47 ククリの里
北レムドリアには広大な草原が存在する。標高もやや高めの地域である。
かつてレムドリアはここを放棄した。農業にも向かず、魔境には隣接し、かといって有用な資源があったわけでもない。
古き時代には、ここはレムドリアの騎兵の産地であった。
レムドリアの騎兵とは人間が馬に乗るものではなく、ケンタウロスの種族が就く兵科である。
これを活用することによってリュクホリン大王や、その息子のリュクシオン王子は多くの戦争で勝利してきた。
だがそれも昔の話。技術の発展に伴い、騎兵の代わりには浮遊戦車が戦場の機動力の主役となった。
それがまたも併合されたのは、大レムドリア主義というイデオロギーに加え、草原でも栽培可能な食物が開発されたからである。
ケンタウロスたちをはじめとする亜人たちは、その生息地を徐々に狭められていった。特別自治区という名の、限定的な地域に。
その中に一つだけ、レムドリアの都合ではなく、世界中の人々の意思でもって自治を任された集落がある。
俗に言う、ククリの里である。
ククリ。およそ200年前から150年前にかけて世界中を巡り、多くの詩を残した詩聖とも呼ばれるハーフリングである。
彼の業績は世界中に足を運び、多くの英雄譚を編み上げたことの他に、長命種に直接過去の話を聞き、伝承や当時歴史的事実とされていたことの誤りを正したことである。
なにせ神竜に選ばれた騎士の従者となり、勇者や神々の戦いを見届けた現場証人である。
もちろん英雄譚が大げさに表現されるように、彼の詩には事実と異なる部分がある。
彼の偉いところは、それが事実と異なると明記して、後世に残したことである。
吟遊詩人であると同時に、彼は歴史家でもあったというわけだ。
この功績はレムドリア国内だけではなく、世界中の国家にとって大きなものだった。
長命種があえて言わなかったこと、神竜や大魔王さえ機密としたことを、年月が経過したことだしもういいか、と思わせて当時の実情を明らかにしたのである。
特に先代大魔王アルス・ガーハルトの証言をまとめた「アルス業績録」は哲学書や歴史書でもあると共に物語としても成立し、現在でもまともな読書家なら必ず読むというほどの大ベストセラーになっている。
そのククリの出身地であり、生の終焉を迎えた土地として、ククリの里は世界中の学者から聖地とさえ言われたものである。
その圧倒的な説得や圧力により、レムドリアもこの里を制圧し、直轄地とするのを諦めたほどであった。
ハーフリングの愉快な吟遊詩人ククリ。
彼はセリナの前世の友であるとともに、言論の力によって人々を守った、偉人でもあるのである。地球であったらノーベル文学賞と平和賞を与えられるような存在であろう。
「なんて後世の歴史家が言ってるって聞いたら、あいつはどう思うでしょうね」
レムドリアの国境を突破し、北レムドリアの草原を馬車で行くセリナ一行の中で、セリナはプルに問いかけた。
ハーフリングのククリが死んだのは、約半世紀前。
そして一行五人の中で、実はプルはククリと深い付き合いがあった。
なにしろプルが赤ん坊の時、ククリはドワーフの里を訪れていたし、その後も何度も訪れ、更にプルの旅の初期には、世間知らずの彼女を心配した両親が、彼に案内を任せたからだ。
「小父さんはまあ…『そいつは愉快だね』ぐらいしか言わないだろうな」
プルにとってククリは、両親の友人であり世界の様々なことを面白おかしく教えてくれる先生であった。
母もプルにとって有益なことはたくさん教えてくれたが、一件無益に思えることや、単純におかしなことを、遊びのように教えてくれたのはククリである。
旅に出た最初の頃、当時からプルの戦闘力は傑出していたが、戦闘だけで旅がこなせるはずもない。
野営の仕方や買い物の仕方、地理や情勢など、彼は本当に様々なことを知っていた。
彼が死んだときは、プルとしては異例なことに男性の死に対して号泣したし、長く生きれば生きるほど、彼の存在がどれだけ自分の中で大きいか感じてもいる。
あえて言わないが、プルはククリを両親と同じぐらい尊敬しているのだ。
そのククリの里に、一行は向かっていた。
何もセリナやプルの感傷を満たすためだけではなく、そこがレムドリアにおける自治区であるという点が重要であった。
オーガス本国からあった、レジスタンスの支援。これは実のところ、発作的で難しい命令である。
元々オーガスもレムドリア国内に情報員を入れ、最低限度の情報を得ることはもちろんしていた。
だが明確な敵対行動はしていない。レジスタンスとの接触もしておらず、まずセリナたちはそこから始めなければいけないのであった。
そしてレジスタンスが潜むのであれば、まずは魔境。人の手が入らない、そもそも根拠地とするのにも向かない土地。
次には都会。木を隠すなら森の中の言葉通り、人間の溢れる中にいた方が、かえって目立つこともなくなる。情報も早く得られるだろう。
そして第三には、自治区が挙げられる。自治区であるからには自治権があり、レムドリアの場合はその中に警察的存在を置いてはいない。
ククリの里という牧歌的な名前の地に、レジスタンスが潜んでいてもおかしくはない。そう判断して、セリナたちは第一の目標を決めたのであった。
「これ、里じゃないだろ」
思わずセリナが呟いたのは、緑なす草原の地平線の彼方に、その街が浮かび上がってきてからであった。
位置を知っていたのでわざわざ地図を使って確認しなかったのだが、人口的にも里と呼ぶレベルではない。
ケンタウロスやハーフリングをはじめとして、帝国内では肩身の狭い亜人たちが、数多く住んでいる。100万都市と言ってもいい。
セリナの記憶にある牧歌的な風景とは、全く違う街のありようであった。
まあ地球でも200年あれば、村が都市になってもおかしくはないのだが。
あえて防御力を持たせないため、低く作られた城壁の門を潜る。反乱でも起こった時に、すぐ鎮圧できるようにだ。
所持品の検査や身分証明書の類も必要ない。門番はいるが、特に止められることもなく、一行は街の中に入った。
そして思った。ああ、確かにこれは里と呼ばれてもおかしくないと。
200年前のハーフリングの住居を模した様式の建物が、門からすぐのところには整然と並んでいる。
半分地下の住居の上には草原があり、そこでは畑で野菜が作られている。
遠く見える中心部には大きな建物もあるようだが、入り口付近はまさにハーフリングの住処らしい雰囲気だ。
「ずいぶん変わったな……」
口に出したのはプルだったが、セリナも思いは同じである。
田舎であった里が、都市になっている。この理由は亜人たちがこの自治区に閉じ込められ、その中でも快適さを追求した結果だろう。
ケンタウロスもハーフリングも都市の建設に向いた種族ではないが、他の多くの亜人たちの協力があれば、これを建設し維持するのも可能なのだろう。
そして都市であるからには、闇も多いのであるに違いない。
一行は昼間、宿を確保した後、里の観光をして過ごした。
とは言っても案内するのはプリムラだが、彼女も長らくこの里は訪れていない。よって役所の観光課で資料をもらって、美術館や劇場、ククリ特設会館などを巡ることになった。
「あ~、あれククリが持ってたメモだ」
「私の時には、あれを持っていたな。リュートの腕前も凄かった」
「へ~、私の時には、歌が中心で楽器はあんまり得意じゃなかったけど」
懐かしさに耽るセリナとプルとは違い、他の三人は純粋に観光を楽しんでいた。
「平和な光景じゃのう。人々の顔も明るい」
「人種は短い寿命の代わりに、何かを作り出す発想力がありますからね」
「……」
ライザは沈黙を保っているが、その視線がキョロキョロと動くからには、内心では楽しんでいるのだろう。
ククリ特設会館では、プルがじんわりと涙ぐんでいた。
長命な彼女は親友や戦友の死を見送ることが多い。だがそれにしても、いずれは精神が磨耗していくものだ。
ククリとの記憶で涙が出るのは、自分がまだ人間らしさを持っているのだと確認させてくれる。
セリナもまた、多くの人々を見送ってきた。
彼女は前世で、人間としては非常に長命であったから、自分の子供たちが先に逝くこともあった。可愛がっていた初孫も、彼女よりは先に死んでいた。
だが魂の存在を知る彼女は、いつかまたどこかで出会えると知っている。
記憶もなく姿形も変わっても、輪廻の輪は巡るのだ。悲しみは絶えないが、喜びが絶えないことも知っている。
プルはどうなのだろう。
彼女は長命な両親が健在であり、自分が長命であると気付いてからは、人種と積極的な心の交流をしたことがない。
美少女キラーと二つ名がついても、いずれ少女たちは自分の元から離れていく。
それを笑って見送るためには、ある程度の心の距離が必要だった。
そういう意味ではセリナは、大人になってからは初めての友人と言えるのかもしれない。
ククリのことを思い出しながら、プルはぼんやりとそんなことを考えていた。
宿屋、金の竪琴亭。
ククリが使った竪琴を飾る、この里では大きな、しかし高級ではない宿屋である。
高級すぎる宿屋では、酒場で情報収集が出来ないからだ。
そして一行の中で酒場で酒を飲むような者は、プルとシズしかいなかった。
セリナとライザは成長のためにミルクを飲み、セラは女神のような微笑を浮かべて茶を飲んでいる。
ちなみにプルは早々に、周囲の客と飲み比べなどをしていた。
シズは飲み比べこそしていないが、度数の高い酒をハイペースで空けている。
……当初の目的はどこへいったのか、セリナは頭を抱えながらも耳を澄ませていた。
酒場の喧騒の中で、聞き過ごせない会話を拾ったのである。
もっとも内容に比べて、その声は大きすぎたが。
「や~、今日も頑張って帝国のクズを殺さないとな~」
「声がでかいよ、姫」
健啖振りを発揮するように分厚いステーキを頬張るのは、亜麻色の髪の乙女であった。
「腹が減っては戦は出来ぬ。父もそう言っていたぞ」
「いや、それは言葉そのままの意味じゃなくてな……」
実際のところ、戦闘の規模や推移にもよるが、ある程度腹を空かせていたほうが、人間は動きやすいものだ。
摂取した食事の消化に、内臓のエネルギーが取られてしまうからである。
「で、今日はどうする? やっぱり人数が一番少ないのがメシを奢るのか?」
「いや、やっぱり殺した内容だろう。出来るだけ邪魔なやつを殺した方がいい」
「出来るだけって、その判断はどうするんだ?」
亜麻色の髪の乙女。その正体を万能鑑定で見破ったセリナは、少し驚いた。
なんと彼女はダンピール。200年前には存在しなかったし、オーガスでは数人、ガーハルトでも数百人しかいない種族なのである。
そして彼女の周囲の三人の男たちは、人狼や人虎、変身したナーガ族である。
どう考えてもレムドリアの体制側からは、迫害の対象になる種族である。
特に吸血鬼との混血であるダンピールは、隠れて体制の目から隠れ住む必要があると思うのだが、彼女は堂々としている。
ここが自治区であり、レムドリアの目が及んでいないとは言え、軽率だとは思わなかった。
夜に限定するなら、おそらく彼女はプルよりも強いだろう。それぐらいのステータスと技能を持っている。レベルの高さも周囲の三人に比べて、さらに上である。三人も弱いというわけではなく、オーガスの騎士程度なら数十人はまとめて相手出来るほどのレベルに達している。
接触すべきか、しかしあまりにも露骨な反体制勢力ではないか。
セリナが判断を迷う間に、事態は動いていた。
「そこの麗しい少女よ、よかったら私と飲まないかい?」
いい感じに酔っ払ったプルがダンピールに声をかけていたのである。
……竜の血脈には、酒精耐性の祝福はないのである。
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