58 帝国の皇女
帝国の皇女エクレアーナは、聡明な人間である。
自分がどのような立場に生まれ、どのようなことを望まれているのか、どのような価値があるのかを、完全に把握していた。
そして自分が望める立場と、そこへ至る道を考えるほどに、意欲的でもあった。
兄である皇帝との関係は、良くも悪くもない。そもそも女の身であるので、レムドリアの帝位継承権はないのだ。それでも命令があればこうして、前線を慰問するのは厭わない。
帝都の宮殿で優雅な日常を送るのもいいが、外に出て新しい知識を得るというのは、何も出来ない飾りの皇女よりも価値を持つものだ。
そんな彼女であるので、前線の兵士たちに声をかけることも厭わない。どこでつながりが出来て、自分の後ろ立てになる人物が出来るか分からないからだ。
しかしそれにしても、今回の慰問は様子が違った。
帝国は基本的に、戦争に勝つ存在である。あるいは反乱が起きても、それを鎮圧する存在である。
兵士たちの士気は普通に高く、その顔は明るいものだ。それがこの戦線では違った。
帝国は負けつつあった。少なくともこの戦線では。
広域な戦線を巡りつつ、エクレアーナは侍女に問いかける。
「何か少し、おかしくはなくて?」
レムドリアは勝利する国家である。それが皇室の常識であり、国民の常識であった。
建国以来、もちろん敗北の歴史はある。魔王軍との戦いでは連戦連敗した3200年前の記録は恥辱の歴史だ。しかしこの200年、局地的な戦闘で一時的に敗北、不利になることはあっても、最終的には必ず勝ってきた。
だがエクレアーナはその生来の感性で、この戦線の異常さに気付いていた。
「帝国軍は負けるのでは?」
「まあ姫様! そのようなことがありえるはずはありません!」
幼い頃から仕えている侍女は、慰める訳ではなく心の底から、レムドリアの勝利を信じていた。
この「勝利への確信」こそナルサスが崩したいものであるのだが、長年の歴史に裏付けられた権威は、そうそう消え去るものではない。
だからナルサスも、それを利用しようと考えているのだが。
ふと、エクレアーナは気付いた。
「……外が静かですね」
皇女たるエクレアーナの周囲には、もちろん直属の護衛が付いている。基地の兵士たちも配慮して遠くから物音を立てないようにはしている。
それにしても静かすぎるし、そして気配がおかしかった。
天幕の入り口に、小さな人影があった。いつからいたのか分からないが、それは異質であった。
「何者です! 誰か、不審者です!」
侍女がエクレアーナとセリナの間に立った。この侍女、所謂護衛の役も果たしている。実のところレベル50にも達している猛者であるのだ。
「無駄よ。しばらくこの天幕には誰も来ない。護衛には眠ってもらったしね」
セリナの隣にリプミラが立つ。その視線に晒された瞬間、侍女は動きを封じられた。
吸血鬼の持つ能力の一つである。外の護衛もこれで動きを拘束し、セリナたちが無力化していった。
エクレアーナはソファーに座った体勢のままであったが、気丈にもセリナたちを見つめ返してくる。
「……私を殺す気ですか?」
声に震えもなく、セリナは内心感心していた。この皇女は上手く使えば、大きな影響をもたらしてくれるだろう。
「むしろ生かそうと思っています。あなたにはその価値があるので」
「……侍女や護衛は?」
「あなたが望むなら、生かしたままにしましょう」
「共に連れていってください。このまま置いていっても、任務失敗で処刑されるだけです」
皇女の要請は難儀なものであったが、無理とは言えない。
それに彼女にとって必要な人間であれば利用価値があるし、人質にもなる。
「よろしいでしょう。エクリプス、頼む」
巨大な青鹿毛の馬セリナの影から現れる。その体躯にエクレアーナは息を飲むが、視線はそらさない。
エクリプスはその巨体に箱馬車の本隊を背負い、その中にエクレアーナの近習たちを放り込んだ。
エクリプスは空を駆けた。
巨大な魔物としか思えない存在が、基地の中心から現れる。その事実に基地内は混乱した。
「さて、私たちは切れ目をいれよう」
そう言ったセリナは刀を抜いて、基地司令部へと駆けて行った。
基地の中心に突然現れた魔物の存在に、レムドリア軍はわずかな間混乱した。
そのわずかな時間が致命的だった。気付けば司令官の他数人の、高級指揮官が殺されていたのだ。
そこへ今度は外からの奇襲があった。
深夜の攻撃は迎撃側もだが、むしろ襲撃する側の方が難しいことが多い。しかしナルサスの軍勢は、それを成功させる。軍の中に夜目の利く種族が充分に含まれていたからだ。
基地を中央突破したナルサス軍は、そのまま逆方向へと逃げていった。もちろんその方向には帝都がある。
いくらナルサス軍が速い進軍を誇っていても、帝都まで行くなら対処される時間は充分にある。よってどこかで転進し、また帝国の外辺部に戻る必要がある。
帝都で報告を受けた司令本部はそう考えた。
「それが常識なんだが、まさかこんな方法を思いつくとはな」
馬の背に揺られるナルサスが思い出すのは、先日に行われた戦略会議の話題である。
レムドリア帝国という存在。それをどうすれば破壊出来るか。マートンではなくセリナがその案を出した。
前世においてテロ活動を行うにあたって、効果の高いのは役所や警察署などへの攻撃であった。国家の象徴で権力を持つ存在が破壊されれば、それは国家の威信に関わるものだ。
もちろんそれは相手側も警戒しているので、よほど上手く考えない限りは達成し得ない。事実地球でのテロと言えば、無差別テロがまず思い浮かんだものだ。
しかしセリナたちという戦力を運用するなら、本来の目標を破壊することは難しくない。
インフラや、政府の権威である公共施設を破壊することは、帝国の威信を傷つけ、民衆へ不安を与えることになる。
今まではさすがに警備の目が厳重なこともあり、リプミラたちもそれらへの襲撃は行わなかった。だが今はセリナたちが加わり、テロリストとしての破壊力は増している。
よって帝都の重要施設への攻撃が立案され、そして承認された。
それとは別に、ナルサスは虜囚となった皇女へと面会することとなった。
「お初にお目にかかる、エクレアーナ殿下。私は独立軍を率いる大将軍ナルサスと申す」
貴人に対する礼をしっかりと行うナルサスの姿に、椅子に座ったままのエクレアーナは意外としか思えないような表情を見せた。
「亜人混じりの反乱軍を率いるような者は、どのような野蛮な人間なのだろうかと思っていました」
挑発的な物言いにも、ナルサスは笑みを浮かべて応じた。
「亜人は蛮族ではありませんよ。ただレムドリアの貴族とは、風習が違うだけです。同じ帝国の末裔と言っても、オーガスではやはり儀礼も違うものです」
その場にいるのはエクレアーナとその侍女、ナルサスを除けばセリナのみである。
「オーガスの皇室には神竜の血が入っています。ある意味レムドリアよりもよほど高貴なものでしょうね」
ナルサスの後ろに立つセリナは、これもまたあえて挑発的な物言いをした。それに対して激昂しかけたのは侍女の方で、エクレアーナはむしろそれを手で制した。
「そちらの方は? 見たところ、貴族のようにも見えますが」
少女の姿のセリナだが、この少女に自分たちは浚われたのだ。そして魔物を使役しているような行動。何者なのか今更ながらに気になる。
「私の名前はセリナ。ナルサスの友人ですよ」
戦友と言えば一番適切なのだろうが、そこまで細かく語る気はないセリナである。
「それでは私を拐った理由を聞かせてもらいましょうか」
長々とした探り合いもなしに、エクレアーナはそう問うた。
そもそも帝国は、なぜ存在しているのか。
存在している事実は事実として、国家としての正当性はどこにあるのか。
ナルサスの話は、迂遠な部分から始まった。
「それは古代帝国の系譜に連なっているからでしょう」
「ではなぜ他の国は滅び、レムドリアだけが残っているのか。そしてそもそも、古代帝国の正当性とは何なのか。お分かりですか?」
これは思想の問題だ。国家に正当性を与えるための。他の二大国、ガーハルトとオーガスには正当性がある。前者は大魔王による力の支配、後者は神竜の子孫であるという血統の権威である。
「古代帝国は魔族に対する最後の防壁でした」
「しかし今や、魔族と他の人種は共存が可能で、他の国家では実際に行われている。しかしレムドリアにはそれがない。何故か?」
言葉をそこで止めて、ナルサスは皇女を見つめた。その力のある視線に、問われた内容に、皇女は答えられなかった。
「魔族の存在を否定しなければ、レムドリアという国家はその思想を失うのですよ」
特に人間だけが優遇されているのも、レムドリアという国の特徴である。
この人間の国家を、ナルサスは破壊する。元々既得権益とか慣例とか、そういった言葉が前世から嫌いな人間ではあった。
レムドリアは滅びる。ナルサスが滅ぼす。だがその後に建設される国家が、すぐに滅びてしまっては血を流してわざわざ戦った意義が薄れる。
「レムドリアの血を効果的に使うために、あなたには私の妻となってもらう。出来ればレムドリアの皇女がもう数人はほしい」
人間ではなく商品を扱うような物言いのナルサスに、さすがにエクレアーナも絶句する。セリナは頭を振りながら苦笑した。
「わざわざ露悪的に言わないと気が済まないのかな。ナルサスは冷酷だけど合理的で、非道な人間じゃない。レムドリアの血も、残していいなら残す人間ですよ」
「買い被りだ。レムドリアの男子の血統は、全て消す必要がある」
顔色を青くするエクレアーナに向かって、セリナは微笑んだ。
「消えてもらうだけで、死んでもらう必要はないということですよ」
その説明にエクレアーナは吐息を洩らし、ナルサスは眉をひそめた。
「……あなたの寛容さがレムドリアに示される限り、私はあなたの力となりましょう」
かくしてナルサスとエクレアーナの会見は、緊張に包まれながらも無事に終わったのであった。
「相変わらず腹黒い割に、妙に潔癖だなあ」
天幕から出たナルサスに向かって、セリナはそう声をかける。
前世からそうだったのだ。ナルサスは目的のために効果的なら手段を選ばないが、その手段が本当に効果的か、ちゃんと考える人間だったのだ。
「王朝の交代時に前王朝の人間を皆殺しにするのは、世界史的にはだいたい常識だったぞ。日本なんかは例外だったが」
「……レムドリアの血は日本における皇室のような象徴になるわけか」
「まあ、上手くいけばの話だがな。日本の皇室がどうしてあそこまで続いたのかは、私にも正直完全に理解出来たとは思えない」
頭を振って、ナルサスは思考を切り替える。
明朝からの進軍は、速度を重視したものとなる。それでもケンタウロスの足が、高速道路を走る自動車や、魔法による連絡に優るはずはない。
帝都に侵攻するのは、常識的に考えて無謀である。だがきちんと計算に入れた上で、この作戦は立てられたのだ。
レムドリアの持つ不可侵性を、一つ一つ剥いでいく。その第一歩が、帝都の蹂躙である。
首都として機能しているホリュンポスは、外敵の侵攻にあったことがない。かつての大崩壊での魔王軍の侵攻によってさえ、帝都に至ることはなく和議の形となったのだ。
不落神話が崩される。それは歴史に名を残すことになるのだろう。
「頼むぞ」
「頼まれた」
前世から何度も繰り返されたやり取りを、二人は笑みを浮かべながら行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます