52 魔境の支配者
魔境。それは魔素が地中から吹き出て、魔物が生息するようになった場所を指す。あるいは巨大な魔力を持つ存在を中心とした場所でもある。
多くは森であることが多いが、山岳地帯や湿地帯、砂漠にも魔境は存在する。ある意味迷宮も魔境である。
竜骨大陸の中央部の魔境は世界でも最大規模のもので、この地の魔物が氾濫した場合、人間の国家は多大な損害を受けてきた歴史があった。
ククリの里のようなハーフリングの村が半地下の構造であることや、ケンタウロスが遊牧民であることは、魔物の氾濫を考慮に入れたものであるのだ。
ちなみに北に向かう魔物については、ほとんど知られていない。もっともセリナは知っているが。
北に向かった魔物は、西に向かった魔物よりもはるかに強大で、数も多かった。
そしてそれを防ぐ防壁がエルフによって作られ、鉄壁の守りとなって、魔物はエルフの経験値となっていた。それが200年前のことで、今もその状況に変わりはない。
「確かに魔境は危険だけど、人間ほど危険じゃないしね」
馬車の座席で足を伸ばすリプミラは、魔境と人間の危険性についてそんな風に言った。
「魔物は結界を張っておけば近づくことはないけど、人間は悪意を持ってやってくるから」
どこか皮肉な口調で語るリプミラの足を、プルが真摯な瞳で眺めていた。
美しい脚線美であった。
魔境に分け入って魔物を狩るのは、主に探索者か冒険者の仕事である。
精密ではないが地図もあり、実は魔族の集落が存在していたりもする。
かろうじて馬車が使える道を、一行は進んでいた。
月が美しい。
さすがに魔境の中であるので、馬車の速度を上げることも出来ない。
エクリプスの体力があっても、馬車自体の強度が不足しているのだ。
馬車の中にあって、セリナは地図を展開していた。
魔境の入り口からさほどの距離もないところに、人間や亜人の反応があった。
集落を形成しているのだろう。人口はおよそ300人。ほぼ全てが戦闘員だ。魔境の中に住むというのは、それだけ過酷なものであるのだ。
その中に一つ、抜きん出たレベルを持つ反応がある。
おそらく戦力的にはリプミラと同等。彼女がテロを起こすのに対して、彼はこの魔境の根拠地を守っているのだろう。
魔境の中には少しずつ離れて、いくつかの根拠地がある。どれだけの時間と手間をかけてきたのか分からないが、これだけの準備をしている相手となら組むこともやぶさかではない。
「んー」
それにしても、とセリナは思うのだ。
抜きん出たレベルを持つ戦士。彼の持つ技能は、きわめて殺戮と戦闘と生存に特化したものだ。
技能とは自然と身に付くものであるので、関連した技能が身に付くことは珍しくない。それにしても、計算されたような技能構成である。あるいはオーブを使ったのかもしれない。
やがて馬車も使えなくなった獣道を、一行は徒歩で歩く。
身長の関係で歩くのが困難なライザは、エクリプスの背中に乗っていた。
エクリプスの鬣を撫でるライザは、どことなく楽しそうである。
いつもは隠している青い髪を、月光の下に晒している。
ハイエルフ。その存在に突っ込みを入れたいリプミラとサルトルだが、こちらから質問をするのは相手を優位にすることでもある。
リプミラもまた、セリナたちに対して疑問を抱いていた。
疑惑ではない。敵意とも全く違う。それはこれだけのレベルの集団が、どういう意図で集まったのかということだった。
何故と問われれば、改めてセリナも考えたであろう。
なが問われなかったので、自然とその疑問も浮かばなかった。
何故。それはジークフェッドを討つためであった。
つまり自分たちがこうやって集まったのは、あの男の影響であるのだ。この世界において権力とは無縁であり、人々を導くこともないあの男が、なぜか後世に影響を与える。
それはかつて、大魔王アルスが抱いたのと同じ疑問であった。
「ここよ」
先頭を行くリプミラが示したのは、樹木の狭間に柵が設けられ、建物も樹木に隠れるように作られた集落だった。
おそらく上空から発見されることを防ぐためのものなのであろうが、これでは魔境の魔物に対する防御が不十分である。住む者を限定する根拠地であった。ちなみに転移門があるのは他の集落である。
柵に囲まれた集落には一応入り口があり、そこには門衛代わりの人間が二人いる。
正確に言えば一人はエルフであった。魔境とは言え森なのだから、エルフが得意とする場所であるのは間違いない。
リプミラは片方に話しかけると、セリナたちを手招いた。門衛たちは訝しげな視線を向けてくるが、セリナたちの容姿を考えると何者なのか分からないのも無理はない。
一行は集落の中心に向かう。そこには周囲よりは少しだけ大きな建物があり、その中から男が出てきた。
人間の男だ。年齢はまだ二十代だろう。背は高く、筋肉は太く、それでいて俊敏さを感じさせる。
顔立ちは精悍であるが、瞳には理知的な輝きと意志の強さが見て取れる。
「ナルサス、彼女たちよ」
そう呼ばれた男は頷き、セリナたちを順に眺めていく。
「偽装隠蔽か」
鑑定系の魔法を使ったのだろうが、セリナたちのステータスを見抜くことはほぼ不可能である。
本来のステータスの上に偽のステータスを上書きし、さらにまた上書きした偽りの神渾身の作であるからだ。
「貴方も少し隠しているようですね」
セリナの視線に対して、ナルサスは軽く頷く。そしてこちらを覗うような視線。
ステータスの偽装などでは隠せない、身に付いた強さを確かめる視線だ。
「……転生者か?」
セリナたちが見かけ通りの年齢であるのなら、その年齢でその実力はおかしい。
「私とそちらの彼女はそうです。あとはまあ……色々ですね」
「俺も転生者だ。地球の話は聞いたことがあるかな?」
「偶然ですね。私たちは二人ともそうです。特に彼女は、日本で剣聖とまで言われていたのですが……生まれ変わったら女でした」
セリナの説明に、男は好感の持てる笑みを浮かべた。
「剣聖か。上泉信綱と男谷精一郎と小島聖のどれだ?」
戦国時代の剣聖と幕末の剣聖と、銃器が主戦力となった時代の剣聖。
そんな三人を知っているということは、彼もかなり未来の地球からきたこととなる。
「彼女は上泉信綱ですよ。私は……小島聖ですが、剣聖というのはちょっと言いすぎではないかと」
その瞬間、男が動いた。
片手に持った剣を、鞘ごとセリナに叩きつける。
セリナは余裕でそれを見切り、逆に刀を抜いて男の鼻先に突きつけていた。
「どういうつもりです?」
「……いや、本当に聖なのか確かめただけさ。俺だよ俺、分からないだろうな。前世とは性別が変わってるし」
「……オレオレ詐欺?」
「違うし古い! 半世紀以上前のネタなんて、日本人でも普通分からないぞ!」
前世において、地球からネアースに召喚されたのはセリナだけではない。
元は36人の勇者が召喚され、それを地球に帰還させるためにセリナが呼ばれたのだ。ゲルマンはその内の一人である。
地球に帰還後、セリナは敵対もした勇者たちと交流していたが、その中には死んだらネアースへの転生を望む者もいた。
ゲルマンがそうであるし、もし転生出来たら協力しようとは言っていたのだが。
「前世が女……ってことは、ナツナツか?」
セリナの砕けた言葉遣いに、ナルサスは野太い笑みを浮かべた。
「まさか前世からの因縁があるなんてね……」
リプミラは肩をすくめるが、セリナとナルサスは微妙な緊張感を持って対峙していた。既に場所は彼の家に移っている。八人もいるとせまいので、サルトルは他の仲間の所へ出て行った。
セリナとナルサスは情報交換をしているが、それは前世での情報と転生してからの情報である。現在のレムドリアの状況ではない。
「それにしても私の反対で、男性になっているとは……」
「ああ、それは神様に頼んだんだ。女性よりも男性の方が、一般的にはやはり有利だからな」
前世のナツナツ――ナルサスも、思考が男寄りであった。ネアースに召喚された時など、自分の国がほしいなどと言っていたし。
だがジークとは男女の関係にあったし、地球に帰還してからは普通に結婚もしていた。旦那を尻に敷いてはいたが同性愛の傾向はなかったし、そもそも性欲が薄いという印象はあった。
ナルサスが転生したのは、レムドリアの侵略に怯える小国の一つであった。
平民ではあるがそれなりに裕福な家に生まれたナルサスは、当初は軍人となってレムドリアと戦い、権力を得ようとしたらしい。
だがあまりにも国力の差があり、たとえレムドリアを退けたとしてもその国家の中では平民が貴族になることも難しかったため、あえてレムドリアの中に飛び込み、レジスタンスの戦力となったのだ。
人心掌握術に加え、個人の戦闘力も突出している彼は、レジスタンスの中でもリプミラと同じく幹部であるという。それも単独行動を好むリプミラとは違い、ナルサスには政治と言うものが分かっていて、組織力がある。
前世で地球に帰還したセリナの支援者として、歴史の表には出ないような活動をしていたのだ。
かくしてレジスタンスの幹部であるナルサスは、セリナを信じた。
前世では半世紀以上の付き合いがあったし、殺し合った仲とは言えその後は悪い関係でもなかった。
彼女の本質が凶暴であることは知っていたので男女の仲としては全く進展しなかったが、仕事仲間としては互いに信頼していた。
そしてこのレムドリアの状況では、共にお互いの力は頼りになる。
……どちらかというと、こういった組織だった行動の中では、セラの動向の方が怪しいぐらいだ。
セリナたちという規格外の戦力を手に入れたことで、ナルサスは計画を変更することとなった。
幹部の中でも特に作戦を考える者たちを集め、方針の転換を謀るという。
皆が集まるには数日かかるということで、セリナたちは一度ククリの里へ戻ることとなった。
「それにしても、お前の師匠の助力はないのか? あの人ならレムドリアを滅ぼすことも簡単だろう」
「師匠にはまだ会えてないんです。居場所も分からないし。あ、戦力としてなら、ジークフェッドには会いましたよ」
「……あれはいらん」
仮にも前世で深い仲だった男のことを、ナルサスはばっさりと切って捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます