53 ルビコン

 レムドリアの国内外を巡る情勢は、めまぐるしく変化していた。

 元々複数の国家に同時侵攻するほどの大軍を持つ大国ではあったのだが、全て軍というのは、特に近代以降に関しては、兵站が機能してこそその力を発揮する。

 セリナが前世地球で行った戦争は、まず敵の兵站を破壊することが主な仕事であった。燃料や武器弾薬、食料に加えて生活必需品、このどれが欠けても、近世以降の軍はほぼ崩壊する。

 それに対するセリナとしては、とりあえず腰の刀と食料だけを背負い、時には単独行動であるため食料さえ敵から現地調達で賄ったものだ。その場合は兵站線破壊のための爆薬などを背負うことになったが。



 ネアースの現代戦闘も、基本的には変わらない。

 魔法技術によりミサイルの超長距離攻撃などが撹乱され、結界によって防御力は高まっているが、基本的に制空権を制した方が有利である。

 レムドリアも飛行空母や小型飛行船を利用して空からの爆撃を行い、地上から歩兵が随伴した浮遊戦車で戦闘地域を占領していくというのが基本である。

 これらの兵器を動かす燃料は、基本的に魔結晶である。

 食料や生活必需品は現地調達しようにも、軍用の魔結晶はさすがにそうはいかない。

 そしてセリナたちが兵站線を破壊しまわった影響で、レムドリアの前線は三割以上が機能不全に陥っていた。



 もちろんレムドリアの首脳部も手をこまねいていたわけではない。

 工兵による兵站線の修復は前線となっていない地方の工兵まで回して最優先で行っていたし、飛行空母を輸送手段として前線へ最低限、現在の支配地を確保するため物資を送るというのが出された方針であった。

 その方針は、妥当なものであった。セリナたちのさらなる工作と、ナルサスの決起さえなければ。







 北レムドリア各所に存在する要塞は、外敵に対するというよりはむしろ、国内の反抗勢力を威圧するために存在する。

 その要塞の中、侵入者などありえない司令室には、16人の死体が転がっていた。

「……ジークとの戦いの時は微妙だったけど、こういう場合は本当に有能ですね」

 刀の血糊をしっかりと拭い取り、セリナが口を開く。

 司令室への突入から全員の殺害まで、担当したセリナとシズは一言も口を開かなかった。

「あらあら、まあ、あれは私の本領ではありませんでしたから」

 目を見開いたまま死んでいる司令官の眼に、己の姿を映すセラ。

 彼女の隠蔽魔法は確かに、神の力に相応しいものであった。

 魔法的な結界も、機械的な装置も、単純な人の目も、全てから三人の存在を隠し通したのだ。

「あとは死因を特定されないように、時限式の爆弾を設置して…」

 三人は来た時と同じように、悠々と要塞を脱出したのだった。



 要塞の司令室が爆発し、指揮系統が崩壊し混乱に陥った時。

 それを合図に、草原の彼方からケンタウロスを主力とする兵士たちが要塞に襲い掛かった。

 普段であれば要塞に設置された兵器によって簡単に駆逐されるレベルの武装のケンタウロスたちなのだが、今回ばかりは勝手が違った。

 数千に及ぶケンタウロスの戦士たちは、強力な魔法によって防御され、遠距離からの攻撃を受けてもその突進力は鈍らなかったのだ。

「まったく……流星雨を使えば一撃で片が付くのに」

 強力な防御魔法をかけた上に、探知を妨害する魔法まで使ったプルは、慣れない事で多少疲れていた。後方でのんびりと観戦である。もちろん何かあれば援護はするが。

 それに対してナルサスは強化魔法で肉体を強化し、ケンタウロスたちの先頭を駆けていく。要塞に取り付いたのも、彼が最初であった。



 要塞と言っても草原地帯である。元になった土を魔法で強化したもので、それほどの強度はない。

 ナルサスの剣が振るわれると、塵のように要塞の構造物は消滅した。

 彼の持つ祝福。それは前世においても保持していた『破滅』。

 まず大概の物質は、その力の前には無力である。物質はおろか魔法の結界でさえ切り裂いていく。



 入り口が突破され、戦士たちが侵入を果たす。

 遠距離からの攻撃を魔法で防御されたケンタウロスたちは、人間に対して圧倒的に強い。

 要塞内ということもあり自慢の機動力は活かせないが、そもそも肉体的に人間より頑健なのだ。

 被害は出ていたがナルサスが先頭に立って防御施設を無力化するので、ケンタウロスをはじめとする戦士たちは着実に要塞を占領していった。



 爆発を合図に戦闘が開始されたのが昼。

 そして夕方前には、全てが終わっていた。

 レムドリアの兵士たちは指揮官がいた間は勇敢であったが、そもそも司令部が消滅しているのである。

 孤立した兵士は降伏し、それを拘束していくのはケンタウロスの背後から続いていたハーフリングたちである。

 ハーフリングは戦闘に向いた種族ではないが、手先は器用で狭いところへの侵入も上手い。

 ケンタウロスの巨体が入らない場所まで探索して、要塞を完全に制圧した。







「川を渡りましたね……」

 制圧され爆破した司令室跡で、セリナは呟いていた。

「詩的な表現ですね」

 惨状を見つめながらニコニコと笑うセラに、セリナは説明する。

「地球の有名な言葉に、ルビコンを渡るというものがありましてね。もう引き返せないところへ行くことを言うのですが、そのルビコンというのが川なんです」

 これまでもセリナたちは破壊活動に従事してきた。

 しかし本格的に戦場に出るのは初めてである。考えてみれば本物の戦場を知るのは、仲間の中ではシズしかいない。もっとも彼女も傭兵としての参加なので、戦略レベルの知識はさほどない。

 上泉信綱としても、侍大将として兵を率いるのがせいぜいであったのだ。



 一方戦略に優れた視点を持つナルサスは、この要塞をさほど重視はしなかった。

 北レムドリアの反抗勢力に対してはともかく、同じレムドリアの軍の装備からすれば、この要塞の防御力はあまり意味がない。

 中継地点として利用はするが、兵士に休息を取らせた後、すぐに南下するとのことだ。

 兵站物資は要塞の備蓄を使えばいいし、ケンタウロスやハーフリングの足は速い。電撃的に集落や街を落としていくらしい。

 作戦会議に招かれたセリナは、当然の疑問を口にした。



「占領政策はどうするんです? 確保しても維持することは出来ないでしょう?」

「一度落としたという事実が重要なんだ。主力はあえて遊軍として動き、補給は現地調達し、レムドリアの支配力を削っていく」

 これは地球における遊牧民族の戦法に近い。あるいは蛮族か。

 ケンタウロスがそもそもそういう性質の種族であるし、南方の裕福な地域を攻めるとなれば、まさに漢民族から略奪した遊牧民族の動きである。

 レムドリア軍の現代兵器の前には成立しないはずの戦略であるが、プルやセラの魔法で強化すれば、個人が現代兵器で武装した兵士と戦える。

 しかもナルサスの策はそれだけではないらしい。



 東方の諸都市も連動して、独立に動くのだそうだ。

 狭い地峡でかろうじてレムドリア中央とつながっている東部は、都市国家群が多い地域であった。

 レムドリアの政策で都市ごとに住する種族が違うようにして、連携が上手く行かないようにしてあったのだが、それもナルサスの仲間がどうにか同盟関係を結ばせたらしい。

 セリナたちが来る以前からの行動で、彼の策謀の才は前世よりもさらに磨かれているようだ。



 会議が終わって要塞の頂点に立ち、セリナとナルサスは夜明け前の空を見つめていた。

「結局あなたは、どこまでする気なんです?」

 セリナの問いは、ナルサスの権力志向に対して示されたものだ。

 地球では不可能だったが、この世界なら国を乗っ取ることも出来るだろう。だがレムドリアを完全に征服するのは、さすがに難しいとセリナは思う。

「レムドリア王だ。皇帝じゃなくてな」

 自信に満ちたと言うよりは、淡々とした口調でナルサスは応えた。

「……難しいのでは?」

 レムドリアとは実際のところ、皇帝が治める国ではない。

 システムが治める国なのだ。

 皇帝を殺して皇族の女性を妻にしたら、王になることは出来るだろう。だが真にこの国の力を握っているのはシステムであり、それを運営する官僚だ。

 ナルサスはお飾りの王として君臨するタイプではない。実際に自分が権力を握り、自分の考えで国家を運営するだろう。

 そしてそれは既得権益と衝突する。単に国を滅ぼすよりも、それは難しいことだろう。



 だが、彼は決めていたのだ。

 自分は国がほしいのだと。

 自分の望む、自分が治める、それでも決して自分のためだけのものではない国を。

「レムドリアは現在のままでは巨大すぎる。だから官僚機構が肥大している。直轄地を狭めて自治区を増やし、それでいて王の支配地は拡大させる」

 絶対君主制であることには変わりがないが、レムドリアという現在の『怪物』を滅ぼす。それがナルサスの意図であった。

 国は大きすぎる必要はないのだ。神竜に支配されるオーガスや、大魔王に支配されるガーハルトとは違うのだから、彼には彼の望む国が必要なのだ。

「なんなら私の次の代は、選挙で選んでもいいな。現代の技術力なら、選挙システムも導入可能だろう。もっとも貴族や既得権益を滅ぼすのに何十年かはかかるだろうが」

 そう言っても、彼はやる。前世と同じように。



 前世でも似たようなことをした。セリナたちを支えてくれた。そして暗殺された。

「……全部というわけにはいかないけど、ある程度は手伝うよ」

 口調が対等になる。それに対してナルサスは、まさに男らしい野太い笑みを見せた。

「助かる。正直な話、人格や忠誠度は信用できても、能力が信頼できる人間は少ないからな」

「あたしはどうなのよ」

 いつの間にか背後に立っていたリプミラに、気付いていたナルサスは振り返る。

「もちろん信頼している。でもミラはいずれ竜牙大陸に帰るんだ。あの大陸に平穏をもたらすには、お前の力は不可欠だろう」

 その言葉にリプミラは視線を逸らせた。そして口早に語る。

「あたしは今までどおり後方を撹乱する。出来るだけ早く、出来るだけ派手に」

「頼む。私も早く軍を動かす予定だが、これだけは希望通りにはいかないからな」

 ひらひらと手を振ったリプミラは、寝床へ戻っていく。ダンピールである彼女は、これからが就寝時間なのだ。



 セリナとナルサスは再び、同じ方向を見ていた。

 南方。レムドリアの帝都を。そこを物理的に、また心理的に叩き潰せば、現在のレムドリア帝国は壊滅するだろう。新たな国家が生まれるだろうし、独立する国家も多いはずだ。

「軍の人間には内通者はいるのか? 正規軍をある程度はこちらにつけないと、さすがに厳しいと思うが」

「私を誰だと思っている? ここまで10年をかけた。本当はあと10年をかけるつもりだったのに、お前が現れたんだ」

 前世では殺し合い、その後は助け合った関係。

 男女は逆転しているが、その友誼に変わりはなさそうだ。

「期待してるよ、セイ」

「任せろ美夏」

 前世の名前を呼び合った二人は、微苦笑を浮かべた。

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