナルサスの誠実なところは、それを当人たちに対して直接伝えたことである。元々新国家の内部で地位を望んでいた者などいなかったので、あえて敵に回して逆に殺される危険性を避けたとも言える。
何よりナルサスはまだ帝国の全権を掌握したとは言えず、ここで旧来の配下や同志たちをどう扱うかは、きわめて繊細な判断が必要とされることである。
「そろそろ故郷に帰ろうかと思うの」
リプミラがナルサスにそう言ったのは、そんなとある晩のことであった。
ナルサスはしばし沈黙し、鉄面皮にわずかな感情を幾つも浮かべ、その後に吐き出すように言った。
「感謝している」
「まあ、あたしが自分から首をつっこんだことだし、そんなに気にしなくてもいいわよ」
へらへらと笑いながら、リプミラは手を振った。
リプミラといつも同行していた三人は、元はナルサスの部下である。この地に留まり、ナルサスを暴力から守るのが役目になる。
もっともナルサスの方が三人よりも強いのであるが。
そしてリプミラの離脱を知ったセリナたちも、去就を決める必要にかられた。
元々の命令ではレムドリアの弱体化が目的であったが、ちょっと頑張りすぎた。レムドリアが消滅したことにより、むしろ軍事バランスは崩れて、大陸は不安定になっている。
強固な身分制を敷き、平民を抑圧していたレムドリア政府だが、それでも治安は良かったのだ。この治安維持を果たせるかどうかで、ナルサスの政府が長く続くかどうかが決まる。
手軽に仕える戦力としてはまだセリナたちにも有用性があるのだが、そこまでを他国の人間に期待するのも、人事の問題で難しいのだ。
オーガス本国からの指示はまだない。だがセリナはレムドリアを離れることを決めていたし、プルもそれに賛成していた。
飽きたから、という理由で大帝国を滅ぼしたセラも、もちろん大賛成である。
「本国からの命令はないが……私はお前についていくつもりだぞ」
プルもまた、そろそろオーガスから離れるつもりになったようだ。
レムドリアの内戦を目にして、世界の軍事情勢を実感し、前線に立つ気になっ「たようだ。
決して世界の美少女たちとの出会いを求めているわけではない。たぶん。きっと。
決断を任されたセリナは、正直三つの選択で迷っていた。
一つはガーハルト帝国へ向かうこと。先代大魔王アルスや大魔王フェルナに会えれば、世界の裏状況と、師匠の行方も知れるだろう。
情報を得るという点で言えば、竜翼大陸に向かうのが二つ目の選択肢だ。あちらには旧友の親友がいるので、そこから情報を得ることも難しくはない。
そして三つ目の選択肢だが、竜牙大陸に向かうというものである。
竜牙大陸に向かうということによって、何が得られるのか。正直あまり効率的ではないと思う。
だが前世において竜牙大陸は戦乱の大陸であり、それが今でも続いている。前世でセリナが勇者たちを送還させなければ、今頃平和が訪れていたかもしれない。
それに気になるのは、大魔王や竜牙大陸の魔王の介入があまりないことだ。
少なくとも200年前の段階では、大魔王と魔将軍は大陸の静謐を望んでいた。それに邪魔な国家とも対立していたが、魔王軍の戦力を考えれば、統一出来ていてもおかしくはないはずだ。
だがリプミラが詳しい話を知っていた。
最も大きな要因は、魔将軍レイ・ブラッドフォードの死である。
魔王アスカ・アウグストリアの片腕とは言いつつ、実際はほぼ同じ権力を持ち、政治や軍事に関しては凌駕するほどの人材であった魔将軍は、3000年以上を生きていたが、さすがに長命のダークエルフといえど寿命には抗えなかった。
竜牙大陸において魔王は、むしろ象徴的な存在であり、実務能力や政治的な判断力は、周囲の意見を採用するほうが多かったのだ。
魔王という地位に反して、彼女は斥候や戦闘といった分野に秀でていたが、吸血鬼という種族的特長により、それを活かすのが難しかった。
だから完全に己以上の能力を持つ魔将軍が死亡した後、治まりかけていた大陸は再び戦乱の度合いを深めていたのだ。
そして無責任と言っていいのだろうが、魔王は眠りについた。
現在の魔王というか魔王代行は、魔将軍の娘が務めている。適性はあっても当然経験も実力も足りず、周囲を固めるので精一杯らしい。
リプミラは彼女と幼馴染で、半分は修行のために竜骨大陸に渡ってきていたのだ。
彼女が竜牙大陸に戻るのであれば、道案内に困ることはない。そして竜牙大陸の出身と言えば、シズもそうなのである。
皆の意見を聞きたいと思っても、全員がどうでもいい、という意見である。
ただプルだけは、外交の関係上ガーハルトに赴くのは手続きが必要であると言った。
直感だが、セリナは竜牙大陸に向かおうと思った。
あの大陸には強者はいないし、戦乱の度合いで言えば竜爪大陸の方が激しいくらいだ。それでもなお、竜牙大陸のことが気になっている。
「竜牙大陸に向かおうと思います」
「まあ、案内人がいることだし、無難ではあるな」
プルの言葉の通りであるが、もう一つ、竜牙大陸には神竜の聖域である黄金回廊がある。
迷宮としてのギミックはともかく、登場するのは強大な魔物や魔獣だ。とりあえずここらでもう一度レベルを上げておきたい。
「では次の目的地は竜牙大陸の魔都アヴァロンで」
セリナの言葉で、進路は決まった。
リプミラは困惑して眉をしかめた。
「一緒に来るのは構わないけど……というか助かるけど、理由を聞いてもいい?」
「勘です」
「なるほど」
自身も感覚的な人間であるリプミラは、それで納得した。
むしろ周囲の人間の方が困惑した。
「リプミラにとってはありがたい話なんだろうが、お前の目的とはずれないか?」
ナルサスは、とりあえずセリナの目的が暗黒竜レイアナとの再会であると知っている。
それならばレイアナとの関わりの深い人間に接触するのが一番簡単なのだろうと考えている。
「まあ、最初はそう思ったのですが、それよりも簡単な方法があったなと思いまして」
ふむ、とナルサスは続きを促す。
「他の神竜に会えば、そこから話が通るでしょう」
考えてみれば当然のことである。
そして神竜に会おうと思えば、その神域に入る必要がある。レムドリアから近いのは水竜ラナの神域だが、それに続いて近いのは、火竜オーマの神域だ。
そしてオーマの神域は、竜牙大陸の途中にある。
ここで少しレベルを上げてオーマから情報を聞き、竜牙大陸に渡る。魔王から大陸の現状を聞いたら、そこでまた進路を考える。レベル上げが充分でないと感じたら、黄金竜イリーナの神域で戦う。単に敵の強さを言うならば、黄金回廊はオーマの神域よりも過酷なものだ。
オーマの迷宮は主にその迷宮の構造で難易度が上がっている。しかしこのメンバーなら、シズ以外は全く問題ない。
「昼間の移動はしんどいから、誰かに一緒に行ってもらえるなら嬉しいけど」
リプミラも乗り気である。ダンピールの彼女は純血の吸血鬼と違って、太陽光が致死に至るわけではない。それでも日中の活動には限界があるのだ。
「この六人のパーティーは、ひょっとして世界最強じゃないのか?」
プルはそこまで言い切った。
自分の荷物を整理したリプミラは、帝都の宮廷の正門から出た。時刻は夕暮れ。これからが吸血鬼の活動する時間である。
その後についてきたナルサスとエクレアーナ、そしてナルサスの残した貴族と戦友たちが、見送りに出ている。
リプミラの任務は、地味であまり人には言えないことであった。その重要性を知っている者が、ここにいる者たちだ。
例外的にマートンもいるが、リプミラを評価しているという意味では彼も同じだ。
「さらばだ、戦友」
ナルサスの伸ばした手を、リプミラはしっかりと握った。
「むしろこれからの方が大変でしょうけど、頑張ってね」
破壊の時代には軍人が必要になる。そして創造の時代には、政治家と官僚が必要となる。
リプミラは軍人とは少し違ったが、戦力ではあった。
それだけを言って、リプミラは身を翻した。黒いマントがばさりと揺れた。
宮廷の階段を降りると、待っていた馬車に乗る。巨大な黒鹿毛の馬が牽く馬車である。
その窓から顔を出すと、セリナが軽く手を振った。
ナルサスはそれに対して大きく手を振った。一先ずはこれでお別れだ。
竜翼大陸に向かう時には、またレムドリアを訪れるかもしれないが、必ずしもそうなるとは限らない。
現在の世界情勢からいって、これが永遠の別れとなる可能性もある。
だがまあ、死んでもまた転生して、どこかで会えそうな気もする。運命というのは、そういうものらしい。
御者台のシズが手綱を引くと、エクリプスは駆け始めた。
街並みの中にやがてその姿は消える。そしてナルサスは大きく息を吐いた。
「何を緊張していたのですか?」
エクレアーナの問いに、ナルサスは苦い笑い顔で答えた。
「いや、あいつらの強さだと、いつ殺されてもおかしくなかったからな。
「それは……」
ありえない、とエクレアーナは言おうとした。だがナルサスの言葉には真実の響きがあった。
前世でどれだけの人を殺めてきたのか、ナルサスは知らない。だがセリナの恐ろしさは良く知っている。
「さて諸君、もう夕暮れ時だが、仕事は山積みだ。戻ろうか」
ナルサスの言葉に、力ない笑みを官僚たちが浮かべた。
国家として正式に発足するのに、まだまだ時間はかかるだろう。そしてエクレアーナとの結婚式。発足してからも安定にまでは、さらに長い時間がかかる。
ぞろぞろと宮廷に戻る人々の殿で、ナルサスは一度だけ振り返った。
唇はかすかに動き、しかし何も言わず、彼は自分の物になった宮廷へと歩いていった。
リプミラ編 了
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