55 鳴動

 レムドリア王国の首脳部が受けた衝撃は大きかった。

 正規軍一個軍団の組織的な反乱である。しかも状況から見て、テロリストどもと手を組んでいる可能性が高い。

 これに対してレムドリア首脳部は、中央に温存していた軍を向けることを即日決定。西方へ派遣される準備を終えていた軍は、そのまま東方へ投入される。その数二個軍団。

 だがレムドリアはこの時点で失策を犯していた。いや、情報から判断しても、それを失策と言うのは酷であったのかもしれないが。



 中央にはまだ予備戦力が残っている。それは帝都の治安を警察が維持するのが難しくなってきたためと、北方の蛮族の反乱に投入するためのものであった。

 だがこれは、戦力の逐次投入の誤りを犯す可能性が高い。

 しかしながら軍を輸送し、そして再編してまた別の方面へ向かわせることを考えると、無理もないことなのかもしれないが。



 そして戦力の逐次投入の愚よりもさらに誤っていたのは、情報収集とそれへの判断であった。

 情報が重要であるということは理解していても、どのような情報が必要であったかは理解していなかったのだ。

 一個軍団が少数を相手に、奇襲攻撃によって壊滅。その事実は分かっていても、少数というのがどれだけ少数なのかを確認できていなかった。

 また少数の襲撃がどのように行われ、どのような敵がいたのかも分かっていなかった。

 ただ混乱の中、壊滅した。その事実だけが伝わっていたのである。







 レムドリア帝国の崩壊は、まだ現実のものとしては受け止められていなかった。

 帝都の夜は人通りも多く、その顔は決して暗いものではない。

 情報統制がされていることもあるが、民衆が前線の状況を正しく理解していないのだ。政府も戒厳令を出したり、国債の発行などで軍費の調達を開始していない。

 大規模な反乱。そして侵攻の停滞。それにも関わらず、レムドリアはまだ己の死期を理解していない。

「どうなんだろうね、これって」

 夜であるため堂々と大通りを歩くリプミラに、セリナは真面目に答えた。

「国が滅びる時は、前線と首脳部が腐りつつあるにも関わらず、中間層がそれを認識していないものです。前世ではよく見ました」

 国家が健全であるためには、その構成層の大部分を中間層が占め、社会にきちんと貢献できていることが必要である。

 レムドリアは専制君主制であるが、ある程度の民衆の権利を認めている。だが国家の運営に関することまでは、さすがに民衆の触れることではない。



 国家の体制として、専制や民主制などの仕組みに、絶対的な優位や善悪は存在しない。

 専制でもかつてのオーガスや諸国家、かつての古代帝国では権力や指揮の優先順位が明らかであったため、想定外の事態に即応できることは確かに強みであった。

 民主制も人々に情報が行き渡らず、教育が行き届かず、政治への無関心が続けば、それは衆愚政治となる。

 セリナは軍事国家も民主国家も共産主義国も立憲君主国も見てきたが、どの国にも欠点はある。制度よりもやはり問題は人間なのだ。

「さて、それじゃあお仕事にしますか」

 リプミラは貴族街の小路に入り込み、高い壁を見上げた。



 リプミラたちのテロ活動は次の段階に入っていた。

 帝都に不安を撒き散らし、治安維持に疑いをもたらすこと。だが実際は一般人に手を出していないことにより、民衆は物騒だとは思っていても、自らの危機とは認識していない。

 地球でのテロ活動は、一般市民にも被害を出していた。治安の悪化などにより、政府への不満を溜めるためだった。だが実際のところは、お偉い人たちというのは民衆を数で数えるだけの存在なのだ。

 もちろんテロへの攻撃は行うが、正直一般人がどれだけ殺されようと、本当の意味では困ったことにはならない。それよりはインフラ設備を攻撃した方が、まだマシだとセリナは思っていた。

 そして今回のテロは、重要人物の暗殺が目的となっている。



 暗殺。リプミラたちがこれまで行ってきた行為である。実質的にはテロと変わらない。

 しかしこれまでと違って、これ以降の暗殺には明確な目標が存在する。

 治安を乱すという程度のものではなく、レムドリアを機能不全に陥らせるためのものだ。

 理想と言うか、効率を考えるならばレムドリア皇帝の暗殺が一番である。

 皇帝はまだ若く、皇太子を立てていない。ここで皇帝が急死すれば、継承順位が明確に定まっているとは言え、ある程度の内紛が期待される。

 だがレムドリアは、厳正な法治国家だ。継承順位を乱すことで得られる混乱は、さほどのものにはならないであろうとナルサスは言っていた。

 そもそも皇帝を暗殺するなど、さすがのセリナたちでも難しい。魔法的な防御が、セラの隠蔽魔法よりも優るのだ。人間は手強い。



 狙いは実務を担う官僚だ。それも大物ではなく、現場で働いている、つまりはまだ護衛も付かない少身の、それでいて将来が有望視されている者。

 貴族ではまずい。貴族は保身に長けた者たちだ。それを殺すことは国を動かすことにもつながりかねない。だが平民であれば、貴族がわざわざ動く可能性は低い。

 こちらの狙いを見抜いてレムドリア政府が動くなら、それはまだ今がレムドリアを打倒する時期ではないのだろう。だが実際のところ、平民出身の官僚を護衛するほど、レムドリアに有能な戦士は余っていない。もしいたとしても、セリナたちを止めるほどではない。

 戦場においては奇襲。日常においては暗殺。セリナの得意とするところである。

「じゃあ、幾つかに分かれて行きましょう」

 リプミラの合図に、セラが認識阻害の魔法をかける。

 そしてもっとも少数の軍隊であった者たちは、史上最も恐ろしい暗殺者となって帝都に散った。







 平民出身の官僚は、極めて優秀である場合が多い。そもそも官僚になるためには勉学が必要であり、富裕層や貴族と違い、満足な教育や時間を得るほど、平民にはゆとりがない。

 よって突出して優秀な頭脳を持つ者が、有力者の支援を得たり、さらに優秀な頭脳の持ち主が、その才能だけで官僚の試験に受かる必要がある。

 そうやって誕生した官僚は、優秀ゆえに任される仕事も多く、一人分以上の仕事をする。

「あまり気乗りはしないが……」

 そう呟いて、自宅への帰路を急ぐ若者の後を尾行していたプルは、人目の少なくなった瞬間、背後から若者に軽く当たった。

 一秒にも満たないその間に、若者の中の魔力が暴走する。わずかな時間佇んだ若者は、どさりと倒れた。その時には既にプルの姿は消えている。

「……やはりあまり気持ちはよくないな」

 そう言いながらもプルは、淡々と自分の受け持ちの人数を殺していった。



 仲間たちはそれぞれの方法で、対象を殺していった。

 セリナやセラはプルと同じように、痕跡の残らない方法で。シズは暗器を使って外傷が目立たないように。

 ライザの方法は少し特殊で、大気の成分をわずかに精霊術で操って殺すというものだった。

 頭脳労働者は、セリナたちの力の前では敵や獲物ですらない。ただの的のようなものだ。

 これを殺すという罪悪感を持っているのは、プルぐらいのものである。戦乱においては民衆が死ぬことは当然であり、兵站を管理する事務方は、立派な戦力なのだ。

 ライザにとって人間は、自分とは違う生き物である。罪悪感うんぬんの前に、彼女は感情を何も感じなかった。



 一日目の成果は、9人で45人というものだった。

 この事態を、さすがにレムドリアは単なる事故や病気とは考えなかった。まず政府高官に対する警備が強化された。

 上の立場になると、人間は実際のところ能力が落ちるものである。それを処理能力から管理能力に変えることによって、年功序列をある程度定めようとする。

 しかし本当に重要なのは、現場を担当する者なのだ。実務を担当する者なのだ。その数は多いが、多いがゆえに護衛することも不可能となる。

 もっとも多少の護衛が付いても、何も意味はないのだが。







 一週間も経たないうちに、レムドリアの行政機構は機能不全を起こした。

 魔法や機械のサポートがあると言っても、実務に携わる人間の力が必要であることに変わりはない。そして人間というのは、機械よりもよほど替えの利かない存在なのである。

 一般民衆も、違和感を覚えだした。

 ごく普通の日常的な出来事に、狂いが発生しだしたのだ。

 そしてそれが修正されるのに、時間がかかる。特にインフラの機能不全などは、誰もがすぐに感じるものだ。



 ネアースの先進国において国家を管理するのに必要なのは、人間の次に、魔法の機能を利用したコンピューターである。

 自動演算で都市や国家の機能を維持するのだが、これを管理する技術者が減っている。

 そしてこの頃になると、官僚と言うよりはいわゆる公務員が、大量に殺されている事実も明らかになっていた。

 平均的な人間は、恐怖を感じて職を辞した。そして国家を双肩に担うと感じる責任感の強い者は、やはり殺されていく。

 ある程度人数が減ったところで、リプミラはセリナの進言により、暗殺活動を停止した。

「これだけ人数が減ると、今までのままでは仕事の作業をこなすことは出来ません。すると地位に胡坐をかいていた貴族や名門出身の者も動かざるをえないわけで、そんな者が即戦力になるとは言えません」

 ここで軋轢が発生する。セリナにとっては機能不全を狙うよりも、この軋轢が発生することの方が有効であると確信していた。



 実際、セリナたちが確かめたわけではないが、官庁の雰囲気は悪くなっている。

 たたき上げの平民と、貴族の表面的な能力のみが高い者とで、派閥が発生している。

 派閥自体は今までにも存在したが、それが運営に影響を与えるほど悪化したのは初めてである。

 国家が破滅する時というのは、外敵の存在による場合は、実は少ない。

 もちろん結果的にそれが止めとなる場合は多いが、それは外敵に対して対処が出来なくなっているという内部の事情があるのだ。



 とりあえず初期の目標を果たした一行は、リプミラの家に集まった。

 日光を避けるために地下室を大きく作った家である。その地下室で、今後の予定を話し始める。

「次の目標は、有能な上級官僚ね」

 リプミラの宣言に、一行の表情が改まる。

 今までとは違う、標的を明確に定めたものだ。

「軍務卿アルジェス・マートンを殺す」

 標的の巨大さに、さすがにセリナも驚いた。







 どんな組織でも「この人がいてこそ」という人物は必ずいる。

 実際は組織というのは歯車なので、どんな重要人物でもまず確実に代替者はいるのであるが、それでも現在の軍務卿は価値のある人物であった。

 マートン軍務卿は、その地位が示す通り、軍事の大権を握っている人物である。

 そして平民の出身だ。

 レムドリアは階層間の流動性がオーガスよりも固く、普通であれば平民出身者はその次官になって実権を握ることが精一杯だ。

 マートン軍務卿はその中でも稀有な例外である。レムドリアの拡張路線を支持し、実務の最高責任者として判断を行っている。

 若い頃から参謀として活躍し、レムドリアのドクトリンを作り上げた人物だ。

 平民出身であるがゆえに民衆の人気も高く、それでいて貴族階級との交渉も巧みにこなす、代わりのいない人物である。

 実際は誰かがその後釜に座るのだとしても、これまでよりもかなり非効率な動きとなるだろう。



 これは必要な犠牲だ。セリナは割り切った。

 そしてこの手の割りきりが出来ない者は、仲間の中にはいない。

「まあ、私とセリナは今回は後方支援だろうが」

 プルの言葉は、別に手を汚すことを疎んだわけではない。単に明らかにオーガスの人間であると知られている二人が、万一にも関与しているとレムドリアに悟られてはいけないのだ。

「まあ、なんとかなるじゃろうて。陽動の方は任せるぞ」

 シズの言葉にセリナは頷いたが、セラの能力をもってしても、レムドリアの最高武官を暗殺するのは、さすがに難しいだろう。おまけに今回はこちらが二人欠けている。

 それでもやるしかない。



 深夜になって、暗殺者たちは動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る