第三部 幻想崩壊 リプミラ編

46 夜を支配する者

 レムドリア帝国の帝都は、3200年前にこの国の領土を最大化させた偉大なる王の名前から、ホリュンポリスと名付けられている。

 500万以上の人口を誇る都市でありながら、その周囲には城壁を巡らし、魔法的な防御も完璧。有事には道路や線路を閉ざす門があり、なにもここまで、と誰もが言いたくなるほどに過剰な防衛力がある都市である。

 そう、首都が戦場になる時点において、それは戦争の勝敗は決していると言っていい。数千年前からの無意味な防壁が、ただ無駄にメンテナンスされ、単に心理的な安心感を首都の人々に与えていた。

 これまでは。



 夕焼けが地平線の彼方へ消え、それでも街の明かりが人々の営みを表すこの時間。

 帝都に存在する中でも特に巨大な、神を祭る一つの神殿の尖塔の先に立ち、眼下を眺める少女がいた。

 亜麻色のゆるやかに波立つ髪を腰まで伸ばし、漆黒のマントに身を包んだその姿は、ある意味超然としたものであり、様式美さえ備えていた。

「さて、今日の獲物はどうするか…」

 そう呟いた彼女の口からは、人間にしては少し鋭い牙が見えた。



 耽美的に呟いてはみたものの、それを下から見つめる仲間たちは、呆れ顔で聞いていた。

「また始まったよ。姫の吸血鬼ごっこ」

「まあ母親は吸血鬼なんだから、間違いではないかと」

「黒スパッツは邪道だな。ミニスカに黒タイツが、吸血鬼の正装だと思う」



 呆れた声もあれば、欲望に忠実なことをただ口にする者もいる。

 だが彼らの会話から、尖塔に立つ少女のことはいくつか判明する。



 即ち、彼女はダンピール。200年前には存在しなかった、人と吸血鬼の混血である。

 中でも彼女は真祖と呼ばれる高位の吸血鬼を母に持ち、絶大なる魔法使いである戦士の父との間に生まれた。

 姫と呼ばれるのにも理由がないわけではない。側近に値する少数しか知らないが、彼女の母は魔王の一人ですらあったからだ。

「あんたら、せめて聞こえないように喋れないのかね?」

 ダンピールの口から苛立ちに染まった声が洩れる。それに対しても、慣れた仲間たちは苦笑するだけで反省はしない。

「成果さえ出れば問題ないんだ。楽しめばいいさ」

「別にあたしは楽しんでるわけじゃないんだけどね」

 生き血をすするダンピールと言えども、殺人に全く抵抗感がないわけではない。

 むしろ彼女は、吸血鬼が持つ他の種族への優越感を、きわめて少なくしか持っていない。



「まあいいさ。さて富める者か貧しい者か、最初に当たった人間が不幸」

 ダンピールはそう言って、再度都会の光景を視界に収めた。仲間たちも戦闘態勢を取り、今夜の獲物を物色することになる。

「それじゃあ、先頭はあたしだ。尖塔に立つあたしが先頭に出る。ククク! リプミラ・アウグストリア、出る!」

 夜の闇にひょうきんな半吸血鬼の姿は溶けていった。







 レムドリア帝国の危険性というのは、まずその国家が絶対君主制であることから成っている。

 他の超大国ガーハルトとオーガスは連合国家であったり自治地域が多く、大魔王と暗黒竜という怒らせたら怖い存在が、憲法を超越して為政者を監視している。

 ここのところのオーガスは少しおかしな方向に向かっていたが、頭が変われば自然と元の通りに戻りつつあった。

 だがレムドリアは違う。まず皇帝に絶対的な権力があると共に、国是とも言える拡張路線が、当然のように国家の首脳部のみならず国民にまで浸透している。

 これはレムドリアが、まだ王国であった4200年前に端を発する、根深い問題でもあるのだ。



 元々この竜骨大陸のかなりの部分を統治していたのは、ただ帝国とだけ呼ばれていた、大陸中央部にある強大な国家であった。

 魔族が人間や亜人と敵対していた時代、4200年前の大戦で大陸は荒廃し、帝国以外のほとんどの国家は消滅していた。

 これを憂いた当時の皇帝が、弟妹たちや叔父を、各地に軍や入植民と共に派遣し、築き上げたのが五つの王国である。

 レムドリアは皇帝の弟の中でも一番年長者の者が建国した国であり、そして現在に残る、ただ一つの王国の血筋なのである。

 イストリア、ルアブラ、カラスリの三王国は完全に消滅し、カサリア王国は分家したはずのオーガスに逆に吸収されて穏当に併合された。

 つまり帝国という最大の権威を正式に継いでいるのは、レムドリアだけだという自負である。

 レムドリアは帝国の最後の、そして最も正統なる国家として、覇権を握るのが正しいという考えが、大レムドリア主義として主張されている。



 そしてレムドリアの拡張路線は、今に始まったものではない。

 3200年前には大王リュクホリンが、途中大崩壊の混乱もあったが、国家の領土を最大限に広げた。

 当時はまだ人類の敵対国家であったという認識のガーハルトと、オーガスもカサリアも早々に和解したため、人類最後の希望としてレムドリアは歴史に名を刻んだのだ。

 その後は文明や技術、哲学、学問といった分野で地域に格差が出来、レムドリアは大きく南北と、東の諸都市国家に分裂した。

 南の正統な人間によるレムドリアにとっては、そちらの方が経済的にも軍事的にも無理がなかったからである。

 だがより文明が発達し、中央集権に必要な要素が揃うと、再びレムドリアは国土の回復――北や東から言えば、侵略を開始したのだ。

 そして現在レムドリアの領土は最盛期にほぼ匹敵するまで回復し、さらに領土の拡張路線を代々の皇帝が受け継いでいる。



 単純に皇帝を暗殺すればいいとか、軍事的に大局的な勝利を得ればいいとか、そういう現実では止まらない。それがレムドリアなのだ。

 だからこそオーガスは公然と、ガーハルトもささやかながら、レムドリアの周辺の小国への援助を切らさない。

 レムドリアが膨張したのはここ200年であり、長命種であればその速度が異常であると思うのは自然である。

 そんな長命種に対し、レムドリアは己が人間の国家であると、明確にではないが示している。

 レムドリアにも人間以外の貴族は少数だが存在するが、そのほとんどは下級貴族であり、混血であることが多いのだ。







 レムドリアの急激な膨張には、当初から周辺国の危惧はあった。

 だがそれが分かっていても圧倒的な国力差に、併合されていくことが大半であった。

 しかしその中には、抵抗勢力も残っていた。

 所謂レジスタンス、レムドリア政府がテロリストと呼ぶ存在である。



 レジスタンスは北レムドリアの東方にある、魔境を最大の根拠地としていると言われていた。

 魔境は魔物が数多く存在する場所であり、そもそも人種が生活するのには難しく、実際のところ根拠地なのかの確認は取れていない。

 だが北レムドリアの中央への反対勢力は東側に存在し、東方の旧都市国家連合とも連携した動きが見える。

 レムドリアの国力が工業力、商業力、技術力に重点を置いてある以上、地方から牙城を崩していくというのは一つの戦略である。



 だがそれにはまとまった戦力が必要であり、統制された組織となっていなければいけない。

 それとは別に、レムドリアを中枢から破壊しようという動きもあった。

 前者が抵抗勢力、レジスタンスと呼ばれることも多いのに対し、後者は明確にテロリストと呼ばれている。

 テロリズムが悪であるという概念は、ネアースでも浸透している。いや、正確に言えば浸透させられた。

 3200年前の大崩壊後の混乱期には、暴力であれなんであれ、とにかく統制が必要である時代があったのだ。



 しかしテロリズムが悪などと言うのは、既得権益を持つ権力者の、自己正当化に過ぎない。

 北や東にレムドリアが侵攻したとき、その地には既に住む人々がいた。

 それに対してレムドリアは進んだ科学や魔法の力による兵器で、圧倒的に蹂躙した。

 科学や魔法によって、訓練された兵士が一騎当千の強者となり、声を拾われない民たちの反乱が一方的に鎮圧される場合、彼らはどのようにして抵抗すればいいというのだろう。

 それこそレジスタンス活動。テロへとつながる。帝国の罪なき人々を巻き込んだとしても、それに罪悪感はない。そもそも人々を守る役目を帝国が果たしていないということであり、人々の怒りはレジスタンスと共に、それに対応出来ない政府へとも向かうからだ。

 そんな小難しい理屈を立てたのはリプミラではないが、彼女は己の個人的な暴力でもって、帝都の治安を乱そうとしていた。







 リプミラは悪人ではない。この場合の悪人ではないというのは、無差別に人種を殺して平然としていられるような、殺人に禁忌を覚えない人種ではないということだ。

 だが目的のためには、世間一般では正義と思われるような行動を取る人間も、敵対するという理由で殺すことになる。

(しかしまあ、やりにくくもやりやすくもなったものだ)

 かつてリプミラが帝都の治安を乱していた初期、要人には屈強な護衛がついているということはなく、あっさりと仕留めることが出来た。

 現在は皇帝のみならず貴族や高級官僚、富裕な商人でも護衛を雇うのは当然となっている。

 そしてやりやすくなったというのは、仲間が増えたこともあるが、帝国の上層部にリプミラとつながる者が増えたということでもある。

 貴族や官僚たちの足の引っ張り合いが理由であっても、リプミラが情報源や機密を得たのには変わりない。



 この夜のリプミラの獲物は、帝都の警備兵であった。

 警備兵は二人一組で巡回する、騎士には及ばないが良質の武装で身を固めた治安維持員である。

 体制側というだけでも殺戮対象にはなるが、この二人が巡回しながら話していた内容が、リプミラの美意識に触れたのだ。

「あ~、また吸血鬼でも狩って娼館に売り飛ばせないかなあ」

「前線とは違うんだから、こんなところで吸血鬼と出会うことはないだろ」

「いやでも、あいつらいい奴隷になるんだぜ。首輪でおとなしくさせたら、吸血鬼でもたいしたことないさ。売り飛ばす前に色々と試したけど、そっちの具合もなかなか良かったしな」

「吸血鬼かあ。そこまではいかなくても、ダークエルフとかいいよなあ。魔族のくせに見た目はいいし」

「あっちの具合もいいってか?」

「おうよ。今度店に行ってみるか?」



 レムドリア帝国には奴隷が存在する。それも犯罪奴隷ではない、借金奴隷などや素性の確かでない奴隷である。

 地球の人権意識を持った者が作った国であるガーハルトやオーガスとは、まずそこが違う点である。

 そして奴隷として認められる種族も限られている。魔族や亜人である。人間には犯罪者でも施設に入れられるだけで、奴隷となることはない。もちろん死刑はあるが、矯正施設があるのだ。

 ちなみに竜骨大陸で奴隷を認めている国家はレムドリア影響下の小国以外にはない。

 竜牙大陸や竜爪大陸には、奴隷以上に悲惨な状況に置かれた人種もいるが。



 リプミラは善人ではなく、正義の心もそれほど持ち合わせていないダンピールだが、警備兵の会話は看過出来ないものであって。

 そして都合の良いことに、ここは監視のための魔法もない路地裏であった。

「よし、殺そう」

 口に出して言ったので、自然と目の前の二人にも伝わった。そして警備兵は、突然現れた気配にぎょっとして向き直る。

「な、なんだ女か」

「そう、お前たちには不運なことに、心優しいダンピールの女さ」



 一瞬で距離を詰めたリプミラは、警備兵が武器を構える間もなく、両手の鉤爪でその首を掻き切っていた。

 動脈だけではない。脊髄をも断たれて、ほぼ一瞬で警備兵は死体となっていた。

 吸血鬼は下等種族に対して、じわじわと弄びながら殺すというイメージがあるが、それはレムドリアで流布された吸血鬼を貶めるための物語である。

 大量の出血から身をかわし、その後完全に絶命した警備兵の首の断面から、ちゅるちゅるとリプミラは血を吸った。

 吸血鬼の伝統様式に則って首筋から吸わないのは、犯人の正体を隠すためである。



 吸血衝動を満たしたリプミラは、路地裏からも見える、帝都の光へと目を向けた。

「さて、今夜はあと五人ほどは減らしておこうかな」

 そう言った彼女は壁を蹴って宙を舞い、闇に同化して街へと消えていった。

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