59 帝国震撼
レムドリアの帝都ホリュンポスは、難攻不落の都市である。正確に言えば、今まで一度として攻撃を受けたことがない。
いや、王国の開闢の時代にまで遡れば、周囲の大集落相手に篭城したことはあるのだが、それは既に神話にも等しい昔。設備も装備も全く変わっている。
しかしそれでも、設計上、運用上は難攻不落の都市である。帝都守備隊はそれほど多くないが精鋭であり、その装備と配置された兵器は最新で、実戦経験はないもののナルサス率いる前近代的な運用の軍を相手に、対処できないはずはない。
だがそれは逆に、最新が故のシステム上の弱点も抱えていた。
帝都のレムドリア軍は、司令本部の指揮下にあるのだ。ある程度の裁量がまかされた前線とは、そこが違う。
月の美しい夜であった。
その夜空から、光が降ってきた。
光はどんどんと大きくなり、灼熱の輝きを持つ隕石が、帝都の結界を打ち付けた。
流星雨。広域攻撃用の魔法としては、最大級の破壊力を持つ魔法である。
帝都の結界は、それでもこの攻撃に耐えた。使ったプルが感心したほどのものであった。だがこれは、あくまで帝都の防御機構を弱めるためのものである。
帝都には魔力炉があり、そこから電気のようにエネルギーが各所に送られている。そのエネルギーはもちろん無限ではない。
帝都の灯りが消え、防御機構に全てが回される。事前に可能性は政府から出ていたが、この異常事態に民衆は不安な顔を隠せなかった。
「打ち止めだ」
合計で四回の流星雨を降らせて、プルは後方にある馬車にどっかと座った。
あれほどの攻撃魔法を浴びせたにも関わらず、帝都の結界は維持されている。だが魔力の消費量を見る限り、限界は近い。
次にセリナが同じく流星雨を降らせた。その二撃目で、帝都の結界は消滅した。
余波で街に被害が多少出るが、さすがにそこまで完璧を目指すのは不可能である。
「砲兵隊、放て!」
命令に応えて、ケンタウロスが運んできた砲台から火線が伸びる。それは帝都の城壁に炸裂するが、完全に破壊するほどではない。
「では、行くとするかの」
シズはそう言って、武装を水虎へと変える。
集団の中から一人飛び出し、閉じられた帝都の門へと迫る。
外壁も当然であるが、門は特に丈夫な合金製のものである。それに向けて、シズは槍を繰り出した。
刃物の傷ではなく、衝撃波で扉が破壊された。
その非常識さに帝都守備隊が呆れている間に、ナルサス軍のケンタウロスは銃弾や魔法の雨をかいくぐり、帝都へと侵入していた。
帝都にはさすがに避難命令が出ていたので、一般人がその辺りをうろついていたりすることはない。
ナルサスも無抵抗の民衆に手を出すつもりはなかった。ナルサス軍の目的はしっかりしている。
まず放送施設の占拠。そして衛兵隊の詰め所や、行政施設の破壊である。
ここまでの侵攻においても、ナルサスは食料を徴発することはしなかった。もちろん必要ではあるので、金を出して買ってきた。
兵糧さえも持たずに、よってここまでの高速での移動が出来たのだが、この速度はレムドリア軍の常識を超えていた。
単に理論だけなら、ナルサス軍の行軍速度を上回ることは可能である。だが実際には膨大な列車や飛空挺などの輸送手段が必要であり、そんなものをナルサス軍が用意できるはずはなかったのだ。
ケンタウロスという生来の騎兵と、馬を替えることで速度をさらに速めた騎兵で、相手の計算をはるかに超える速度を実現したのだ。
ナルサス軍は速度を落とさず、そのまま本隊は宮城へと向かう。
レムドリアの皇宮は、帝都の外壁とはまた別の城壁で覆われている。その防御力は、帝都の外壁の比ではない。
しかしそもそものエネルギーの供給源である、魔力炉とのつながりを遮断してしまえば、あとは物理的な問題である。
軍司令部に優先的に魔力が回されているということもあり、儀礼的に使われる宮殿の結界を破るのは難しいことではなかった。
そして物理的な障壁であれば、セリナとシズが切り裂くことが出来る。
かくしてナルサス軍は、ついにレムドリアの宮殿へと歩を進めたのである。
「……逃げられたか」
兵たちが略奪を行う中、セリナは舌打ちをしていた。
最優先事項であった皇帝の身柄の確保は失敗した。皇帝は結界が破壊された直後に、隠し通路から帝都の外へと脱出したようだ。
近臣たちのみでの逃走だったが、その周辺には近衛兵がいるはずだ。さすがに今から追いつくのは難しいだろう。
プルとセリナは魔力が回復していないし、セラはなんだかやる気をなくして見える。
ちなみにナルサスが皇帝を確保出来た場合、全裸にして亀甲縛りにして、占拠した放送局からレムドリア中に流すつもりであった。
下手に殺すよりも、皇帝の権威の失墜を示す。それが目的だったので。
それに失敗したナルサス軍は、宮廷などの行政施設を一通り破壊した後、全く帝都に未練を残さず、速やかに撤退していった。
そのままでは各地から集結しつつあるレムドリア軍に包囲されるので、当然の選択である。
かつて中国の戦国時代、燕の楽毅が騎兵で斉の首都を落としたと言われる作戦に似ているが、まだナルサス軍の規模はレムドリアに対し確実に劣勢である。
よって無理をせず、しかし一度は首都を落としたという実績をつけて、辺境へと戻っていったのだった。
ちなみにこの時、ナルサス軍は皇族の何名かを確保している。
男は捕虜交換か身代金目的にしか使えないが、女はナルサスの目的の役に立つ。
エクレアーナがナルサスと結婚したとして、確実に子供が生まれるかは分からないのが表向きの理由だ。
もっとも子供が、男子が生まれなくても、こっそりと自分の側室の子供を正室の子供と偽るぐらいはするのがナルサスであったが。
「どういうことだ?」
ナルサスは眉間に皺を寄せ、傍らにいたセリナに問いかけた。
「どういうことだろうね?」
セリナも肩をすくめて、事態の推移に頭が追いついていない。
ナルサス軍が帝都から離脱して一週間。辺境から帝都に集結しつつあったレムドリア軍の過半数が、ナルサスの旗下に合流してきたのだ。
曰く「あのような皇帝の下では、もはや兵の士気を保つことは出来ない」と。
また各軍の司令官たちも、大半がその兵たちに同意していた。
そして彼らが言うには、ナルサス軍に合流してこそいないレムドリア軍も、半分は交渉すれば確実に味方になるであろうと。
帝都から脱出したナルサスは、この戦争がまだまだ続くと思っていた。
反乱が、エクレアーナを手中に収めた時から、内乱の形になっていきつつあるのは感じていた。後宮の奥深くに篭り、滅多に姿を見せない皇帝に比べて、エクレアーナには民衆と軍の好意があるからだ。
しかしそれでも、皇帝の権威が失墜し、各軍団が独自の判断でナルサスに投降するというのは、さすがに想定外であった。
ナルサスの予定では、戦争は数年から十数年は続くと思っていた。マートンでさえ、単に皇帝を殺したり帝都を占領するだけでは、レムドリアを支配したことにはならないと言っていたのだ。
それは数々の修羅場を潜り抜けてきたセリナやシズも同意見であり、貴族の見方を知っているプルも同意見であったのだ。
では、なぜここまで急速に皇帝の権威が失墜し、レムドリアの体制が崩壊しかけているのか。
今やナルサスの配下となった将軍たちに対する聞き取りで、その原因は判明した。
つまり、セラがこの戦争に飽きたのが原因であった。
「だって飽きたんですもの」
問い詰めたセラは、全く罪悪感のない顔でそう述べた。
「戦争とは言いながら、つまりは国を乗っ取るということでしょう? そんなことを普通にやっていたら、何年かかるかわかりません」
「……それで、あんなことをしたのか?」
ナルサスと共に頭痛がするセリナの言葉に、セラは聖女の微笑を浮かべた。
「ええ、効果的だったでしょう?」
「まあ、効果はあったな。だが逆の方向に働く可能性もあったわけで、事前に相談ぐらいはしてほしかった」
結果良ければ全て良しというナルサスと違い、マートンはほとほと感心していた。
「敵の城を攻めるのは下策。心を攻めるのは上策。素晴らしい戦果ですな」
基本的に戦争を、物資の無駄な消費と考える彼が絶賛した、セラの取った手段。
それはあまりに悪辣で、同時にユーモアでもあった。
帝都を占拠した時、ナルサスたちは帝国各地に連絡できる放送局も占拠した。
各地の軍団の状況を推測すると共に、民衆の反応を確認するためにも必要なものだった。
ナルサスたちはそれを受動的に利用したが、セラは能動的に利用したのだ。
即ち、加工した動画を全チャンネルで流した。加工というか、そもそも一かた創り出した幻覚であったのだが。
レムドリアの皇帝は、庶民に親しまれてはいないが、顔は良く知られている。全体主義国家によくあるように、銅像や写真を公共施設に配置したり、紙幣に印刷したりしているからだ。
その偉いはずの皇帝が亀甲縛りで転がされ、鞭を持った女性たちにべしべしとはたかれながら、それを見下すナルサスに助命嘆願するという映像だった。
ちなみに鞭を持って叩くメンバーはなぜかセリナたちであり、後半では皇帝は、その鞭の味に快感を覚えているというえげつない映像であった。
さすがは偽りの神と言うだけあって、その映像のリアリティは素晴らしく、本当に撮影したものと区別はつかなかった。
ドMの皇帝が少女たちの靴を嬉しそうに舐めるというその映像は、一言で言えばひどいものであった。
常識的に考えれば、これが偽動画であることを見破る人間はいくらでもいただろう。だが幾つかの要因が、あえてこれを信じたいと思わせた。
まず皇帝という自分たちの上に立ち搾取を行う対象を、あえて蔑視することの出来る快感。また皇帝の人格に対する無知。
そしてこれを事実として補強する要因としては、実際に皇帝が帝都から少数の側近と共に逃げ出したことと、放送施設をナルサスが退却する際に破壊していたこともあって、デマだとすぐに証明できなかったことである。
「……それで、どうして私が一番楽しそうに、男の(ピー)なんぞに鞭を叩きつけていたわけだ?」
果てしない怒りと諦めをないまぜにした表情で、プルが問う。
「だってあなたSでしょ?」
「お前ほどじゃないがな!」
セラに対してプルはツッコんだが、もはや後の祭りである。
セリナ、プル、セラ、シズ、リプミラの五人は、事情を良く知らない仲間内からさえ、そっち系の人間と思われていた。
……ライザが含まれていなかったのは、セラの良心の問題でなく、むしろそれではリアリティが落ちるという考えからである。
やってしまったものは仕方がない。もちろんセラには反省してほしいものだが、彼女の性質として、反省も改善もしないであろうことは明白であった。
「まあ、効果的ではあったんだ。うん、そうだな……」
斜め上の方法ではあったが、目的遂行のためには効果的、そうセリナは判断した。
だが他の四人は納得出来ていない。
「わし、ちょっと刀の試し斬りしたくなったんじゃが」
「ううう……ダンピールである高貴な私のイメージが……」
シズは物騒なことを言い、リプミラは頭を抱えていた。
「まあ、済んでしまったことは仕方ないでしょう」
「お前が言うな!」
その台詞は奇妙なまでにハモったのだった。
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