57 独立国
レムドリア北東部の約1割が、ナルサス軍の支配下に入った。
ナルサスはここで、軍事政府を立ち上げた。王や貴族を主体とした今までのレムドリアとは違う、一見すると軍事政権のようなものである。
しかしその内情は、ますます苛烈になるであろうレムドリアとの対決を主眼に入れたものだった。彼自身は総司令官である大元帥を名乗った。
もちろんナルサスの頭にあったのは、日本の征夷大将軍を頭とした幕府の存在である。
王国とは名乗らない。だが実質的には国家である。今後の発展を考えると、いずれは――自分の次の代か、晩年には立憲君主制にするのが妥当かとナルサスは考えている。
「王様にはならないのか?」
文字通り天幕の中の幕府で、プルが親しげに語りかける。
居並ぶ武官たちがその言葉の危険性に顔を強張らせるが、ナルサスの無表情に変化はなかった。
「王というのは面倒なものだ。前線に立つことも出来ず、無用の儀礼にも縛られる。よって今は必要ない」
今は、という点が重要なのだ。
ネアース世界においても最も多いのは、王制の国である。名目上は元首制や選王制を布いている国もあるが、実際のところ一番多いのは、立憲君主制の国家だ。
レムドリアのような専制君主制に慣れた国民に対しては、民主制などの夢を見せるよりも、現実生活を変えた王制の方がよほど馴染みやすいだろう。
幕末から明治に入っての日本が、実際には下級貴族や商人から成った名門の人間が舵取りをしたように、民衆の教育レベルと民主主義への理解がなければ、民主制などは絵に描いた餅。夢想に終わる。
ナルサスはその点において極めて現実的な、しかし野望に燃える男であった。
ナルサスの作り上げた組織は将軍と、その参謀によって構成される。
これらは将来の貴族候補であるが、その地位は約束されたものではない。現実感覚を持つセリナなどは、おそらく国家の建設後には粛清があるのではないかと睨んでいる。
もっともレムドリアの、特に南レムドリアの国民は、王制への抵抗感はなくても教育はかなりなされているので、立憲君主制には向いているだろう。
長い戦略会議が終わった後、天幕内にはナルサス、セリナ、リプミラ、マートンの四人が残った。
ここからが本当の戦略会議である。
先ほどの会議では、一つ一つの拠点や街を制圧していくという、以前に立てた計画が詳細に検討された。
しかしマートンの存在とその頭脳から出た情報が、以前に考えていた計画の全てを覆した。
「……成功すれば確かに、レムドリアの国家を土台から大きく揺すぶることになるわね。でもこれって、実際問題可能なの? それにこんな冒険をする意義が本当にあるわけ?」
意外なことに慎重意見を出したのはリプミラである。彼女は国家建設後の枠組みに入らない人間なので、完全に自由な立場から物が言える。
「成功率は低くないとは思う。けれど効果は……どうなんでしょう?」
セリナは慎重意見ではないが、作戦自体に懐疑的な見方をしていた。
この二人は巨大な戦力であり、戦術戦略共に優れた見方をしている。だが政治家ではなかった。
ナルサスはこの作戦の意義を、正確に見通していた。
「そもそもこの勢力の最終目的はなんでしょうか?」
マートンの言葉に、リプミラが即座に答える。
「レムドリアの弱体化と、新たな国家の創造」
「それでは理念が足りません。また、レムドリアという国の重さを過小評価している」
マートンはやはり即座にリプミラの言葉を否定した。
「……新国家は亜人や魔族の支援を受ける、完全に新しい国を目指している。それでは足らないというの?」
リプミラが問いかけると、マートンはまるで講義のような口調で説明をした。
「レムドリアという国は、歴史上最も長く続いている国です」
マートンは穏やかな口調で、レムドリアの強さについて説明を開始した。
竜骨大陸だけならず、ネアース世界で最も長く続いている国。魔族領を国と定義しないのであれば、それはレムドリアである。ガーハルト体制に入ってからを数えても、やはりレムドリアである。
前身のレムドリア王国から数えて、4200年。ガーハルトやオーガスに比べてさえ、1000年の長さを誇る。
あまりにも長く続いた国というのは、そう簡単に消滅するものではない。もちろん不滅の国家など存在しないのだろうが、それでもこの長さ自体が、伝統となってレムドリアを守っている。
そしてレムドリアには古代帝国の末裔という、正当性がある。
その国土の一端を取って新たな国を作ったとする。実際にそのような事実はあった。200年前にはレムドリアは南部のみの普通の大国であったのだ。しかしレムドリア帝国は現在、過去最大級の版図を有している。
長く続いているという歴史。その歴史を補強する正当性が、レムドリアの滅亡というものを許さない。
たとえ現在の皇帝を殺し、皇族を皆殺しにしたとしても、いずれこの地に復活する国は、レムドリアの血を引いているだろう。
ナルサスにもその点は分かっている。
歴史の長さというのは、それだけでも権威となるものだ。かつて日本の朝廷に、権力は失われても権威だけはあったように、レムドリアを崩壊させるというのは、単に国を蹂躙するだけでは果たせる目標ではない。
大崩壊以前に、人種の魔族に対する最大の国家であった古代帝国の血を明確に引いているというのは、学者や民衆だけでなく、他国でさえも意識しているものだ。
「レムドリアは滅ぼさなければいけません。あとから後継を名乗る国が出てくるかもしれませんが、まず第一にこのレムドリア帝国を滅ぼす必要があります」
マートンは静かな口調で言うが、それはつい先日まで己が所属していた国家を滅ぼすということだ。
知将の面が強い男ではあるが、単に知恵が回るというわけではない。彼にはその先が見えている。
「レムドリアを滅ぼしながらも、その権威を活用する方法がある」
ナルサスの言葉に、マートンは驚きもせずに頷いた。
「つまり、レムドリアの皇族の女を私の妻とすることだな」
その説明はセリナとリプミラをも納得させるものであった。
レムドリアという国は、単に国家としてではなく、すでに概念上の存在にすらなっている。
これを滅ぼすのは並の労力では足りない。時間もかかりすぎる。
よって滅ぼすと同時に、その肉を喰らう。ナルサスの計画の一つには、以前からそれがあった。
江戸時代、将軍の正室が朝廷から選ばれていたというのも、一つの権威付けではあった。
「なるほど、確かに政治の話ね」
リプミラは手に負えない、とでも言いたげに肩をすくめた。
「それで、実際にはどのように手順を?」
常に形而下の人間であるセリナが問うのは、その手段であった。
マートンの戦略は、ナルサスの戦略とさほど変わったものではなかった。
まずレムドリアの辺境や属国の軍を壊滅させ、独立させる。
実のところ周辺諸国には、レムドリアから皇女が嫁いでいたり、養子が送られていたりして、レムドリアだけが正統な古代帝国の末裔というわけではない。
しかし嫡流という考えがある。それに対して他国は傍流、レムドリアを支える藩屏とでも言うべきものだ。
「レムドリア皇帝を傀儡にして、権威のみの利用するという考えもあるんじゃないか?」
藤原摂関政治や幕府の存在を知るセリナは、当然のようにその案も出した。
「状況が違いすぎる」
天皇家と違ってレムドリアの皇室には武力があり、権力も握っているのだ。それを権威だけにしようとしても、ナルサスの時代はともかく、すぐに実権を手に戻すだろう。
そして実際の戦略が組み立てられた。
それは二つの路線からなる。一つはレムドリアの皇女の捕獲である。
ナルサスの妻とする、出来るだけ現在の皇帝に近い血筋の者がいい。念を入れて複数はほしい。
まるで女性を物扱いするような考えだが、マートンでさえ多少顔をしかめて頭をがりがりと掻いただけだった。
「すると、ここにある戦力を分ける必要があるな」
一つはレムドリアの権威を踏みにじるため。もう一つはレムドリアの権威を利用するため。二つの作戦がある。
片方は皇女誘拐というものだ。これには当然隠密性と、個人的な武力が必要となる。加えて皇女が相手であるからには、こちらも女であった方が色々と便利であろう。
「なら私はそっちに回ろうか」
鼻息荒くプルが言ったのに対し、セリナはずべしとツッコミを入れた。
「好みだったら手をつけそうなので、プルは当然外します。私とシズと……セラとリプミラがいいでしょう」
喉を押さえながらプルは涙目になっていた。どちらの理由かは分からないが。
「どうせ政略結婚するなら、味見ぐらいさせてくれたっていいじゃないかー!」
女誑しの女の絶叫を背に、セリナたちは皇女拉致作戦に取り掛かった。
皇族というのは、基本的に皇帝一人に力が集中している。
もちろんその権威は確かなものであるが、実際に動かせる軍事力や資金力は、上級貴族の方がはるかに上だ。
そんな皇族にも、使い道はある。特に妙齢の美しい女には。
前線を慰問して、兵士たちの士気を高めるのである。
手の届かないところにある皇族が直接に声をかける。これは上級指揮官にとっても、一般兵にとってもありがたいものだ。
特にこのように補給が不十分で士気の落ちた時には、その影響は馬鹿にならない。
今回ナルサス軍と対峙している陣営を訪れたのは、現皇帝の末の妹であるエクレアーナ皇女であった。
慰問の経験は以前にもあり、兵士たちの人気も高い。そして美人である。
中身の方がどうかと言えば、少なくとも宮廷のサロンにてお気に入りの貴族の婦女子たちを集め、名と顔を売る程度の影響力はある。
「ああ、プルを連れて来なくて良かったよ」
傷病兵の集まる天幕から出てきたエクレアーナの姿を見て、セリナは深く呟いた。
年齢は18歳。レムドリア王国では珍しくない、淡い金髪と翡翠色の瞳をしている。顔立ちも身なりも穏やかそうな印象を与え、それでいて侵し難い高貴な威厳がある。
平民にとってみれば雲の上の存在だろうが、セリナにとっては誰しもが同じ肉袋である。
「それで、いつさらうの?」
小高い丘の上で、ひっそりと陣営地を眺めるのは、セリナとセラである。リプミラは今が昼であるので、特別に用意した棺桶の中で眠っている。
「陣営地の中でさらえば、一番効果的なんだろうけど、リプミラの力を考えて、もう一つの作戦とも合わせるとなると、皇女が基地から出た最初の夜が必然」
陣営地は混乱するであろう。そこへナルサスたちが夜襲をかければ、さらなる混乱を誘発する。
この戦線では、ナルサスが勝つだろう。
「さて、じゃああとは待つだけですね」
セリナはそう言ったが、実際は夜中に補給部隊を叩いて、さらなる戦果を挙げていったのだった。
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