54 最も少数の軍隊
セリナたち一行五人と、リプミラたち一行四人が、ナルサスたちの組織の中では最も強大な戦力である。そしてこの少数である戦力を、彼は前線での戦闘には使わないと決めていた。
個人の戦闘力というのは、確かに前線の陣頭に立てば士気を上げる。しかしそれが失われた時には、やはり士気が低下し崩壊する。
ナルサス自身は己の力を防御的にも使うので、前線の指揮官としても立つが、せっかくの破壊力を持つ少数戦力を、大規模な会戦では使うことを求めなかった。元々、会戦という戦闘自体がこの時代にはあまり存在しない。
塹壕や基地の要塞化、鉄条網や機関銃など、基本的には防御側が有利な時代である。もっとも強大な魔法の一撃は、その道理を無視する理不尽さがあるが。
帝国の対応は遅かった。正確に言えば、ナルサスたちが早かった。
最初の要塞を占拠した翌々日には、次の要塞を占拠している。
その根拠地足りうる要塞には未練を見せず、得た捕虜は最低限だけを魔境に送還し、残りの一般兵は解放した。
訓練を受けた兵を解放するというのは、戦力の回復を促す行為である。だがこれを皆殺しにするのは手間であったし、抵抗力を奪った敵兵を殺すのにはいささか問題があるし、何より他に使い道がある。
友軍や近隣の街に向かった彼らは、ナルサスたちの兵の強さを盛大に宣伝してくれるだろう。
捕虜としておくには兵站の問題があるので論外である。
都市と呼べるほどの街においては、リプミラたちがテロ活動を行い、民衆の不安を煽っている。ごく普通の一般人には今のところ手を出していないが、軍に協力する商人や、その関係者には死人が出ていた。
近代以降の総力戦では、後方にいるはずの一般民衆も殺戮の対象である。軍隊を維持するための物資を用意するのが、工場や農場の一般人なので。
アメリカが東京大空襲で民衆を虐殺したのは、軍事的には間違っていない。原爆の投下も、あの時点においては戦略の一つであった。
もっとも前世における地球では、第三次世界大戦でアメリカは主にテロで、手ひどいダメージを負ったが。
日本は純粋な軍事活動でさらにひどいダメージを負ったので、それよりはまだマシだったろう。
前世におけるセリナの壮年期は、太平洋は地獄の舞台であった。
ナルサスの指揮する部隊は、きわめて迅速に動いていた。
街だけではなく、村と呼べるような規模の集落にまで襲来する。もっとも後の政略を考えて、食料などの一部の物資以外は奪わない。
民間人への暴力は厳禁である。ナルサスの恐ろしさと強さと、徹底する意思を知る兵たちは、それを遵守していた。
セリナたちの動きは、間もなくレムドリア軍司令部の知るところとなった。
要塞を攻撃前に頭を叩き、その後降伏した兵を解放しているのだから、もちろん情報が整理されるのは時間の問題だった。
それでも即座に対処できたわけではない。なにしろ要塞規模の基地であっても、セリナとセラの二人で、ほぼ司令部を消滅させることは可能だったからだ。
「いささか暇ではあるな」
後方から要塞へ突撃する味方を見つめるシズは、のんびりとそんなことを言った。
彼女だけであれば一兵士として一騎当千の活躍をすることも出来るのだが、戦力の温存をナルサスは選択したのだ。
レベル10オーバーの剣術を持つシズを、どのように使えばいいのか判断がつかなかったということもある。よって隠しておく、というのが選ばれた。
プルとライザは支援に徹してはいるが、それでもまだ攻撃には貢献している。
五つ目の要塞が、その日陥落した。
ナルサスの部隊はもはやその跡地に駐留せず、草原に天幕を張ってそこで野営する。
上空から偵察したら丸見えのはずのその軍は、セラの魔法によって完璧に隠蔽されている。
単に姿を隠すだけなら魔力探知に引っかかるのだが、彼女の隠蔽はそんなレベルではない。
実のところナルサスが決起を早めたのは、彼女の力による部隊運用を前提としている。
もっともセリナはちゃんと、セラがいつ裏切るのか分からないと伝えてはいるし、最悪的に見つかっても、セリナやプル、ライザの大規模攻撃魔法で完全武装した機械化軍団一つぐらいは軽く潰せる。
「圧倒的ではないか、我が軍は」
どこから知ったのか知らないが、そんな台詞をセラは吐いている。
セリナは眉をしかめたが、ナルサスは動じない。おそらく元ネタを知らないのだろう。
「そろそろ動きを変える必要があるな」
ナルサスが座っているのは、軍の首脳部が集まる大テントである。他にはこの軍の首脳部に加え、セリナたち一行からはライザを除く全員が席を与えられている。
「計画を早めるわけ?」
リプミラが問う。対レムドリアへの動きに関して、かなり初期から同調していた彼女は、本来の綿密に練られた計画に未練を残しているようだ。
「状況が変わったからな。それに合わせて、こちらも動きを変える必要があるだろう」
レムドリアは思ったよりも急激に弱くなった。
ここで慎重に力を削るよりも、一気呵成に全力で攻撃を加え、さらなる混乱をもたらすべきだとナルサスは考えた。
政略や戦略の多くは彼の頭から生まれている。いささか一人に作戦立案が集中しすぎのような気もするが、参謀的な思考をする幹部が複数、ちゃんとその内容は検討している。
それでいて今まではナルサスの意見がほぼそのまま通っていたのだが、セリナに質問してくることが多い。
現場に関するものでは、今でもナルサスはセリナに信用を置いている。
「北レムドリアでは、我々以外の勢力も蜂起する動向にある」
どこか苦い表情でナルサスは語る。事態が上手く行き過ぎている。こういう時は反動が来るものだ。
「レムドリアが本気を出せば、我々以外の勢力は簡単に駆逐されるだろう。そもそもちゃんとして戦略を持った蜂起ではないしな」
とんとんと指で机を叩く。策略を巡らすときの彼の癖だ。
「もちろんせっかくこちら側に付きつつある北を捨てるわけにはいかない。そこでセリナたちには、東に行ってもらいたい」
地図を見せるとそこには、駐留している軍団基地が二つある。
このうちの片方にはナルサスの手が伸びていて、こちら側につくという話はついている。もっとも実際に動くかは、状況が有利になってからだろうが。
「もう片方を潰せば、東方の守りはこの軍だけになる。地峡の向こうにある都市国家群は、これ幸いと独立の動きを始めるだろう」
ナルサスの長い手は、レムドリアの北、東、西、中央の全てへと伸びていた。
南はつまり中央であるので、全てと言って間違いはない。
強いて言えば南部でも海に面した海軍への接触はどうなのだという話だが、海軍は陸軍以上に戦闘力があるが、補給も必要である。
この世界の海軍は海の魔物があまりにも巨大であるため、発達していないという背景もある。
西へ侵攻した部隊は鉄道網の破壊で撤退もままならず。
北を抑える部隊は縦横無尽の強略に対応出来ず。
中央は毎夜繰り返されるテロ活動に精神を削られ。
東では軍団を一つ壊滅させ、もう一つを反乱させる。さらに諸都市は独立の動きを示す。
この状況をどうにか出来るような頭脳を、レムドリアが持っているかどうか。
そもそも西の諸国家への侵攻が、戦力の余裕を無くしていたのだと言える。レムドリアは体が大きくなりすぎた獣だ。
東と北から雄大な山脈に見下ろされたこの地に、レムドリアは二個軍団を置いていた。
東方の諸都市への睨みにしては、いささか少ない戦力であるが、そもそも東方の都市は連携が取れないので、これで充分というのがこれまでの認識であった。
その都市間の調整をしたのが、リプミラたち四人であった。
吸血鬼、人狼、人虎、ナーガ。異なる種族がお互いを認めて戦うという姿勢を、都市の首脳部に見せたのだ。
少しずつ都市間の軋轢は解消され、そして思い出されるのが占領して制圧したレムドリアへの反発である。
あと少しきっかけがあれば、彼らが動くことは確定事項であった。
「さて、目の前にありますのは東方第二軍団、兵数はおよそ10万と五千」
北の丘からリプミラの視界には、闇夜の中でも灯りに照らされた、軍団基地が見えている。
少し西方に向かえば物資の集積地でもある街があり、三交代制で兵士たちはその歓楽街で楽しむことも多い。
だが目の前にあるのは純粋な軍事基地であり、北の要塞とは比べ物にならない強度の物理的、魔法的な防御がなされている。
「対する我が軍は9人。およそ歴史に残る中で、最も少数の軍隊であろう」
ノリノリで演説するリプミラ。一応彼女が責任者ではあるが、実際にどう動くか考えるのはサルトルやセリナであろう。
必要なのは戦力として成立しえないほど、目の前の軍を叩くことである。
一個軍団ほどの戦力であれば、魔法使いの力を集中して、プルの流星雨を防ぐことすら可能である。
それを粉砕するのであるから、手順を踏まねばならない。
と言ってもいつもの手段。セラの隠蔽を使って先行してセリナが侵入。魔法使いを叩く。今回はそれにリプミラも加わる。
その後に混乱の中を正面から魔法で攻撃。さらには近接した歩兵で敵兵を蹂躙、基地を制圧する。
この基地は設備も整っているので、破壊はしない。もう一つの軍団が近いので、そちらが活用する予定だ。
「さあ諸君、戦争の時間だ」
格好付けて言ったリプミラは、マントをぶわりと広げた。
静寂の中で淡々と殺戮は行われた。
セリナは言わずもがな、夜の眷属である吸血鬼の血を引くリプミラも、隠密活動には向いている。
この軍団基地は比較的、魔法使いが少ないということも幸いした。
セリナが刀で警備兵の延髄を貫き、それを真似してリプミラも自前の鉤爪で兵士を無力化する。
警備の交代までに司令室に侵入し、上から順に指揮官を殺していく。
単独で部屋を持っている指揮官まで全部殺したところで、二人は顔を見合わせて無言のまま撤退した。
夜明けまでまだ時間があるうちに、攻撃は開始された。
リプミラの魔法『煉獄地獄』によって基地の中央部が爆発した。
一撃で訓練された兵士たちは起床したが、すぐにその顔は青ざめることになる。
指示を出すべき上級指揮官たちが全員死亡していたからだ。
そこへ飛び込んで来るのが近接戦闘に長けた戦士たち。
シズを筆頭に人虎、人狼が狼狽する兵士たちに一騎当千していく。
「退却! 退却だ! 友軍基地に向けて退却しろ!」
少し気の利いた下級指揮官がそう声を挙げ、それを機に完全にレムドリア軍は崩壊した。
武器も装備もなく、補給隊も伴わない逃走。
それに対してセリナたちが行ったのは、距離を保ったままでの遠距離攻撃。
殿を務めることも無駄な状態で、兵たちは味方のはずの基地へと向かう。
肉体精神共に疲労困憊した兵たちの前に現れたのは、扉を固く閉ざした、味方のはずの基地。
友軍の裏切りに、兵たちは抵抗も出来ずに投降した。
「正直なところ、あそこまで追い詰められておれば、逆に窮鼠猫をかむということもあると思ったのじゃが」
シズが地平の彼方で拘束されていく兵たちを見て、そんな感想を洩らす。
レムドリアの訓練された兵ならば、そんな火事場の馬鹿力を出すことも、彼女の常識からはありえたらしい。
「レムドリアは発展した国家です。そして先進的な軍隊を持つ。武器さえ捨てて逃げ出した兵士に何が出来るのか、逆にそこらへんは蛮族の方が恐ろしいかもしれませんね」
セリナはそう言うが、全ては率いる将次第だと思っている。
必勝の信仰を兵に抱かせる、そんな将軍がいても、暗殺してしまえばそれまでだ。カエサルだってそうだったのだ。
「さて、ここからはさらにナルサスのお手並み拝見といきましょうか」
セリナは微笑の中に、勝利への確信を込めて言った。
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