56 混乱の帝国

 レムドリア帝国は混乱していた。恐慌に陥っていたと言ってもいい。

 まず、戦争に負けつつある。反乱は鎮圧出来ず、正規軍が寝返った。

 帝都の治安は悪化し、わずかながら民衆もそれに気付いている。

 それでも中央の帝都に住む支配者階級は、おおよそが反応が鈍かった。

 帝都こそが帝国の中心であり、皇帝と貴族こそがレムドリアをレムドリアなさしめるものという錯覚。しかしこれが、遂に崩壊する時がやってきた。



 軍務卿アルジェス・マートンの暗殺。



 深夜に行われたこの凶行は、誰に隠せるものでもなかった。

 警備の兵はレベルにおいて50を超えた者であり、装備は帝国の最新のものである。

 それが全て惨殺された。

 軍務卿の家族は行方不明であり、おそらくは襲撃者に拉致されたものだと思われる。

 そして肝心の軍務卿は、切断された頭部のみが現場に残されていた。



 行方不明の家族。そして消失した軍務卿の胴体。この猟奇事件は、情報統制のしようもなく拡散していった。







「なるほど、それでこいつは?」

「ああ、だから当人のアルジェス・マートン軍務卿だ」

 セリナの返答に、縄で縛られて転がされた中年男性を見下ろしていたナルサスは、そっと溜め息をついた。

 ククリの里から魔境へ入り、レジスタンスの根拠地へ。

 拉致した家族ごと、セリナは軍務卿をナルサスへ渡したのだった。



 残された軍務卿の頭部は、またもセラが偽造した物である。

 生きている人間ならともかく、死者を厳重に探索などしないだろうし、出来もしない。

 それに彼は、今後のナルサスにとって必要な能力を持っている。



 ナルサスの持つ組織は、まず第一に彼自身の個人的な能力とカリスマ、そして一部の極大な戦力によって成り立っている。

 正直レムドリアを打倒するだけなら、これだけでも充分だとセリナは思っている。魔法が存在しない地球においてさえ、セリナの手によって滅びた国はあったのだ。

 しかしセリナはいつまでもここにいるわけではないし、破壊の後には創造が必要だ。軍務卿の存在は、そのために確保しておいたのだ。

 ちなみに家族は他の拠点に移してあるため、人質としてとても有効である。

 汚い。さすがセリナ汚い。

 そしてナルサスも、汚い笑みを浮かべた。

 これにセラが加わると、汚い笑顔の三人が揃ったことになる。



 ナルサスの目は、既に遠い未来を見ている。大レムドリア体制の崩壊した後、どのように己の国を作るか。マートンの能力は味方にすれば心強いし、民衆の支持も得られるだろう。

 最悪どうしても従わないとしても、殺してしまえばいい。だがおそらくナルサスはそうしない。殺してしまえば人間は、その有用性を失ってしまう。むしろ死ぬことによって時代を動かす者もいるが、マートンはそういうタイプではない。

「さて、これからどうする?」

 マートンを監禁した後、セリナとナルサスは驟雨の降る中、小さな丘の上から己の軍容を見回していた。

 北からのケンタウロスを中心とした機動戦力と、東からの反乱軍が合流したものだ。

「ここからは、まあ正攻法だな。後方撹乱は必要だが、一つ一つ拠点を落としていく」

 軍務卿の死亡後、帝都には戒厳令がなされ、魔法による結界が敷かれた。

 転移によって侵入することは困難になり、異常な魔力を感知すれば、即座に近衛軍が対処するだろう。



 帝都に集められた戦力と物資は相当の物だ。これを相手に正面から戦うことになる。

 と言ってももちろん戦略戦術共に、準備はしてある。まずこれは、首都への侵攻になるにも関わらず、防衛戦となる。



 現在レムドリアで最も不足しているのは、後方支援部隊である。

 西の戦線の補給線をずたずたにして、飛行空母もかなりの数を破壊した。まず戦争状態である西への兵站を回復させるために、レムドリアはその支援部隊の大部分を任せている。

 平時であればそれでいい。最低限の物資があれば、軍は抑止力となるのだ。しかし今は平時ではない。

 単なる戦力ではなく、それを維持するための兵站力。それが近代戦以降の戦争に最も必要なものだ。

 東南の反乱軍は、魔境や東方の都市から補給を受けられる。対して正規軍のほうは、一度補給線を断ってしまえば、それを修復するのに更なる支援部隊が必要になるだろう。そしてそれは現在どこにもない。

 これは詰んだ状態だ。電撃的にレムドリアがどちらかの戦線を突破するか、こちらの兵站を破壊出来るならともかく、セリナたちのような特殊な戦力はレムドリアにはない。

 ゲリラ戦に正規軍が勝てないようなものだ。あとは時間の経過で勝負が決まる。



 どちらがどれだけ耐えられるか。魔境を根拠地としてきたナルサスたちのことを考えれば、答えは明らかだろう。

 最悪でもまた魔境に逃れれば、捲土重来を期することが出来る。

「問題は浮遊戦車と飛行艇、魔法使いの数だな」

 兵器の性能と魔法使いの数では、レムドリア軍はこちらを圧倒している。だがこちらがレムドリアを圧倒している部分もあるのだ。

 その一つが精霊術だ。

「まあ、侵攻してからの塹壕戦術、作戦通りに行くか見るとするか」

 セリナは勝利を確信しながら、ナルサスの肩を叩いた。







 作戦は最初から失敗しかけた。

 問題はレムドリアの浮遊戦車と合わせた歩兵部隊の進行速度と、飛行空母による兵員の移送というこれまでにない戦法による。

 飛行空母は基本的に輸送目的に使うか、空中戦を行う魔法使いの拠点、はたまた飛空挺の基地として使われる。

 それを兵員の輸送に使って、空からこちらの兵站線を断つという戦術は、もしこちらが鉄道などを使っていればかなり有効であったろう。

「まあ、それを考えたのは私なんですが…」

 後方の地下基地で地図を眺める穏やかそうな男。あまり軍人らしく見えない中年が、アルジェス・マートン元軍務卿である。



 家族を人質にされたマートンは、比較的あっさりとナルサスの幕僚となることに同意した。

 元々奨学金目当てで軍学校に入った人物で、祖国への忠誠とかは持ち合わせてなかったとか。

 給料分の働きはしないとな、と普通に働いているうちに、なぜか軍事の最高ポストに収まっていた。

 本人はさっさと退職して、軍大学で戦史を含む歴史研究をしたかったらしいが、本当に代わりのいない人間であったようで、皇帝の命令でそのまま止め置かれていたらしい。

 しかも話してみれば、彼は民主主義者らしい。

 軍隊は軍事行動をしないことに意義がある、などと普段から言っていた変わり者だが、ナルサスやセリナにはそういった変わり者に対する耐性があった。

 話してみると軍事の話しよりも、歴史における人間の価値観の変化や、現在存在するイデオロギーに関する話題の方がはるかに多かった。

 そしてこのレムドリアの侵攻方法は、彼が考えたものであった。ならば対処も出来るかと言えば、ナルサスたちの持つ軍の能力では、ほぼ不可能であったのだ。



 だがここで、ライザの精霊術が大活躍することになる。

 大地を広範囲に隆起させ、または泥沼のように変化させ、塹壕を瞬く間に作成する。

 これによって地上部隊の進行速度は落ち、塹壕から遮蔽物を利用して一方的に攻撃することが可能になった。

 そしてさらに重要なことだが、ライザの精霊術により、地面は戦車の移動を阻害し、ケンタウロスの動きは阻害しないという絶妙な状態に固定されたのだ。

 浮遊戦車は地面から浮遊して移動するというホバー機能を持っているが、地面が硬くないと浮かないという明確な弱点があった。

 ケンタウロスは機動力を活かし、沈み込む浮遊戦車に対戦車弾などで攻撃を重ねていく。



 敵歩兵はこの時、戦車と随伴するべきであった。

 だがケンタウロスの機動力に惑わされた歩兵は、散開して敵の陣地へと接近していったのだ。

 歩兵の主力は小銃と、その先へ付けた銃剣である。それに対してナルサス軍には、陣地防衛用の大口径の機関銃があった。

 日露戦争の203高地よろしく、レムドリア歩兵は無意味にその屍を晒していった。

 そして歩兵の援護のない戦車がどうなるかなど、結果は明らかである。



「ハイエルフというのは出鱈目だな。あの子一人で戦局が変わるじゃないか」

 はるか後方の本陣で、マートンはそう呟いた。

 上空からプルの魔法で戦況を把握している。

 手持ちの戦力と能力を把握した彼は、必殺とも言える自らの考え出した戦略戦術を、あっさりと覆したのである。

「何かに特化した戦力というのは、本当に危険ですね」

 のんびりと言う彼の口調には、諦めの色が漂っている。

「しかしこれは、敵の主戦力を粉砕する方法ではないな」

 出来れば前線に出て戦力となりたいナルサスであるが、さすがに総司令官としてはそれは許されない。

「戦場で華麗な戦術を駆使して、敵の戦力を無力化する。それが勝利とされていた時代は、とっくの昔に終わっているんですよ」

 ナルサスの言葉に対しても、マートンは冷静に答える。



 ナルサス軍は確かに機動力を活かしてレムドリア軍を翻弄しているが、決定的な一撃を加えるには至らない。

 もちろんレムドリア軍の足は完全に止まっているが、本当の主力はまだ後方に控えているのだ。

 そしてナルサス軍が防御陣地にこもっているのを見て、向こうも軍を後退しつつある。

 鹵獲した浮遊戦車は貴重な戦利品だが、ナルサス軍ではそれを運用出来る人間もいなければ、整備出来る人間もいない。

「戦闘は、もちろん前線で展開しています。しかし本物の戦争は、後方で起こっているものです」

 マートンの言葉の意味を、ナルサスは正確に理解していた。

 そしてそのために、セリナやリプミラには別行動を取ってもらっているのだ。

 即ち、馬鹿の一つ覚えとも言える兵站線の破壊である。







 戦国自衛隊という映画があった。

 戦国時代に自衛隊がタイムスリップするという物語で、当初自衛隊はその最新兵器の力によって、戦国の世において無敵を誇った。

 だがそれも長くは続かなかった。自衛隊の戦力である燃料や弾丸といった物資が、確保できなかったからである。

 兵站というものはそれほどに重要なものなのだ。もちろん兵站という概念には、単なる補給以上のものも含まれているのだが。



 レムドリア軍が消耗していくのは、前線からではない。後方を遮断されたからだ。

 そしてその後方を撹乱しているのは、セリナたちとリプミラたちである。

 戦場の地形を変えてしまうライザと、大規模魔法を使うプル、そして治癒魔法を使うセラを残して、残るセリナとシズはリプミラと共に補給線を遮断していった。

 列車を使う大規模輸送は線路を破壊してしまえばいい。特に川を渡る橋を破壊するのは、労力の割には効果的だ。

 軍事車両による物資輸送は、列車ほどには安定しない。それに道路網を破壊すれば、こちらも足としては使えない。

 シズが車両を切断し、地面を割るように刀を振るっている間に、セリナは地図で敵の補給部隊の動きを完全に捉えていた。



 そしてリプミラは、空を飛んでいた。

 残る最後の手段である、飛行空母による兵員の輸送、また補給物資の輸送を止めるためである。

 吸血鬼は空を飛ぶ。ダンピールであるリプミラにもその能力は備わっている。

 そしてこの飛行能力に加え、吸血鬼には高い隠密性がある。そしてリプミラの魔法があれば、夜空を探索しながら飛ぶ飛行空母も、空を飛ぶ太った豚のようなものだ。

 一隻につき数百という兵士が、あるいは高価な兵器が、大地に落下していく。



 リプミラ隊の四人とセリナとシズ、合計わずか六人で、レムドリア軍の補給線は9割以上が断絶した。

 これは軍事的にだけでなく、政治的にも経済的にも、レムドリアの辺境が中央から分断されたということである。

 レムドリアの北東部は、少なくとも食料に関しては自給自足が可能である。特に東部を確保していれば。

 戦線での役割を終えたライザは、道路作りに回された。

 交通網を作ることによって、ナルサス軍はレムドリア軍とは逆に、補給線を確保していった。

 そもそもケンタウロスの兵士を持つ時点で補給には有利なのだが、補給線は幾つも存在していたほうが望ましい。

 かくしてレムドリアは戦線を無駄に維持しつつ、その戦力を失っていったのだった。

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